episode.13
イブは止まることのない涙を隠そうと俯いた。こんな事で隠れるものでもないのだが、不細工な泣き顔を見られるよりはマシだ。
「……すまない」
ロベルトの言葉にイブはフルフルと首を振る。被害者であるロベルトが謝る事など何も無い。むしろ謝らなければならないのは、この状況をどうする事も出来ない無力なイブの方だ。
「なぜ、泣いているか…分からないんだ。触れたのが嫌だったか?」
イブは先程よりも大きく首を振って否定する。それはもちろん、心臓が壊れるかと思うほどに高鳴って警鐘を鳴らしていたけれど、長年片想いをしてきた人に触れられて嫌なわけは無い。ロベルトはまだイブを別人と思い込んでいるだろうから罪悪感こそあれど、決して嫌ではなかった。これほどの極限状態の中、イブを潰さないように加減されていた優しさに、胸を締め付けられて密かな想いは募るばかりだった。
「夜中に突然、訪ねてきたからか?」
それも違う。イブの客は元々夜間に突然やってくる事が多いので、夜の客には慣れている。それに、ロベルトだってつい先日、夜中では無いにしろ、日が落ちてからイブを訪ねてきたばかりだ。その事に関しては本当に何とも思っていない。
ロベルトは困ったように一度ため息を吐いた。
「教えてくれないか」
「……………ロベルトさんのせいじゃありません。私が…無力なせいで……」
「薬の効果はここに来る前に話を聞いた。解毒が難しい事も。だからお前が気にする事はない」
「………………」
ロベルトの呼吸は未だ苦しそうなまま、体に余計な力が入っているようで、言葉を発するのも苦しそうにしている。なのに、イブの体を支えるように添えられた手の力は驚く程に優しい。
そんな時、ふと疑問が浮かぶ。
解毒が難しい事を知っていて、なぜここを訪ねて来たのか。
「……私が、解毒薬を持っている事に賭けたんですか?」
だとしたら結局イブは役立たずだったというわけだ。
不意に顔を上げてしまったイブの頬を伝う涙を、ロベルトが優しく掬い上げる。それだけでイブの体温はぐんと上がる。
「誤解しないで欲しいんだが…期待はしていなかった。あまり実用的な薬では無いだろう、これは」
惚れ薬など、そう何度も依頼されるものでも無い。価格は高額だし効果は一瞬。そんな惚れ薬の解毒薬となると、さらに需要は少ないし、手間をかけて作って売りに出した所で売れないのでは商売にならない。
「だったら、どうしてここに…」
こんな森の中の狭い魔女小屋を訪ねてくるより、王宮の休憩所か自分の家に帰った方がよっぽど近いし環境も良いだろう。なのになぜ。
ようやく涙が収まると、今度は眉間に皺を寄せるイブを見てロベルトは僅かに視線を逸らしてから言った。
「会いたかったんだ。お前に」
「………」
いつの時代も、好きな人に「会いたかった」と言われたら頬を赤らめ恥じらう物だろう。どこかに可愛げもなく顔を顰めた人がいたのなら教えてほしい。今のイブと気が合いそうだ。
そう、イブはまさに今、好きな人に「会いたかった」と言われたにも関わらず、様々な矛盾に顔を顰めていた。
ロベルトは惚れ薬を飲んだが、薬を飲ませた相手に惚れなかった。それは薬が不良品だったのでは無く、惚れ薬の目的を上回る程強く思う相手がいた為に起きた副反応のようなもの。
子供がいるロベルトがそれ程までに恋い焦がれる相手は一人しかいないのは明白だ。だがその人に会う事はもう叶わない。
イブの元にやって来たのは、やはり薬を期待しての事だろう。そして現実と幻覚が混ざり合いイブを今は亡き奥様と勘違いしているらしい。
もうじき、薬の効果も切れるはずだ。ロベルトにとって辛いだろうが、イブも覚悟を決めて事実を伝える事にした。
「ロベルトさん、落ち着いて聞いてほしいのですが…」
「…?」
「私の名前はイブ・オルランディと言います」
「…………………」
ロベルトの鋭い視線がイブを責めるように射抜く。だがイブもここで怯むわけにはいかない。
「あなたに頼まれて、あなたの娘のルフィナの魔法講師をしているイブです」
「………ふざけてるのか?」
「真剣です」
ここはイブの家だ。イブの家にイブがいるのは当然なのだが、今のロベルトは薬で夢を見ているようなものだ。イブの家に最愛の人がいるという違和感に気付けなくても仕方が無い。
だが、そんな夢の時間ももう時期終わる。
ロベルトは一度目を伏せると「はぁ〜〜〜」と深いため息をこぼすと、再びブルーの瞳でイブを捉える。そこに、今まであった熱っぽさはいつの間にか消えているように思える。
「イブ」
名前を呼ばれる事にも随分慣れたと思っていたのだがそうでも無いようで、それだけで胸がドキッと大きく鼓動する。
「お前がイブだと言う事は分かった。それで何が言いたい?」
「何って…だから私はあなたが想いを寄せている人では無くて、ただの魔女だと………」
「俺が想いを寄せている魔女のイブだ。他に言いたい事はあるか」
「だから……………」
「………………え?」




