88話 終わる祝福の赤
命と言われて思い浮かべるのは、やっぱり海か。
ただ、俺の目の前に広がるのは命ではあったが生ぬるい塩水じゃない。
木だ。
「『銀呪記』」
広げた手を叩き合わせるように合掌する異形。
頭の位置は俺より高く、尾と翼と角があって、肢体に纏う鱗は変形し衣服のようになっている。
人の、女性のかたちをしている白金の化物。
罪竜、『狂い銀のネメシス』。
その魔法でクレーターまみれの死んだ土地から木が生える。
その大樹が天まで昇り、公安狩猟課『希望室』の駆るヘリコプターを強襲する。
『退避』
希望室室長、久慈カナエの声と共に急速発信するヘリ。
同時に俺以外の人間を地に縛り付けていた『神伏岩』の効果範囲が移動する。
伸びきった大樹は突如枯れ果て、砂のように散り、風に舞ってどこかへと消える。
「なんだ、その顔は。
我は貴様だぞ、ハガネ。
何を珍しがることがある」
「…………どこから訊いたらいいのやら」
私はお前、とはどういう意味なのか。
なんで白蛇に化けていたのか。
どうやって端末も無しに俺に連絡を取っていたのか。
積もり積もった疑問の山、だがそんな事は後で訊けばいい。
今大事なことは、
「ネメシス、お前はアルテナの敵なのか」
普通に考えたら竜なんて敵に決まっている。
なぜならそうプログラムされているから。人が誰に教わらず息をするのと同じように、竜は人に対して敵対する。
上位の竜を更に指揮する立場にあるとされる『罪竜』ならばどれだけの憎しみを抱えているのやら。
だからここで敵だと答えられても、それが普通だろう。
「妙なことを言うものだ。
ハガネ、貴様は我の一部で、我は貴様の一部であって、何を違うことがある」
ネメシスの右手、白金の鱗手甲に赤い三本線の模様が浮かぶ。
知っているこれは。いや、模様自体は初めて見るものなのに。
俺だって持ってる。
「終を厭うて封した絶冬。
だが命は廻るもの。
貴様との邂逅も全ては我々が紡ぐ定めの内でしかない」
「……何を言って…………」
「さて、雨の節よ」
俺の話をまるで聞いていないネメシスが前に振り返ると同時に、ヴァルカンが地面を爆発させる勢いで突貫してくる。
雪禍を抜こうとした俺を、前に立つネメシスが左手を伸ばして制する。
まだ答えを訊いていないのに、それともあれが答えの全てなのか。
だが一つわかることがあるとすれば、俺はネメシスではなくても、俺の中にネメシスはある。
ネメシスの右手、赤い光が漏れ出してくる。
知ってる、これだって。
「『雨鏖』」
握った赤い光を何もない空間に叩きつけるネメシス。
割れたのは空間なのか魔力が見せる欺瞞なのか、とにかく世界に赤いひびが入る。
二メートル程の縦長の亀裂、そこに右手を突っ込み、中から取り出されたのは血よりも赫い戦斧。
「『銀』ッ!! 」
「廻れ、貴様も。竜とて命よ」
長柄の戦斧を右手で軽々と振るったネメシス。
扇状に地を這って生まれるのは新芽、新緑。
命の大盤振る舞い。
それを焼き払い右手を振りかぶるヴァルカン。
背後の倉識教官たちが回避のために後退するよりも速くネメシスが地を蹴る。
赫い戦斧と赤い拳の衝突、軍配は前者に挙がる。
ネメシスは味方と見ていいのか。
悩む時間も無い。とにかく俺もこのまま固まっているわけにはいかない。
ヴァルカンとエンデはネメシスに相手を任せ、残るは、
「久しいな、月詠ハガネ」
「……っ!?」
俺とセラたちを分かつように真横から放たれた水の魔法。
水と言ってもほとんど濁流、勢いは滝の如く。高位のそれだ。
放ったのはこれまで影も形も無かった二人の内の一人。
「こちらこそ、お久しぶりです。
『水波』さん、盾湖さん」
国難に際する日本国の最適解にして第一優先解決経路。
『護国十一家』、その序列五位、『水波』。
柔剛併せ持つバランスに優れた家系であり、単なる個人戦闘力に留まらず財界政界などにも幅広く顔の利く総合的な能力の高さが際立つ一族。
護国の創設から常に序列上位に位置し、安定という面では他にない自力を有する水波の血。
その水波現当主の長男にして、法都岩手の名門『平泉狩猟科大学校』が誇る歴代最高峰にして、現水波家最高戦力と名高いのが、今俺の眼前に立つ『水波シズク』だ。
「このような老骨の名をよくぞ憶えておいでで」
そして燕尾服を纏う付き人にして戦闘補佐、『盾湖ジクウ』。
六十を超える年齢に見合わない伸びた背筋と、薄く開かれた瞳の奥の底知れなさ。
どちらも護国の会合で軽く挨拶を交わした程度の付き合いだ。
恐らく希望室の駆っていたヘリに同乗していたのだろう。
どのような成り行きでそうなったのか、気にはなるが考えても仕方がないか。
「お前には昔から何か秘めたる物を感じずにはいられなかったが。
よもや罪竜に通ずるとは、やはり月詠の血は面白い」
「弁明の余地は?」
白を貴重とした狩人装束、おそらく狩猟科大学のものだろう。
その腰に差された剣は知っている。
『流剣シラサメ』、Sランクの高等兵装。
隣に立つ盾湖ジクウは無手だが当然油断など出来る筈もない。
「弁明か、そうだな」
流剣シラサメが抜かれる。
綺麗な刀身だ。こんな時でなければ断りを入れてじっくりと見せてもらいたいくらいに。
「言葉よりもわかりやすいものを、我々は知っているだろう」
「そうですね」
言うが速く、衝突した。
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護国十一家が一、水波家に長く使える老執事にして『局面戦闘補佐』を担う盾湖ジクウは思考する。
幼少の頃、どころか生まれたその日から顔を知る現水波家当主『水波ユウゲン』。
護国としての強大な力を掌握するために幾度となく若きユウゲンと共に狩り場に向かい、国難を乗り越えてきた過去がジクウにはある。
更にその子息である『水波シズク』と共に戦うという誉れは彼にとっては何にも代えがたいものであり、地に巣食う大悪『天魔』を討ったことにより四月の迷宮騒動における終止符を打ったこともまた記憶に新しい。
ジクウにとっては孫にも等しい存在であるシズクだが、その実力は若かりし頃のユウゲンすら凌ぐ程であり、水波の家系らしく文武を問わない双突出ぶりには幾度となく驚かされてきた。
その魔法、異能、状況判断から有利状況の形成の速さ。
人の規模で対応し得る戦局では無類の強かさを誇り、ジクウの手助けが必要だったことは数えるほどしかない。
だからこそ、ジクウは今思考していた。
なぜ、手間取ることがあるのか、と。
「それは異能ではあるまい?
しかし武器とも思えん」
「刀の形をしていて、それが振るえるのならば武器でしかないでしょう」
今シズクとジクウが相対するのは、真白い髪をした高等狩猟学校の制服を着る少年。
肌は雪のように白く、その右手に握る刀のような何かもまた白く、要するに雪中であれば見失ってしまいそうな程に衣服以外の全てが白い。
当然その素性はただの学生などではない。
護国十一家、その序列最下位。『月詠』。
月詠家現当主、月詠シドウの長男という大器である。
古くは黎明より魔法社会に親しむジクウにとって、月詠とは好んで関わりを持ちたい存在ではない。
日本の狩人の歴史の中で闇に葬られた幾つもの事例。
禁忌としか形容できないその多くの出来事に、あろうことか月詠が関わっている事をジクウは知っている。
何より恐るべきは、それは陰謀だとか、悪徳だとか、そんなありふれたものから来るものではなく。
彼ら月詠は何の悪意も敵意もなく、前触れ無しにやらかす。
『異能の変質』などという奇異な特質以外はあまり取り沙汰されることのない月詠という家。
時には『護国落ち』を提言され、守護の一族がその空席を狙うこともあるが、ジクウにはとてもではないが護国の末席を月詠以外に任せようとは思ったことはない。
月詠とは最終手段。
ただし、護国の他家がどうしても手が離せない、その程度ならば守護の一族に丸投げされるだろう。
月詠を動かすとすれば、月詠以外の護国でも問題解決が図れなかった時。
切り札なれど、トランプのジョーカーなどでは決してない。
切れば必ず皆傷付く。勝者がいなくなり、傷の浅さを喜ぶばかりになる。
「流剣シラサメ。やはり良い剣ですね」
「主の許可なく暴れだすじゃじゃ馬だが、馴染めば存外悪くない。
お前もその白刃が随分と板についている」
ジクウは、戦闘の最中月詠ハガネと会話をこなすシズクにあまり いい顔をできなかった。
それはマナーだとかそういう話ではなく、月詠にあまり関わりを持って欲しくないという思いから来るものだ。
若き英傑の中でも屈指のオールラウンダーであるシズクと、積みに積んだ経験に裏打ちされた戦闘補佐技術からくる的確な魔法支援を行うジクウ。
それらが揃ってなお、ハガネを崩しきれない。
ジクウにはそれが気持ち悪かった。
『護国の出来損ない』などと揶揄された月詠ハガネ、当然それを真に受けてなどいない。
昼行灯など何処にでもいる、護国なら尚更だ。
だが、ここまで攻めきれないのは少し妙な赴きを覚える。
シズクが剣と魔法を主体に攻める。
ハガネはそれを回避するか受けるかで精一杯ながら、涼しい顔で立ち回り続ける。
間隙を縫ってジクウが魔法による支援を行う。
押しているのはジクウたち。
だが、どうにも煮え切らない。
「坊っちゃま」
「ふむ」
展開を変える他ない。
シズクもジクウも依然として全力にはほど遠い出力での戦闘ではあるが、それはつまりいつでも受け手に回れるという意味でもある。
様子見よりも少し行った先の踏み込み具合、ただしこれより前のめりになれば不意の一撃に過敏にならなければいけない。
天魔と戦った時もまたこのフェーズに移行していた。
それが意味するのはシズクの異能、【毒留】の解放。
秘とするのが常とされる護国十一家の異能、だが使えば必ずその正体が割れるかと言われればそうではなく。
特にシズクの異能は目にも見えず音にも聞こえず、隠密性、秘匿性に優れる静かな異能であるがゆえに、他家の派手な異能と比較してもある種の使い勝手の良さがあった。
シズクの持つ異能、【毒留】は粒子に近い大きさの毒物の散布。
その毒性や滞留時間、濃度や散布距離などは全てシズクの一存で決められるために共闘の際でも知った仲であれば有効に活用できる。
演舞のように刃を叩き付け合うシズクとハガネ。
その際にも微弱な風の魔法により風向きを整え、シズクは微かな毒を確かにハガネへと流し込んでいる。
ジクウは遠巻きに魔法を放ちながら先ほどまでとなんら変わりがないよう演じる。
定石にして必勝のパターン。
護国にしては地味だと謗られるシズクの異能だが、その脅威を正しく知るものからすれば厄介極まりない不可視の毒。
「………………?」
間も無く身体の力が抜け落ちてくる頃合い。
にも関わらず、ハガネの動きは微塵も落ちていない。
シズクは元より、ジクウもまたその事に強い違和感を覚え始める。
(回避は不可能、そもそも認知することすら出来ない筈ですが……。
これ以上濃度を上げるとなれば坊っちゃま自身にまで影響が……)
最後まで何で倒されたかわからない、そんなある種究極とも言えるシズクの異能が効いていないことに眉をひそめるのはジクウのみ。
当のシズクと言えば少し熱を持った表情でハガネと打ち合い続けている。
力関係の近い同年代が皆無であり、護国十一家という家柄からあまり他者と深い関わりを持たず、それゆえに感情の類いを表に出すことが少ないシズクの姿ばかりを見てきたジクウにとっては、彼の生きている表情は久しいものでもある。
喜ばしいことではあるが、今はそんな場合ではない。
今回、水波家が介入に踏みきったのは、単にこの中日本を取り巻く竜騒動の解決を主題としたものではない。
見据えるのはその先。
神泥と神伏岩という強大な力を手にした政府はかねてより機を窺っていた『竜滅』を今度こそ叶えようと形振り構わず。
竜から西日本の奪還を、そんな標榜は竜災から月日が経つごとに強まっている。
また護国十一家、並びに守護の一族もまた山のような勘定札を前に協議を続けている。
果たして本当に竜滅を叶えられるのか、叶えられたとしてどれだけの規模の被害が生まれるのか。
何より、取り返した日本国の領土をどう切り分けるか。
イニシアティブの取り合いは既に始まっており、大きな区分では政府、護国十一家、守護の一族と分かれてはいるものの、一癖も二癖もある巨大組織同士が纏まりきる筈もなく、水面下での脛の蹴り合いは日々加速している。
シズクとジクウは水波として、必ず姿を現すと希望室が提言した『銀』の罪竜の討伐の協力を護国のひとかどとして受けることで他家に先んじた。
まさかそこで同じ護国の人間、それも明らかに家の命ではない働きをするハガネとかち合うことになるとは水波の二人は考えてもいなかった。
そもそもなぜ戦っているのか、というのも曖昧で、それがハガネもシズクも本気で殴り合っていない遠因でもあった。
早い話が、今はこんなことをしている場合ではない。
「楽しいですね」
「楽しくはない、が、面白い」
「同じでしょう」
白く燃える月詠に、勇んで相対するシズクに、複雑な胸中のままジクウがしかめ面を隠さなくなってきた頃。
局面が変わり始めた。
「─────ガ、ァアァァアアア!!?」
「む?」
それは咆哮だった。
大森林を斬り倒しながら戦っていたシズクとハガネ。
これまた大森林を破壊しながら争うヴァルカン、エンデ、そして狂い銀のネメシス。
更にそれを後方から窺っていたのが希望室ではない公安の部隊と、アルテナを庇うセラを始めとした斑鳩校の面々。
空にて機を図る鎖木の植物園の管理人二人。
そんな大局の中で、慟哭。
だがそれは竜のものではなかった。
あまりにも醜く、聴くに堪えないものだったが、確かに人間から発せられたとはっきりわかる。
「…………赤い」
それを見てハガネがぽつりと溢した言葉。
シズクもジクウもまた最初に浮かんだのはそんな感想だった。
人が、赤い。
「アアァア……!! たス……誰…………ゥグ!!」
「セラ、何があった」
絶叫、次いで絶叫。
猛々しくもぶつかり合っていた竜たちすらも足を止めその異変に注視する。
「あの公安の連中は何をしてる?」
迷彩柄の狩人装束で揃えた部隊。
棟方ミツキを筆頭とした若き英俊で固められた新設部署の面々は、今狂っていた。
頭を抱えてのたうち回る者、闇雲に武器を振り回す者。
そして変貌する同僚を前にへたり込み、やがて同じように狂う者。
『…………わからないわ。
私たち、というかアルテナを付け狙って付かず離れずの攻防をしていたと思っていたら急に……』
『心当たりなら、あるだろ』
ソラの言葉にハガネもセラも否定できない。
「まさか、神泥の過剰投与……?」
「…………それはないぞ、月詠。
政府が奴らに渡した霊薬の量はたかが知れている。
一人が独占したならいざ知らず、全員があれほど狂うとは」
ハガネの言葉に返したのはシズク。
先の霊薬騒動にて政府が行った神泥の許容濃度調査。
その末報を知る立場にあるシズクは一線を知っている。
神泥とはそもそもが強化薬という名目であり、例えば力の代償に何かを失うだとかそう言ったデメリットは本来設定されていない。
ただ、『ASTRALRain』が決めた設定に人類の耐久値が追い付けず、微量の接種でも人格への影響などが懸念されていた。
そしてそれが肉体に悪影響を及ぼすには原液での摂取が必須となる。
あの公安の狩人部隊が捨て石であることを知っているシズクからすれば彼らに大量の霊薬を政府が渡したとは考えられなかった。
「なら───」
「ならば何故。それは俺にもわからん。
だが、誰が、ならば候補はいる」
シズクが水の三番目の魔法を放つ。
ただその狙いはハガネでも、まして苦しみ喘ぐ公安の狩人でもない。
「やけに静かにしていると思えば。
やはり外道は外道か」
「おお、恐ろしい」
ハガネがシズクに向き合わざるを得なくなったことで、優雅な空中観光を満喫していた二人の悪。
毒まみれの水流を苦もなく避け、ダンは顔無し蛇を降りハガネの近く、地上に降り立つ。
その顔には当然悪びれも何もない。
「ど……、ど、どういうことだ!? エインワットォ!?」
這う這うの体でボロボロの白衣を捨て去りながら叫び寄ってきたのは、この杜若大森林にて多大な権力と影響力、裁量権を持つ観測室総本部長である島原サイだった。
「きき貴様は霊薬を改良したと───」
「いえ、それが新迷宮産の、それも既存の武装の枠組みから大きく外れた『薬』なる物は我々としても実に興味深く、それでいて御しがたいものでして。
実は私とシャルシャリオネでは機能の向上には至らなかった次第なのです」
「……は…………、?」
「ですがそこで顧客に品を突っ返しては鎖木の名折れ。
限られた時間。出来得る限りの色を付けて、苦し紛れの味付けをして、代金に見合う出来映えに何とか漕ぎ着けたのです」
胸に手を当て真摯に釈明する姿はやり手のビジネスマンのようでもあり、しかしその語る内容とのギャップにサイは停止してしまう。
「『竜の血』ですわね。
あくまで試験的運用につき、お代は結構ですわ」
日傘を差したまま空から降り立ったシャルシャリオネが告げる。
苦しむ公安の狩人の背から、異形の骨が突き出した。
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━━━━━
「……まさか鎖木に神泥を預けたのか」
「ハァッ……はぁ、……!
し、仕方なかったのだ! 私とて政府の使い走りなんだよ!!
公安が寄越した使い捨ての駒で罪竜を討てだなんて馬鹿げてるだろう!?」
精神から来る動悸に喘ぐ島原サイ。
まあ確かに、無茶を言われる立場ではあるんだろうなとは思う。
その心中を察することは俺にはできないけど。
だが、越えてはならない一線がこの世にはある。
越えてはならない領域に住んでる悪魔がいる。
「どこの国だって組織だって!! 鎖木とビジネスをしている!
なんで私だけ咎められなければならないんだ!?」
鎖木の植物園、その管理人が二人。
竜に拠点を追われたとか何とか言っちゃいるが、今だって無数のグロテスクな竜を従えて混沌の戦場を上から見下ろす底無しのろくでなし。
自分だけは平気だろうとたかをくくった結果、確かに島原サイ自身は平気だった。
だがその指揮下に入っていた公安の狩人は全然平気じゃない。
「……背を、食い破っているのか」
シズクさんが言うように、うつ伏せで悶える一人の背中から骨のような白い何かが飛び出ている。
セラたちがこちらに避難してくるのが見える。
もう少し近くで見たいが、近付くのが正解とも思えない。
「エインワット、彼らはどうなる」
「あら、ツクヨミ。それは私たちにもわかりませんわ。
言ったでしょう、試験的運用だって」
訊いた俺が馬鹿だった。
そりゃそうだ。こいつらが愉しげに場を見守っている時点で気付くべきだった。
「一つ言えることがあるとすれば。
これよりかの罪竜の『再顕現』が見られるやもしれません」
かの罪竜?
「…………ヴァルカン?」
何で、アイツが胸を押さえてる?
苦しんでるのか?
エンデは横で心配そうに肩を貸してる。
なんだ、胸騒ぎが─────
「ハガネ、聞け」
斜め上の空、ネメシスがいる。
「罪竜には特性がある。
銀である我は『流転』、翠は確か『消耗』
「そして『赤』は『継承』」
赤?
いや、ちょっと待てよ。こんな状況で赤って言ったら。
「やはり、読みは当たっていましたわね、エインワット」
「ええ、庭主がどこまで読んでいたのかはやはりわかりませんが。
ともすれば全てか。
「まあ取り合えず、黄泉帰りなさい、『褪せ赤のイフリシア』」
ぱちんと、エインワットが指を鳴らすと。
肉片が降ってきた。
誰の肉か、というのは愚問だった。
大型犬ほどの大きさの腐肉を纏う竜もどきたち。
空を蝿の如く彷徨いていたものが、一斉に爆発した。
血は雨に、肉は雹に。
腐臭が悪寒を煽って、死が降ってくる。
『───総員、退避せよ!!』
遠巻きのヘリから大音声の警告が寄越される。希望室の連中だ。
それまで争っていた筈の全員に呼び掛けるような緊急信号。
退避? そんなことわかってる。
酸性雨どころじゃない、鎖木の植物園の外道共が手を加えた竜の死肉と血。そんなものまともに浴びてタダで済むなんて思うわけがない。
俺一人なら余裕だ。でも今こっちに駆け寄ってくるセラやジン、アルテナに倉識教官はどうなる?
屋根なんてここにはない、だって全員で破壊し尽くしたんだから。
夕断は? 雪禍は? 使って何になる。
どうすれば───
「廻れ」
大地震と、視界を多い尽くす新緑。
予兆なく地の底から伸び、繭のように俺たちを覆う大樹の馬鹿デカいドーム。
それに降ってくる肉がぶち当たる度に不快な水音がする。
「ネメシス!」
「これから、だ。努々油断するなよ、ハガネ」
温かく、分厚い大樹から、何かが染み出してくる。
セラたちが合流する。皆怪我らしい怪我はしていない。
エインワットたちはいつの間にか消えている。
死の雨の中、なんてのはあいつらには関係ないか。
棟方ミツキら、公安の狩人はどうなった?
それにヴァルカンは? エンデは?
「…………樹が」
俺たちを護ってくれた大樹が死んでいく。
白紙に墨を垂らしたように、波及した何かが木を蝕んで、天幕を晴らすように繭が消えていく。
最初に伝わったのは匂い、すえたような腐った肉のそれ。セラがアルテナの鼻に自分の手を被せてる。
晴れてた空は気付けば曇天に。
ネメシスが俺の隣に降り立って、水波の二人も俺と同じ方向を見ている。
全員がそう、あいつを見上げる。
「……ヴァルカン」
空で手足を力無く放り出し、飛ぶというよりは宙吊りの格好。
雄々しかった翼は爛れ、尾は内なる脈動に耐えられないのか破裂寸前にまで膨らんでいる。
惨い。そんな感情が先に浮かぶ。
残酷なれど美しく、気高ささえ感じられた赤い人竜、焔のヴァルカンはもういない。
「よいか、ハガネ。
多大な改変権限を与えられた我々罪竜は、『ASTRALRain』に限り無く近い存在だ。
その中でも、『赤』は最もあちら側に寄った形質を孕んでいる」
「……赤、…………イフリシア」
「奴は廻らない。代わりに継ぐのだ。
ただし、その相手は他者ではない。
自分に継ぐ」
血の雨に晒されたエンデは無事なようだが、その様子はやはりおかしい。
機械のように無機質だった表情には焦りが見られる。
「空のエンデ、焔のヴァルカン、そして朧のアルテナは皆、イフリシアの遺児だ」
「…………嘘だろ」
「そしてこの場合の『子』というのは凡的生命体が成す遺伝子形質の受け継ぎではない」
巨大な赤い十字架が宙に顕現する。
そして、間も無くヴァルカンの胴を貫く。
荘厳な儀式のようでいて、同時に悪夢のような光景でもあった。
遠くには狂う公安。彼らの身体から出た赤い霧のようなものはヴァルカンに吸い込まれていく。
竜もどきの死体も同じだ。
集約していく、僅かに残っていた緑を枯らしながら。
「『赤』はある種の『摂理』のようなものだ。
ただしそれはこの世界に元からあったものではない。
命を終わらせる。殺すのではない、摘むのだ。
そしてその為には摂理である自分だけは続かねばならん。
その結果、『赤』は死にはするが終わらない」
「……っ」
赤い十字架を無数に背負うヴァルカンだった何か。
その全身から垂れる赤黒い何かは地面に触れれば大地を食い潰し、生ぬるい風はその濃厚な死の香りを運ぶ。
外れた顎で咆哮するイフリシア。
大気を震わせるでもない、耳をつんざくでもない。
それなのに、心臓を直接握られるような奈落の冷たさを覚える。
全てが不協和音で構成された音に身の毛がよだつ。
同時に、辺りに散らばっていた竜もどきの死骸、その死肉が蠢きだす。
気味が悪いとかそんなレベルじゃない。
その死骸が這い回った場所は地面が抉り取られ、命など二度と芽吹くことはないと一目でわかる。
ここはもう、人の居ていい場所じゃない。
半世紀前。
『竜災』にて竜側の指揮を取ったと言われる『褪せ赤のイフリシア』。
だが、今ならわかる。
こいつは指揮なんてまるで取っちゃいない。
命を求めて芋虫の如く這いずり出す赤黒い死骸の群れ。
天より涙を流すように死の雨を撒き散らす赤い十字架。
これは、言うなれば『摂理』。
政府も公安も水波も竜も、もはや関係ない。
アルテナだとか銀だとかも、今じゃ二の次だ。
「逃げよ、ハガネ」
終わる祝福の赤と、廻る呪いの銀がぶつかる。
罪竜と罪竜の戦いが、平和な筈の日本で始まる。
退路にいた死肉の芋虫をネメシスが戦斧の異能で散らせる。
これで逃げられる。
これで、この地獄から目を逸らせる。
「月詠、戯れは終わりだ。
わかるだろう」
「……はい」
先程まで俺と楽しげに刃を交えていたシズクさんがそう告げる。
「国難だ。
罪竜、『褪せ赤のイフリシア』の再顕現による杜若大森林に始まる再侵攻。
護国十一家が一、水波はこれを『竜災』と認定し、第一級侵食災害に対応する護国の召集を提言する」
「月詠も連名します」
「とのことだ、ジクウ」
「ただ今ユウゲン様に旨をお取り継ぎ致しました。
回線の優先度は最高、十五分以内に護国の当主会議が開かれ、その際に現場状況の把握のために水波シズク、月詠ハガネ両名の出頭、あるいは会議への遠隔参加が予想されるとのことです」
「ハガネ君、風霧ひいては守護の一族は父の連絡待ちではあるけれど、恐らく護国の指揮下にて状況解決に当たると思われるわ」
「倉識殿、護国十一家として『金の狩人』である貴方にも協力を仰ぎたい」
「元よりそのつもりだ。政府側に付くよりは幾らかやりやすそうだしな」
『希望室はこれより該当空域を離脱する。
観測室総本部にはたった今連絡済みだ。無用な混乱を避けるために学生には訓練の延長だと嘯かせた。
俯瞰による退避支援くらいは可能だ、早急に離脱したまえ』
あれほど散り散りになって争っていた全員が同じ方向を向いている。
それ程までに『赤』の、イフリシアの提示する根絶の意思は人間の根源的な恐怖を煽っていた。
「さあ、早く!」
セラの言葉を受けて全員が走り出す。
両脇から這い出てくるのは腐乱した肉の塊。
吐き気を催す異臭と赤い霧の中、空が赤い十字架で満たされ始めたのと同時に決死の逃避行が始まった。
━━━━━
━━━━━
「─────ha──di」
「ほう、笑っているのか」
見えない糸で太陽から吊るされているかのように、その竜は空にぶら下がっていた。
とてもではないが飛んでいるとは言えない。
腹部には巨大な赤い十字架が貫通しており、背には翼の代わりに百を越える赤い十字架が浮いている。
頭部はかろうじて残ってはいるものの、尾は内側から張り裂け、爪は剥がれ角は折れた。
人のかたちを取っていたこともあってか、なおのこと不気味で無惨で、そして憐れな姿をしていた。
「─────hhh───vhh」
「我は命そのものだ。誰の味方というわけでもない。
強いて言うのなら、貴様の敵というだけよ」
宙に浮いた赤い十字架が、白金の人竜、ネメシスへと投擲される。
戦斧の一振で砕け散るそれらから飛散した赤黒い液体は大地を汚すも、ネメシスの放った銀色の矢が相克し、そして相殺する。
対となる赤と銀で互いに色の付いた魔法を放つ。
豊かな大自然は見る影もなく破壊され、抉れた大地は戻ることはない。
「───uhhh」
「確かに、無意味なものだな。我々が争って何を生む、何を見出だす」
宙に浮くイフリシアに向かって地を蹴るネメシス。
その反動で更に大地が砕ける。
肉薄すれどもイフリシアを囲う赤い十字架が壁となり、更に別方向からの衝撃によってネメシスは大きく吹き飛ばされる。
「………………」
「やはり効きませんか。このオリオンの大鎌は自慢の天異兵装なだけに、やはり忸怩たる思いです」
竜と竜の立ち合いに水を差すは青いスーツを着る男。
顔のない翼の生えた蛇に跨がり宙に居座り、柄の黒い大鎌を軽々と肩に担ぐ痩躯、鎖木の植物園第三管理人、ダン・エインワット。
肩から流す血は止まってはいるが、そのコンディションは万全とは言い難い。
更にここでもう一つ、雷がネメシスに向かって四方八方から降り注ぐ。
それは人の放てる魔法ではない。
竜の魔法だった。
「……銀…………!」
「空のエンデ、か」
流麗だった金髪を赤黒い血で汚した人のかたちをした竜、空のエンデ。
今や異形と化した焔のヴァルカンと共にイフリシアの遺児としてネメシスを討たんと人間の世界に向かった竜であり、それを知っているネメシスからすればこの攻撃は予想の範囲内ではあった。
だが彼女の様子は少し異様ではあった。
息は荒く、瞳には戸惑い。
「ほう、抗うか。己に、竜に」
「…………わた、しは、……エンデは、あ、ぐ…………」
胸を押さえて空から地上に墜落してしまうエンデ。
しかし直ぐ様体勢を立て直し、再び雷の魔法をネメシスに放つ。
逃れ様、エインワットの大鎌の異能をネメシスは両腕を交差させて受け止めるも勢いまでは殺せず。
ゆったりとした動きで迫ったイフリシアが、祝福を集約させた赤い十字架を隕石の如くネメシスに振り下ろす。
多勢に無勢。
それも、多勢側の全員が超常の力の持ち主。
いかに強大な罪竜と言えど、全てを防ぐことは叶わず。
繰り返される猛攻の末に逃れようのない隙をこじ開けられてしまう。
イフリシアの反生命魔法、『赤祝書』を纏う巨剣を避ける術は今やない。
「…………果つるか、我も」
悪意に背を押された摂理が怒涛のように押し寄せて、銀を喰らう。
たった一人で発生して、たった一人で命を廻し、たった一人でまた死ぬ。
竜なれど命を好み、廻ることを定め付けられたがゆえにその魔法に感情が引っ張られた結果、全ての竜に定義されている筈の人類への敵対意識すら忘れた狂い銀。
終わることを嫌い、自らの権能の一つを地下深くに閉ざしたがゆえにまた、この一撃を防げず。
悪意が空で嗤う。摂理が天を汚す。遺児は苦しみ嘆くも己の核に抗えず、大地は死んで命は消える。
目を細めるネメシス。
「愚かだな、誠に」
それは自嘲ではなかった。
「避けなさい! エインワット!!」
「っ!?」
空に立つのはイフリシアとダン。
更にその上から俯瞰していた鎖木の植物園第八管理人、サリエル・シャルシャリオネ。
そして、そんな彼らを襲ったのはその更に天上。
飛来したのは爆閃。流れ星よりも眩しく、炸裂した奇蹟はネメシスに着弾する筈だった極大の十字架の一部を消し飛ばす。
淀む空気を生んでいた雲間がその爆風で散り、陽光が差す。
間髪入れずに降ってきたのは、白い何かだった。
「終銀」
そっと空の左手を伸ばしたネメシスが受け入れたのは、自らに迫る祝福の十字架ではない。
左手には白刃、右手には金のラインが走る赤銅色の原始弓。
氷片の付いた狩人装束を纏う白髪の少年。
十字架は冬に閉ざされ凍る。
固まる刹那、千を超える両断が走り粉々になる。
彗星の如く速度で落ちてきた白髪の少年は、大地への着弾と同時に巨大な六角形の雪の結晶模様を地面に投影し、それは瞬く間に地に属する全てを凍てつかせる。
ネメシスを襲わんとしたいた肉片の群れはその絶冬に呑まれ、終わりを与える立場から与えられる立場へと変わる。
肩を押さえながら、今日一番の不快げな顔でダンが溢す。
「…………よもや戻ってくるとは。
腐っても護国、もう少し賢明な判断を下せると思っていましたが」
護国十一家が一、月詠。
その直系、月詠ハガネがネメシスを庇うように立つ。
「馬鹿だな、貴様は」
「よく言われるよ、昔から。
でも間違ったことは一度もない」
通常とは逆。右手で弓を持ち左手で黄金の矢を引く。
つがえる手で星と星を線で結んで、大地から取り出したエネルギーを転化する。
迷宮の感情の奴隷、『天魔』の一人が遺した原始弓、『迷閃』。
その煌々とした輝きはダンやサリエルすら一瞬目を奪われるほどに。
「照らせ、『天炎槍』」
再び放たれた爆閃に、空に立つ全てが追いやられる。
雲などかかる余裕はなく、血の涙を流し続けていたイフリシアでさえも赤い十字架を盾にしながら大きく移動しなければならない。
それは宣戦布告。摂理に抗うことの証明。
「─────gggghha──」
「ああ、ヴァルカン。今俺が救ってやる」
儚げに笑いかけるハガネに応じるように、イフリシアが咆哮した。
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とても励みになります。
それと更新が遅くなり申し訳ありませんでした。
これからは週三くらいで投稿できると思います(多分)。




