episode.09
ヴァンサンは無事に立ち去ったというのに、とてもまずい状況である事は言うまでも無い。
「……………あ、の…」
ヴァンサンの姿が見えなくなるまでロベルトはこちらを向いてはくれず、イブはおずおずと声をかける。
さて、何と言い訳をすれば良いのやら。
「あの、さっきの話はその……」
「あの男は知り合いか?」
「えっ………?」
ロベルトがこれほどあからさまに話しを遮ってくるのは珍しい。驚きつつもイブは答えた。
「…まぁ、はい。ヴァンサンとは仕事の関係で」
元々変わった男だが、酔っていなければもう少しまともな男だ。イブが作った薬を売ってくれるし、面倒見が良い部分もあって、兄のような人と言えなくも無い。
実際、幼い頃から付き合いがあるし、マスターは亡くなる前、ヴァンサンにイブの事を気にかけてもらえるように声をかけていたと聞く。
1人になったイブがどうしても男手が必要になった時に頼れるのはヴァンサンだけだったし、そんな時には嫌な顔をせず助けてくれる。……酔っていなければ。
イブの返答に納得したか否かは分からないが、ロベルトは何も言わないままイブと向かい合うように席に着くと、カップに口を付ける。イブの目の前にも同じものが置かれていて、中身はどうやら果実水のようだ。イブも緊張で喉がカラカラに乾いていたため小さくお礼を言ってから一口飲み込んだ。
このまま何もなかったフリをしたいのだが、沈黙が恐ろしい。それにこの場合、たまたま相手はヴァンサンだったが、イブは妙な男に絡まれている所を助けてもらったという事になるだろう。
であれば、お礼を言うべきだし、嘘をついてロベルトを巻き込んでしまった事を謝罪するのが礼儀だろう。
イブは飲みかけのカップを置くと、真面目に話をしようと呼吸をした。
「ロベルトさん。先程は助けていただいてありがとうございました」
「気にするな。むしろ知り合いだったなら邪魔をしたのはこちらだ」
「いえ。知り合いではありましたけど、あの状況は困っていたので……」
「………そうか」
どれだけ親しくても、むしろあの状況では親しくすればするほどイブにとって居心地の良いものでは無い。用が無いならはやく立ち去って欲しかったのは事実だ。
だからと言ってどんな嘘をついても良いだなんて事にはならない。ロベルトを不用意に巻き込んでしまったのはイブの落ち度だ。
「あの……勝手にデートだなんて言ってしまって、ごめんなさい。他の言い訳が思い浮かばなくて……」
ヴァンサンはああ見えて口は固いし、相手が自分では妙な噂が立つ事もないだろうけれど、ロベルトにとって都合が悪い事にならないとも言い切れない。本当に、安直な考えだったとイブは反省した。
俯くイブに対して、ロベルトが告げる。
「俺の方は問題ない。お前が無事で良かった」
「……………ありがとう、ございます…」
イブは魔女だ。万が一、本当に野蛮な輩に絡まれたところで、身に危険を感じたら魔法で逃げる事も相手を制圧する事も出来てしまうだろう。
なのに、ロベルトはまるでイブが守るべき対象であるかのように接してくるのが、恥ずかしくてむず痒いが、嬉しかったりもする。
ロベルトはイブを普通に扱ってくれる。
顔が赤くなっている気がして俯いたままでいると、ロベルトがボソッと呟く。
「本当に猶予が無いな」
「………え?」
なんの事かと顔を上げたイブの目に映ったのは、いつも澄まし顔で考えの読めないロベルトが困ったように笑みを浮かべている姿だった。
「もしかして、これからお仕事ですか?」
忙しい人だ。合間を縫ってルフィナのプレゼントを用意しに来ていてもおかしくは無い。それなのにただの付き添いのイブに気を遣ってくれた挙句、余計な時間を取られていてはたまったものではない。
「すみません。私なんかが手を煩わせてしまって…。すぐに良い物を見繕いに行きましょう」
慌てるイブを前に、ロベルトは僅かに首を傾げた。
「いや、今日は一日休みだ。急ぎの用もない」
今度はそれを聞いたイブが首を傾げる。では猶予が無いとはなんの事なのか。
「じゃあ、猶予が無いって言うのは…?」
「………それは…こちらの話だ。気にしなくて良い」
「…本当に、大丈夫なんですか…?」
「問題ない」
気にしないというのも中々難しい話しなのだが、掘り下げても教えては貰えないだろう。
大丈夫だと言われたところで、忙しい人である事に変わりはない。それに、誰が見ているかも分からない人混みで、落ちこぼれ魔女のイブと長時間一緒にいるのもロベルトにとって良くない種を蒔いているように思えてくる。
となると、早めに済ませた方が良さそうだ。
「ルフィナもロベルトさんの帰りを待っているでしょうし、そろそろ行きましょうか?」
「……そうだな。まだ見ておきたい店がいくつかあるんだ」
それでは余計にうかうかしていられないとイブは密かに気合を入れ直した。




