85話 説教
幼女に護られたことがある人は世界にどれだけいるのだろうか。
俺はある。
今。
「かっ、カハはは、はははは!
あれだけ追い求めていたというのに、現れる時はこれほど呆気ない……!」
「………………ああ?」
杜若大森林。
大きいもので半径十メートルほどの幹にもなる異様な大きさの木々が群生するこの地で、俺と、狩人と、幼女がいる。
哄笑を上げながら態度を一変させた観側室総本部長『島原サイ』。
なんだ、やっぱり悪人か。
そうとも限らないか?
「月詠ハガネ! ……やはり君だったよ。
……最後に残った択、と言うのは気に入らないが」
「島原さん、一体何の話を」
「とぼけるな! 君が、『シルバー』に見初められ!
…………宝玉を手にしたということを我々は知っている」
さっきから知らない単語を押し付けられる。
『宝玉』とやらを俺がシルバー、アルテナから貰った?
いや、アルテナから物を貰った覚えはない。
知らずの内に何か託されていたのか?
「アルテナ、宝玉ってなんだ」
俺を庇うように島原サイ他迷彩柄の狩人たちの前に立つアルテナに訊くのが手っ取り早いだろう。
「お前は俺に何かくれたのか?」
「…………アルテナは、ハガネに何もあげてない」
だろうな。
いや、まあ俺の狩人装束のファスナーにくくりつけられた黒い布。
セラと一緒にアルテナの衣服を見繕った日にヘアバンドの予備布の切れ端を貰ったくらいか。
これが宝玉だってんならあいつらは斑鳩市学生通りの呉服店に行くべきだ、幾らでも置いてある。
今のアルテナの服装は別れた時と変わっていない。
長袖の白シャツの上に紺色のフリル付きワンピース。
白ソックスにキッズローファー、頭には片方の角の根本に当たる部分にリボンが合わさる黒いヘアバンド。
銀髪も相まって、いいところのお嬢様を通り越してお姫様だ。
靴は少し汚れているものの、それ以外は新品同様の清潔具合。
買ってから一週間くらい経っている筈だがどういうからくりなんだろうか。
「だそうです。俺もこの通り、金目の物は持っていません」
「……あまり面白くないとぼけ方はやめた方がいい。
相手を不快にさせるだけですよ」
「…………」
「月詠君、貴方は現にその『シルバー』にいたく慕われている。
特定の存在との邂逅に限り街中でも観測が叶ったシルバー、その特異点Aと仮定した存在の正体が貴方です」
平静さを取り戻したのか、島原サイの口調はころころと変わる。
アルテナが俺を慕っているのはたまたまだ。
あの日、街の中で誰も見つけられないこいつを見つけたのだって。
「知らなかったのですか。
それは貴方と共にいる時にしか姿を見せない。
ゆえに我々もまた随分と苦労させられました」
「…………」
「さて、まだ貴方は課外授業の最中でしたね。
もう戻っていただいて構いません。
学生の本分を忘れてはなりませんよ」
爽やかな笑顔で合図を送る島原サイ。
同時に後ろに控える八人の狩人が皆武器を下ろす。
アルテナは俺と居る時にしか姿を見せない?
つまりは何かしらの隠蔽、穏形の魔法を使えると。
本人曰く魔法も何も使えないそうだが、まあその辺りはいいか。
どうやら俺に危害を加えるつもりはないらしい。
まあ護国を襲撃するリスクなんてどれだけのリターンがあったとしても取りたいものではない。
このまま下がれば平穏は手に入るだろう。
「貴方も護国十一家の端くれであればわかるでしょう。
これは流れです。
大きく、渦を巻き、一人の意思では成り立たず。また、一人の意思では沈めることは叶わない」
「はい」
「生きるべき者、生きていてはいけない者。
それらを見誤れば、たちまちこの世界では居場所を失います。
人に化けた竜。それも世界に仇なす程の力を持つともなれば、存在するだけでそれは害であり、悪です」
「はい」
「さあ、『宝玉』を置いて、日常に戻りなさい。
居るべき場所と、成すべきことを見失ってはいけません。
貴方の教官もまた、心配していることでしょう」
牧師の導きのような言葉だ。
日常に戻る、なんていかにも俺に向いてる囁き。
倉識教官も売った俺のことを心配してくれているらしい。
事のあらましを想像するに、俺たちの今回の急な課外授業の決定はおそらくこの観側室総本部、あるいはその上の組織の意向によるものだろう。
アルテナ一人を捕らえるために大掛かりと言えばそうだが、しかしこの幼女はどうやら世界を滅ぼす力を持っているらしいのであながち過ぎたものではないのかもしれない。
そしてここに来る前か、後。
総本部長殿が倉識教官にコンタクトを取って俺への意味深なチャットを送らせたと。
俺の性格を知っている倉識教官が提案したのかもしれない。
とにかく俺はまんまと誘き出され、こうしてアルテナを召喚してしまった。
「月詠ハガネ。今ならばお前の経歴に傷が付くことはない。
…………さっさとするんだ!」
迷彩柄の狩人装束を着た男が一人、島原サイの後ろから叫んでくる。
あの顔はどこかで見たような。
…………ああ、最初にアルテナに出会った日に追っかけてきた公安か?
確か、棟方、とかいう名前だったか。
なんで公安が観側室総本部などと一緒にいるのか。
というのはそこまで疑問でもないか。
同じく政府側の組織。通じあっていたところで珍しい話でもない。
「…………ハガネ」
アルテナが不安そうに見つめてくる。
今日は表情豊かだな、なんて余裕をかましている場合ではないのだが。
………………あれ?
なんかおかしくないか?
アルテナは俺と一緒に居る時だけ姿を見せるらしい。
なら、あの日。俺とセラとアルテナの三人で街の中を歩いていた時、なんでバレなかった?
店員にすら見えていたんだぞ。
公安のテリトリー内、それも俺は監視付きだった。
どうして捕らえなかった。捉えられなかった。
「…………まだ、何かあるな」
「何か言いましたか?」
終わりじゃない、この話は。
そもそもアルテナをずっと護衛していた正体不明のチャットの送り主の正体だって判然としていない。
それに、
「島原さん、一つお訊きしてもよろしいでしょうか」
「………………手短にお願いしますよ」
表面上は柔らかな物腰ながら、奥底の苛立ちを隠せていない。
この人が善だとか悪だとかはさておいて、一つ確信が持てた。
「政府は『反世界勢力』と結託しているのですか?」
「………………言葉の意味が─────」
「夕断」
場所が場所なら神木扱いされていてもおかしくない、不可思議で大きな木の壁を異能で袈裟斬りする。
倒れた大樹の枝から飛び降りる人影。
青スーツ、長身痩躯、短く刈り込んだ黒髪。
何よりも、隠せないその腐臭。
「流石は護国十一家、と言うべきでしょうか」
「…………鎖木の植物園、管理人『ダン・エインワット』」
最底辺にして最悪徳。
人道倫理と魔法保護観念をかなぐり捨てて狂気の実験開発を繰り返し、おぞましき兵器を産み出し続ける竜災後最悪の魔法開発機関『鎖木の植物園』。
その幹部が、普通にいる。
「その腕、凍した筈だが」
「お陰様で高くつきました。
奇蹟というものは得てして高価なものです」
四月に起きた解放同盟エルシアの獣管理所襲撃事件。
黒幕ではなかったものの、その裏側にいてあの竜もどきのブローカーとして暗躍していたのがこの男だ。
「島原さん、これは」
「…………月詠君、どうやら不測の事態のようなので速やかに施設内に避難してください」
「お手伝いしま────」
「消えろ、と言っているんだ!!」
茶化せばぶちギレる。
まあ取り繕うことなんて今さらできないだろう。
風に乗って漂うのは命の腐った匂い。
おそらくあの竜もどきがどこかにいる。
観側室はほとんど政府直轄と言っていいほど民間や企業とは無関係な組織だ。
それが世界の敵である連中とこうして仲良くつるんでいるとは何事か。
「いいから宝玉を置いて失せなさい!
親の庇護下でのうのうと暮らしてる苦労も知らない身分で大人の仕事の邪魔をするな!!」
島原サイが荒れ狂っている。
あの低い物腰も、この狂乱もどちらも本性だろう。
「…………月詠ハガネ。
青臭い正義感は今は捨て置け。
俺たちだって全て望んでやっているわけじゃない。
今は優先すべきことがあるというだけだ」
公安のどこかの部署に在籍している棟方ミツキが、島原サイの恫喝に合わせるように優しく俺を諭す。
馬鹿かこいつら。
「鎖木の植物園はただの武装組織でも魔法開発機関でもありません。
一度関わりを持ってしまえばその拭いきれない澱みは国を蝕みます」
縁を切れた、はいおしまい。
なんてわけないだろう。
竜をあれだけ醜く汚し、金と好奇心のために国を滅ぼす連中がそんなに甘いわけがない。
わかっていながら、島原サイたちは自分たちだけは平気だとたかをくくっている
「偉そうな口を利くなと言っている。
………………もうこの際宝玉はいい。
そこのそれを置いて失せたまえ。
さもなくば」
「さもなくば?」
一歩踏み出す。
更に一歩。
アルテナの肩に軽く手を置き、その横を通りすぎる。
「さもなくばどうしますか?
俺を殺せば面倒だと思いますが」
「……っ! 殺しはしない。が、痛い目は見てもらう」
三歩退いた島原サイと入れ替わるように八人の迷彩柄の狩人が前に出る。
武器を携え、威嚇するように。
だがそんなものはどうでもいい。
眼に映っている時点で意味がない。
一歩また一歩、どんどんと近付けば、彼らはこぞってじりじりと後退していく。
こんな筋書き、脚本には無かったんだろう。
俺が名家の人間らしく損得と割り切りで賢く立ち回ってくれると信じていたからこそ、なんでこの戦力差で無防備にも歩み寄ってくるのかが理解できていない。
「…………………………潰せ」
観念したのか、島原サイはこの不毛なやり取りを終わらせにきた。
直剣を持った棟方ミツキともう一人が俺に一直線に向かってくる。
対する俺は無手。
今回は課外授業ではあるものの、あくまで見学という体なので生徒に武器の携行は認められていない。
まあそんなものは無視して迷宮産のアクセサリを着けてはいるが。
火の魔法の牽制、間髪入れず一刀。
食らえば怪我では済まない。
だが幸い、今は授業中なのである。
まあちょっと離席してはいるが、とにかく学校の行事の最中なのだ
となればいるべき人がいる。
「─────【刻涙】」
渦を巻いた大気が圧縮され、間も無く弾けて大爆発を引き起こす。
雪禍で無効化した俺と、バックアップの狩人によるフォローで多少ダメージを受けながらも回避した棟方ミツキと他一名。
両者が後方に仰け反った中でも、その第三者による攻撃は続いている。
雷だ、それも一つや二つではなく。縦横無尽に矢のように無差別に。
もう舗装された道なんてものは無い。
俺ごと巻き込む攻撃は信頼の証か。
「お待ちしてました、倉識教官」
「おう」
狩人の総合的な能力を測る国際規格『禁猟深度査定』において最高位にあたる『金』を授かった国内有数の狩人にして俺たち1-Aの監督教師、『倉識ソラ』。
見たことの無い黄金の大剣をぶっきらぼうに担いで後退した俺の横に並び立っている。
「…………教官殿、これは一体どういう」
「ああ、ウチの馬鹿が迷惑かけてるみたいなんでな。
ここは教師として一つ詫び入れに来たんだよ」
島原サイが不可解と言わんばかりに目を見開き倉識教官に問う。
おそらく高位の武器を携えて、奇襲した後に詫びとはこの人も大分おかしい。
当然言葉通りの意味ではないだろう。
「…………貴方もご自分の立場がわかっておられないようだ」
「そりゃテメエだろ。ウチのボンクラ使って何したかったのか知らねえが。
あろうことか鎖木のろくでなし共と仲良しこよしで何やってんだバァカ」
ずっと回していた端末の録画機能を止める。
もう必要ないだろう。
倉識教官からのメッセージは『シェルターには絶対に入るな』だけで終わりではなかった。
『映像を送れ』というシンプルな追加文。
それに従ったまでである。
要は倉識教官はこの観側室総本部における課外授業を始めから楽観視していなかったのだろう。
まあ竜境における竜騒動を知っていれば当然か。
そして案の定、総本部長である島原サイから接触があったために、俺を差し出しつつも自分も待機していたと。
「…………エインワット殿」
「かしこまりました」
島原サイの渋々とした要請に答えたダン・エインワットが指を頭上でぱちんと鳴らす。
気取った仕草に注目が集まり、そして直ぐ様気分の悪くなる羽音が聴こえる。
虫のそれだ。
「新作です。どうぞお楽しみください」
それは大型犬ほどの大きさの蜥蜴だった。
蝿のそれによく似た羽を背に携えて、百はくだらない数がエインワットの後ろから止めどなく溢れてくる。
顔は醜く爛れ、黒い皮膚は時折体液を溢す。
悪趣味という言葉がこれほどよく当てはまる連中もそうはいない。
「…………大人しくしていれば、こんなことにはならなかったものを。
殺しは無しだ、ただしシルバーならば構わん」
「………………了解」
小型の竜もどきには既に敵性対象の刷り込みが完了しているようだ。
迷彩柄の狩人装束を着た者たちもまた俺と倉識教官を戦闘不能にするべく距離を詰めてくる。
「もう一丁、【刻涙】」
倉識教官が黄金の大剣を真横に薙ぐ。
おそらく剣に備わる異能だろう。
大気が悲鳴を上げながら渦巻き、凝縮された後に解き放たれ爆発的な暴風を生む。
それも多発的に。
「オイ、月詠。あの銀髪のガキはなんなんだ。
風霧の妹か?」
「俺の親戚ですよ」
「お前には角と尻尾が生えた親戚がいんのか」
「護国なので」
目の前で暴風の壁が爆発する。
巻き込まれた竜もどきたちの死体が飛び散り、不快な匂いを撒き散らす。
その後ろからは巨体、神田の獣管理所で見た象に迫る体躯の蜥蜴型の竜もどきだ。
爆破の魔法を好きなだけ放つ面倒な手合だが、あいにく心強い味方が今はいる。
倉識教官ではなく。
「たった二人、どこまで耐えられますかねえ。
さあ、値の張った十号型の蹂躙で………………………………え? 」
島原サイの言葉の途中で、人の腕ほどの大きさの炎の矢がどこからか飛んできた。
速さはあったが、威力も規模もそれ程でもない。
だがそれは『十号型』と呼ばれた竜もどきの堅牢な筈の魔法障壁を容易く貫き脳から背中を突き抜けていた。
「一撃…………?」
怪訝そうに顔をしかめたのはエインワット。
巨体はもはや動かない。
たった一発の魔法であらゆる障壁を貫かれ、柔らかい中枢部を全て焼かれたのだから。
こんな真似はあいつにしかできない。
「かっ、風霧セラ…………!」
後方を見れば、右手を前に付き出したセラ。
そして小型の竜もどきを殴り倒したところのジンがいる。
倉識教官の派手な異能を隠れ蓑に現れたのだろう。
俺一人が課外授業を抜け出すのならばわざわざ施設内の非常灯を破壊する必要はなかった。
折を見て二人に協力してもらうために完全に照明を落とす必要があった。
「悪いな、セラ、ジン」
「そんなに嬉しそうに詫びられても困るわね」
「全くだ。しかも相手が相手だぜ」
体制側の人間と、存在を公表されていない闇の世界の住人。
手を組んでいるそれらに対して向かっていくなんて学生のやることではない。
「…………君たちは馬鹿なのかい?
私は観側室総本部長だぞ…………!
政府より大任を拝した組織の長だぞ!
……司法や国家権力に楯突いているのと何ら変わりはない。
君たちが重犯罪者と知った時、家族がどんな顔をすると思う!?」
「別に楯突いてなんていませんぜ。
俺は自分とこの大将が付いてこいって言うからのこのこと来ちまっただけで」
「護国と守護に外法と見なされたご自分の身を案じられては?」
好戦的な幼馴染みたちだ。
権力の圧に屈する気がまるでない。
それは恐れを知らないからではなく、単に揺らがないだけだと思うが。
「……なぜだ、月詠ハガネ!
お前はなぜ庇う!? 竜だぞ! 人類の敵だぞ!」
「貴方だって世界の敵である鎖木の管理人と結託しているでしょう、棟方ミツキさん」
「違う! これは必要なことだったんだ!
お前のように自分一人の感情で周りを振り回しているわけじゃない!」
小型の竜もどきがその歪な口を開けて魔法を放つ。
火であり水ではあるが、やはり人間の放つそれとは大分系統が異なるそれを、倉識教官が主に撃ち落とし、溢れたものは俺が左手でセラが魔法で弾く。
突撃してきたものはジンが徒手空拳で払う。
「生きてちゃいけないんだよ、それは!!
なぜわからない!? 罪竜の雛の可能性だってあるんだぞ!
息をしているだけで誰かの迷惑になる! 歩くだけで星を痛め付ける!」
棟方ミツキが俺に斬りかかる。
避けて、避けて、言葉を受け止める。
「アルテナが誰かを傷付けたと?」
「未来の話をしているんだ!!
……いや、現に俺たち公安がどれだけ苦しめられているか知っているだろう!?
ハッ……、はぁ……、迷惑なんだよ! いるだけで!」
反撃はしない。
「その通り。面倒で迷惑なんですよ。
竜が人に化けて何を考えているのかは知りませんが。
変わらない毎日を滅茶苦茶にして私の睡眠時間を削り、挙げ句唆された馬鹿な学生を相手にしなければならないこちらの身にもなってください。
大人とは、貴方がたのように暇ではないのです」
島原サイがもはや自分で魔法を撃って俺を攻撃してくる。
「月詠ハガネ、お前は絆されてるんだよ!
あの気色悪い少女趣味の服を竜に着せたのだってどうせお前なんだろ!?」
「生きているべきでないものが息をしている。
生きる価値がないものが、平然と笑っている。
それはあってはならない世です」
「死ぬべきなんだよそいつは!
だから──────」
振り下ろされた剣がとても遅く見えた。
世界が止まって、いや凍っている。
ゆったりと左手を伸ばして、鋭利な刃を指で受け止める。
「………………ぇ?」
感情そのままに波及した絶冬が直剣を凍てつかせ、息を取り戻した世界で刃を握り潰す。
左手の雪華紋様が銀に輝いているのが目端に見える。
俺は今どんな感情で昂っているのか。
驚愕に凍った島原サイと、刃を無くした剣を構えたままの棟方ミツキに背を向けて。
一番後ろで俯いていたアルテナに、膝立ちになり視点を合わせる。
よく見れば髪が少し弱っている。
唇もかさかさだし、目の下には薄黒いラインが見える。
「なあ、アルテナ。
最近ちゃんと寝てるか?」
「…………………………」
ふいと目を逸らされた。
悲しげで寂しげで、今にも泣き出してしまいそうな顔だった。
生きる意味、生きる価値を問われて、答えが出なかったのか。
人になりたいと言って斑鳩の地を訪れて、結局は人にはなれないと悟り自分から帰ってしまう性分なのだ。
堪えているのだろう。
「だから……! その竜にそれ以上情けを─────」
涼しい、とても。
さっきまでが暑すぎたのだ。
マイナス273.15に近付いていくこの世界こそがあるべき姿かもしれない。
棟方ミツキが突然言葉を失ったのだって、その口から発せられた振動数が極端に減らされたからに他ならない。
竜もどきも止まっている。
狩人もたじろいでいる。
これなら聴いてくれそうだ。
「さっきから聞いていれば、くだらない話を長々と」
「…………なに?」
「価値があるから生きているのか?
意味が無ければ死んだも同然か?
違うな。たかが命に揃いも揃って群がって、あれが正しいこれが間違っていると大袈裟に議論を重ねる」
詰まるところ、時間の無駄。
「撫で斬れば刎ね飛ぶ首の値札がそれほど大事か?」
「なっ……!?」
じゃあ地獄で自慢してこい。
俺は価値のある命だったって。
今ぶった斬ってやるから。
「………………何を言って───」
「洒落臭えっつってんだよ公僕が」
遠くの景色が二つに割れる。
分かたれた大木の上部が滑り雪崩を起こす。
首の薄皮一枚を斬られた連中が、慌てふためき声を荒げる。
もう面倒だから斬ることにした。
「死んだら生きているべきじゃなかったって事なんだろ」
発動、夕断。