第一休 このはしわたるべからず
※本作品は、歴史上の人物・一休宗純をモチーフにしておりますが、筆者の妄想と勢いだけで構成されたフィクションです。史実の一休さんおよび、各宗派とは一切関係ありません、広い心でお読みください。
諸行無常。
この世のすべては移ろいゆくものであり、永遠なるものなど何一つとして存在しない。春に咲き誇った桜は無残に散り、満ちた月は欠け、昨日までの常識は今日の非常識となる。権力も、富も、若さも、すべては朝露の如く儚い。
そう、つまり何が言いたいかというと。
「暇だ」
あまりにも、暇すぎる。
禅の修行とは己の内面と向き合う厳粛なものだ。それは分かる。だが、こう毎日毎日、座禅だの読経だの作務だのと、型にはまったことばかり繰り返していては、悟りを開く前に私の尻が腐り落ちてしまうのが先か、あるいは脳味噌がカビだらけになるのが先か、という悲惨な競争になってしまう。
今日も今日とて、寺の和尚の説法は長かった。いや、長いという表現では生温い。そもそも『悟りとは』なんて、あくびを噛み殺しながら聞くものではない。私の持論を言わせてもらえば、悟りなんてものは、難解な経典の中にあるのではない。三日抜き続けた空腹の後に食う、熱々の饅頭。その一口目を頬張った瞬間の「あ、幸せ」という脳髄が痺れる感覚。あれと大差ないのではないか。しかし、そんな真理を口走ったら最後、和尚の雷どころか隕石が落ちてきて、向こう一ヶ月、本堂の雑巾がけの刑に処されるのがオチだ。私は賢いので口をつぐんだが、顔には「やってられん」と書いてあったかもしれない。
「さて、と」
ようやく解放された私は、逃げるように寺の山門をくぐり、大きく伸びをした。背骨がポキポキと音を立て、凝り固まった筋肉が悲鳴と歓喜を同時に上げる。
今日の目的は修行ではない。いや、広い意味で見ればこれもまた修行と言えるだろう。俗世間という名の荒波へ漕ぎ出し、町へ出て、美味い酒を飲み、面白い話を聞き、あるいは美しい遊女と一句詠み交わす。これぞ生きた仏教、机上の空論ではない、血の通った人間の営みである。
私は懐を探る。そこには、裕福な檀家の旦那から「数珠繋ぎ直し代」としてせしめた小銭が数枚、ジャラリと音を立てて鎮座している。素晴らしい音色だ。お経よりもありがたい響きがする。襤褸を着ても心は錦、懐は寒風吹きすさぶが、まあなんとかなるだろう。私の武器はこの冴え渡る頭脳一つ。いざとなれば、金持ちの旦那衆や偉そうな侍に気の利いた謎かけでもふっかけて、酒代くらい稼げばいいのだ。
鼻歌交じりに京の町外れの道を歩く。 天気は晴朗。雲ひとつない青空が広がり、小鳥はさえずり、風は優しく頬を撫でる。道端の草花さえもが私に「一休さん、行ってらっしゃい」と語りかけているようだ。まさに外出日和、サボり日和である。このまま順調に町へ着き、馴染みの居酒屋の暖簾をくぐる。熱燗をキューっとやり、肴には川魚の塩焼きか、あるいは煮付けか。その完璧な計画が私の頭の中で組み上がっていた。
だが、世の中というのは、そう都合よくはいかない。釈迦も言っていたではないか、「人生は苦である」と。まさか、酒を飲みに行くだけの道中で、その真理を噛み締めることになるとは。
眼前に現れたのは、川幅三間(約5.4メートル)ほどの川にかかる橋だった。
橋、と呼ぶにはあまりにも頼りない。丸太を適当に組み合わせ、その上に板を並べただけの、なんとも風情のある……いや、率直に言えばボロい、今にも崩れ落ちそうな代物だ。誰が作ったのか知らぬが、手抜き工事の極みと言えるだろう。
しかし、町へ行くにはここを通るのが一番の近道なのだ。 この橋を渡れば、飲み屋街はすぐそこ。だが迂回すれば、半刻(約一時間)はロスをする。半刻あれば、酒が二合は飲める。酒の時間が減るのは、私にとって死活問題だ。命に関わると言っても過言ではない。
渡るしかない。 そう決意して足を踏み出そうとした瞬間、私の目はある一点に釘付けになった。橋のたもとに、一本の真新しい立札が立てられているのだ。ボロい橋には似つかわしくない、立派な木の板。そこに、墨痕鮮やかに、達筆な文字でこう書かれていた。
『このはしわたるべからず』
私は足を止め、その立札をしげしげと眺めた。風が吹き抜け、私の衣を揺らす。川のせせらぎだけが聞こえる静寂の中で、その文字だけが異様な存在感を放っている。
「ふむ……」
普通の人間ならば、「おや、通行止めか」と諦めて引き返すところだろう。あるいは、「誰がこんな意地悪を」と腹を立て、地団駄を踏むかもしれない。権力に弱い庶民ならば、お上の命令だと恐れ入り、すごすごと迂回路へ向かうだろう。
だが、私は一休宗純だ。この程度の子供騙し、頓智という名の知恵の刃で切り裂いてくれよう。むしろ、これは私に対する挑戦状ではないのか? 「一休よ、この言葉の矛盾を解いてみせよ」という、天からの、あるいは何処かの暇人が仕掛けた遊び心ではないのか?
「ふふっ、浅い。浅いぞ、名も知らぬ看板書きよ」
私は思わず独り言を漏らし、ニヤリと笑った。
『このはしわたるべからず』通常、漢字で書けば『この橋渡るべからず』となるのが一般的だ。警告文ならば、誤読を防ぐために漢字を用いるのが筋である。しかし、ここはあえて平仮名で書かれている。意図的だ。あまりにも意図的すぎる。ここが味噌だ。「はし」という言葉には、同音異義語が存在する。川にかかる建造物の「橋」。 物を食べる時に使う「箸」。そして――物体の端っこを意味する「端」。
文脈から考えれば「橋」だが、ひらがなで書かれた以上、どの意味で捉えるかは読み手の解釈に委ねられる。つまり、この立札が禁じているのは「端」を渡ることなのだ。橋の欄干もないようなボロ橋だ。端っこギリギリを歩けば、バランスを崩して川に落ちる危険がある。だから、親切心から「端っこを歩くなよ、危ないぞ」と警告しているに過ぎない。なんて慈悲深い看板だろうか!
ならば、答えは明白。端がダメなら、堂々と、ど真ん中を歩けばいいのである!
「やれやれ、私を誰だと思っている。この程度の謎かけで、この一休の足を止められるとでも?」
私は衣の裾をバサリと払い、居住まいを正した。そして、立札に向かって深々と一礼し、誰も聞いていない虚空に向かって高らかに宣言した。
「承知いたしました。お言いつけ通り、『端』は決して渡りませぬ。堂々と、『真ん中』を歩かせていただきましょう!」
私は胸を張り、橋のど真ん中、その中心線の上を一歩一歩、踏みしめるように歩き出した。
ミシッ。一歩目。板張りの橋が、私の体重を受けて悲鳴を上げる。
ギシッ。二歩目。古びた木材がこすれ合い、不穏な音を奏でる。
だが、私は動じない。川のせせらぎが耳に心地よい。私の頭脳の勝利だ。この世の常識や固定観念に囚われない自由な発想、これこそが禅の真髄。私は今、ただの橋を渡っているのではない。固定観念という名の彼岸を越えいるのだ。見ておれ、和尚。見ておれ、世間の凡人よ。言葉一つで世界の見え方は変わる。規則とは盲従するものではなく、解釈し、遊び、乗り越えるものなのだ。
立札を書いた役人よ、今頃どこかで見ているか? お前の仕掛けた言葉の罠は、この一休が見事に打ち破ってやったぞ。悔しかったら次はもっと難解な公案でも持ってくるといい。
橋の中ほど、川のせせらぎが最も大きく聞こえる地点まで来たときだ。勝利は目前。私は勝利の余韻に浸りながら、空を仰いだ。青い空、白い雲。ああ、あの雲の形は徳利に見える。その隣の雲はお猪口だ。酒が、俺を呼んでいる。熱燗が、冷えた体に染み渡るあの感覚が、すぐそこまで迫っている。
「さて、町まではあと少し……」
そう呟いて、力強く、確信に満ちた次の一歩を、橋のド真ん中に踏み出した瞬間だった。
――バキィッッ!!!!
耳をつんざくような、乾いた、それでいて絶望的に重い破断音が、静かな谷間に響き渡った。
(……うぇ?)
私の思考が、完全に停止する。さきほどまでの高尚な禅の思索も、勝利の陶酔も、酒への渇望も、すべてが一瞬で吹き飛んだ。
次の瞬間、私の視界がガクンと下がった。内臓がヒュンと持ち上がるような、強烈な浮遊感。そして一拍遅れてやってくる、バリバリバリッという、木材が盛大にへし折れ、崩壊していく派手な音。
視線が、意思とは無関係に下を向く。そこにあるはずの床板がない。というか、私が踏みしめていた、橋の中で最も安全であるはずの「真ん中」を支える太い梁が、見事にVの字にへし折れている。腐った木屑がスローモーションのように舞い散っている。
待て。待ってくれ。おかしいだろう。私の論理は完璧だったはずだ。一点の曇りもなかったはずだ。私は「端」を渡っていない。言いつけ通り、もっとも安全で、もっとも正当な「真ん中」を渡っているのだ。言葉の理屈で言えば、この橋は私を受け入れ、称賛し、向こう岸へと送り届けるはずではないか。なぜ折れる?なぜ落ちる?
落下する最中、私の脳裏に走馬灯のように一つの真理が駆け巡った。それは現実的で、あまりにも残酷な答えだった。
『このはしわたるべからず』
あの立札は、言葉遊びでも、謎かけでも、禅問答でも、ましてや私への挑戦状でもなかった。ただ単に。極めて単純に。
“『この橋は老朽化して腐っており、今にも崩落しそうだから、危ないから絶対に通るべからず』”
という、極めて実務的かつ、行政による安全管理上の、直球な警告だったのだ。
「そ、そっちかあああああああああッ!!!」
私の魂の絶叫が、虚しく川面に響く。真ん中を歩こうが端を歩こうが、腐っている木材は折れる。強度が限界を迎えた構造物は崩壊する。
諸行無常。形あるものはいつか壊れる。そう、頓智は、物理には勝てないのだ。言葉でどれだけ理屈をこねくり回そうと、腐った木材の物理的強度は少しも上がりはしない。
ああ、お釈迦様。どうやら私は、頓智という名の己の才覚に溺れ、現実という名の足元を見落としていたようです。
ドッボォォォーーーン!!
凄まじい水しぶきが上がり、冷たい水が全身を容赦なく打ちつける。冬の川の冷たさは骨の髄まで凍みる。激流に揉まれ、天地がわからなくなる中で、ゴツン! と川底の岩に頭を強打した。極楽浄土が見えたかもしれない。
私の意識は、プツリと途絶えた。
薄れゆく意識の闇の中で、最後に思ったのは、――生まれ変われるなら。次は、もっと頑丈な橋のがある世界がいい。あるいは……「端を渡るな」と言えば重力が歪み、「真ん中は安全」と定義すれば物理法則さえも書き換わるような、頓智で空を飛べるようなデタラメな世界か……。
泡とともに沈んでいく私の体。懐の小銭がチャリンとこぼれ落ち、川底へと消えていくのが見えた。ああ、俺の酒代……。
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