チョーク
「まなみちゃんが、良かったなあ」
隣の席から聞こえるボヤキに、僕も同感だなと思う。
男子校の学生にとって、女教師という存在は数少ない異性だ。
一年の数学担当だった安井真奈美先生は、二十代前半のカワイイ系だった。
当然のように人気も高く、男子の健全な妄想にレギュラー出演していた。
二年に上がった僕らは、安井先生が一年担当のままだと知りひどく残念がった。
「黒木先生は、ちょっとなぁ」
正直すぎる感想が、また隣の席から聞こえてくる。
今回は思わず、顔を見合わせて笑ってしまった。
二年から数学を受け持つ教師は、安井先生とは正反対の黒木先生になった。
十代男子にとって、三十を過ぎた女性は恋愛対象から外れてしまう。
テレビに出ているような美女ならまだしも、一般人に対しては準オバサン扱いだ。
しかし、部活の先輩からは、黒木先生推しが生徒には多いと聞く。
「黒木は、やっぱりチョークがあるからなぁ」
先輩がそう言うと、他の先輩たちも意味ありげに笑っていた。
黒縁メガネに、ロングの黒髪。
飾り気のない白のブラウスに、黒のスカート。
真面目で近寄りがたい典型的な女教師。
見える肌と言えば、ふくらはぎぐらいで、よほどのフェチじゃない限り色気は感じないだろう。
それとも、異常なほど正確にチョークを投げてくるのだろうか。
そのすばらしい技に、地味な女教師に推しができるのか。
すこし無理があるだろう。
カタン。
黒木先生の手からチョークが滑り落ちた。
黒板の最後の文字が、いびつな線になっている。
そのチョークを拾うために上半身を倒した時、スカートにピッチリと尻のラインが浮かび上がった。
それは音としては感知されなかったが、明らかに教室の空気がピシリと鳴った。
キレイに腰で曲げられた上半身は見えないが、残された下半身は美しい彫像のように存在感を誇っている。
僕自身も生唾を飲み込む音が響かないように、ただ息をひそめてそのフォルムを凝視した。
黒い布ごしに見る尻は、まるで初めて見たモノのように新鮮であり、長年追い求めてきたモノのように感情を揺さぶった。
黒木先生は、たっぷりと時間をかけてチョークを回収した。
「ごめんなさい。授業を続けるわね」
ほんのり頬を上気させて微笑む顔に、僕は完全に心をわしづかみにされてしまった。
いや、僕だけではなくクラスの何人もが、黒木先生推しに変身したはずだ。
先輩に聞いたところでは、各クラスの一番初めの授業で必ず披露するらしい。
運が良ければ、月一ペースで見られるそうだ。
男は単純だ。
男子校なんてそんなものだ。
わざとかどうかなんて野暮なことは関係ない。
黒木先生は悪女ではなく、女神として祭られるべきだ。
僕はあの瞬間、恋に落ちたのだから。