83話 大自然、大生命
「…………勝手なことはするな。
職員係員教員の言うことは聞け。
時間は守れ。
現場でガキが喧嘩をするな。
勝手なことはするな、特に月詠」
「肝に銘じます」
国立狩人養成所斑鳩校の五月の分の課外授業が始まる。
荒廃した竜の世界と人の世界を隔てる『竜境』。
その少し手前、終点でもある最寄り駅の杜若駅から歩いて十五分。
鬱蒼とした巨大な木々が天を塞ぐ『杜若大森林』にて、俺たち斑鳩校一学年の生徒は集められていた。
ついでに俺は名指しで釘を刺されていた。
「今日はA、B、C組で、明日が残りの組の連中だ。
隠す理由もないから言うが、お前らは『上位クラス』としてみっともねえ真似はするなよ」
斑鳩校にはA組からG組まで、完全な実力順に生徒を割り振るしきたりが存在する。
口に出すことは憚られようとも、誰しもがそれを事実として知っているために、俺たちA組の監督教師である倉識教官もまた開き直っている。
まあ実際には幾ばくかのコネだの擦り合わせだのがあるかもしれないが。
「初めまして、皆さん。
遠路はるばるよくお越しくださいました、この観側室総本部の部長を務めます『島原サイ』と申します」
優雅さと堅さ半々の礼をする白髪に無精髭の中年の男性。
島原サイと名乗ったその人は、その肩書きに相応しい権力を持っている筈だが、意外にも腰は低い。
よれたスーツの上に白衣を着て、更にその上に狩人装束の上着を着て。
熱帯雨林のような杜若大森林でその格好は暑くないのかと言いたくなるような重ね着具合だ。
「本日は総本部にて竜の生体調査方法や実際の観側室の仕事の流れなどを見ていただき、午後には質疑応答の時間を設けたいと思っています。
皆様にとって実りのある時間になるよう、職員一同気を引き締めて職務に励むよう努めて参ります」
学生相手にいささか堅苦しい気もする挨拶が終わり、大木に囲まれた森の中の研究所と言った建物に入ることになる。
今は教官陣だけで集まって何やら話し合っており生徒は待機の姿勢だ。
しかし、やはりどう見てもこの杜若大森林の植生は日本のそれじゃない。
やたらと太い幹からなる大木は熱帯のそれに似ており、旧都東京と比較してもここは随分と蒸し暑い。
「竜が直接的な原因よ」
人工物を囲う大木を不思議そうに眺めていた俺の視線に気付いたセラが答えを寄越す。
竜? あいつらに木を育てる習性でもあったっけか。
「『竜樹』。
それが杜若大森林全植物の正式名称」
「……全部? いや、だってあの辺とかどう見ても別種な気が」
糸を縒ったように捻れる幹の巨木もあれば、複数の幹が絡まり集まる大木もある。
足元の舗装された道の端には異様に青々とした新緑の芽が出ており、おそらく定期的に刈り取っているのだろうということが見て取れる。
これら全部が同じ種類?
「これらは全てが既存種ではないの。
ただ侵食現実が引き起こした変異でもない」
「……はた迷惑な人工知能群の仕業でもない?
それで竜が原因だと」
「ええ。この観側室が設置される以前から、この地域では奇妙な竜の報告と同時期に見慣れない植物の存在が周知されていた。
そして竜樹が観測されるのは日本だけ。
どういうわけかこの国には木を生やす竜が存在しているの。
それも相当前から」
興味深い話だ。
表には出ていない話というのは大概がきな臭いものだし、何らかの悪意を伴っていることがほとんどだ。
だがこの竜樹はそうじゃない。
濃い酸素、豊かな土壌と水源、それらに釣られて寄ってくる動物たち。
どれもこれもが人為やら破壊やらからかけ離れたものだ。
五十年前の『竜災』で世界中が焼かれた中、日本もまた国土の半分を失った。
海に沈んだのではなく汚染されたのだ。
人を滅ぼすのが竜の本懐なら、この大自然をもたらした竜は何を考えているのか。
まさか行きすぎた自然主義者の如く、星による人間の淘汰を目論んでるとか。
どちらにしろ現状では人類にとって、日本にとってはこの杜若大森林はとても貴重な生きた自然であり、また日本には本来存在しないグループの植生(そもそも竜樹自体は新種扱いらしいが)が盛んなこともマイナスには働かないだろう。
在来種への侵略なんて竜の侵攻に比べれば些事だ。
「ジンは知ってたのか?」
「いや、俺も今聞いた。
竜なんてのは人を滅ぼす自立兵器みたいなもんだと思ってたからな、少し意外だぜ」
俺と同じように遠方の大木を見つめるクラスメイトにして幼馴染みの影谷ジン。
その言葉の通り、おれもまた竜という存在は無機質に人間を蹂躙する機械のようなものだと最近まで想像していた。
「ジン君、この人は勝手に竜と戦ったそうよ」
「偶然だ、偶然。
好き好んで殴りかかったわけじゃない」
「………………ハガネ、少しは考えて行動をだな」
セラが要らないことを言ったせいでジンが呆れたように半眼になり俺を睨んでくる。
いや、あれは不可抗力なのだ。
あの日、まず夕暮れの中で銀髪赤目の幼女に出会った。
その幼女には尻尾と角があり、人に化けたドラゴンだった。
公安に追っかけられて幼女が消え、その後にまた幼女と出会い今度は一緒に星を見た。
また別れて、今度こそ帰ろうと思った矢先、人の姿をした翼付きの竜二人と出くわした。
神川町を護るために仕方無く先制攻撃はしたが、誓って自分から首を突っ込んだわけじゃないのだ。
「で、五体満足で帰ってきたのか」
「ああ。死にかけたけど、死にかける以上のことは起きそうになかった。
何よりあいつらには話が通じたし」
不倶戴天の敵。絶対悪。
過去の所業からそんな謂れを受ける竜。
だがそんな連中にも個人の意志があって全体としての意識があった。
個体名、『焔のヴァルカン』、『空のエンデ』共に何らかの目的意識を持ち、そして何より竜としての矜持を持ち合わせていた。
「あいつらは単なる殺戮人形じゃない。
と、これだけ言えば与する隙があるように聞こえるかもしれないが」
「プログラムに従い悪意を以て行動する程度なら御しやすい、ってことか」
「ええ。厄介なのはそうではないということ。
人並みの複雑な思考と本来の無軌道な獣性が絡み合って織り成す予測ができない行動原理。
賢しく精緻で不安定、その上強大ときたらただただ面倒ね」
一つの方向を向いた集団ならいい。
竜災は脅威ではあったが、しかし力で劣っていた当時の人類は見事抑えてみせた。
それはひとえに戦うだけだったからだろう。
人に近い知能があっても、竜災時の竜は皆何かに急かされるようにまるで獣の如く暴れていたという報告が示すに、個人の意識が何らかの指揮系統に塗りつぶされていたらしい。
だが今脅威となっている竜は、人の姿をして、人のように考え想い、そして人の何十倍も強大な力を備えている。
怖いのは、アルテナのように人に純粋な興味を持っている存在がいるということ。
いや、興味と言えばあのヴァルカンだって俺に興味を示して名前を聞いてきたのだ。
零か百ではない。機微があって、半端がある。
だがそれではまるで人間と変わらない。
「もし、俺たち人間に味方する竜がいたとして。
それは許されるのか」
「…………」
アルテナが言っていた『竜祭』が実際に起こった時。
もしかしたら人類側に付く竜がいるかもしれない。
人間のように打算的な考えからかもしれないし、人間のようにきまぐれかもしれない。
そんな時人類は竜をどう扱うのか。何となく気になった。
「ハガネはどうするんだ」
「俺?」
俺はどうするのか。
じゃあ、あのヴァルカンが突然人類を竜から護りたいと言い出したら。
…………。
「……あー、特に何もないな。
味方の内は味方だし、敵に回ったら斬るだけだし」
「いいねえ、シンプルで」
「人類皆貴方みたいだったら戦争は……、いえ逆に戦争ばかりしてそうね」
そんなことはない。
全人類俺だったら揉め事は一対一で決まるのだ。
勝ち抜き方式のバトルロワイアル世界に戦争も何もない。
そう考えると、今のお偉方と悪人と無邪気な邪悪が権謀術数張り巡らせているこの世界もある意味健全に思えてきた。
殴り合いの方がシンプルで手っ取り早いが。
「ま、何にせよ既にこんな大森林を作った竜がいることだ。
人類の味方とまではいかなくとも、生命とか自然とかそういうのに篤い竜がいるのは確かだし、案外竜も色々いるってこったな」
そのジンの言葉には少し引っ掛かる所があった。
半世紀前、日本での竜災で竜側の総大将として顕現した『褪せ赤のイフリシア』。
あの竜は『反生命魔法』という極めて稀で、破滅的な魔法を使ったと聞く。
確かに特異だし強大だが、命を滅するという観点で見ればそれは竜の行動規範の内のものでしかない。
究極的には人類を滅するための反生命魔法であり、実際に日本の人口は目減りして今なお汚染に苦しんでいる。
だが、この杜若大森林のような大自然、『大生命』を創るのは本当に竜の本懐なのか?
土があり、水があって、緑がある。
大気に満ちて、命が溢れるなんて、どう考えたって人類にとってはプラスでしかない。
大局的に見ていつかこの大自然が人類に牙を剥くかも知れなくとも、そんなのは数百年先のことだろうし、現時点では竜境の関門と東日本そのものを護るにあたっての重要な拠点にすらなっているのだ。
命を尊び、自然に重きを置く竜がもしいたとしたら。
そいつは狂っている。
そして、おそらくこの地方に今もなおいる。
少し、この課外授業が楽しくなってきた。