ep.7 マイナス10センチメートル
「子供なんだから、もっと柔らかいだろ?」
先生の視線は、凍てつくように冷たい。感情が宿らず、機械的なその言葉が、容赦なくわたしの心を打ち据える。
広い体育館に先生の声が響き渡る。立位体前屈の測定中、私は壇上で晒し者にされていた。
「ほら、ズルしない。定規あてるよ」
平坦な声が響き、膝の裏へ定規を押し当てられる。無理に行う前屈のせいで、勝手に曲がろうとする膝裏が痛い。
気づけば壇上でさらし者にされているのは3人。
今日、体力測定をしているのは全学年の半分ほど。その中でたった3人だ。
お互いまったく知らない3人が、教師たちの叱責を浴び続けている。
立位体前屈——前屈姿勢で体の柔軟性を測る種目だ。
小さな踏み台の上に立ち、前へとかがむ。
踏み台の前にあるプレートを指先で押すことで、どれだけ踏み台の面より下まで指先が届くのかを見る。
その数字が大きいほど、前にペタリと曲げることができているというわけだ。
だが、今壇上にいるわたし達3人は、そのプレートに指先すら触れさせることができない。
「真面目にやっていない」「子供だから体は柔らかいはず」といった言葉を繰り返し、繰り返し言われる。
先生はこれ見よがしに大きな溜息をつき、定規で指先とプレートの間の距離を測った。
「マイナス10センチ......。在り得ないでしょ?」
呆れたような声が、私に突き刺さる。
毎回毎回こうだ。
別にわたしはサボっていない。
真面目にやっている。
もし、手が地面につくなら、心からそうさせてみたい。それこそ、わたし自身がずーーーっと願っていることだ。
膝裏に定規を当てられたところで、痛いだけ。
どんなに頑張って腕を下に下げても、腰と背中に鋼鉄の板でも入っているのか、体はちっとも曲がらない。
真面目にやっているのだから、これ以上どうすればいいというのだ。
他の体育の授業もそうだ。
跳び箱だってそう。
「それだけ身長があるのだから、特に問題なく飛べるわよね?」
手をついて助走し、跳び越えようとするものの、いつも箱の上で止まってしまう。 「なんで出来ないの? たった3段よ!」 問いかけは苛立ち混じりで、私の胸をさらに重く締めつける。
鉄棒だって。
「足を振り上げれば、反動で逆上がりはできるから」
先生は簡単に言うけれど、どれだけ足を振り上げても逆上がりはちっともできない。何度も何度も試すから、手のひらは汗だらけで滑ってしまう。
「なんで、手を離すの! 危ないでしょ!」
その叱責に、確かに危ないのは分かっているけれど、どうしようもなかった。
——
少し前、ネットで「運動が嫌いなのではなく、体育の授業が嫌いだった」「方法を教えてくれれば、また違ったのに」といった話が盛り上がっていたのを記憶している。
そのスレッドやまとめを読んでいて、わたしも深く深く心の中で頷いていた。
子ども時代の体育は「できる子は当たり前、できない子はおかしい」——そんな理不尽な空気に満ちていた。
50メートル走のタイムでも、「速く走れ」と言われたが、どうすれば速く走れるかは聞いた記憶がない。
手の振り、足の運び方、姿勢、といった具体的な理論を教わった記憶はまったくない。
勉強であれば、点数が悪ければ「どこが弱点か」「その弱点を克服する方法は」といったアプローチを先生達はしてくれた。
だが、体育にはそれがなかった。
上達どころか、ただ嫌いになる要素しかない。
——
この話は、わたしの体験を少しアレンジして書いています。
アレンジしてあるとはいえ、基本的にこんな感じでしたが。
おかげで今も体育というか、体を動かすのは苦手なままです......。




