ep.8 地獄に落ちてしまえ
『地獄に落ちてしまえ』
面と向かって言われると、鋼の心臓と言われる自分でも流石に堪える。
そこまで酷いことをしたと思っていないが、彼にとっては僕がしたことは、到底許せるものではなかったようだ。
——難しい。
ただ知りたかっただけ。彼が何が好きで、何に興味を持って、どんなところに住んでいるのか。
だから、こっそりスマートタグを忍ばせた。
スマホが示す軌跡を眺めながら、「今は何処に向かっているんだろう」「ああ、この喫茶店、自分も好きだ」「このお店では何を買ったのだろう」「本屋? 何を読んでいるのかな」一人想像を巡らせるのはとても楽しい時間。
楽しくて、嬉しくて、日々スマホを眺めて夢想する。
彼の日常を、誰よりも近くで感じている、彼と繋がっている、そう感じていた。
気づけば、彼と一緒に歩いている自分を思い描くほどに。
だから、駅前で彼を見つけた時、
「ねぇ、この間の美術展、すごかったよね?」
考える前に言葉が口から零れてしまった。
「!」
彼の表情が凍り付く。
いつもの柔らかな眼差しが、射抜くような視線に変わり、僕を見る。
「何故、知っている?」
眼差しだけでなく、言葉も氷のように冷たかった。
「あっ、えっ、いや......」
あの美術展に行ったことは、誰にも言っていないことだったと。最近僕があまりしつこくつきまとわなくなったから、油断していた、とも言われた。
彼の迫力に気圧された僕は、スマートタグのことを口にしていた。
彼の顔を直視することが出来なくて、俯いてぼそぼそと呟く自分。
ただ静けさが、張り詰めた緊張感が僕の前に満ちている。
そして、先の言葉が静かに、だけど怒りを堪えたような絞り出すような声で僕に告げられた。
「地獄に落ちてしまえ」
驚きで反射的に彼の顔を見つめてしまう。
見開いた瞳から大粒の涙が一粒零れる。僕の頬を伝っていく。
だけど、彼はそれ以上何も言わず、踵を返し駅の改札へと消えていった。
僕は去っていく彼を追いかけなかった。
だって、まだ僕のスマホには彼の軌跡が表示されているのだから。
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自分にとって、画家ボッティチェリといえば『春』。
そして、もう一つは『ヴィーナスの誕生』。
どちらもヴィーナス神が麗しい絵画だ。
この二つの絵のイメージがわたしの中では強烈なのだが、先日、幻想小説作家 山尾悠子さんのコラムを読んで「地獄全図」という絵があることを知った。
なかなかインパクトある絵で、逆三角形(円錐)の地獄図。
左上に入り口があって、三途の川が上層部にあり、下へ下へと下っていくと、最下部が大魔王の座するところ。
ほんとに“地獄に落ちる”という言葉がぴったり。
そして、浮かんだ話が上記のショートショートです。




