ep.3 宵越しのお茶
夕食を終えると、母がテーブルの上を片付け始める。
祖母もそれを手伝い、洗い場へと食器を運ぶ。私も当然のようにそれを手伝うのだが、この間、誰も何も、一言も発することはない。
父は当然のように椅子に座り、すでに何かの本を片手にしている。
祖父も当たり前のように椅子に座ったまま、私たちの片付ける様子を眺めている。
机の上が片付くと母が仕上げるかのように、テーブルの上を綺麗に拭き上げる。
そして、それに続いて、祖母がお茶の用意を始める。
家族しかいない場なのだが、何故かこの祖母がお茶を入れている時は緊張する。
父も本を閉じ、祖母の手元を見つめている。
祖父も先程までのように私たちを見るのではなく、ただただ祖母の手元を見つめている。
急須や各々の湯呑みは台所にて予め温められている。美しい和紙で覆われた茶筒から、茶葉を一匙。この急須に程よい量が入っている。
タイミングを合わせたかのように、母がお湯を持って現れる。
煎茶を淹れるために、沸騰させてから程よく冷ましたお湯だ。
静かにお湯を急須に注ぐと、ほのかな茶葉の香りが立ち上がる。お湯の量は急須の三分の一ほど。小さな蓋へ祖母の指がそっと添えられる。ゆっくりと急須を回し、五人分の湯呑みへ注ぎ分ける。数回繰り返し、最後の一滴まで注ぎきる。
母が祖父と父の前へと湯呑みを置く。私たちは自分で湯呑みを持ち、もう一度テーブルへと着く。
やはり無言のまま祖父はお茶を飲み、父も無言でお茶をすする。私たちも無言。視界の隅で祖父と父の様子をうかがいながら、お茶を口に運ぶ。
スッと湯呑みが手元からテーブル中央へと押し出される。二煎目の催促だ。
母が台所からお湯を再び持ってくる。二煎目は蒸らすことなく、順に注ぎ分ける。
祖父と父は二煎目のお茶を飲み切るとそのまま席を立った。
三煎目、やっと私達が落ち着いてお茶を楽しめる。
急須の中には、注ぎ切れなかったお湯がたゆたっていた。
△▼
宵越しのお茶は飲んではいけない。
今どき、この言葉は生きているのか?
自分は子供の頃、このことを何度も口うるさく言われた覚えがある。
子供の頃は、やってはいけないと言われると余計に気になるものである。特に、やってはいけないとくどいほど言われることには、試したくなる誘惑がつきまとう。 何かあっても自分が痛い目に遭うだけだと思えば、歯止めが利かない。
とは言っても、夜お茶の用意をそのままにして寝てしまうことは、我が家ではあまりなかった。
今思えば、家の者がしっかりしていたと思う。(今の自分は、そのまま朝まで放置することも多々あるが)
そしてある時、試す機会が訪れた。
朝、テーブル上にそのまま置かれた茶器。
まずは湯呑みに残ったお茶を一口。冷たいだけで(美味しくもないが)飲むことはできた。特に不調も感じない。
な〜んだ、と少々拍子抜けした。
急須の蓋を開けてみても、小さな急須の中はよく見えず、試しにと湯呑みに注ぎ口を向けてみたところ、少量残っていた。
ナンデスカコレハ?
というくらい濃い色の液体が湯呑みに沈んでいる。
もうはるか昔のことなので、お茶の種類も覚えていないのだが、番茶か煎茶を良く飲んでいたと記憶している。この時の色から考えると、恐らく番茶だったのだろう。
内側の白さがより強調される、錆色といえばよいのか、紅茶のすごく濃いものといえばいいのか、そんな液体が目に入った。
見るからに危険な色だった。だが、先程の湯呑みに残ったものは問題なく感じたので、一口飲んでみた。
子供だったので、口に含む、という小技は使わず、一気にクイッと。
といっても一口だが、激マズ!
漫画表現ならば、星やら何やらが飛び交う程に。
渋い。とてつもなく渋い。口の中が乾く感じを覚え、余りの不味さに悶絶した。
少し前、宵越しのお茶が話題に上がり、昔の記憶も相まって諺は正しいのかと調べてみた。
その昔、悶絶した後にも子供ながらに調べて、カテキンが酸化してタンニン(渋味)になるため、と覚えていた。
だが、今回もう少し調べると、
茶葉に留まったたんぱく質が腐敗する。
ということを知った。
この事実、当たり前すぎて......
タンパク質は脂溶性。カテキン(タンニン)は水溶性。抗菌作用を持つカテキンが茶葉から流出。脂溶性のため、タンパク質はそのまま茶葉に留まる。
抗菌作用がなくなった茶葉は腐敗を始める。そして腐敗したタンパク質は残ったお茶へと流出する、と。
タンニンも少量は胃を刺激し、消化を促す役立ち物。
なので、実はあまり気にしていなかったのだが、過剰摂取は、胃の粘膜を傷つけて消化液の分泌を妨げると。
言い伝え、おろそかにしてはいけない。




