90話 勿忘
「───抗うこと無かれ──ヒト、汝───」
「無理な話だ」
抗わずに死ぬなんて、そんな楽なことできるわけないだろ。
弾幕を成す赤い十字架が空を埋める。
褪せ赤のイフリシアの狙いはどういうわけか俺に向いた。
幸運だ。身動きの取れないアルテナやエンデを狙われる方がよっぽど面倒だ。
「───阻むこと無かれ──元より我──」
ああ知ってる。
アルテナの赤い目はお前の赤色だって。
人になりたいと願ったその意思はお前の打算だったって。
悲しいよ。辛い。
「ただ、悲しいだけだ」
実際問題、じゃあ絶望にうちひしがれて足を止めて、喚いてすがってイフリシアを悪だと糾弾すればどうなるか。
どうにもならない。何も解決しない。誰も救われない。
人は歩かなければいけない。どんな境遇でどんな感情でどんな命だろうと。
俺が二人の母親から教わった全部がそれだから。
「斬らなきゃ始まらない。
お前の首を落とさなきゃ、息が出来ないんだよ」
「───言葉、理解に及ばず───」
「死ねばわかるさ」
降る祝福、振る刀。
ネメシスが大樹を天に伸ばしイフリシアの質量を纏う赤い咆哮を相殺する。
何度だってその身体を斬り刻む。雪禍でも夕断でも。
「っ!」
「ツクヨミ、もうおやめなさいな」
暴風に煽られ空中で掻き回される。
声からしてシャルシャリオネの魔法。
面倒だ。そもそも何で鎖木の植物園の連中はイフリシア側に付いてるんだ。
まあ、あいつらの行動原理なんて考えるだけ無駄なんだが。
どうせ気まぐれか、ろくでもない計画か、金で雇われたか、その全部か。
滅茶苦茶になる視界の中、極限の集中がコマ送りになった世界で捉える。
イフリシアの身体の向きが変わる。地上でへたり込むアルテナに狙いを定めやがった。
「頭を垂れる日輪に代われよ、『厄月』」
遥か下から聴こえるネメシスの祝詞。
これもまた俺の雪禍の紋が反応している。
春は嵐、夏は渇、じゃあ秋は月か。
「心の乱れは天体の乱れよ」
やけにデカい黒いガントレットがネメシスの左手に現れる。
低く身体を捻り、解き放つように拳を空に突き立てる。
その瞬間、雲も大気もイフリシアも、シャルシャリオネもついでに俺も。
台風に放り込まれた。
「おおぉおおお!? ちょっ、ネメシス!?」
「は、ハガネくん……」
「ああ、すまん」
洗濯機にぶちこまれればこんな感じなのかな。
なんて暢気なことを考えるのは余裕があるからではなくどうしようもないからである。酔いそうだ。
しかし大質量で抵抗しているイフリシアはともかく飛行しているシャルシャリオネも揉みくちゃにされてる。いい気味だ。
ところでいつ収まるんだこれ。
「───銀──哀れ、竜に非ず──その向かえる終わりに──」
「…………」
豪風で途切れ途切れながらも聴こえる声。
イフリシアがネメシスに語りかけてる。
終わり、確かにネメシス自身もそう言っていた。
竜の寿命事情は知らないが、恐らくネメシスはその辺りも特別なんだろう。
命を振り撒くという形質、その実態がどういうもので何を対価に行われているのかなんて想像もつかない。
死ぬのか、あいつは。
廻る命、って言ったって元からいる俺ら既存の生命体以外の生命は廻す役割のネメシスがいなきゃ回らないんじゃないのか。
竜は死んだら終わりだから。
「ああ、もうッ!! 私のセットした髪が!! 二時間かけたメイクが!!」
やかましい声と共にシャルシャリオネが台風の更に上へと抜けたようだ。
俺も丁度何とか空を昇っていたがためにほとんど同じ高度に出る。
「今日イチの乱れぶりだな、第八管理人シャルシャリオネ」
「……ツクヨミ、貴方嫌みを言うためにこんな高度まで?」
「ぶった斬るために決まってんだろ」
あの暴嵐で髪が乱れるだとかその程度のダメージしか無いのはどう考えてもおかしいだろ。
俺の擦り傷やらは気付けば回復してるが、やはりエインワットと同じくこな女の素のステータスも頭がおかしい数値なんだろう。
攻撃力、防御力、魔法力、俊敏性、100を超えていれば一般的な狩人の水準、200あれば強者、どれか一つでも500を超えていれば護国クラスだ。
この女、サリエル・シャルシャリオネは俊敏性自体はそこそこだが、恐らく魔力、魔法力辺りの数値はぶっ飛んでいる。
その俊敏性だって飛行の異能によって有耶無耶だ。
地形変動すら引き起こす第五魔法を気分次第でぽんぽんと放るイカれた魔法技能と言いエインワット以上に野放しに出来ない化物。
「……はぁ。折角『銀』の死に目に逢えると思えば。
護国に邪魔されるだなんて聞いていませんわ」
「…………死に目。
やっぱりネメシスは死ぬのか」
「あら、貴方知りませんでしたの?
元よりこの杜若の地を生み出して虫の息。
半世紀という長く短い時を経たとて流れ出した命は止まらず、今や息をするのにだって相当無理をしている筈ですわ」
…………。
竜境に防壁のように築かれた命の宝庫、杜若大森林。
それが人類を、日本をどれだけ助けて救ったのか、なんてのはネメシス本人にとってはどうでもいいことなんだろう。
人の味方じゃない。命の味方。
哀れ、とイフリシアに表現されても無理はない。
それで自分が滅んだとしても本望、なぜならそう作られたから。
この世界はそんなものばかりだ。
天迷宮が人類の敵として生み出した『天魔』は、人類への強い憎しみ以外の感情を持つことを禁じられていた。
その憎しみを遂げて死んでいくのを俺が哀れだと思うのはエゴイズムで独りよがりな押し付けだとわかっていても、あの天魔の男に最期に雪を見せてあげたかったし、綺麗だと言ってほしかった。
案外捨てたもんじゃないと、そう思ってほしい。
「ツクヨミ、銀の権能の一つを手にする貴方ならわかるでしょう。
狂い銀のネメシスはもはや限界で、褪せ赤のイフリシアはこれより完成する」
「……ああ」
「無いのですわ、貴方がたに勝ち目など」
「…………」
俺がこいつらをぶった斬ろうと、ネメシスは死ぬんだろう。
なんでこんな辛いんだ。だって今日会ったばかりだろ。
罪竜だぞ? 形式的に人類の味方をしてくれてはいるけど。
「何でしょう、その顔は」
「…………何だろうな、教えてくれよ」
今の戦いの中だってネメシスは目が合えばなぜか微笑んで、俺に息を合わせてくれて、共に戦ってくれる。
何がそんなに楽しいんだ、何がそんなに嬉しいんだ。
そうやって想われるから、俺がこんなに苦しいのに。
雪禍の紋が伝える。
終わりが近い。
なんでネメシスがあの白蛇の姿だったのか、今ならわかる。もうああでもしなきゃ保てないんだ。
短時間とは言え人竜の姿になってしまえばその消耗は相当だろう。
「あ、あら? ツクヨミ?」
雪禍で空の追いかけっこをしていたシャルシャリオネが抜けた声を出す。
俺が空を蹴るのをやめて落下を始めたからだろう。
耳を裂く風の音。浮遊感。
地面が近付いた所でまた宙を蹴り落下の勢いを殺す。
着地して、向き直る。
「……ふむ。別れの言葉か?」
「…………いや、その」
悟られていた。何て言おうかなど思い付いてもいなかったが、すぐに行かなければ今にも消えてしまいそうな気がして。
「我の半身、ハガネ。
悲しむことも憂うこともない。求めた命の在り方を己でなぞる事が出来るならば本懐というものだ」
「……それは、お前の言い分だろ」
「…………ふふ。そうだな、確かに」
そんな幸せそうな顔するなよ。
こんなの違うだろ。
勝手に天寿を全うするな。
「俺が、死んでほしくないんだよ、お前に」
「………………ふむ」
別れの言葉が思い付かないから、それまで勝手に居なくならないでほしい。
我ながらとんでもなく酷い引き留めかただ。
ネメシスも困ったように笑ってるし。
「………………しーす」
「アルテナ……?」
セラに支えられているアルテナが小さな声で喋る。
一瞬だが意識を取り戻したのか、確かにネメシスを呼んでいた。
頭に巻いたヘアバンドは戦いの中でほつれ今にも千切れそうだ。
それを見てネメシスもまた、自分の右手の薬指に巻いた同じ黒い布を一瞬見遣る。
「……困った片割れ達よ。
今さら我の廻る命を止めることはできん。
だが、このまま朽ちては『赤』の贄となるやもしれん。
化けて出るのは本望ではない、ならば」
「……ネメシス?」
「我もまた、…………そうだな」
雰囲気が変わった。
ネメシスの鼓動の音がここまで聴こえる。
力強く魂に直撃する音は、しかし初めて聴くわけではなかった。
そうだ、これはヴァルカンとエンデがあの日かき鳴らしていたあの心臓の音。
「見ておれ、愛しき我が半身。
これが銀の誉れ姿よ」
燐光が立ち上る。
大気が鳴動する。
想起している。
邪魔立てするようにイフリシアの十字架とシャルシャリオネの魔法が空から放たれる。
押し潰すその絶対的な物量に抗うのは難しい。
巨大な十字架と渦巻く螺旋の炎。
だがそれらは目を覆う光の前に霞む。
「還れ、『竜退行』」
白金の翼は空を隠すほどに大きい。
歪に天を穿つ双角と丸太のような剣尾。地を踏みつける白く巨大な後ろ足、起こす上体で自由になった前足は黒く大きな宝石で覆われている。
灰色の眼は変わらず、竜の顎は常に笑っているようにも思える。
輝く竜がそこにいた。
どこまでも雄大で、力強くて、そしてとても儚く見えた。
━━━━━
━━━━━
飛び立てば風を生む、羽ばたけば嵐を呼ぶ。
古代を思わせる巨体が空を舞えば、それは魔法なんてただの奇蹟でしかないと言わんばかりに現実的な暴力を見せびらかす。
大質量の物体が空を裂けば、それだけで大気が乱れて不安定になる。
降ってきた赤い十字架も魔法もネメシスの咆哮一つで砕け散った。
「───『銀』、あるまじきは愚鈍な形質───」
「………………」
嘲弄するイフリシアに言葉を返す間も無く、ネメシスが銀の軌跡を残しながら飛び立ち、次の瞬間にはイフリシアを通り過ぎる。
本体はヴァルカンの身体ではあるが、無数の赤い十字架を纏い、半ば空中要塞と化していたイフリシアの全体像。
それが四分の一ほど欠けていた。
ネメシスの身体全体を覆う巡生命魔法『銀呪記』が、イフリシアの祝福を許容しなかった。
灰色の眼は再びイフリシアを捉えている。
「セラ、頼む」
「ちょっと、ハガネ君!?」
見ているだけなんてありえない。
イフリシアは生まれたて。
ネメシスは死にかけ。
それに欠けた権能の内の一つを持ってる俺が行かなくてどうする。
大空で激しく喰い争う二つの巨体。
その中に割り込めば、まず自分の小ささが酷く感じられた。
一挙手一投足で風が痛みが飛び交う罪竜同士の戦い。
「───ヒト、月詠ハガネ───罰受けし者」
「ああ!? なんか言ったか!?」
雪禍で凍らせて、夕断で斬り刻んで。
それでもイフリシアは終わらない。
どうなってんだよこいつは。
ネメシスが剣尾を突き立てそのままイフリシアの身体を大地に叩き落とす。
ヴァルカンの身体は段々と沸き立つ赤黒い粘液に覆われて変形していく。
まるで生物感が無い直線的な移動で空へと再び逃げるイフリシアを、ネメシスが上から迎撃する。
こじ開けようと伸ばされたイフリシアの肉塊の腕は俺が夕断で寸断する。
届く、この攻撃は。膨大な銀を纏ってネメシスの右腕が引き絞られて、
「…………!」
白金の身体は結晶が砕けるように霧散した。
「……時間切れ、か」
滑空から落下へと変わるネメシスの人竜の身体を、イフリシアの赤い十字架が貫く。
そのまま交錯して、イフリシアは空へネメシスは地へと落とされる。
ネメシスの長い白金の髪が赤く染まっている。
着地は足からだったが、それは落ちた角度で偶然決まったようなものだった。
もう意識さえ定かではないように見える。
その身体が前のめりに倒れようとして、
「───ッ死んでやらんぞ、……貴様の祝福では」
右足を大地に叩き付けて持ちこたえる。
嬉しいと思う反面、もう倒れてほしかった。
これ以上、傷付かないでほしかった。
いいだろ、もう。
「…………『空』、そして『朧』。
…………受け取れ」
「…………?」
崩れかけの翼から集約された銀が、朦朧としているエンデと、セラに支えられているアルテナを貫いた。
攻撃とは思えない、何か不思議な力を感じた。
「……ハガネ、こちらへ」
「……っ!」
赤い血を流して今にも倒れそうなネメシスに駆け寄り、その身体を正面から受け止める。
俺の冷たい身体にはとても熱く感じられた。
「ハガネ君、上!」
セラの声が何を示しているのかは見なくてもわかる。
イフリシアが俺たちを滅しようとしているんだろう。
でも、俺は……、
「……懐かしき、絶冬かな。
…………まさか最期に、これに頼ることになるとは、な」
「……ネメシス、何を」
「…………、すべてとまれよ、……【終銀】」
俺の左手に重ねられたネメシスの右手。
耳元で囁かれたその詠唱。
魔力が凍る。
拡散した銀が凍結の波及を加速させ、世界が停止する。
イフリシアも、エインワットもシャルシャリオネ、セラもアルテナも全部凍って、俺とネメシスだけになる。
止まった世界の中で、吐息だけが聴こえる。
触れる温度が下がっていくのがわかる。
まただ、春の時と同じ。
また腕の中で誰かが死んでいく。
「ネメシス……?」
「ずっと……、知りたかったのだ。
…………我は、なぜ、……こうなのか」
背中に手を回せば生温かい液体の感触。
流れすぎている、命が。
これだけ終わりかけてるのに、なんで雪禍の異能なんて使ったんだ。
そんなことをしたら余計……、
「…………独善的で、欺瞞と、……虚栄ばかりの貴様らから…………、なぜ目が離せないのか」
「……っ、それは……、それはお前がそうやって創られたからで……!」
「……こうして、我のかたちが喪われて…………、想いの源であった魔法さえも消えて。
………………それでも結局、我の想いは、……変わらなかったよ」
目まぐるしく変わる感情の景観。それが止まる瞬間に、ようやく色がわかる。
死の間際でしか己の本性を証明できない。
「……生きることは、祝福などではない。
芽吹けば鏖され、……降れば、昏む。
実れば厄となり………………、そして、終には……、禍となる」
雨鏖、地昏、厄月、雪禍。
ネメシスの四つの権能は、命が相対する全て。
「…………呪あれよ、ハガネ。
……………………その行く、……先に、…………」
「お、おい!? 待てよ、ネメシス!!」
行くな、行かないでくれ。
俺はお前にまだ言ってない。
呼吸の仕方さえ変わった四月の俺の身体の異変。
天迷宮の出現で身を取り巻く環境は変わって、当惑の中で誰に秘密を打ち明けるわけにもいかずに独りでいたあの時。
あの雪の降る地、天淵で俺は救われた。
居場所が無い時は、何度だって足を運んで雪中で剣を振るって、降る雪をただ眺めていた。
出会った首無し武者は今思えば門番だったんだろう。
その時に左手に吸い込まれた雪禍のお陰で俺は何度も助けられた。
今じゃ身体を構成するパーツの一つだと思ってるくらいに馴染んで、きっとこれからもずっと共にある。
全部、全部がお前のものだろ。
お前はただ雪禍を封じただけなんだろうけど、俺はお前のお陰で。
死にゆくお前に俺は、
「……っ、ありがとう、……ネメシス……!」
「………………」
礼しか言えない。
引き留めることも、謝ることもできない。
別れの言葉も思い付かない。
だからずっと言いたかった言葉を言った。
ネメシスを構成する白金が雪を割る音と共に全て燐光となり空へと昇る。
ぼろ切れのような黒い布だけが残り、冷たい土の上に落ちる。
手に残った温い温度と重さの残滓が感じる全てに思える。
もう俺の腕の中にネメシスはいない。
自由になった世界がやかましく音をたて始める。
同時に全員の視線はそれに向いていた。
ネメシスだったものが一ヶ所に集まって銀の点となり、点はやがて球体に。
宙に浮き、やがてごとりと音をたてて落ちる。
竜を討伐した際に入手できると言われる『天異兵装』。
ネメシスの遺骸か、これが。
雲の多くなってきた空の下で、鈍く輝く銀色。
まさか、
「そうだ、これが宝玉だ」
「え?」
伸ばした俺の右手を光の剣が貫く。
地面に縫い付けられ身体ごと叩き付けられる。
誰だ、どこから? なんで、
「おっと、動くなよ。月詠の小僧。
風霧の小娘もだ。動けば殺す、まあ動けんだろうが」
低く野太い声が頭上から聴こえる。
知らない男のものだ。
右手が訴えてくる痛み。貫いた光の剣が杭となっている。
いや、それより。今この男は確かに『宝玉』と言った。
「いいぞ、シュウ。叩き落とせ」
首を動かして状況を確認しようとした矢先。
遠目に見たイフリシアの巨体が空から地面に叩き付けられた。
土埃、木の根や小石が俺の顔に飛んでくる。
何をしたのか、というのには心当たりがあった。
神を縛る迷宮の秘宝、『神伏岩』。
まさか罪竜すら縛るとは。いや、多分使っているのは一つじゃない。
無数の神伏岩をイフリシアに集中させている。
「おーおー、呆気ねえ。
弱った罪竜二体の始末なんぞじゃ、やはりボーナスの一つも出ねえか」
先程から上機嫌に語る男の靴が見える。
目に入ったのは黒い銃剣のシンボルマーク。
国土防衛省のものだ。
「室長殿、もう殺っちまっていいかい」
『…………たまえ……銀……収…………が先……』
男の端末からほんの僅かに漏れ出す音。
通話相手は間違いなくあの『希望室』室長、久慈カナエ。
避難なんて抜かしておいてずっと機を窺っていたのか。
いや、まあ当然か。罪竜二体がぶつかり合ってるんだから、漁夫の利を狙うなんて誰でも思い付く。
ネメシスの球状の天異兵装が俺の視界端から消える。
セラが遠くで何か叫んでいるが、同時に咆哮するイフリシアの音で何も聴こえない。
ここまで静観を決め込んでいた政府の完璧な介入。
公安と連携し、散ったネメシスの魂を回収し、喰い破られ弱ったイフリシアを討滅する。
大胆でもなく、意外性も無い。
実に国土防衛省らしいやり方だ。
そしてそれは失敗せず、高い水準にある最低限を確実にクリアしている。
このまま行けば罪竜二体の討伐が何の犠牲も無しに叶う。
散ったのは公安の末端兵士だ。上の人間からしてみれば誤差でしかない。
『…………なんだ……棺殿…………にかそちらへ…………』
「ああ? 客だと?」
?
イレギュラーだろうか。
この男以外にもこの場には国土防衛省の組織の人間がどこからか湧き出している。
布陣はまもなく敷かれ、縛り付けられたイフリシアを囲んで叩くだけの作業が始まる筈だが。
『……い!…………離脱……毒……!』
「ちっ!?」
嫌な予感がした。
同時に俺の呼気がやたらと白く煌めき始めた。
これは、そうだ。毒。
先ほど幾度か俺が剣を交えたあの人の異能によるものだ。
「…………水波か!」
「知っていたのか、俺の異能を」
うつ伏せのままなものだから何が起きているのか全くわからない。
俺から少し距離を取った国防省の男が、これまた戦場に戻ってきた水波シズクと相対していることくらいしか推察できない。
しかし何か対立している風だ。
シズクさんの方は最初から毒の異能剥き出しで攻撃してるし、国防省の男も戦意を隠さない。
いや、そんな事してる場合なのか。
いくら神伏岩で縛っているからと言っても罪竜だぞ。
「『槍』か。相変わらず人の獲物を掠め取る事しか考えていないのだな、政府は。
黒銃剣ではなくハイエナの紋でも背負ったらどうだ」
「護国のお坊ちゃんにはわからねえかもしれねえが、大人ってのはそういうもんだ。
それにしてもいきなり毒撒きたあ。そこで転がってる月詠の小僧が死んでもいいってか」
俺の右手を貫通している光の剣は中々消えない。
まあこんなものあろうがなかろうが動けるが、今はしばらく死んでいる振りでもしておこう。
「護国の決定だ。渡してもらおう」
「抜かせ、青二才」
ドンパチ始まってしまった。
水波家の使用人にして戦闘補佐役でもあるジクウさんの声も聴こえる。
本気で戦ってるらしい。
まあ十中八九ネメシスの天異兵装の取り合いだろう。
イフリシアはもういないことになってるっぽいし。
エンデもネメシスに貫かれてからはどうにも不安定さが増してもはや戦うこともままならないみたいだ。
アルテナもまた、セラと一緒にいるが意識が定かではなかった筈だ。
そして、多分どちらもが国防省の兵士に囲まれている。
「獅子壊」
「ッ!?」
「…………鎖木のゴミども……!
邪魔してんじゃねえぞ!!」
「ここまでして退いては私共の主が黙っていませんの」
「─────────!」
「──────!」
「───!」
政府、護国、鎖木。
三つ巴になって争っている。
ネメシスの遺した力を取り合って。
誰かの異能で作られた光の剣を凍らせ、身体の自由を取り戻し胡座をかく。
背中に硬い感触、多分魔銃が当てられてる。
もう黙って見届けるだけか。
神伏岩の継続可能時間は俺にはわからない。
だがここまで余裕を持って争っている時点でまだまだたっぷり持つんだろう。
途端に部外者だ。
ネメシスの遺した力は誰の手に渡って、何のために使われるのか。
笑って死んだあいつが納得できるような使われ方はしないだろうな。
俺はどうなんだ。
ネメシスの力も想いも、誰かに利用されれば、俺はどう感じるんだ。
悲しみか、怒りか、虚しさか。
どれも違う気がする。
ネメシスの力が争いに使われるのが嫌だとか、そういうのじゃない。
何となく、収まりが悪い。
だから、
「………………廻らなきゃな」
「!? う、動くんじゃない!? くっ、動くなと!!
…………………………………………ぇ?」
突然立ち上がった俺に驚いた何処かの兵士が魔銃をがちゃがちゃと振り回すのが背中越しにわかる。
もうその銃は銃じゃない。
無視して強者たちが三竦みになって暴れ狂う戦場に近付く。
光の剣を精製して戦う国防省の男。同じ隊服を着た兵士のフォローを受けながら力押しで戦況を進めている。
目に見えぬ毒と流剣シラサメを用いて舞うように戦う水波シズクと、それを補佐する盾湖ジクウは国防省の男の手にある銀の宝玉を狙い続けている。
空に立つシャルシャリオネと、大鎌を振るうエインワットは宝玉ごと壊さんばかりの範囲攻撃で攻め立てる。
三者三様が一進一退に五分五分の戦いを続ける。
エインワットの作った隙をジクウさんがこじ開け、シズクさんがついには流剣シラサメにて銀の宝玉を弾く。
転がり転がって、それは奇しくも俺の足元で止まる。
「……月詠の小僧?
テメエ、俺の杭をどうやって…………、いや、つうか怪我は……!?」
随分驚いた顔で問い詰めてくる国防省の男を無視して、銀の宝玉をゆったりとした動作で拾い上げる。
冷たくもないし、重くもない。
雪禍が反応することもない。
「月詠、家は違えど我ら護国の本懐は同じだ。
言わずともわかるだろう」
「少なからず銀と繋がっていた貴方ならわかる筈ですわ、ツクヨミ。
それが秘めた力を。
私共以外の手に渡れば貴方のお家はどう足掻いても後手に回ることでしょう」
急にスポットライトを浴びた気分になる。
揃いも揃って自分に寄越せと俺に声をかけてくる。
これを誰かに渡せば、誰かが究極に近い力を手に入れて、その後イフリシアが滅ぼされて、エンデが殺されて、アルテナが殺される。
ついでに罪竜が二体も消えることで、世界が平和になる、らしい。
「さあ!」
誰が急かしたのか知らないが、静かにしてほしい。
今俺は考えてるんだ。
なあ、ネメシス。
忘れたくないよ、俺も。
お前の銀色を。
だから、
「いただきます」
ばきっ。ゴリゴリュ……、ザリ。
カチャ、ぱき、…………。
ぐしゃガキキ、みシっ。
クちゃ、ぐシュ。……、…………。
ごく。
「……………………………………は?」
赤い林檎は罪の味。
銀の宝玉は罪竜の味。
誰も争わなくていいな、これで。
だから全員、もう家に帰れよ。