第18話 昼の中庭、こぼれた言葉(芽吹月五日・昼)
芽吹月五日、昼。
午前の任務を終えた私は、厨房から出たところでユトラに肩をぽんと叩かれた。
「おつかれ、アイリス。で、どうだった? 今日の“お姫様朝会”は」
「朝会……とは」
「いやもう、最近の姫様の行動見てると、儀式感あるでしょ。あんたが行く前から待ってるとか」
「……姫様は、少し早めに東庭にいらっしゃっていました」
「ふふーん、それで? なにか甘い言葉でもささやかれたの?」
「いいえ、“優しい時間”と名づけられた紅茶を共にしただけです」
「ほら出た! そういうのよ!」
「何がですか」
「そういう“無自覚で爆弾投げるアイリス”が今いちばん噂の的なのよ? あんたが姫様に淹れてるの、もう“口説きブレンド”とか言われてるからね」
「……なんの調合思想でしょう、それは」
ユトラが腹を抱えて笑うのを背に、私は布包みを持ち直した。
けれど──ユトラの言葉が冗談で終わらなかったのは、その数分後だった。
中庭を歩いていると、背後からひそひそと声が聞こえてきた。
「ねえ、聞いた? 姫様って最近、東庭にこもってるんでしょ?」 「しかも毎朝“誰か”と……紅茶って」 「専属らしいよ、“アイリス”って名前」
私は、聞こえなかったふりをした。
けれど、胸の中は妙にざわついていた。
(──私の名前が、“そういう形”で噂になる日が来るとは)
私は中庭の片隅に腰を下ろし、ため息混じりに空を見上げた。
「……“誰かとずっといたいと思ったことがあるか”──か」
姫様の問いが頭に残っていた。
「正直に言うなら、今でもよくわかりません」
そのとき、木陰から声がした。
「おーい、アイリスー」
現れたのは、カレンだった。パンをかじりながらやってくる。
「昼休みなのに何シリアスに悩んでんの。もっとパン食べなよ! 食べて忘れる、これ基本」
「食べたところで、記憶は消去されません」
「でも気分はリセットされるでしょ。ていうかさ、あんた姫様といい感じなんだからもうちょい浮かれなよ」
「……そういう感情で接しているつもりはありません」
「え、それであの目線受け止めてんの? すごい……鉄壁アイリス」
私はパンを一口だけ受け取った。
「……少し、甘すぎます」
「それはアイリスがしょっぱいんだよ」
「それは……どういう意味でしょうか」
「気づいて! 自分に!」
ふたりで笑いながら、中庭に昼の風が通り抜けた。
けれど、心のどこかではまだ、朝の問いが残っていた。
誰かと、“いたい”と思うこと。
それがいつか、自然に思える日が来るのだろうか。
答えはまだ出ない。
──でも、明日もまた、紅茶を淹れよう。
それだけは、もう決まっていた。