第12話 書庫のすれ違い(芽吹月三日)
芽吹月三日。雨は止み、朝から柔らかな陽が差していた。
「本日は晴れですね」
私は厨房での当番を終えると、紅茶と小さな焼き菓子を包みにして東庭に向かう……はずだった。 けれど、その日は違った。
「アイリス? ちょっと手が空いてたらお願いしたいんだけど、書庫にこれ届けてくれる?」
後輩の使用人に声をかけられた私は、快く頷いて布に包まれた文書を受け取った。
(……今日は少し遠回り、ですね)
書庫は王城の中庭を挟んだ反対側にあり、普段の生活ではあまり立ち入らない静かな区域にある。
石の廊下を通り、書庫の扉を軽くノックして開けると、そこに見覚えのある後ろ姿があった。
「姫様……?」
振り返ったその人は、いつものドレス姿ではなく、シンプルな上衣に身を包んだ姫様だった。 髪もゆるくまとめられていて、見慣れぬ雰囲気に私は一瞬だけ言葉を失った。
「え、アイリス!? どうしてここに?」
「文書の配達を、頼まれまして……」
「あ、うん。私は調べもの……明日のお茶会で出す新しい“話題カード”をね」
「……準備が早いのですね」
「ふふ、なんかアイリスと話すと話が深くなるから、カードが足りなくて」
姫様は机の上のカードを指さした。そこには「もし異国に行くなら?」「嫌いな虫は?」など、奇妙な問いが並んでいた。
「これは……」
「アイリスの答え、全部想像しながら書いたの。たぶん8割正解してると思う」
「挑戦的な姿勢ですね」
「うふふ、明日試してみよう」
姫様は本を閉じると、ふとこちらを見て首をかしげた。
「そうだ、今どこか行く途中だった? もしかして……東庭?」
「……はい。今日も紅茶をお持ちしておりました」
「えっ、それ持ってるの!? 今!?」
「はい」
「じゃあ今ここで、ひとくちだけ……飲めない?」
「……構いませんが」
ふたりは書庫の隅の窓際に移動し、小さな卓を使って即席の“室内紅茶会”を始めた。
「……これはこれで、落ち着くかも」
「風が当たらず、静かですから」
「でも、アイリスと一緒ならどこでも紅茶会できそうだなあ」
「そのご期待には添えるよう努力いたします」
小さな机、湯気の立つカップ、香ばしい焼き菓子。 東庭とは違う、王城の中の静けさのなかで、ふたりの時間がゆっくりと流れていった。
そして別れ際、姫様は笑いながらこう言った。
「明日は、ちゃんと東庭でね。あと、今日のぶんも合わせて二倍話すわよ」
「……承知いたしました」
その言葉に、私は小さく微笑んで書庫を後にした。