第17話 朝の東庭、静かな約束(芽吹月五日・朝)
芽吹月五日、朝。
いつもより早く起きた私は、昨夜仕込んだブレンドを慎重に確認し、茶器を整えて厨房を出た。 誰よりも早く東庭へ向かうのは、いつの間にか私の日課になっていた。
まだ陽の角度が低い時間、東庭には小鳥の声と、柔らかな風だけが流れていた。
私は花壇の縁に布を敷き、ひとりで準備を始める。
「……本日は“優しい時間”、です」
昨夜、姫様が名づけたブレンド名。 その言葉を思い出すと、自然と表情が和らぐのを感じた。
「おはよう、アイリス」
その声に振り向くと、姫様が、いつもより少し早く現れていた。
「おはようございます、姫様。お早いですね」
「今日は……なんだか、待ちきれなかったの」
姫様はそう言って、私の隣に腰を下ろした。
「ふたりきりの朝、っていうのもいいね」
「……静かで、落ち着きます」
私はカップに湯を注ぎ、慎重にブレンドを抽出する。
「“優しい時間”って名前、気に入ってくれた?」
「……とても、合っていると思います」
「よかった。じゃあ、今日もひとつだけ、質問していい?」
「どうぞ」
「アイリスは……誰かとずっと一緒にいたいって、思ったことある?」
問いの意味を測りかねて、私はカップに目を落とした。
「……それは、“一緒にいなければならない”ではなく、“いたい”という意味ですか?」
「うん。いたい、って意味」
私は少し考えてから、静かに口を開いた。
「……過去には、ありませんでした」
「じゃあ、今は?」
紅茶の湯気が、ほんの少し揺れた気がした。
「……考えたことも、ありませんでした」
「そっか」
姫様はその言葉に対して、なぜか笑わなかった。 ただ、少しだけ視線を落としたあと、カップを手に取った。
「でも……それは、これから変わるかもしれないよね」
その言葉には、はっきりとした響きがあった。
私は返す言葉を探せず、ただ「……はい」とだけ、頷いた。
朝の東庭は、いつもより少しだけ、あたたかく感じられた。