お兄様の指輪が壊れたら、溺愛が始まりまして
私のお兄様は、オーギュスト・アルエン。由緒正しいアルエン公爵家の若当主だ。
"兄"といっても、私たちに血のつながりはない。
私の実父は、小さな領地の末端貴族。戦功をたてて得た、男爵位だった。
父は先の公爵閣下の部下を務め、戦場で閣下の命を救った代わりに、自身の命を失った。
その功績と恩に報いるためと前置きされて、幼い私は公爵家に引き取られた。私には、他に身寄りがなかったから。
アルエン公爵に"娘"として可愛がって貰ったが、養子として籍は入っていない。
私の名前はラヴィニア・セリエール。依然、セリエール男爵家の姓のままであり、アルエン公爵家の"預かり子"として周知されている。
前当主が亡くなってからは、お兄様が私の保護者となった。
でもその暮らしも、もうすぐ終わる。
私は婚約中で、春にはバシュレー伯爵家に嫁ぐことが決まっている。いまは公爵家で管理して貰っている、亡き父の領地と爵位とともに。
お兄様と一緒に居られる期間も、あと僅か。
「……包帯が痛々しくていらっしゃるわ」
止血のため、頭に包帯が巻かれている。そんなお兄様の端正な寝顔を見守りながら、ベッド脇から思わず呟くと。
「うう……」
「! 気がつかれましたか、お兄様!!」
「ラヴィ? ここは……、俺の部屋か……。っつ! 陛下は? ティティ陛下はご無事なのか?!」
飛び起きようとしたお兄様が、頭を押さえてよろめいた。
「お、お兄様? 急に無理なさらないで! ご安心ください、女王陛下はご無事ですわ。崩落に気づいたお兄様が、いち早く陛下を守られたので、お怪我もなくお元気です」
私の報告に、全身で安堵されるお兄様。
(ご自分のことより、まず女王陛下なのね……)
ふいに飛来した負の感情を、慌てて追い払う。
(しっかりしろ、ラヴィニア。お兄様のご心配は、臣下として当然のこと。お兄様が悲しむことがあれば、そのほうが辛いのだから)
視察の際の事故だった。突然、高い擁壁の一角が崩れ落ちて来たという。
騎士団長として主君を守ったお兄様は、負傷して、屋敷に運び込まれた。
その時の衝撃と言ったら。お兄様がこうして目を覚まされるまで、私は生きた心地がしなかった。
「陛下から、王宮の医師が派遣されています。お兄様が気づかれたこと、知らせて来ますね」
「ああ、有難う、ラヴィ。……ずっとついててくれたのか」
そう言いながら私に手を伸ばすお兄様が、ハッとしたように動きを止めた。
視線の先は、自身の指。
「俺の指輪は──?」
(あっ……)
これを伝えると、お兄様がガッカリされてしまうけれど。
「お兄様が大切になさっていた指輪は、事故の際に壊れてしまったみたいです」
脇机のピローに乗せた金属片を示すと、あからさまにお兄様の顔が曇った。
彼が片時も外さず、ずっとつけていた指輪は、女王陛下から賜ったもの。
(お兄様はやっぱり陛下のことが……)
きゅっと、しびれるような痛みが胸を走る。
(ううん。何をいまさら。わかってたことじゃない。私とお兄様は、身分も何もかも違うんだから。いま置いて貰ってることがすでに、破格の待遇だもの。これ以上は望んじゃダメ)
私はお兄様の部屋を辞すと、医師を呼ぶよう召使いに指示をした。
自分の気持ちをそっと、抑え込みながら。
医師の見立てでは、お兄様のお怪我は幸いにも軽傷で、数日休めば職場に復帰できるということだったが。
お兄様は怪我を理由に、王宮への出仕は当分休み、屋敷で過ごすと宣言された。
「たまってる仕事もあるし、調べたいこともあるからね」
(……たまってる仕事を片付けていたら、それはお休みにはならないのでは?)
それに調べたいこととはなんだろう。
私は首をかしげたが、お兄様が自宅療養されるのは、おそばにいられる時間が増えるということ。
その時間を大切に過ごそうと思った。
◇
お兄様が休暇で引きこもって数週間。
以前より招待されていた宴席に、私は今日、出なくてはならない。
仕度を終えると、見送りのお兄様が心配されていた。
「本当に、付き添わなくて大丈夫か? バシュレー伯爵子息……フェルディナン殿はまだ迎えに来ていないようだが」
「平気です、お兄様。会場で待ち合わせをしていたのを、うっかり忘れていました。あちらで合流いたしますから、ご心配なさらないで」
嘘。そんな約束はしていない。
フェルディナン様が下位貴族の娘である私を、尊重してくれたことはない。
ただ、私を娶るとアルエン公爵家と親しくなれる。その利だけで婚約を結んだのだと、直接言われたことがある。
わざわざ告げるのは、私を見下している証拠。
現にフェルディナン様は婚約期間にも関わらず、遊び相手をとっかえひっかえ、おそらく今日は、最近夢中な子爵令嬢と会場入りされることだろう。
待つだけ無駄だ。
そんな相手と添い遂げて、幸せになれるとは思わない。
けれど公爵家に長く残って、これ以上お兄様に迷惑をかけるわけにもいかないし、前公爵様がまとめてくれた縁談に、異を唱えるのは贅沢だろう。
(オーギュストお兄様に婚約者がいないのは、いずれ女王陛下と結ばれて王配になられるからだとしても。だからといって、私がいつまでも居座るわけにはいかないわ)
だからフェルディナン様にどんな扱いを受けようと、私が耐えれば──。
「ラヴィニア・セリエール。今夜限りで、オレはお前との婚約を破棄する」
「……え?」
王宮の夜会にひとりで出席した私は、よりにもよって庭で子爵令嬢と睦あっている婚約者を目撃し。
目があった彼から、いきなり爆弾発言を投げつけられた。
フェルディナン様は、冷めた眼差しで私を見る。
「まったく。なんと鬱陶しい女だ。こんな場所でまで、オレたちに付き纏うなど。その調子でコリンナ嬢のことも追い詰めたのか」
「何を……おっしゃられているのか、私にはさっぱりわかりません……」
付き纏った? そんな過去は一度だってない。
今も偶然見つけてしまって、"不快な逢引きを見てしまった"と引いたところなのに。
彼の頭の中は、一体どうなっているのだろう。
戸惑う私を無視し、フェルディナン様が決めてかかった。
「お前が常々、このコリンナ嬢に嫌がらせをしていたのを、知らないとでも思っていたのか?」
彼の腕の中に顔を伏せ、コリンナ様が私に向けてニヤリと笑う。
(嫌がらせ? 何のこと?)
コリンナ様がフェルディナン様に寄りかかってる姿は何度か見かけたが、彼女と言葉を交わしたことはない。
ましてや何かを仕掛けたことなんて皆無。実は名前も今聞いたと、思ってしまったくらいだ。
(子爵家の方ということぐらいしか、知らないわ)
でももし平気でウソを捏造されるなら……、そういう性格の方なのだろう。
(嫌がらせって、どんな設定を吹き込まれたのかしら)
疑問だらけの私に対し、フェルディナン様が続けざまに非難する。
「男の火遊びを許容できないお前は、貴族の妻として相応しくない。しかもいかに公爵家に養われていようとも、お前自身は男爵家の身。目上である子爵令嬢をやっかむなど、増長も甚だしい!!」
「……嫌がらせなどしていません。第一なぜ、私がコリンナ様をやっかむ必要があるのでしょう」
「はぁ? 自分の気持ちさえ把握出来てないマヌケなのか? それはお前が、オレの愛を得られずに僻んでいるからだ」
フェルディナン様が言いきった。
(えぇぇ……。僻んだ、かしら?)
別にフェルディナン様の愛は求めてない。
そんなところがいけなかったのかもしれないけれど、互いに契約だと割り切ってたはず。
でなければ、婚約者としての逢瀬も贈り物もエスコートさえもガン無視な理由が成り立たない。私が送った手紙すら一度も返事がないのは、ビジネスとしても失格だと思う。
けど。
「あの、フェルディナン様? 私との婚約は、公爵家との繋がりのため、とおっしゃっておられませんでしたか?」
(バシュレー伯爵家との縁談がなくなると、お兄様にご負担をかけてしまう)
その一心だけで尋ねた言葉は、軽く一蹴された。
「構わないさ。アルエン公爵家はともかく、お前やオーギュスト殿の未来は明るくないだろう」
(え? 私はともかく、なぜお兄様の未来が明るくないの?)
目を丸くした私に、フェルディナン様が得意そうに言う。
「状況が変わったことを、オレに隠しても無駄だぞ。王宮の確かな筋からの話だが……、オーギュスト殿は先の事故で大怪我をして、引退されるそうだな」
(??? お兄様はすでに全快されてますが?)
毎日お屋敷で、健やかに過ごされてる。
「騎士団長としても公爵家当主としても、継続不可能だと聞いたぞ。女王陛下の王配は、隣国から迎えるという噂もあるし」
「なっ」
それは知らなかった!
お兄様が失恋してしまう!
お兄様が気落ちされてはと、そちらの方が気になって仕方ない。
私は一気に青ざめた。対照的に、フェルディナン様は口元に愉悦を宿す。
「オーギュスト殿が公爵位を退けば、アルエン家は傍流から後継者を迎えることになるだろう? なにせお前は居候なだけで、武力で成り上がった卑しい家の娘。血統は継げない」
"そうなれば、オーギュスト殿の発言権も弱まる。
復帰が無理で、女王にも捨てられるなら、王宮での居場所もなくなる。オーギュスト・アルエンの時代は終わりだ"。
つらつらと言葉を並べるフェルディナン様を前に、私は震えが止まらない。
(どうしよう、この男。どうしてくれよう。私の大切なお兄様を、よくもここまで侮辱したわね……!)
もはや彼に嫁ぎたいとはカケラも思わない。未練や情は、元々ない。
「つまり! 後見人であるオーギュスト殿の価値が地に落ちた今、無理にお前を娶る必要など無くなったということさ。ん、何をしている、手袋など脱ぎ始めて」
「この手袋を貴方にぶつけて、決闘を申し込もうかと──」
「はっ? はははは! 馬鹿か、貴様! 剣術を学んだオレと、貴族娘のお前で勝負になるものか。婚約破棄は辛いだろうが、もとより自分には分不相応な話だったと諦めるんだな。オレとコリンナ嬢の結婚式には呼んでやるよ」
フェルディナン様が、嘲りながら私に近づく。
「もっとも? お前も見てくれは悪くないから──、そうだな。コリンナ嬢への嫌がらせの慰謝料を支払うなら、時々遊び相手にはしてやってもいいぞ」
言いながらすぐ横に立ち、フェルディナン様は私の髪を梳くように持ち上げた。
コリンナ様が嘲笑う。
「まあ、フェルディナン様。そんな方に情けをかけてやるのは、およしなさいませ。調子に乗ってしまうわ」
「ん、そうか? ふはは」
「調子に乗ってるのは──、貴方たちよ!!」
私の間合いに入ったのが悪い。
顔面に手袋を叩きつけると同時に、素早く下から蹴り上げた。
「んなっ」
前屈みになるフェルディナン様に、手に持つ扇をポロリと落とすコリンナ様。
彼女はあんぐりと口を開けている。
「落とされたようですわ」
私はコリンナ様の扇を拾い上げて……、片手の中で握り潰した。
扇に使われてる硬い骨部分ごと、くしゃりと折れる。
「あら大変。故意ではありませんの。私たち、初対面ですが、分かってくださいますわよね?」
「え……っ、ええ、もちろん……」
初対面であることを認めさせ、壊れた扇を丁寧に返すと、コリンナ様の顔色はすこぶる悪い。
私はしおらしく謝罪した。
「本当に申し訳ありません。後日、お詫びの品を持って伺いますわ」
「いっ、いえ! 気になさらないでくださいな」
ずいぶん遠慮されますこと。他人の婚約者を奪ったお方が。
横合いから、フェルディナン様の呻き声が漏れる。
「き、貴様、オレにこんなことをして……」
「まあ、どうかなさいまして? フェルディナン様。まさか、剣術を学ばれたフェルディナン様が、貴族娘のほんの粗相を避けられないなんて、そんな恥ずかしい話……、あるわけないですよね。殿方の名誉にかけて」
うぐっ、と言葉を飲むフェルディナン様は、いまだ身動きが取れないらしい。
「なにぶん、武力で爵位を賜った家の出なので。足さばきが粗野で、失礼いたしました」
彼の前に落ちた手袋を回収すると、ビクリと身を震わせている。
「婚約破棄は承りました。詳しい話は後日、改めてにいたしましょう」
にっこり笑って、私はその場に背を向けた。
破談で結構。
お兄様には謝って、ラヴィニアは尼僧院に参りますわ!!
◇
「なんだ。俺の出る幕はなかったな」
「っつ! お兄様?!」
フェルディナン様たちを置いて、木立が涼しげな脇路に出ると、大好きな声がした。
「どうして? 公爵邸にいらしたはずじゃ──」
(まさかさっきの、見られた?!)
私の淑女らしくない一撃が?
フェルディナン様たちを前にしても動じなかった心臓が、ドクドクと嫌な音を意識させる。冷や汗が流れ出そう。
「ラヴィのことが心配になって、後から来た」
「~~~っっ」
案じてくれた喜びと、心配かけた申し訳なさと、見られてた羞恥と、お兄様に会えた嬉しさが同時に体内を駆け巡る。
なんて騒がしいの、私の自律神経たち!
「さて、なんと声をかけたものか。とりあえず婚約は破談ということで良いのかな」
「ツ! も、申し訳ありませんお兄様!! せっかく前公爵様が整えてくださいましたお話を私……っ。お応えすることが出来ず!」
お兄様は深い藍色の瞳で、私を見る。
「かくなる上は出来るだけ速やかに、尼僧院に参りますのでどうか」
「尼僧院? なぜ?」
「だっ、て、これ以上公爵家にご迷惑をお掛けするわけにはいきませんし、お兄様も好きな方と──」
そこまで言って、はっと言葉を飲み込んだ。
(そうだ。女王陛下。他国からお相手をお迎えになるって、さっきフェルディナン様が言っていた? ガセネタだらけのフェルディナン様情報だから、真実味はないけれど、でももしかしたら女王陛下の件は本当かもしれない)
恐る恐るお兄様の様子を伺うと、爽やかな笑顔でサクッと胸を刺してくる。
「そうだね。俺もそろそろ好きな女性と結ばれたいし」
(!)
「で、では女王陛下と……」
「ああ。ティティ陛下のほうも上手く話がついたから、次は俺の番で良いだろう」
「え」
「ん? さっき聞いたよな? ティティ陛下が隣国から配偶者を迎えるって」
「は、い」
(あああ、お兄様、フェルディナン様との会話をほぼ全て見てらしたのね)
あの耳障りな内容をお聞かせしてしまった。あとやっぱり私の"蹴り"は見られてた。
身を縮める私の様子を気にせず、お兄様はお続けになる。
「これが本当に骨の折れる話で。ティティ陛下が意気投合したお相手が、あちらの王族だったものだから、条件のすり合わせで何年もかかってしまった」
「え? え?」
それはつまり、女王陛下の婿候補は以前からいて、お兄様はそれをご存知だったということ?
めっちゃ片想いされてたのに?
苦しそうな表情で、いつも指輪を見てらしたのに?
(はっ、だから叶わぬ恋に苦悩されてたのね!? お兄様──!!)
ぶわっと涙腺が崩壊しかけてしまう。
必死で涙を留めると、お兄様が首を傾げた。
「どうしたんだラヴィ。踏ん張るような表情をして」
「あっ、す、すみません。ですがお兄様の心情を思うと……。他国の方に、その、敬愛する女王陛下を譲らなければならないなんて」
(言ってしまった! で、でもこれは今後、お兄様の心に寄り添うために……)
心の中で必死に言い訳を探す私に、お兄様はあっさりと言った。
「俺の心情? なんのことだ? 譲るも何も、俺とティティ陛下は臣下と主君。幼馴染の腐れ縁で、イトコ同士。それ以外の関係はないけど」
「え……?」
(えっと……、お兄様、無理なさってる? ……の、かしら……?)
ここはお兄様に恥を欠かせないよう、合わせるべき?
でもそれでは。お慰めすることも出来ない。
恐る恐る、私は切り出す。
「でも……お兄様は陛下から賜った指輪を、とても気にしてらして……」
(誰がどう見ても、切ない恋を隠してらっしゃるご様子で……)
後半の言葉は飲みこんだ。私自身をえぐるし、それに、いつも見ていたことがバレてしまうもの。
逡巡した私に、お兄様は更に意外な発言を上乗せされた。
「なるほど。ラヴィには、そう見えていたのか。だが俺の片恋相手は、ティティ陛下じゃない」
「え、では、どこのどなたを?!」
片想いは間違いないらしい。
が、新情報に戸惑う。
「──婚約は無くなったし、打ち明けてもいいよな……」
口の中で呟かれた後、お兄様は真剣な眼差しで私を見た。
「俺がずっと恋してる相手はラヴィ、きみだよ」
「────!!」
ラヴィ。それは私の名前で愛称で。お兄様が恋してる相手──?
「ええええっ!!」
「その様子だと本当に気づいてなかったんだな。頑張って隠していた甲斐があったというべきか……。対象外かとがっかりすべきか」
「わ、私、ですか? でも、では、陛下からいただいた指輪のことは?」
「あの指輪の名前は、"自戒の指輪"。俺の暴走を止めるための魔道具で、ティティ陛下専属の魔術師に用意して貰ったものなんだ」
「戒めの指輪? お兄様の、暴走?」
「そう。俺が"兄"としての領域を超えてラヴィに触れそうになったら、指輪に軽く、魔力を吸われる。それで正気を取り戻して自分を抑える。そんなシロモノだったんだよ、あれは」
「!!」
(そんなことってある? お兄様が私を好き? そんな、都合の良いこと──。はっ!)
「お兄様、私、実は今、寝てます?」
「なぜそうなるんだ、ラヴィ」
「だってまるで夢みたいなお話なので……、とても現実とは思えなくて……」
そう呟いた私の頬近くに、お兄様が手を伸ばされる。
触れそうで触れない、ギリギリの距離。そういえばいつも、お兄様はこの位置で手を寸止めされていた。そして、指輪を見ていた。私はそれが、ずっと切なくて──。
思い返していると、お兄様が柔らかく言う。
「とりあえず、告白を嫌がられてないようでホッとした」
「嫌がるだなんて、まさか! 私もお兄様のことは大好きで、信じられないくらい嬉しいです!!」
お兄様の目が驚きに見開かれる。ややあって、ゆっくりと聞き返された。
「それは……、兄妹としての"好き"? それとも、俺が調子に乗って良いほうの"好き"?」
途端にボッと私の顔中、真っ赤になる。お兄様が艶めく笑みを見せた。
「どうやら自惚れて良いほうの"好き"、みたいだけど……?」
耳元近くで囁かれた問いに、私はコクリとひとつ、頷いた。
だってもう、気持ちを止めておけない!
途端にギユッと抱きしめられて、心底びっくりする。
「!!?」
「ああ、嬉しいよ、ラヴィ! 義妹だからと諦めなくて良かった!」
お兄様の熱い身体が私を包み、全身で感じるお兄様の匂いに、私の思考は停止しかけた。だってずっと夢にまで見た距離だったもの。でも。
「お兄様、こ、ここは他人様の庭先です──」
かろうじて口にした言葉に、お兄様は密着を解かれた。あああ、勿体ない。
「すまないラヴィ。指輪がないとすぐにこれだ……。我ながら反省しかない」
困ったように笑って、お兄様がおっしゃる。
「まずはバシュレー伯爵家と話をつけないとな。曲がりなりにも父上がラヴィに遺した縁談だった。それを足蹴にしたフェルディナン殿の行為は看過できない。──ラヴィもそれで良いか? きみはいつもあいつを庇っていた。もし少しでも気持ちがあるなら──」
「皆無です!」
庇ってた、ってそれは、お兄様をご心配させないよう、言い繕っていたにすぎない。
私がきっぱりと言い切ると、お兄様が頷いた。
「うん、まあ、俺も今更ラヴィを手放せそうにない」
それから私を見る。
「なら正式に婚約を終わらせてくる。それが済んだら、ラヴィ、きみに求婚させて欲しい」
「えっ? 求こ……??」
(話が飛び過ぎでは?!)
思いがけない言葉は、私の脳内で繰り広げられている願望かもしれない。
そんな不安が一瞬過るも。
「駄目だろうか?」
乞うように尋ねるお兄様は、いつも指輪を前に見せていた切なそうな表情で。
お兄様の気持ちがずっと私に向けられていたなんて、まだ信じられない。確かにお兄様はいつもずっと優しかった。私を常に気遣ってくれていた。
でもこんな唐突な幸せ、許される?
結果、臆病な私は予防線を張ってしまった。堅苦しく言い淀む。
「で、でも私は男爵家の娘なので、公爵家に嫁ぐというのは無理があり過ぎて……」
(私の馬鹿! どうしてせっかくのチャンスをふいにしてしまうようなことに触れるのよ)
フェルディナン様が私を敬遠した理由のひとつが、この素直じゃない性格。
可愛くないだろう私を、意に介する風もなく、お兄様が返される。
「通常なら大変だろう。だがラヴィは我が家で育った。高位貴族の礼法も学び、振る舞いを身に着けている上、アルエン領にも明るい。公爵夫人として、立派に務まると思う」
「身分差で婚姻は成立しないかと……」
まだ言ってしまう。そんな自分が心底イヤになる。
「それはどうとでもなるよ。いくらでも手はある。それともやはり、俺が相手では嫌か? 長年我慢していた分、いま先走ってる自覚はある。無理させるつもりはないんだ。言ってくれれば考慮する」
"ラヴィの幸せが、俺にとっての一番だからね"。
お兄様の指が私の涙をぬぐったことで、私は自分が、いつの間にか泣いていたことを知った。
(お兄様は、ありのままの私を受け入れてくださる……)
「無理なんて、してません。嬉しくて、幸せで……。だってずっと、お兄様のことが好きだったから……」
お兄様の瞳に、私が映っている。
「お兄様、ラヴィをずっと、お兄様のお傍に置いてください。それが私にとって、一番の幸せです」
「っつ、有難う、ラヴィ。俺もラヴィと人生を共に出来るなら、この上なく幸せだよ」
いつもは冷静なお兄様が、感極まったように天を仰ぐ。
「ああ、まいったなぁ。ラヴィが可愛すぎる! 今すぐこの場でキスしたいのに!」
「お、お兄様??!」
驚くような言葉を聞いた気が。幻聴?
自戒の指輪がないと、お兄様はお心まで聞かせてくださるようで、免疫のない私は真っ赤に茹で上がった。
「待っててくれ、ラヴィ。ちょっと仕事も詰まっているが、そちらもすぐ片付けるから。とりあえず今日はもう、宴を辞そうか?」
そうしてお兄様に促され、馬車で公爵邸に帰る途中、私はお兄様の"詰まっているお仕事"をお聞きしたけれど。
それは、まったくもって"ちょっと"のレベルじゃなかった。
だって、反逆罪の取り締まりだったのだから。
先日、お兄様が負傷された崩落事故は、女王陛下を狙って仕組まれたものだった。
現場に残った痕跡や、当日の急な順路変更から、怪しい点が多々浮上。
悲しいかな、世間には、"女性が王などけしからん"などと考える、頭の固い人たちがいるのだ。
女王陛下はご即位後、たくさんの改革を進められ、古い体制に固執する貴族たちの抵抗にあった。
そういう人たちが、王の交代を望み、女王陛下の事故死を企てた。由々しき事態だ。
そこで犯人を探り出すため、お兄様は"ニセの情報"を「極秘事項」として流した。
お兄様が大怪我を負い、復帰不可能という話。
フェルディナン様が、王宮内部で聞いたという噂だ。
お兄様は、女王支持派の筆頭家門にして、陛下の剣と盾。
アルエン公爵が失墜すれば、女王陛下の基盤も大きく揺らぐ。
噂の反応は、顕著だったらしい。
そこから黒幕や関係者を割り出し、証拠を揃えていたのだと聞いた。
「では、部下の皆様が次々にお見舞いに訪れてらしたのは……」
「ああ。見舞いと称した、報告だった。ほら、俺が屋敷に引きこもってないと、噂の真実味がないだろう?」
(お兄様、やっぱりちっとも休暇じゃなかった……!!)
後日、お兄様の指揮のもと、王都では大捕り物があった。
女王陛下を害そうとした貴族一派が捕まり、彼らの陰謀とともに、アルエン公爵が健在だと知らしめられる。
そして極秘のはずの"噂"を知っていたフェルディナン様は。
とりあえず、事件とは無関係だった。
フェルディナン様が知ったのは、すでに噂が十分に浸透しきった後だったらしい。
けれどその話をフェルディナン様に伝えたのは、子爵令嬢コリンナ様だったというから驚きだ。
("王宮の確かな筋から聞いた"と言ってたくせに。実際はコリンナ様が、色仕掛けで王宮官吏から聞き出したネタだったなんて)
彼女は、"伯爵令息の婚約者"になりたいがために情報を掴み、フェルディナン様と共謀して、私を追い落とそうと画策したのだ。
ふたりは、"アルエン公爵家の威光"が消えれば、婚約も無意味になると考えた。
これら下賤な企みと、婚約破棄宣言についての責任を問うため、お兄様はバシュレー伯爵家を訪問。
伯爵は大層驚き、フェルディナン様を問い質した。
これまで伯爵は、息子と私の仲は良好だと受け取っていたらしい。
というのも、フェルディナン様がいつも巨額の予算を使い、"婚約者"に贈り物をしていたから。
私はバラの一本も貰ったことなかったので、当然その予算とは、別の女性たちに使われていたわけで。
私に対してはなおざり、どころか手紙すら完全無視していたことも、執事が証言して発覚。
伯爵は息子に対し、激怒した。
バシュレー伯爵は先代公爵に恩があり、彼の秘蔵(私のこと?)を大切に引き受けると約束していたらしい。それを差し引いたとしても。
不誠実さも虚偽の報告も、あげく勝手な婚約破棄も、すべてが許される限度を越えていた。
バシュレー伯爵は、アルエン公爵たる兄と私に深い謝意を示された後、家督は次男に譲ると決断。
長男フェルディナン様は、伯爵家からの除籍、追放となったのである。
頃合いを同じくして、コリンナ様も淫奔なご性分が災いし、ご実家から追い出された。
フェルディナン様とコリンナ様。その後おふたりがどうなったのか。
お兄様はご存知らしいけど、私は知らない。
でも、私の人生にはもう関係のない方たちだから、聞かなくてもいいと思った。
平民として、どこかで暮らしているのだと思う。たぶん。
◇
女王陛下が王配を迎えられる件も発表され、すべてが一段落し、私は公爵家の庭を散策しながら、お兄様との時間を過ごしていた。
「私、すっかり誤解しておりました。周りの皆様も、"お兄様と女王陛下が結ばれる予定だったのでは"、と驚かれてましたし」
「ああ、まあ、ね……。ティティ陛下には弱味を握られてたから、彼女が結婚相手を公表するまで、"恋の隠れ蓑"にされた感はあった」
「弱味?」
「……。俺がラヴィに恋慕していることを知られてたから」
「!」
「特別な指輪を用意して貰う時に、バレてね……。暴露しようと強行する陛下を止めるのは大変だった」
「あっ……」
女王陛下は行動力の塊りだ。
(戒めの指輪。そういえば、私への気持ちが高まると、指輪が魔力を吸ってセーブをかけるって……)
思い返しながら、頬が染まる。気づかれないよう、会話を続けた。
「お兄様。吸われた魔力は、その後どうなるのですか?」
「指輪に蓄積されて、いざという時に俺を守る結界が発動する」
「えっ?」
「崩落事故で指輪が壊れたのは、守護結界が発動したからなんだ」
「では、お兄様が軽傷で済んだのは……」
「俺の魔力を吸ってほぼカンストしていた指輪が、全魔力を放出したようだ。発動に負荷がかかって、それで壊れたらしい」
「~~~~!!」
(なんてこと! じゃあ話に聞いたより、すごい事故で! 指輪がなければお兄様は、流した噂が現実でもおかしくない、大怪我をされてたと言うこと?)
改めて許すまじ、陰謀に加担した者ども。
厳罰を受けて、もはやこの地上には居ないけど!
「ラヴィへの想いが、俺を救ってくれたんだよ」
お兄様が蕩けるように甘い声でおっしゃる。
(お兄様、それ違う。でも待って、言い様によっては、そうなるの? はっ。お兄様さっき指輪の魔力がカンストしてたって言ってなかった?)
それはつまり、何度も自らブレーキをかけていたという意味で……。
火照る顔を冷ましたいと、別のことを考えたら、ひとつの思考に思い当たった。
「ならもしかして、"戒めの指輪"は今後もあった方が、お兄様が守られるのではないですか?」
私の疑問に、お兄様ががっくりと肩を落とす。
「それはないだろう、ラヴィ。それなら回りくどい事をせず、守護の指輪をつけるよ。"戒め"じゃなくて」
「あ、なるほど……?」
「何にせよ、長かった。父上が屋敷に連れ帰ったラヴィを"妹だ"と俺に告げて以来、何年耐えてきたことか」
"その言葉こそが戒めで、ずっと俺を縛っていたんだ"。
お兄様が辛そうに、息をこぼされる。
そんなに長い期間、お兄様が私を見ていてくださったなんて。
改めて驚いた。フェルディナン様との婚約がなくなり、本当に良かったと思いながら、疑問が胸に燻ぶる。
「──あの、なぜ私のことを? 私は大した家の出でもありませんし、これと言って取柄もなく、とてもお兄様に想っていただけるような者では──」
「大した家じゃない? ははっ。本当にそう思ってる?」
「そ、それは……、誇りは、持っております。国や人々を守ったセリエールの父に」
「だよな。ラヴィのそんなところが特に好きだ。俺もセリエール殿には武芸を習い、父上を救って貰った。身分など関係なしに、とても尊敬している。それにラヴィ自身が努力家で、何より魅力的だ。こんなに素敵な女性と同じ家に暮らして、惹かれるなという方が無理だろう」
(魅力的! いまお兄様から、魅力的と言っていただいたわ!)
心の中で、単語が何度も反響する。
「しかもその娘は、剣を持たせれば、騎士団長の俺でも気が抜けないくらい腕が立つ」
「そっ、それは子どもの頃の話で、お優しいお兄様が手加減くださったから」
「でも、動きのキレと的確さは、ずっと変わらず冴え続けている」
誇らしい気持ちになる。
かつてフェルディナン様は、"剣術を学ばれた"と言っていた。
でも私は剣術を、鍛え上げられた。精鋭が揃う、アルエン家の修練場で。
お兄様を追いかけていたら、自然とそうなってしまったのだけど、身体によく馴染んだのはセリエールの血がなせる業だったのかもしれない。
ふいにお兄様が、目も眩むような笑みを閃かせた。
「!!」
そのまま滑らかな動作で、片膝をつかれる。
私の片手は、お兄様の大きな手に掬い上げられた。
私を見上げるお兄様の目が、まっすぐに私を捕らえる。
「ラヴィニア・セリエール嬢。オーギュスト・アルエンは誠意をもって貴女に結婚を申し込みます。生涯、俺のすべてを捧げて守ると誓うので、どうぞこの愛を受け入れてください」
手の甲にそっと落とされた口づけが、私を一瞬で酔わせた。
体中の細胞が、大歓喜して叫んでる!!
「はい、お兄様。私で良ければ喜んで!」
お兄様が一気に私を引き寄せる。
後はもう、激流のようなひとときだった。
力強い抱擁の中、情熱的な口づけに身を委ねながら。
私は、お兄様の積年の我慢がいかにすごかったかを体感した。
そして、体裁だけの、とても短い婚約期間の後。
私はアルエン公爵夫人兼、セリエール女男爵となり、お兄様とお揃いの結婚指輪を、指にはめ合った。
戒めではなく、互いを愛し、尊敬しあうことを誓った力強い守護の指輪。
晴れ空の下、指輪が煌めいた。
お読みいただき有難うございました!
このお話は、ほんっっとーに何度も脱線してくれて…。
豪胆なティティ陛下との会談シーンだとか、陰謀で担ぎ上げたい次の王候補だとか、いろいろ書いちゃっては、「話がブレる」と削除して、結果本編が進まないという、難儀な作品でした(苦笑)
ようやくこうして投稿出来て、すごく嬉しいです!
だから多少気になる箇所があったとしても、大目に見てくださいねヾ(*´∀`*)ノ
(絵はまた描ける時に足しておきます~(汗))
フェルディナン、ある意味被害者じゃんみたいな見方もあるかも知れないのですが、彼が婚約者を大事にしてたら、兄も妹もそれぞれ吹っ切れてたかもですから…。やっぱり彼は有責。
王配に関しては、そんな自由に進めていいんかーい、と思われましょうが、多分不満が出にくいところまでメリットを絞り出してたんだと思います。
大好きな"兄属性&妹からのラブ構図"が書けて楽しかったです!!
お話をお気に召していただけましたら、下の☆を★に塗って教えてください。私がめっちゃくちゃ喜びます♪ お願いします!!(≧∇≦)