87話 呪いを愛する
鎖木の植物園。
狩人社会の裏に君臨する実体を伴う都市伝説。
常軌を逸した実験の数々が噂され、構成員の幹部格は単身で魔法武装都市を落とすことすらできると噂される、個としても組織としてもあまりに非常識な存在。
こうして向かい合えばそれらが決して誇張表現などではないとわかる。
狂っている、こいつらは。
だから手加減などしない。
「『終銀』」
空に立つのは鎖木の植物園、第八管理人。
場違いなドレスを着こなす令嬢あるいは女君、『サリエル・シャルシャリオネ』。
翼の生えた巨大ミミズに跨がるのは第三管理人。
スーツに身を包む辣腕なサラリーマン風の男、『ダン・エインワット』。
ノーモーションで湿度の高まった元大森林とそのクレーターを眼下に、雪禍で魔力を停止させ大気中の水分を巻き込み凍結現象を引き起こす。
固まるその瞬間だけ発生する雪禍による副次的な座標固定により、六花の雪の結晶が天へと昇る俺の足場となる。
この強襲は効果があったらしく、どちらもが今まで見せなかった驚愕の表情を浮かべている。
絶対的な安全圏だと思っていた遥か空の高み、それが揺らげばそんな顔もする。
斬るか?凍らせるか?
どっちもか。
「……!? エインワット!!」
「わかっています……!」
そうだ。その顔が見たかった。
狂った倫理観、組織と個人どちらもが絶大無比な力を備え、他者を食い物にして高笑う遥か深淵に潜む大悪が。
苦々しげに顔を歪め、焦り、本気になる。
「『獅子壊』」
柄が漆黒の大鎌を顔無し蛇に跨がるエインワットが振るう。
高位の武器なのは違いない。
その備えた異能がどんなも───
「づっ!?」
暗転、落下。
わかったのはそれだけだ。天地不明のまま土に叩きつけられる寸前に辛くも受け身を取る。
被弾した。あまりにも大きな槌で殴られたような、交通事故のような一撃だ。
視界が揺れてる。
「…………オリオンの異能を受けて無傷、とは」
「竜すら叩き潰せる切り札なのでしょう?」
「つまりは竜より硬いか、あるいは……」
「…………貴方、まさか」
やっと感覚が戻ってきた。
詰めてきたなら雪禍で自爆してもよかったが、どうやら管理人二人は地上に降り立ち何やら会話をするのみだった。
何かを警戒している?
深読みしてくれるならやりやすいが。
不可視の衝撃の正体はおそらくエインワットの持つあの大鎌による異能。その速さや威力、連射性など不明な点しかない。
地上に降り立ったシャルシャリオネの魔法も脅威だ。
とにかく厄介な二人だが連携の類いは見られない、各個撃破で───
「ツクヨミ、一つ質問がありますの」
「……?」
シャルシャリオネがそう問うてくる。
なんだ藪から棒に、時間稼ぎか?
この二人は一挙手一投足全てに意味がある気さえしてくるほどの最悪の手練れだ。
番外戦術など幾らでも仕掛けてきそうだが。
「『罰滅ぼしの叛徒』、という言葉に聞き覚えは?」
…………。
罰滅ぼし? 罪滅ぼしではなくて?
それに叛徒とは、聞いたこともないし、言葉面から連想できるものもない。
何かしらの固有名詞なようだが、それを俺に訊いて何になる。
「知らない。なぜ俺に?」
「…………そうですか」
エインワットの口が再び笑みを作る。
満足させられるような回答ではなかった筈だが、むしろ知らないことが正しかったのか。
俺に関係する事柄なのだろうか。
それともただ引っ掻き回すために口からでまかせを言っているのか。
「いつかお迎えが来るやもしれませんね」
「……迎え? 俺に?
鎖木のスカウトか?」
「いいえ。我々ではありません。
……我々よりもずっと深く、昏く、哀れな化生に」
「…………?」
何を言っている。
世界の暗闇に位置するこいつらより、さらに深い淵に佇む存在など居てたまるか。
挙げ句、そいつらが俺を訪ねてくる?
意味がわからない。
やはり適当なことを言っているのか。
「さて、客人も来たようですし、フィナーレと洒落込みましょうか」
「なに?」
客人って誰だよ。
そう言いたかった。
言う前に、それらは現れた。
空から。
「発動:哭泣鳴水」
海が降ってくる。
━━━━━
━━━━━
荒れ果てた自然の墓場に大海の如く水球が放られる。
それは恵みの雨じゃない。更なる破壊をもたらす大津波。
それが水である以上、俺には足場でしかない。
アルテナを片手に抱いて、氷塊を夕断で割きながら回避する。
地面に叩きつけられた怒濤は四方に津波として波及する。
セラたちは大丈夫なのか?
気になるが、俺は今ここを動けない。
空に逃げた鎖木の植物園の二人と、そしてもう二人。
灼ける赤髪、黒い角。
ぼろぼろの狩人装束から覗く腕は鱗のようなもので覆われている。
太い尾の先端は剣を模しているのかとても鋭利に見える。
煌めく金髪、白い角。
固まった表情に、色の見えない瞳。
長い尾の先端は鎚を模しているのか更に鈍重に思える。
どちらも背には悪魔の如き翼。
知っている、俺は。この人のかたちをした化物を。
「焔のヴァルカン、空のエンデ」
「…………鋼の」
「…………」
やはり来てしまったのか。
その登場に皆釘付けになり戦う手を止める。
人の姿をした竜が俺たちを見下ろす。
圧倒的な存在の密度、ただ目が合うだけで重力が倍にもなったような錯覚を覚えるほど。
こいつらの目当てもまた、俺の後ろにいるアルテナだ。
「なぜテメエが『銀』を庇う。鋼の」
「言えば帰ってくれるのか?」
「帰る場所なんざ…………、ハナから無えよ!!」
一瞬激昂し、そして笑ったヴァルカンが大火球を生み出す。
熱い、こんだけ離れてんのに焼けそうだ。
少し悩んで、駆け出す。
若干遅れて降ってきた火球が爆発し、暴風に煽られてきり揉み状にすっ飛ぶ。
雪禍で空を蹴りながら体勢を何とか建て直しつつ後ろを見れば、今までの非じゃない地面の抉れが見える。
竜の魔法はやはり滅茶苦茶だ。
だが風に吹かれたお陰で目当ての場所に移動できた。
「セラ!」
「無事そうね、ハガネ君」
血走った目の公安の狩人を臙脂色の鞘を纏わせた雪禍で弾き飛ばし合流する。
ジンもセラも倉識教官もほとんど無傷と言っていい。
ただ相手の狩人も大きく削れてはいない。
「月詠、退くぞ」
「できません」
「…………その小娘か」
上位の竜まで来てしまっては抗するのは無理だ。
ただでさえ鎖木の植物園の幹部格二人が好き放題に暴れ始めたのだ。
大分距離を離せたとはいえ、観側室総本部の建物内には非武装の斑鳩校の生徒が大勢いる。
対竜シェルターなんて儚いものだろう。
だが、逃げ出せない。
アルテナがいれば公安も鎖木の植物園もヴァルカンたちも皆追いかけてくる。
じゃあアルテナを放って逃げるのか?
そんなわけない。それなら最初から闘ってない。
「………………ハガネ」
「大丈夫だ、俺が何とかする」
幼女が一丁前に心配するな。
いざとなったら星ごと真っ二つにしてやる。
しかし困った。
実際のところ有効な手立てが無い。
何か、あと一つ何か起こってくれれば……
「…………ん?」
「………………オイ、この音」
気付いたのは俺と倉識教官。
硬い羽が空気を叩く音だ。
二人の竜が制空権を握っている上空。
見上げれば遠山から物々しい漆黒の武装ヘリコプターが迫ってきている。
「あれは、……公安か?」
見覚えがある。
そうだ、ヴァルカンらと矛を交えた日。
竜と『シルバー』を追っていた、今俺たちが交戦していた公安とはまた別部署の連中だ。
思い返す限り、あのヘリに乗っているのは今まで相手をしていた公安の狩人とは毛色が違う。
確か部署名は『希望室』。
名乗っていたのはあの気だるげな女リーダーだ。
「………………」
俺だけを見ていたヴァルカンが不愉快そうに高さを揃えたヘリを睨む。
空において竜に敵う者などいない。
停止したヘリなど的でしかない。
「塵が水を差すな」
ヴァルカンの伸ばした手に何らかの力が集約しているのが遠目にわかる。
マズい、見てる場合か?
あんなもの食らえばひとたまりも───
「ぐっ!?」
「……あぁ?」
………………?
何だ?
今の声はジンと倉識教官のものだ。
振り返ればジンは地に伏せ倉識教官は膝立ちで、共に何かに抗うかのように歯を食いしばっている。
「セラ!」
「っ……!」
セラも同じ症状。
一番驚いたのはヴァルカンとエンデが地面に叩きつけられたことだった。
誰が、何てのは訊くまでもない。公安の、希望室の連中の仕業だろう。
俺には効いていないが、一応しゃがみこみ、膝を付くセラの肩を代わる。
「毒か?」
「…………いいえ、これは…………、重力?」
重力?
倉識教官やセラでさえ抗えない強制力を伴った働きかけをもたらす異能の使い手でもいるのか?
「倉識教官!」
「……平気だって言いてえが、何だこの感覚。
魔力が縫い付けられてんのか?」
縫い付けられる?
だから身体に魔力を循環させている俺以外の人間が地面に引っ張られている?
見渡せばこの荒れ狂った場にて圏外に逃避した鎖木の植物園の二人以外は皆伏している。
アルテナもしゃがみ込んでしまっているし、何なら島原サイ率いる公安の狩人部隊も巻き添えだ。
『思わぬ大捕物となったようだ。
なんにせよ、これでやっと寝られる』
高度を下げることなく、ヘリコプターから拡声器で言葉が投げ付けられる。
怠そうな声。やはりあの公安狩猟課の『希望室』なる部署の室長、久慈カナエだ。
『我々は騎士ではないから。動けぬ者と言えど容赦はできないんだ、すまないね。
でも、こうまでしないとダメなんだよ』
要領を得ない。
さっさと本題に入れと急かしたくなるが、とりあえず言葉を待つ。
この重力のような力、強制的な魔力を真下に引っ張ってひれ伏すことを強いる力を使っているのはこいつらだ。
…………ひれ伏す?
どこかで聞いたような。
「ど、どういうことだ! 久慈!?
私ごと『宝珠』で巻き込むとは!!」
荒れた地を舐める島原サイが激昂している。
あの男は公安と繋がりがあるのは確定しているが、久慈カナエとはそれほど仲が良いわけでもなさそうだ。
しかし、『宝珠』? 島原サイが俺にしきりに要求していたのは『宝玉』だった。
紛らわしいことに宝と名の付く重要単語が二つもある。
そして今、俺たちに伏せを強いているのは『宝珠』の方。
…………!
ああ、そうか。
出立の前、音冥ノアが俺に伝えた公安と政府の動き。
その中にあった二つの天迷宮産の武具の貸与。
一つは棟方ミツキらが使っていた強化薬、『神泥』。
そしてもう一つは、
「我々を『神伏岩』の効果範囲から除け!!
私はお前の上司だぞ!」
『直属ではありませんからねえ。
それに今の貴方を同胞と思うこともありませんよ』
「きっ、貴様……!!」
神伏岩。
それが宝珠の正体。
なるほど。これだけの範囲で、どれだけの強者が相手でも強力な拘束力を発揮するとは。
斑鳩校生徒会役員、枝折カンナの持つ異能、【魔叩】の『決められたベクトルを持つ非変質魔力の操作』の下向き限定バージョンか。
炎だの水だのに変質していない魔力を強制的に下方向に向かわせる。
体内に魔力を循環させて身体能力の補助をしているほとんどの狩人からすれば、重力が何倍にもなったのに等しいだろう。
俺も少し身体が重い気がするが、やはり魔力保有量がゼロということで体内に馴染んだ魔力に引っ張られるということはない。
あくまで周囲のまつろわぬ魔力が下に引かれているために微かな重さを感じているだけだろう。
しかし、これは相当イカれた力な気がする。
どのような対価を払って行使しているのかは知らないが、ここまでの大規模な無力化、無効化の強制は革命的だ。
恒常的に機能するのならば、今まで難しいとされていた上位魔法あるいは異能の保有者を閉じ込める『監獄』のような物まで作れるんじゃないか?
上位の竜である二人、倉識教官や、エインワット、シャルシャリオネと言った超常に匹敵する戦闘力を持つ人間ですらも縛れるなら、もはや敵なんていなくないか?
『さて、月詠ハガネ。
『シルバー』を渡したまえよ』
「…………」
まあ、当然そう来るか。
銀髪赤目の幼女、アルテナ。
竜、公安、闇の世界の住人、そんな連中にここまで追われるとは。
大した奴だ。
『いや、まあ君は何もしなくていい。動けないだろうしね。
上空から『シルバー』をさらうのみさ』
おそらくあのヘリコプターの中には魔法を構えている狩人が何人もいる。
この高重力化で魔法がどのように作用するのかは不明だが、俺たちにプラスになることはないだろう。
安全圏からの一方的な鴨撃ち。
鎖木の植物園の二人は静観に徹している。
ヴァルカンとエンデは立ち上がってはいるがやはり身体が重そうだ。
倉識教官も黄金の大剣に体重を預け立ち上がってはいるが、魔法なんぞ降ってくれば防ぐのに手一杯だろう。
動けるのは俺だけ。
そして俺が動けば全員が危機に晒される。
………………。
「………………アルテナは、平気」
へたり込んでいるアルテナが健気にもそう言うが全く響かない。
どの辺が大丈夫なのか。
冗談も大概にしろ。
「…………斬るっきゃないな」
夕断でヘリごと叩っ斬るしかない。
ヘリが滑落した後にどんな展開になるかはあまり期待できないが。
いざ、南無三───
『あっ、チャット来てるわよ、バカ人間』
……いや、タイミング悪いって。
端末に取り憑いた電子の悪霊、アストライアが明るい可愛らしい声で業務連絡を寄越す。
これだけ緊迫した場面だというのに。
『またアイツよ! ア、イ、ツ!』
あいつって、もしかしてあの正体不明のチャットの送り主?
『……ってあれ? 通話?』
「なに…………?」
初めてのパターンだ。
奥歯を二回鳴らし応答する。
やっと正体がわかるかもしれない。
こんな状況でも、俺はこの謎の人物が誰なのか知りたかった。
『…………』
「あんたは、誰なんだ?」
『…………』
「なんでアルテナを助ける?
どうして俺を歓迎した?」
『…………呪い』
呪い?
女の声だった。
静かに語っているのに、なぜかとても荒々しく感じた。
『呪いは好きか?』
「んなわけ」
『では命は?』
命?
繋がっていなくないか、話が。
というか命が好きって。
「別に、命に好きも嫌いもない」
『何故?』
「あって当たり前のものに感動も感情もない」
『そうか』
俺の質問には答えず、一方的に問答を押し付けられた。
こんな鉄火場でする話じゃなかったな。
「いい加減『シルバー』を! そんな小娘、さっさと殺せ!!」
島原サイが叫ぶ。
アルテナを殺すのか。
そうだ、ここにいる俺たち以外の全員がアルテナを害そうとしている。
それぞれの思惑で。
「手柄ならやるから、さっさと───」
『何を仰っているのですか、島原室長』
「え?」
?
何を揉めている?
「だ、だからさっさとあの銀髪の娘を!!」
『…………? 何を勘違いしておられるのか』
「……は?」
『そこの銀髪の娘は『シルバー』ではありませんよ』
え?
━━━━━
━━━━━
アルテナが、『シルバー』じゃない?
いや、ちょっと待て。それはおかしくないか?
だって最初に会った公安も、希望室の連中もどっちもアルテナを追ってただろ?
「……私を馬鹿にしているのか、久慈カナエ?」
『お伝えしたことが全てですが。
まさか知らなかったとは』
額に青筋を浮かべる島原サイに憮然と答える久慈カナエ。
公安の片側は知っていて、もう片側は知らなかった?
でも追っていたのは同じアルテナだろ?
………………。
いや、一度だけ。確かに奇妙な日があった。
俺とセラとアルテナの三人で街中を堂々と歩いていた時だ。
公安の見張りが俺についていたにも関わらず、なぜかアルテナを誰一人として捕らえようとしなかった。
「…………月詠ハガネを『鍵』として、『シルバー』は姿を現していたのだろうが!
そもそも我々は同じ部署の異能追跡を頼っていたのだろう!?」
『はい。月詠ハガネが鍵というのは間違いありません』
「ならば!」
『ですが、どのようにして『シルバー』が姿を消していたのか、貴方にはおわかりですか?』
「…………」
アルテナは一切の魔法も異能も使えない。
とは本人の談で、実際は何らかの奇蹟は携えていると思う。
希望室の連中は知っているようだ。
『正確には、『シルバー』は姿を隠しているわけではありません』
「…………何だと」
『共鳴ですよ。我々公安の抱えている追跡系異能、【離蔑】と【仇追】。
その内、竜境で発見された『銀の華』を辿ったのが【離蔑】です。
反応があった際に、鍵である月詠ハガネは常に【異能A】を行使していたために、『シルバー』と共鳴反応を起こしていました』
………………。
異能Aとは間違いなく雪禍による【終銀】だろう。
確かに、最初にアルテナに出会った日、俺は異能で空を走っていた。
その後公安と争った時も、神川町でヴァルカンたちと戦った時も、常に雪禍を使っていた。
逆にセラとアルテナと共に買い物に行った日、俺は一度も雪禍を抜いていない。
だから公安は気付かなかった?
いや、だとしたら『シルバー』って何だ?
『そもそも島原室長、貴方は『シルバー』とは何なのか、ご存じですか?』
「そ、それは罪竜の雛で、『宝玉』を伴った…………」
『違いますよ。『シルバー』は─────』
痛い。
左手の甲が焼けるように熱い。
雪禍が埋め込まれた場所、雪華紋様が強く浮かび上がっている。
急に何だ?
『公安の保有する人材が持つ【仇追】は『名称追跡』の異能。
彼は世界共通統魔機構の特命のもと、とある『竜』を追っていました。
『罪竜ですよ。星の敵対者、人類の対称位置、まあ呼び名は様々ですが。
『崩れ橙のランバラル』、『重ね翠のエルフ』、『老い紫のベルジーク』。
我が国が討伐した『褪せ赤のイフリシア』を除く、全世界の罪竜の強い反応に対して短時間の追跡を可能とする強力な異能を複数の異能で補助することで、世界共通統魔機構は罪竜の監視を可能としていました。
『ですがそれには一つ欠けがありました。
ここ、杜若大森林を創りあげた存在ですよ』
竜の癖に、こんな大自然溢れる命の山を産んだ化物。
命を踏み砕く竜という生物の本懐。
それに真っ向から抗う所業。
狂ってる。
「………………あ、……ダメ」
アルテナがぽつりと溢した声。
その言葉の相手は、とても小さかった。
アルテナの首もとからするりと出てきた白く細長い胴。
偉大な竜とはほど遠い、五十センチに満たない体長。
そして、その身体に巻き付けられた見覚えのある黒い紐布。
アルテナがどこかで拾ったペット。
「…………シース?」
まだアルテナと一緒にいたのか?
ちっぽけな、どこにでもいそうな白蛇が、こんな場所にいる。
俺が巻いたアルテナのヘアバンドの余り布もそのままだ。
え?
「何でお前が、…………雪禍の紋背負ってるんだ……?」
そんなちっぽけな身体に、重たそうに翼のように、なんで雪の華を。
それじゃあまるで、
『シース、だと?
笑わせないでくれよ、月詠ハガネ』
「……何、……?」
久慈カナエの言葉が全く入ってこない。
『竜境に咲いた銀の華。
竜を人に変えた理外の奇蹟。
何より、『褪せ赤のイフリシア』による反生命魔法を打ち消すことができる『巡生命魔法』の保有者。
【仇追】が突き止めたその名は─────』
共震。
俺と、シースの紋が響き合う。
なんだよ。なんでお前そんなに、
嬉しそうなんだよ。
『狂い銀のネメシス』
世界が爆ぜる。
爪が見えた。
鱗が見えた。
角が、尾が、翼が。
全部、白金だった。
『構えろ、罪竜のお出ましだ』
この高重力下で平然と立っている。
俺より高い背丈と、鎧を象る身体を覆う鱗と。
それらで俺とアルテナを庇うように立っている。
その右手の薬指には、黒い布が巻かれている。
「…………シース?」
「違うな、ハガネ」
俺の名前を呼んでいるそれは、人であって竜でもあった。
「いやはや、困った半身よ。
我があれほど探してやったというのに」
『…………なぜ神伏岩の中で立っていられる?』
「ん? なんだ、貴様は」
眩しい。
シースが。狂い銀のネメシスが一瞬だけ振り向く。
俺と目が合う。
俺と同じ、灰色の眼だ。
同じく一瞬だけ笑って、今度は空を飛ぶヘリを真下から睥倪する。
「おい、有象無象」
ネメシスが両手を広げる。
荘厳だった。
誰もがそう思ったから、皆動けなかった。
「─────呪あれ」
すると、命が溢れだした。