71話 働き者
警察庁公安部。
世紀を跨いでなお名を変えずあり続けるその組織は、しかし中身は魔法黎明期から変化変容を続けている。
超常の力を持ってして法秩序の社会を大きく揺るがす『魔法犯罪者』という存在は、既存の組織運用を大きく変えた。
どれだけ武装しようが、かつて人はただの人でしかなかった。
拳銃を持とうがナイフを持とうが、叩き落とされればもはや無防備。
だが、魔法という発動しなければ眼にも見えず、所持を禁止することもできない力を前にして今までの常識と常套は脆く崩れ去った。
捕縛にはより強い力で、より賢く立ち回らなければ、形振り構わない魔法犯罪者相手には通用しない。
建造物も人も魔法という強大な攻撃力に対して余りにも防御面では劣り、一手間違えるだけで取り返しのつかないことになってしまう。
政府が魔法という力が広く知られ始めた頃から、魔法とステータスを『未来と発展への革新的な技術』ではなく『奇跡的な破壊の道具』として認識を共有し規制を強化したことによって、諸外国と比較して日本は魔法犯罪が際立って少ない世界有数の国となった。
その陰には警察庁の例を見ない流動的な組織改革と、実力重視の採択方針による優秀な人材の選別があったからに他ならない。
現代では人は人だけではなく、獣や竜といった新たな脅威とも向き合わなければならないために、民間の狩猟委託組織や守護の一族などの国家権力とはまた類を別にする組織の力も容認しているが、依然として人々を悪意ある人間の脅威から守護するのはやはり警察という古くからの存在である、そんな共通認識は根強く残っている。
とりわけ公安部は公共の安全と秩序を保護保全するべく、国を揺るがしかねない重犯罪や国内組織の監視など、より危険で重要度の高い仕事を任される職務となっている。
ゆえに彼らは優秀でなくてはならない。
いかなる犯罪者にも屈しない優れた魔法戦闘能力を持ち、定石が存在しない魔法とステータスの世界に置いて行かれぬように常に学習と研鑽を積み、初めて『公安部』を名乗ることができると言われている。
そんな国のヒーロー相手に、俺、月詠ハガネは拘束されている。
夕方ごろにも公安に所属する若い男女に絡まれたが、彼らは若くして公安で働く優秀な身ながらやはりどこか杜撰だった。
だが、今俺の両腕を背中で組ませ、何らかの武器(おそらく魔銃)を当てる者たちは油断も傲りもあったもんじゃない。
場馴れしている。
「悪いね、こんなことをしてさ。
でもわかってくれ、皆怖いんだよ」
ボサボサの黒髪を掻きながら、竜たちが滅茶苦茶にした大地を椅子代わりにして座るそこそこ若そうな女。
白衣の下はラフな私服。公安部と名乗っていたが裏方勤めなのだろうか。
「護国をさ、拘束するってのは……。
これだけされて顔色一つ変えないってことも含めて、普段相手してる安物のテロリストが可愛く思えるほどに、私らは恐れてる」
「自分の噂はご存じだと思いますが」
「誰が信じる? 護国の長男、それもあの月詠が出来損ない?
勘弁してくれたまえ。普通に異常なのがキミたちだ。
今この時だって、キミの後ろに立つ厳つい連中の胸中は穏やかとはほど遠いよ」
侮ってくれればどれだけ楽なことか。
舐めてくれればどれだけ御しやすいか。
護国十一家の序列最下位、月詠の更に期待外れの出来損ない。
それを真に受ける人間に今まで甘えていた所もあった。
「私は警察庁公安部狩猟課特捜班『希望室』という部署の室長をやっている、『久慈カナエ』という者だ。
……ああ、キミは名乗らなくていい」
長ったらしい役職ほど厄介に聴こえるのは偏見か。
希望室。変わった名前だが、本当に部署名なのか通称なのかわかりづらいな。
逆詐称気味に見てもよくて三十台のこの見た目で国家権力のひとかどの長を務めるとはかなりのやり手なのだろう。
「まず訊くが、この大破壊、もとい世界創造はキミの仕業かね」
斑鳩市北区郊外、棄てられた工場跡や手入れのされていない森林区、その裏には低い山。
とりわけ神川町という狩人のベッドタウンの近くということもあってか、観光名所の類いもなく静かで何もない場所だった筈だが、今は違う。
岩壁が奇妙なアーチを描いていたり、大穴に水が溜まって湖の様相を呈していたり、消えない炎がそこかしこに残っていたり。
雪禍で殺した魔法の残滓が消えずに地面で煌めいていたり。
高低差も滅茶苦茶でヘリコプターが降りるのに一苦労していた。
もうここは人の世界じゃない。
竜の戯れに付き合わされた地獄だ。
「いいえ。自分にこれ程の力はありません」
『あーあ。メモられてるわよ、アンタの言葉』
アストライアがそんな情報を寄越す。
俺の視界には端末も紙のノートも開いている人はいない。
皆、黒を基調とした狩人装束を揃えて着て立っているだけだ。
つまりは後方で俺に見えない角度で、ってことか。
まあそもそもやましい事なんてないけど。
「だろうね。こんな規模の魔法。
それも土魔法を人が使える筈がない」
基本に火、水、土、風。発展して雷、氷。
人が使える魔法はその六種類だけであり、更にそれぞれ五段階の位階が存在する。
全三十種類で魔法図鑑は完成するのだ。
だが、どういうわけか土属性の魔法を人は使えない。
正確には、使えはするが事象の改変が正しく発生しない。
世界の根幹である『ASTRAL Rain』のゲーム内では正しく機能していたと言われ、それを人工知能群が読み取った際にエラーが出たのではと言われてはいるが、魔法の研究開発は国際法で禁止されているために真相は定かにはなっていない。
「それではこの海も炎も氷も、全てキミではないと」
「はい」
まあ氷は俺だが。エンデも氷の魔法を使っていたしバレないだろ。
雪禍の存在が知られた所で何か面倒かと言われれば、……そんなにだな。
警戒されることは増えるだろうが、そもそもこの公安部のように元から俺のことを得体の知れない何かだと思い込んで侮らない人間はそれなりにいる。
俺だって同じ護国のどこかの家に出来損ないがいると言われたって、それをひょいひょい信じるかと言われればあり得ない話だし。
「ではキミは偶然竜に出くわし、たまたま交戦して、あの竜退行まで引き出したと」
「何となく散歩をしていたら神川町の方角が明るくなっていまして。
それで何とか注意を引こうと奮戦しましたが、生き延びるのに精一杯でしたよ」
これは本当。
生き延びるのに精一杯な中で相手の首を捥ごうとしただけだ。
戦うという行為がそもそも生き延びるためのものだし。
ヴァルカンもエンデも誇りと快楽のために竜の姿に戻った側面はあったっぽいが、究極的には生き残って目的を達成するために行動していたには違いない。
釈明終了。
拘束もほどかれるかな。
「キミは数時間前に別の課の者と会っている筈だが。
一日に二度も公安の世話になるのは偶然なのかね」
…………。
報連相ができている。
公安みたいな敵を作りやすく足のつきやすい体制側の組織は大抵内乱が付き物だし、竜が人間世界に入り込むという件も手柄の取り合いで出し抜き合戦していようともおかしくはないと思ったが、どうやらちゃんと組織として機能している。
アルテナの事もしっかり報告されてるか。
「はい。随分な偶然だと思います」
「…………。『シルバー』との接触、そして二体の上位竜との交戦。
公安に二度捕まり、竜に二度絡んでいるとは確かに随分だな」
疑いを隠そうともしていない。
わずかに後ろの腕の締め付けがきつくなったような気もする。
とは言っても俺は嘘は述べてない。
ただ、あの銀髪赤目の幼女と星を見たことを伏せてるだけだ。
夜空を散歩していたのだってたまたまだ。
「………………」
「……放してやりなさい」
気だるげな女性、久慈カナエが指示を出せば俺の両腕が自由になる。
抵抗する気など元から無いし、そもそもやろうと思えば両手が塞がっていようと終銀で大爆発をかませるのだから体勢に意味はない。
流石に公安の人間を凍結させたらテロリスト認定待ったなしだが。
「正直に言おうか、月詠ハガネ。
護国がちょろちょろするっていうのはね、我々…………いや、誰にとってもとんでもなく迷惑なんだよ」
「…………はあ」
「たかだか学生の身。そう考える人間も居るかもしれないが、キミのお家はいささか巨大すぎる。
公安が公安としての職務を全うしているって時に護国の人間が絡んでくればもう大変。
言ってしまえば、竜と人が戦っている際に虎が割り込んでくるようなものだ」
眉を露骨にハの字にして訴えてくる。
まあこの斑鳩という地では特にそういった問題は付き物だ。
護国十一家の間者は至るところに蔓延っている中で、対立とまでは言わずとも商売敵のような立場の公安、それも狩猟課ともなれば色々と衝突しがちだろう。
苦労しているのはわかるが俺にぶつけないでほしい。
今日は幼女と一緒に星を見て蜥蜴と遊んだだけなんだよ。
そこに俺の意図も月詠の意向も何もない。
「どのみち気付くだろうから先に言っておくと、キミには数日間監視がつく。
…………全く、なぜ貴重な人員を……」
「心中、お察しします」
「…………」
この言い分だと彼女だけの判断で俺を監視するわけではないみたいだ。
上の指図に従い現場の貴重な人数が減るというのはどこの組織でもありがちな話だ。
死んだ目で俺を見つめるカナエさん。
その目の下にはくまが見られ、肌も少し荒れ気味だ。
日夜お国のために身を粉にして働いている方々のお時間を取らせるわけにもいかない。
「それでは自分はこれで」
「………………もう好きにしてくれたまえ」
早く終わるといいですね。
肩でも揉んでやりたい気分だが余計なお世話のようだし、一つ礼をして神川町の方へ足を進める。
背中に視線を感じるが気にする必要もない。
『……アンタ、嫌いなの? アイツらのこと』
「いや、職務に真剣な人は好きだよ」
だからこそこれ以上護国十一家である俺がダラダラと関わるのも悪い。
ヴァルカンもエンデもアルテナも。
人になってしまった竜たちの目的は依然としてわからないが、どうせ近い内に人類サイドとぶつかる筈だ。
なら俺がどうするかはその時に決めればいい。
それにアルテナの言っていた『竜祭』のこともある。
しばらくは監視の中で調べものをしようか。
今日も善い一日だった。
願わくば明日も今日みたいな日でありますように。
━━━
「…………追跡対象、依然としてこちらを気にする素振りはありません」
巨大な岩がうねり虹のように弧を描き、溶けない氷が張り、滞留する雷が乾いた音を立てる場所。
閑静な町の郊外とはとても思えない異世界と化したそこで、十人ほどの男女が仮説テントに椅子と机を並べて各々の作業に取り掛かっている。
形態端末から投影した複数のディスプレイを操作しながら会話を続ける狩人装束を着る者たち。
午後十時を過ぎ夜が更けようという頃に、彼らは着陸させた三機の非武装ヘリコプターに囲まれながら今日起きた異常と向き合っていた。
「旧都東京上空、高度三千メートル付近にて最終信号を確認。
おそらく休眠状態に移行しているものかと」
「空で就寝とは羨ましい限りだ。
我々は寝ずに追っているというのに」
白衣の年若い女、警察庁公安部狩猟課特捜班『希望室』室長、『久慈カナエ』が年上の部下にぞんざいに返す。
彼らは今、竜という超常の生命体を追跡している。
巨体を以て行進し、強大な魔法で人と街を滅ぼす空想上にしか存在しなかった筈の生物。
伝説を現実的な脅威として相手取らなければならない彼らに休む暇などない。
「これだけ長い間同じ箇所に留まっているのは観測以来初めてです。
やはり長時間の竜退行は相応の代償を伴うと見てよいかと」
『翼と角を持った人間が空を歩いている。』
今回の事件の発端はそんな嘘のような通報だった。
出向いてみれば信じがたいことに通報内容そのままの化物がいたことで、ただでさえ迷宮騒動で他組織に遅れを取っていた公安部では関与せざるを得なくなっていた。
「現場解析、終わりました。
おそらくほとんどが竜魔法の形跡と断定。
神川町の通報からこの場に移動後、戦闘を開始したと見て違いなさそうです」
「ご苦労。
…………度し難い力だ。上位の竜というものは」
「『シルバー』の捕捉ですが、常葉市市街地内にて突如反応消失。
発信器に勘づかれたか、あるいは信号を遮断する何かを使った可能性が高いかと」
「ああ。そちらは別部署が足で潰して回ってるそうだ。
期待はしていないがね」
次から次へと押し寄せる報告をカナエは捌きつつ、手元の調査報告書をしたためる。
彼らは竜を追っている。
だがそれは決して全ての竜が対象というわけではなく、この場で相まみえた二体の竜だけかと言われればそうでもない。
どちらかと言えば、かの『焔のヴァルカン』と『空のエンデ』はついでである。
本命は別にある。
「………………月詠の件は、どう書いたらいいのやら」
軽快にディスプレイの仮想キーボードを叩いていたカナエの手がぴたりと止まる。
竜追いとはまた別に浮上した問題。
かの護国十一家より序列最下位、月詠家がどういうわけか事態に関与している可能性。
彼ら、護国十一家とは警察庁公安部からすれば非常に面倒な手合いだ。
強大で、尊大で、滅茶苦茶ながらある程度の強権を政府に認められている。
つい最近も『解放同盟エルシア』というほとんどテロリストに近い思想集団の斑鳩市への侵入を幇助した疑いを持たれている家もある。
縄張り争いに家格競争。
国を舞台にして勝手に行われるそれは、政府側の組織からすれば迷惑以外の何物でもない。
この騒動の背後にその影がちらついていると思うと、公安部の人間の誰でも頭痛を覚える程だ。
先ほど拘束した灰髪灰眼の少年に、例によって例に漏れず護国十一家らしい異常性を存分に見せ付けられた公安部きっての解決屋『希望室』の面々は、項垂れている上司の手を動かすべく月詠ハガネについて各々の所感を述べることになる。
「心拍は極端に弱く、体温は零度に近いほどであり、おおよそ人のものではありませんでした。
最もらしい嘘を吐いている場面でさえ揺らぎの一つもなく、何らかの魔法、あるいは異能で制御している可能性が高いかと」
筋骨粒々と言っていい大柄な男性職員がカナエに進言する。
彼は月詠ハガネの両腕をその背中側で固定し拘束する役目を担っていた。
その際に当然ただ抑えるだけでなく、端末と連動した調査手袋を腕に当て、緊張状態の確認や虚偽の発言の際の心拍の変化などを確認していた。
その結果が、『多分人ではない』という滅茶苦茶な結論だ。
「はあ、轟隊員。
それでは筆は進まないよ」
「お力になれず申し訳ありません」
誰かが肩をすくめれば別の誰かがお手上げのジェスチャーを取る。
彼らは元より本気で護国十一家の人間の調査報告書を作る気など更々ない。
そんなものを作っても誰も幸せにならないことを知っている。
連日の過酷な捜査続きで疲弊している希望室の面々にとっては、こんな意味のないやり取りこそ息抜きに他ならなかった。
一体でも公安部の対獣戦闘特化班を半壊に追い込んだ上位の竜二体を相手取り、あまつさえ竜退行という切り札さえ切らせたにも関わらず、ほとんど無傷に近い状態で生還したということ。
何が出来損ないか。何が失敗作か。
最初から信じていなくとも、彼らの護国十一家への疑念は更に強まるばかりだった。
水分補給と軽い食事を済ませた希望室の隊員たち。
根を張った腰を無理矢理持ち上げ誰かが背伸びをしたその時、不意にカナエの端末からコール音が鳴った。
よりにもよって室長である彼女への、それも午後十一時という時間である。
吉報の筈もない。
「…………副長官殿。おはようございます」
静かな部屋でデスクにふんぞり返っているであろう上司を想起して恨めしさ満天で応えたカナエ。
スピーカーモードにし、他の隊員たちにも傾聴をあおぐ。
『竜境、第三観測室より政府に緊急通報があった』
その言葉と同時に隊員の多くは荷を纏め、外していた武装を着け、居住まいを正す。
聞きたくない言葉しか並んでいない。
だが聞かなければいけないのも確かだった。
『『竜もどき』概算五十体が竜境から脱走。
『加えてこちらは確定ではないものの、先の通報より数分前に同観測室は生体反応を竜境にて確認。
『衛星写真との照合の結果、『鎖木の植物園』、第三管理人『ダン・エインワット』、第八管理人『サリエル・シャルシャリオネ』両名の可能性が非常に高いとのこと。
『そちらにこれ以上の人員は充てられない。
至急『シルバー』の件を処理したまえ』
矢継ぎ早に爆弾が投げ込まれる。
公安部の現場の最後の砦として幾つもの難題を解決してきた結果、いつしか呼称されるようになった希望室という部署。
そんな誉れある彼らの目に、残念ながら希望は灯っていない。
『当局の威信が懸かっているのだ。
良い結果を期待している』
それだけ言って切られた通信。
こめかみに指を当てるカナエに、白目を剥きかけている部下たち。
明日こそは今日のような酷い一日でないことを願っていた彼らの夜は、まだまだこれからだった。
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