第二休 岩窟問答
※本作品は、歴史上の人物・一休宗純をモチーフにしておりますが、筆者の妄想と勢いだけで構成されたフィクションです。史実の一休さんおよび、各宗教とは一切関係ありません、広い心でお読みください。
冷たい。硬い。そして、鼻が曲がりそうなほどに臭い。
三拍子揃った、これ以上ないほどの最悪な目覚めである。
「……三途の川というのは、案外冷え込むものらしいな」
そう毒づきながら、私は鉛のように重い瞼をゆっくりと持ち上げた。視界が開ける。しかし、そこに広がっていたのは、極楽浄土の蓮の花でもなければ、閻魔が待ち受ける地獄の釜の中でもなかった。ゴツゴツとした粗野な岩肌、湿気を含む淀んだ空気。そして、暗闇の奥からポツポツと滴る水音だけが響く、陰気極まりない空間だった。
どうやら私は、洞窟の中にいるようだ。
「……生き、て、いるのか?」
自身の身体をまさぐる。手足はある。頭もついている。節々に軋むような痛みはあるものの、どうやらあの高さから落ちて、岩に頭をぶち抜き、川に沈んだというのに、私は五体満足らしい。奇跡か、あるいは仏の慈悲か。いや、あの腐った橋を放置していた仏のことだ。これは慈悲というより、「死ぬにはまだ早い、娑婆よりも酷い場所でもっと苦しめ」という嫌がらせに近いだろう。
「極楽にしては趣味が悪い。地獄にしては責め苦が足りん。となると……」
身を起こし、近くの水たまりを覗き込む。薄暗い中で揺れる水面に、見慣れた、しかしどこか違和感のある男の顔が映った。垢抜けない顔立ち、痩せた頬、世を拗ねたような目つき。そして何より――
「……ふむ。髪も、そのままであるか」
私の頭部からは、高僧が誇るべき剃り上げられた青々とした頭皮ではなく、長く伸び、無造作に後ろで結わえられた黒髪が肩ぐらいまで垂れ下がっている。世間一般の僧侶の印象とはかけ離れた、この破戒僧然とした長髪様式。これが私の「ありのまま」だ。形や戒律に囚われないのが私の流儀であり、この髪はその象徴でもある。
さて、状況整理だ。周囲を見渡す限り、ここは自然の洞窟のようだが、決定的に何かがおかしい。岩肌に張り付いた苔が蛍光色の青緑に発光しており、松明もなしにぼんやりと明るいのだ。それに、空気中に漂うこの妙な気配。肌をピリピリと刺す静電気のような感覚は、日本の湿気とは明らかに異質だった。
おぼつかない足取りでしばらく歩くと、道がふっつりと途絶えた。いや、途絶えたのではない。塞がれているのだ。
眼前に、絶望的なまでに巨大な一枚岩が鎮座していた。ただの岩ではない。表面には見たこともない複雑な幾何学模様が刻まれ、その中央に、不気味に青白く脈打つ『顔』が浮き出ていたのである。古代の石像のようなその顔は、私の存在に気づくと、カッと目を見開き、洞窟全体を震わせるほどの重低音で喋り出した。
『――止まれ。我が名は岩窟の守護者。これより先は外界なり。魔力を帯びぬ者、通るべからず』
またか。私は天を仰いだ。つい先刻、橋の立札に喧嘩を売って死んだばかりだというのに、この世界でも「通行止め」か。どうやらこの世は、私に移動の自由を与える気がないらしい。
「魔力、とは何だ? 銭のことか?」
『否。世界を構成する源。元素を操る力なり。汝からは、一欠片の魔力も感じられぬ』
石の顔は無慈悲に告げた。どうやら私は、この世界における「魔力」とやらを持たぬ「能無し」と判定されたらしい。
『去れ。さもなくば、我が炎で灰塵と化すのみ』
警告と共に岩全体が赤く輝き出し、周囲の温度が急激に跳ね上がる。脅しではないようだ。あの熱量、まともに食らえば骨も残らないだろう。力ずくでこじ開ける腕力もなければ、魔法とやらもない。普通の人間なら、ここで泣く泣く引き返すか、黒焦げになるかの二択だ。
だが、あいにくと私は一休だ。腕力がなければ、知恵を使えばいい。魔法がなければ、頓智を使えばいい。権威や常識をひっくり返すことこそ、我が本領。
「待て待て、石ころ殿」
私は慌てず騒がず、灼熱を発し始めた岩の前に、どっかりと胡座をかいて座り込んだ。
『死に急ぐか、矮小なる者よ』
「そう殺気立つな。お主は『魔力を帯びぬ者』を通さないと言ったな?」
『左様。力なき者は、外の世界の魔物に喰われるのみ。それが慈悲なり』
「なるほど、それは殊勝な心がけだ。涙が出そうだ。では聞くが、お主の言う『魔力』の定義とはなんだ? 火を出したり、水を操ったりすることか?」
『それも然り。だが世の理に反するものこそが魔力の証明。汝にはそれがない』
かかった。私は口の端を吊り上げ、ニヤリと笑う。そして、自分の髪の毛を一本、指先で摘まみ、プチリと引き抜いた。
「ならば通してもらおう。私には、お主のような石ころには見えぬ、強大すぎる魔力がある」
『……虚言を申すな。何も感じぬ。波動も、光も、熱もない』
「感じるわけがなかろう。私の魔法は『無』の魔法だ」
『無……?』
石の顔が訝しげに眉をひそめる。石の分際で表情豊かではないか。私は畳み掛けるように言葉を紡ぐ。禅問答の始まりだ。
「よいか、よく聞け。お主は『火』を出せば魔力と認めるのだな? だが、火はいずれ消える。水は干上がる。風は止む。形ある魔力は、エネルギーを行使した瞬間に摩耗し、いつか尽きる。そうであろう?」
『……否定はせぬ。魔力は消費されるものなり』
「しかし、私の『無』は尽きることがない。なぜなら最初から無いからだ。有は無より生じ、無は有を包み込む。これぞ宇宙の真理」
『何を……言っている……?』
「現に今、私はお主に対して『何もしない』という魔法を全力で行使しているのだ。どうだ? 痛くも痒くもないだろう?」
『……うむ、何も感じぬ』
「そうだろう! それこそが私の魔法の完全なる制御の証! もし私がこの制御を解き、少しでも『何か』をしてしまえば、この洞窟はおろか、山一つが消し飛ぶ恐れがある。だから私は、強靭な精神力をもって、必死に『無』を維持し、破壊の衝動を抑え込んでいるのだ!」
私は大げさに額の脂汗を拭うふりをした。演技力には自信がある。
「見よ、この髪を。本来、僧侶である私がなぜこれほど髪を伸ばしていると思うか? 洒落のためだとでも?」
『違う……のか?』
「馬鹿を言え! これは、溢れ出しそうになる魔力を髪の毛一本一本に封じ込め、外部に漏らさぬための封印なのだ。この一本でも切れれば、魔力の暴走でお主など粉々になってしまうかもしれんぞ?」
私は抜いた髪の毛を、ゆらりと門の目の前に突きつけた。ただの髪の毛だ。どこからどう見ても、完全なるハッタリである。だが、相手は「条件」と「定義」で動くように設定された門番のはず。未知の概念、論理の矛盾には弱いはずだ。
『無の魔法……完全なる制御……封印された力……』
門の目が激しく点滅する。思考回路が焼き切れそうだ。
『世の理に反する現象が魔力……しかし、何も起きないことが「制御という現象」であるならば……そして、その髪が制限器であると仮定すれば……計算不能。危険甚大……』
「さあ、どうする? 疑うなら、ここで私が封印の髪をブチブチと引きちぎり、魔力の暴走でお主を瓦礫の山に変えてもいいが……それは私の本意ではない。私はただ、平和的に、静かに通りたいだけなのだ」
数秒の沈黙。洞窟内に張り詰めた緊張が走る。私の背中には、冷や汗が滝のように流れていた。もしこいつが「じゃあやってみろ」というタイプの石頭なら、私はここで終わりだ。頼むから賢い石頭であってくれ。
やがて、ゴゴゴゴ……と重苦しい音が響き、岩の扉がゆっくりと左右に開き始めた。
『……通れ。未知なる力の使い手よ。その封印、決して解くべからず』
「賢明な判断だ。感謝する」
私は涼しい顔で立ち上がり、開かれた岩の扉をくぐった。足の震えを悟られぬよう、堂々と、悠然と。
洞窟の外に出た瞬間、強烈な光が網膜を焼いた。目が慣れるにつれ、そこに広がっていた光景に、私は言葉を失った。
極彩色だった。空は清々しいまでの青空だが、そこには二つの巨大な月が浮かび、見たこともない巨大な茸の森が地平線まで続いている。遥か彼方の空を、翼を持った巨大な蜥蜴のような生物が、優雅に泳いでいた。
明らかに日本ではない。明国でもない。仏典に記された世界ですらない。ここは、正真正銘の「異界」だ。
だが、不思議と今の私には何の不安もなかった。懐を探ると、前世で握りしめていたはずの小銭は消えていた。無一文だ。頼れる知人も、地位も名誉もない。しかし、私の頭の中には、金よりも価値のある無限の武器が詰まっている。この口と、この頭さえあれば、神だろうが仏だろうが煙に巻いてやれる。
「……やれやれ」
私はまぶしさに目を細め、ため息をついた。そしてニヤリと笑った。
「待っていろ、異界の衆生たちよ。この一休宗純が、お主らの常識、固定観念という名の迷妄を、言葉一つでぶち壊してやろうじゃないか」
風が吹き抜ける。私はなびく黒髪を結び上げ、見知らぬ異界の大地へと、その第一歩を力強く踏み出した。
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