81話 受け手
「……困りましたね。全く」
スリーピースの群青のスーツを長い手足で着こなす男が軽快な足取りで螺旋岩の海を走る。
五厘の短さの黒髪とアジア系の顔立ち、この日本において少しばかり目立つ風貌の彼は今、何かに追われている。
その横にはもう一人、古戦場であるこの場所にはとても似つかわしくない華美なフリル付きの白ドレスを纏う女。
「エインワット~? 貴方本当に反省していますの?」
「お互い様でしょう、全く」
彼らはアーチ上にかかる岩を走りどこかへと向かっている。
どちらもが普通の人間ではない。
降り注ぐ雷撃、怒涛の如く押し寄せる水流。
それらを平気な顔で掻い潜り続ける中で、暢気にも会話をする余裕すらある。
「今回の顛末、園主に報告するのは私は嫌ですから。
貴方がなさいな」
「…………かく言う私も先の右腕の負傷のために『反奇蹟』を拝借した件で園主に釘を刺されているもので。
シャルシャリオネ様の方は今年はまだ何もなさっていないでしょう」
「はぁぁぁ……。あのですねえ、私は貴方や第六のような放蕩が許されている身ではありませんの。
園主から『竜もどき』や『口無し蛇』の調整を頼まれる多忙の身ゆえ、何もしていないとは心外も甚だしいですわ!」
魔法黎明期より蔓延る、法と秩序の敵。
表舞台には滅多に姿を見せず、しかし歴史的大事件の裏側には常にその影が付きまとい、倫理観や常識などをかなぐり捨てた蛮行を幾度と無く繰り返してきた組織や個人。
竜災後最低最悪の魔法研究開発機関と称される『鎖木の植物園』もまたその並びに目される存在であり、この二人もまた個人としての名を世界中の政府中枢あるいは統魔機構に知られているお騒がせ者である。
鎖木の植物園、第三管理人『ダン・エインワット』。
同じく、第八管理人『サリエル・シャルシャリオネ』。
人道倫理その他全てを廃して行う研究の果てに立ち、己の感情思考一つで大国の都市部を半壊させる悪夢のような存在。
それが鎖木の植物園というあってはならない組織の幹部格にあたる『管理人』であり、ダンもサリエルもまた例に漏れず魔法研究者としての知識や技量は当然のこと、純粋な戦闘面でも遠近問わず一線を越えた先に位置している。
そんな超常の二人ではあるが、今は逃げの一手を選んでいる。
戦う意味が無い、相手をする時間が惜しい。
だとか、そんな理由ではない。
幾多の下卑た兵器を用い、最悪の戦闘を展開する二人でも勝てない相手。
上位の竜が十数体、二人を空から取り囲んでいた。
「エインワット~? 私もう足が張ってきましたわ」
「……貴方はその異能でずっと飛んでいるでしょう。
泣き言を言いたいのは私の方ですよ」
誰彼構わず振り回して地獄を押し付ける二人が、今日この日この場所では鼠のように追い立てられている。
空から襲い来る絶大無比の竜魔法。
人である以上その圧縮された意思持つ魔力の塊と群れなす物量を相手に対抗する術も無く、とあるトラブルにより十全ではない二人は尻尾を巻くしかなかった。
ここは竜境、第七防衛ライン『人類砦』西側。
今のこの地では、最悪すらも観衆に過ぎなかった。
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国立狩人養成所斑鳩校。
名門中の名門であり、しかも当代ではあろうことか護国十一家の直系から二名、守護の一族から二名が在籍しているという、超が幾つついてもおかしくない黄金期を迎えている。
狩人としての高い資質を持った生徒たちが切磋琢磨し合い、優秀な教官陣がそれを導くという構図は、単なる理想論ではなく緻密な運営体制のもとある程度言葉通り叶えられている。
「……正気かよ」
一流企業顔負けの設備が整った職員会議室にて、粗野な口調で1-A監督教師、倉識ソラが誰にともなく呟く。
彼女より立場が上にある者はこの場に複数人いても、誰一人として嗜めようとする者はいない。
なぜかと言えば、それは十二分に共感できる事柄であり、あるいは胸中の代弁者に感謝さえしているかもしれない。
「こんな時期にガキ共連れて竜境に遠足に行けってか」
「…………厳密には竜境観側室総本部に、ですが。
……いえ、倉識教官の言を否定するには足りませんね、これでは」
肩を落としてそうぼやくのは斑鳩校現理事長代理、『神前サエ』。
多忙ゆえに斑鳩校にほとんど帰ってこない名目上の理事長の職務を全て担っている苦労人。
その出自は守護の一族の傍流という事で様々な面で頼られることが多いために、この三年間名門校の運営という大役を任されているのであった。
「竜境、もとい西側は今、『竜騒ぎ』によって慌ただしく、『課外授業』などで訪れていいわけもありません。
ですが……」
「竜騒ぎの件はあくまで表沙汰になっていない事項。
そして先月の解放同盟エルシアの一件にて、旧都東京の獣管理所は臨時閉鎖している。
五月分の課外授業を本来比較的安全である後方の観側室総本部にて行うのは、カリキュラムの進行具合とも合っている」
ちょうど一学年のこの時期は『竜』についての学習要項が多い。
そのために衛星映像をもとに西側を監視している観側室とその総本部を訪ねること自体は突飛な話ではないように思える。
ただ、今の竜境付近は普通ではなく、常識が通用しない。
「護国の連中が協力的ってのも気持ち悪いにも程がある。
政府は先の霊薬の一件の詫びすらねえし、どうなってんだこの国は」
「倉識教官、滅多なことは言うものではありません。
……理事長にも話は仰ぎましたが、いつものように『責任は自分が持つ』とだけしか返ってきませんでした」
「チッ」
殺伐としてきたこの臨時会議。
実際にはこの話し合いによって何が変えられるわけでもない。
既に事は決定していて、それをどれだけ無難に終えられるかが争点となっている。
「上位の竜一体くらいなら私が捌ける。
だが、今の竜境は野放しになった竜もどきやら鎖木の植物園の管理人やらが蔓延ってるんだぞ」
「……そして、それらを狩る者たちもまた時を同じくして集っている」
「脅威に比例して守護者もまた強力になっています。
水波家を旗印にした護国十一家傘下の狩人衆などもまた、当校に協力的であるとの事です」
それだけ言われたとて、ソラの中では到底納得がいく話ではなかった。
竜がひしめき、鎖木の植物園のような暗部の存在が暗躍するとなると、不測の事態しか起こらない最悪の戦場が想定される。
確実に生徒を守りきれるという状況ではない以上、命を預かる立場の学校側ではこの課外授業は容認していいものではない。
それでも既に竜境付近、観側室総本部での実地見学や竜の生体講義などの予定は流れるように決められ、また護国十一家などの後押しもあってか安全上の問題を理由に断ることが学校の立場上難しくなっている。
「…………」
加えて、ソラが懸念しているのは一般の生徒の安否だけではなかった。
自分が受け持つ1-Aには二人、特異な存在が在籍している。
一人は守護の一族筆頭、風霧家の次女『風霧セラ』。
目に見える範囲ですらあらゆる項目で飛び抜けて優秀ながら、更に自らの底を見せないある意味守護の一族らしい英才。
例えソラが力及ばずとも、心強い存在として居てくれるだろう。
問題はもう一人の方だ。
護国十一家序列十一位、月詠家より『月詠ハガネ』。
名家の出来損ない、護国の失敗作と狩人社会ではその名が知られている灰色の髪の少年だが、ソラはこの一ヶ月を経てそんな言葉がまやかしでしかないことを身をもって理解していた。
年齢不相応に割り切った思考や、土壇場での冷静さ。
何らかの力を隠し、賢しく生きる術を知っているにも関わらず、根の部分では意外なほどに青臭く、愚直で刹那的。
掴み所がないというわけではなく、むしろその逆。
護国十一家という日本におけるある意味頂点に立つ家柄に生まれておいて、酷く普遍的な価値観と真っ当すぎる感性を持っている。
端的に言えば賢いくせに馬鹿で、冷酷無比なお人好しだとソラは考えていた。
そんな彼が有事の際に大人しくしてくれるかと考えれば、それは絶対にあり得ないだろうと確信が持てる。
あれは必ず嵐を呼ぶ。呼ぶだけならいいが、当然のように台風の目にもなるのだ。
それが吉と出るか凶と出るか、厄介なことに賽は振ってみなければわからない。
(……なんで私がこんなに苦労しなきゃいけねえんだ。
月詠の野郎、覚えとけよ)
八つ当たり甚だしい思い、脳内であの灰髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜてソラは事なきを得る。
こうして無数の思惑が絡んだ竜境への課外授業は、波乱の一つもなく予めの通りに決定された。
この時点のソラを始めとした教官陣は知る由も無い。
既に月詠ハガネが大嵐の中心にいることも、風霧セラ及び風霧家の思惑も。
上位の竜、躍動する公安部、そして渦中の『銀』。
それら全てと接触し、その上でハガネが何を望んでいるのか。
攻め手と受け手が徐々に変わりつつあった。




