episode.00
人里から少し離れた森の中、大樹の根元に佇む小さな山小屋には魔女が住んでいる。
この国には魔法が使える者と使えない者が混在している。多少なりとも魔力を持つ者は魔法と言う武器を手にする代わりに使えない者に比べて身体能力が圧倒的に劣るという特性があるが、どちらが優位という訳でもなくお互いが尊重しあい共存している。
とは言え魔力は遺伝でのみ継承されるのだが魔法使いから必ずしも魔法使いが生まれる訳でもなく、その数は年々減少傾向にある。
そして魔法が使えると言ってもそのレベルは様々で、生活魔法が使える程度が大半、宮廷魔導士にまで上り詰めるのはほんの一握りの魔法使いだけだ。
イブはかつて、育ての親である師が作り上げた膨大な借金返済の為、16歳から約5年間宮廷魔導士団への所属を余儀なくされていたが、返済終了と共にキッパリ辞めて今の暮らしを始めたのが3年程前のこと。
元々攻撃魔法はあまり得意では無かったし、稼ぎが格段に落ちる事を考慮してもあの激務を思うと、質素でも穏やかな生活の方が心惹かれる。今は得意な製薬で生計を立てており、また何か理由をつけて宮廷魔導士団に引き抜かれては堪らないと森の中でひっそりと暮らしている。
そんなイブの元に思いもよらない客人が訪ねてきた。
「久しぶりだな」
「………どう、したんですか…こんな所で…」
深緑の中、一際目立つシルバーの髪。切長の目元から覗くブルーの瞳が、あの頃と変わらず真っ直ぐにイブを捉える。
宮廷騎士、ロベルト・ヴァレンティ。
王宮に仕えていれば彼の名を知らない人はいないだろう。主に第二王子の護衛を任されている実力者。その端正な顔立ちもあの頃と変わらない。
叶わないと知りながら、イブが密かに恋心を抱いていた人。
突然の訪問に困惑するイブを他所に、ロベルトは淡々と続けた。
「随分探したんだ。お前に、頼みがある」
「頼み………」
王宮に戻れと言う話なら、いくら憧れの人でも聞き入れたくは無い。だが流石に本人を前にして、もしも願われる事があったなら、もう断れはしないだろう。
であれば、そうなる前に先手を打つしかない。
「お、王宮に戻るつもりはありません!」
キッパリと言い切ったイブに対してロベルトは眉間に皺を寄せる。その表情は元が整っているが故に相手を萎縮させる事も多いが、あまり人前で笑みを浮かべないのはこの人の立場と正義感からだとイブは知っている。
少しの沈黙の後、ロベルトは短くため息をついた。
「そんな事は期待していない」
「………」
だったら、何のためにこんな所へ……?
今度はイブの眉間に皺がよる。全く見当が付かないイブの心を読んだかのようにロベルトは続ける。
「この子に魔法を教えてやってほしい」
「この子………?」
そう言ってロベルトが半歩横にズレるまで、その後ろに子供が隠れている事に気づかなかった。
ひょっこり顔を覗かせてはいるものの、ロベルトのズボンをぎゅっと握って離さない小さな女の子は、まだ目の前にいる見知らぬ魔女の事を最大級に警戒しているようだった。
「こ、この子は…?」
「この子は…俺が育てている」
「っ!?」
つまり、それは…ロベルトの子供……!?
イブは思わず息を呑む。子供がいる以前に、結婚していたとは知らなかった。少女の見た目からして5歳程度と言った所だろうか。イブが宮廷にいる間、ロベルトの結婚の話題は一度も耳にしたことが無かった。
まさか、子供までいたなんて、そんな事誰も……。
「報酬なら言い値で支払う」
「!!……い、いえ……あの……」
黙っている事を渋っていると思ったのか、ロベルトは条件を突きつけてくる。正直、渋っているのは間違いでは無いが、報酬を気にしている訳では無い。
「あの…王宮には私の他にも優秀な人がいらっしゃると思いますが」
「宮廷魔導士は常に人手不足だ。子供を教育している暇はない」
「それは、そうかもしれませんが…」
それではまるでイブが暇を持て余しているかのようだ。王宮にいた頃に比べたらそりゃあだいぶ…かなり余裕のある仕事内容だけれど、イブにだって日々の仕事はある。
「私にも仕事がありますし」
「承知の上だ。だが他に頼れる相手がいない」
「誰か紹介しましょうか。何人か良い人に心当たりがあります」
「だめだ。俺が信頼出来る相手でなければ頼むつもりはない」
「それは………」
それはロベルトがイブを信頼していると言っている事になる。既婚者であると知ったとはいえ、イブはまだ、全然ロベルトの事が好きだ。
宮廷魔導士をやめて約3年、全く会う事は無かったと言うのに、そうすれば忘れられると思っていたのに、たった一目見ただけで思い知らされた。まだ好きなのだと。
好きな人が自分を信頼して仕事を依頼してくれる。これ程喜ばしい事はない。だがそれは、好きな人が愛した人との間に授かった子供の教育係だ。これ程酷な事はない。
グラグラと天秤が揺れる中、ふと、ある事が頭をよぎる。
ロベルトは魔法が使えない。しかし、子供に魔力が継承されたと言う事は、母親が魔法使いという事になる。だったら母親が魔法を教えたらいい。
「あの、この子のお母さんは…?」
「母親はいない。既に亡くなっている」
「………そう、でしたか。…すみません」
「構わない」
聞いて良かったのか悪かったのか…。イブは今でこそぼっち生活だがこう見えて人情深い。両親のいないイブを引き取り、我が子同然に育ててくれた師匠の生き様を一番近くで見てきたからだろう。
「私が教えられる事で良ければ」
「頼めるか」
イブはコクコクと小さく頷いた。