84話 罠
「なんと言うか、……博物館?」
隣を歩くジンの言葉の通り。
竜境。より僅か東。杜若大森林の中央にぽつんとあるこの竜境観側室総本部、その内部は何というか元から見学するための施設のような。
とにかく壁も床も白く潔癖で、メインホールには竜の骨格標本やら種別表などが至るところに展示されている。
もっとお役所じみた所だと思っていたが、小洒落ていると言うかなんと言うか。
「竜に関する資料がほとんどか。
反生命魔法による汚染の実態、杜若に伝わる不可思議な竜の伝承。
資料館として開けるレベルだな」
ショーケースに入った資料に内容を補足する説明文が添えられ、一目見れば学生でもそれが何なのかわかる。
ここは一般には解放されていない施設の筈だが、これなら今すぐにでも竜科学館をやってける。
クラスごとに順にスペースを回っていれば、過去現れた強大な竜が腰ほどの高さの台のケースの中で立体映像として展示されている。
ヴァルカンの『焔』、エンデの『空』と言ったように、上位の竜の個体名には二つ名のような冠がつき、ここに展示される竜の全てがそう言った異名を持っている。
中でも目を引いたのは血のように赤い羽の生えた蛇のような竜
「…………『褪せ赤のイフリシア』」
日本における竜災を指揮していたと思われる、強大で邪悪な赤竜。
反生命魔法という既存の枠組みから大きく外れた未知の魔法を用い、西日本全土を人の住めない地に変えてしまった最悪の竜だ。
半世紀が経った今でもこの竜の名前は公ではあまり口にすることを推奨されていない。
家を焼かれ、故郷を追われ、家族を奪われた人々は今もなお東日本で生きている。
その傷は深く、妄りに抉る必要もない。
「…………反生命、か」
それは俺たち人間からすれば最悪であり、受け入れがたいものだ。
緑と水を枯らし、土地を干上がらせ空を閉ざす。
直接的に蝕まれた人々は抗う術もなく死んだ。
つまりは、竜としてはその在り方は正しいのだ。
命を奪い、根付かせなくする魔法は正解である。
歪んでいない、あるべき姿。
「やっぱり気になるのかしら」
「…………何て言うか、アルテナを取り巻いてる竜騒動とはまた別に、この杜若の地の異常が」
「命が芽吹いて、多様な動植物と人が共存しているここが異常?」
セラの言葉は間違っていない。
竜が命の種を巻き水を与え育てた地。
経緯はどうであれそれは二つの意味で自然そのものだ、それこそ草木も生えない死の世界の方がよっぽど異常だろう。
「……あー、上手い言葉が思い付かないな」
自分の中の想いを言語化できない。
唐突な課外授業で辺鄙な場所に連れてこられ、命を育む竜が住む地のど真ん中にいる。
ここから西では多分色々起きていて、公安や竜や政府がドンパチしてるかも。
そう思うと落ち着かない。
誰かを助けたいとか、斬りたいとかじゃないのに。
「はぁ……、ハガネ君。
貴方、単に好奇心に溢れているだけでしょう」
「え?」
「本当は大森林の中を探索したり、竜境の方まで行ってみたいんでしょう」
…………そうかもしれない。
とは言っても課外授業を投げ出すわけにもいかない。
単位とかどうこう以前に、倉識教官に勝手なことはするなと釘を刺されているのだ。
次は釘じゃなくて剣が突き立てられるかもしれない以上、空気の読めない行動は控えよう。
「……心配しなくても、どのみちこのまま楽しく社会見学なんていかないから」
「……なに?」
『────────────。
大型の竜の接近が予報されました。
施設職員は避難区画へと退避してください。
繰り返します──────』
合成音声のアナウンスだ。
内容を噛み砕く必要もなく、そのままこの観側室総本部に危機が迫っているということなのだろう。
いや、大型の竜だと?
それにしてはやけにこの施設内は静かだが。
?
「このように、ここ杜若の総本部では稀に竜の接近に伴い避難指示が出されます。
ああ、ご安心ください。今のはデモンストレーションでして、実際には大型の竜などは確認しておりません」
自ら施設案内をしていたここのトップである島原サイ部長が、動揺走る生徒たちにご丁寧に説明する。
心臓に悪いサプライズだ。
既にこのABC組は神田の獣管理所で解放同盟エルシアによる襲撃を受けている。
毎月毎月そんな目に遭うほどこの国の治安は終わっていない。
「良い機会ですのでこのまま避難区画である地下シェルターへとご案内致します。
そうですね、一応実際の避難状況を再現するために一部の照明を落としましょうか」
手厚いことだ。
急に押し掛けてきた斑鳩校相手に随分と世話を焼いてくれる。
非常電源に切り替わった、あるいはそういう演出なのか。
少し薄暗くなり、竜のホログラムが存在感を増した観側室総本部メインホール。
………………。
身構えるが別に何が起こるというわけでもない。
悲鳴も爆音もなく、施設職員の誘導のもと、生徒が奥にあるらしい避難シェルターへと向かっている。
『倉識ソラからチャットが来てるわよ』
「………………」
このタイミングで俺宛に?
ディスプレイを投影すれば目立ってしまう、というか倉識教官はどうやって俺に送ってるんだ。
「……読み上げてくれ」
『シェルターには絶対に入るな、だって』
眉間をほぐす素振りで口許を隠してアストライアに頼み込めば、そんな言葉が返ってくる。
どこに、とは訊くまでもないだろう。
しかしなぜ?
考えられるとしたら、この観側室総本部が何かしらの悪事を企んでいるとか?
いや、それは考えにくい気がする。
だが、あの人は冗談でこういったものを送ってくる人ではない。そもそも教官と生徒感での一対一での電子記録上のやり取りは禁止だ。
メッセージの削除をアストライアに頼み、辺りを見回す。
そこまで高くない天井、そこにぶら下がる照明の大半は落とされている。
総本部長である島原サイを始めとする施設職員の誘導により生徒は列をなして奥へと進んでいる。
A組は最後尾におり、倉識教官の姿は見えず、俺たちの斜め前に一人だけ職員が誘導として控えている。
足元が見えないほど暗いわけではないために下手なことをすればバレるだろう。
トイレに行く振りをして夕断で壁に穴を空けて外へ出るか?
いや、これは最後の手段か。
「…………あれか」
平時で使われているであろう照明とはまた別、非常用の長寿命光電によるぼんやりとした明かりを放つ照明。
ガラスに覆われたそれを壊せば光は落ちるだろうが、同時に騒ぎにもなりかねない。
だったらガラスの奥の小さく細い線一つを断てばいい。
「夕断」
俺の唯一の特異とも言える異能、【夕断】。
その消費魔力は使用者の最大魔力の255倍というふざけた設定であり、それゆえに効果もまた絶大だ。
能力はシンプルで、ただこの眼に見たものに線を引いて断つだけ。
対象の硬度も魔力障壁も関係なく、ただ二つに分かつ。
四月の頭にこの異能を使えるようになってから、俺はあまり夕断を好んで使ってこなかった。
斬り合い結んで斬ることだけが取り柄だった俺には、この結果だけもたらす反則のような異能は若干受け入れがたかった。
だが、世話になった。
幾度となく壁という壁を断ち、この力のお陰で救えるものもあった。
ズルだろうが何だろうが俺の力である以上捨てることもできない。
それに無敵ではないということも、先の上位竜との戦いでわかった。
迷宮で天魔の男を看取った後、日常の中で『線』を引き続けた。
距離、サイズ、奥行き、全てを意識しながら後は引き金を引けば断てるという段階で止めて、あらゆるものに刃を突き付けた。
その結果が、学内考査の魔法技能効果測定における障害物裏の物体の切断だった。
一度断つと決めた場所から線だけをズラす。
瞳の奥の線の引き方に少しコツがいるが、慣れれば鎧の下の柔肉だけを斬ることができる力。
これは多分、異能の進化ではなく理解。
「あれ、停電?」
「……うわ、急に止まんなって!」
「また何かのデモンストレーションかよ……」
音もなく、元々薄ぼけた光のみを放っていた照明が全て消えた。
誰かが魔法で破壊しただとか、そんな気配もなかったために真っ暗闇の中でも必要以上の騒ぎにはなっていない。
先に要らないサプライズを総本部側が仕込んでくれていたお陰で、二番煎じのこのドッキリはあまり生徒にはウケてはいない。
「…………このように、非常灯も機能しないことがあります。
しかし、これは少し大袈裟な演出でしたね。
すぐ復旧させますので今しばらく足を止めてお待ち下さい」
だが生徒にはウケていなくとも、施設職員には響いている。
申し訳ないけど。
暗がりの中で入り口エントランスホールまで音もなく歩き、分厚い自動ドアを開ける。
多少光が差しただろうがメインホールまでは距離もある。
自然と共存する観側室総本部の建物、その放射状に広がる浅く白い階段を降り、杜若駅への一本道へと続く総本部前の開けた場所に立つ。
音がないわけではないが、とても静かだ。
鳥のさえずりや木々の揺れる音、
「…………ハメられたか」
そして、俺を取り囲む迷彩柄の狩人装束の狩人たち。
「これはこれは、確か月詠君、でしたか。
いけませんよ、課外授業を抜け出しては」
先ほどと態度は全く変わらず。観側室総本部長、島原サイが優しく諭すように俺に告げる。
どこから抜け出したのか、なんてのは俺が言えた義理じゃないが。
「気分が悪くなったため、少し外の風に当たろうかと」
「そうですか。でしたら構いませんよ」
迷彩柄の狩人たちの手には剣、槍、斧。
どれも天迷宮製の物だ。
俺を害する意志が欠片でもある、と言うことはつまり俺が勝手をすると知っていたということだろう。
倉識教官のメッセージは俺を嵌めるための罠。
こいつらに内通していた? そもそも内通って何だ?
この観側室総本部は実は黒幕でした?
それで倉識教官は俺を売った?
いや、何か違う。
「ああ、ああ。やはり、そうだ」
ディスプレイを投影しどこかと通話している様子の島原サイ。
噛み締めるように言葉を吐き、その表情はどこか恍惚としている。
「やはり、君でしたか。月詠ハガネ」
二人称がころころと変わるな。
何が俺なのか知らないが。
「さあ、渡しなさい。君が隠し持っている『宝玉』を!
今さら言い逃れなどできませんよ」
宝玉?
いや、何のことだ。
俺が今身に付けているのは天迷宮産のアクセサリ数点のみ。
宝飾品の類いなど所持してすらいない。
「何のことかわかりかねます」
「………………立場がわかっていないようですね」
人差し指一つで合図を出せば、島原サイの後ろにいた迷彩の狩人たちが一歩前に出る。
わかりやすい脅しだし、俺がすっとぼけたように見えたのだろうが、実際何も知らないのだ。
面倒だ。
斬るか。
「せっか──────」
『あっ、またアイツからチャット!』
………………。
出鼻をくじくなよ……。
いや、しかしアイツって倉識教官のことか?
取り敢えず俺を睨んでる連中を無視してディスプレイを投影する。
えーと、チャット、
『よく来た、ハガネ』
え?
「──────────」
「ッ!! やはり、来たか!? 『シルバー』!!」
閃光、衝撃。
同時に降ったことだけがわかり、考えるよりも早く足が動いた。
コンクリートの道が裂け、草木の焼ける匂いが僅かにする。
俺と島原サイの間に落ちるように、彼女はいた。
銀髪赤目の幼女が、普通に立っていた。
「………………アルテナ」
「…………ハガネを、いじめないで」
混沌の予感がした。