82話 寝台列車
国内に全八校ある国立の高等狩人養成所。
現在の首都である法都岩手、更にその中心街である平泉市に建てられた平泉校が最たる名門と扱われがちではあるが、在校生の資格取得の実績や輩出先などでは斑鳩校も決して劣ってはいない。
というか勝っている。
「だよな、ジン」
「……いや、だよなじゃなくて寝ろよ、ハガネ…………」
車窓から眺める街の灯りはどうしてこうも綺麗に見えるのか。
近くにいれば眩しくて五月蝿くて仕方がないのに。
案外世の中そんなものか。
「寝れない」
「遠足前の子供か! セラのとこにでも行ってこい」
俺たち斑鳩校一学年の生徒は今、それなりに値の張る寝台列車を貸し切って旧都東京から西へと向かっている。
前後の間隔が広いリクライニング可能な座席が通路を挟んで二つずつ。
俺の横には毛布を被るジンがいる。
眠そうだ。
「確かあいつは一人だったろ。構ってもらえ」
「了解」
犬みたいな扱いだ。
俺の身体は疲れを知らない、という程ではないにしろ、あの四月の一件以来睡眠どころか食事すら摂る必要がなくなってしまっている。
そのためにこういう時のリズムが他の人ととことん合わない弊害が出てしまっている。
周りにお喋りの声は聴こえるが、同時に誰かの寝息もまた聴こえる。
だが、偶然にも学校行事の旅行のような形になった夜の列車の中、クラスメイトとはしゃぐような普通の生徒は斑鳩校にはほとんどいない。
ましてや『最優』のA組ともなれば、同い年の高等学校生のようにこういった行事を本気で楽しむ姿はそう多く見られない。
要は枯れている。端末でディスプレイを投影し(光量制限あり)カリキュラムを確認する生徒や、休息に努める生徒が多すぎる。
暗めの列車内、通路を歩いて車両の後ろ側へと向かう。
なぜ昼間ではなくこんな夜中に学校行事のために移動しているかと言えば、それは今回向かう先、竜の国と化した西日本を監視、管理するための国防組織『竜境観側室総本部』の都合によるものである。
解放同盟エルシアによる施設占拠や、常葉陸型獣管理所におけ天迷宮の発見などで、毎月設けられている課外狩猟授業のための獣管理所の多くが旧都東京内では閉鎖してしまっている。
東北部への出向も考えられていたが、他方の好意によって竜境近くの観側室での施設、職業見学という形になったようだ。
学内考査からほとんど日を空けない日程には驚いたが。
なにぶん急に決まったことで、総本部側も何かと忙しい今、早朝からであれば十分な対応ができるとのことで、こうして俺たちは深夜に寝台列車の中で英気を養っているのだった。
大変なのはこれから、ではあるものの、既に大変な思いをしている人もいる。
そう、例えば今、二人分の席に横になって通路に両足を投げ出して寝ている俺たちの監督教師とか。
「お疲れ様です」
ずれた毛布をかけ直して、頭上のライトのボリュームを落とす。
会議に次ぐ会議の後にクラス全員分の荷物検査やら実地での禁止条項、見学の流れ等を纏めたdファイルを作成するなど、あまりにもハードなスケジュールだったのだろう。
倉識教官がこれほど無防備な姿を晒しているのはとても珍しく、つい記念撮影でもしたくなる。
「…………ハガネ君、貴方何してるの……」
通路を挟んで反対側。
この車両最後列には右側に倉識教官、左側にクラス長(そんな役職は無いがそう呼ばれている)である風霧セラがそれぞれ一人で二人分の席を占めている。
と言ってもセラの方は一人分しか使ってはいないが。
「ジンに追い出されてな」
「……トイレや体調不良以外での離席は禁止。
なんて、貴方には難しかったようね」
正論と規律で俺を殴りつつも開いていたディスプレイを消し、窓側の席へと移るセラ。
流し目で睨んでいるが怒っているわけではなさそうだ。
リクライニングをほとんど倒していないあたり眠気にあえいでいる様子でもない。
取り敢えず隣に座る。
「セラは寝ないのか」
「寝てもいいのだけれど、貴方が別の誰かにちょっかいを掛けに行きそうだからやめておくわ」
「流石にジンもセラも寝てたらレストスペース辺りで剣でも振るしかないな」
「貴方はもう少し縛られることを知りなさい」
セラが鞄から出した魔法瓶から備え付けのカップ二つに液体を注ぐ。
香りの強くない紅茶、車内ということも考慮して淹れて来たのだろう。
座席付けのサイドテーブルの上に薄ら湯気が立つ。
時間が時間なので茶菓子は無いが。
乾杯するわけでもなく、差し出された器を傾ける。
鼻に抜ける香りでますます目が冴えそうだ。
「それで、私に話があって来たんでしょう?」
一息ついたところで、やれやれと言わんばかりに話を切り出したセラ。
時刻は零時過ぎ、狩人学校の課外授業で出向中の寝台列車。
こんな場所こんな時間で意味深に訪ねられれば当然の反応だろう。
それが風霧家と月詠家の寄り合いならばなおさらだ。
今巷を騒がせている竜騒動のこと、それらの中核にいるであろうアルテナについてのこと、公安や政府の動きなど。
それらを踏まえて月詠という家、そして俺が何をしてどうしたいのか。
話の次第によっては狩人社会の一部が揺らいでもおかしくない。
そんな話の内容と言えば、
「いや、無いけど。話とか」
「…………は?」
無い。本当に。
「ジンに追い出されたからこっち来ただけで。
大事な用事とかではないぞ」
含みのある雰囲気になってしまったのは申し訳ないが、特にこれと言って伝えなければいけないこととかは無いのである。
俺の事情とか今言っても仕方が無いし、月詠家の企みとかバラしたら問題になりそうだし。
他愛の無い話でセラが寝るまで時間を潰すかとか考えてただけなのだ。
「…………」
「セラさん?」
鉄の如く表情のまま自分のカップを呷り、ついでにまだ残っていた俺のカップの中身まで飲み干して魔法瓶を鞄にしまうセラ。
「寝るから、起こさないで」
頭上のライトを完全に消し、頭突きと変わらない勢いで俺に頭を預けて目を瞑った女がいた。
大人びた雰囲気ではあるが、やはり寝顔は昔と変わらない。
結局倉識教官は爆睡したままで、セラに肩を貸しているために俺は最後列の席で一夜を過ごすことになった。
おそらく俺を待っているであろうアルテナのことを考えて、更にアルテナに付いて回っている公安や竜たちのことを考えて、気が付けば遠くの空が白んでいた。
竜騒動の核心に迫る長い一日が始まった。