64話 話し合い
四方に魔法武装した狩人。
どの組織かはわかっていないが、それなりの練度と迷宮産とおぼしき武器だ。
一点突破のために誰かに背を向ければ、既に待機状態にある魔法で背中を撃たれるだろう。
苛立ちを隠さずぶつけてくるこの男女もそれなりの使い手に違いない。
対して俺は武装なんてしていない。
裾を引っ張ってくる銀髪の幼女と端末に巣食ってる電子の妖怪しかいない。
今こうして包囲体制を完了したあちらからすれば客観的な詰みの状況だ。
だからこその怒声と、引き金を引かないだけの理性を生む余裕があるのだろう。
「………………笑えるな」
笑える。
こんなもの、詰みでもなんでもない。
今の俺のマイナスの俊敏性ならば魔銃の魔弾なんて見てから避けられる。
それより遅い魔法など論外だ。
雪禍を抜けばもはや戦いの体をなさなくなる。
久しく使っていない俺本人の異能、【夕断】なんて使った日には一瞬で全員の首が刎ね飛んで終わりだ。
だが問題はそんなところにはない。
どう打開するかなんてどうでもいい。
「………………ハガネ、お腹空いた」
問題は国家反逆罪の謗りを受けてまでこの幼女が助けるに値するのかということだ。
彼らが言うにはこの銀髪の小さいのは世界を滅ぼす力を持っているらしい。
まあ角も尻尾も生えてる見るからに人外な存在だ。
魔力は俺には感じられないからわからないが、それなりにヤバい数値なのだろう。
こいつを渡してしまえば俺は自由の身だ。
この連中の綺麗すぎるやり口からして全うな組織が誰かに委託されていると見える。
そして大概そう言った組織は旧都東京で護国十一家と対立することを好まない。
余程ふざけた真似をしない限り無罪放免にするしかないのは、あの苛立ちぶりと比較して異常な慎重さから推察できる。
要は彼らは俺に極力触れたくないのだ。
それでも触れざるを得ず、俺が事態の解決に微塵も協力する気が見られないことに怒りつつも引き金をおいそれと引けない。
顔を知られていたのは驚きだが。
だがあまり抵抗しても月詠の裏側での評判が悪くなりそうだ。
それは望ましい事ではない。
助けを求めて裾を引いてくる者を見棄てるか。
「…………それは月詠ですらないな」
遠い昔に月を見て星を占っていた祖先。
そんな一族が刀を取ったのは結局誰かのためだったらしい。まあ本当かどうかなど確かめようがないが。
今もなお連綿と続く考え、『強きも弱きも助く』というそれは月詠の根幹だ。
合理的で奇蹟的な現代ではそんな矜持を通すことなんて意味がないと笑われようと、父も母も義母も、祖父母も親族も一人として疑っていない。
迷った。
迷ってしまえばもう最後。
「斬るか」
冴えた解決法が思い付かない。
損得勘定も働いてない。
こういう時は、これに限る。
適当に武装だけ破壊して───
『チャットが届いたわよー。
なんか忙しそうだし勝手に読み上げちゃうから』
間が悪い。
これでジンやセラからの言伝てだったら笑ってしまう。
こんなに緊迫した場面だってのに、アストライアのいつも通りの声が脱力を誘う。
『えーと、あーこれこの間も送ってきたヤツじゃない。
ほら、名称未設定の』
何時だ?
……ああ、アストライアと初めて会話した時のことか?
確かあの日は俺宛に見覚えのないユーザーからチャットが二件届いて、片方は斑鳩校生徒会長『郡サナ』からの霊薬事件の解決依頼だったが、もう一方は本文無しユーザー登録無しだったために悪戯か何かだと勝手に判断して頭の中から消し去っていた。
そいつがまた連絡してきたのか?
読み上げるってことは、まさか本文があるのか?
『ふんふん。『天淵の番人。降る雷、己が身だけで、回避せよ』。
だーってさ。バカ人間どうする? お返事する?』
お返事してる場合か。
文章の句読点の違和感も凄いが、何より『天淵』という単語を平気で使っているのがどう考えても普通じゃない。
あの雪の降る迷宮よりも更に深い地の底、俺がなぜ番人扱いされてるのかはわからないが、とにかく今の状況を監視している誰かがいて、俺に何かしらのアクションを要求している。
降る雷、これはそのまま。
己が身だけで回避せよ、これもそのままだが、?
ふと見れば無邪気に俺の裾を引いていた手が離されている。
その赤い眼が俺に向いている。
なんで離した?
そう訊こうとする前に、上空でひび割れるような音が一瞬した。
大気ごと裂けるようなこれは多分、間違いなく雷。
「っ!?」
ゆったりとした世界の中で夜空を見れば、空の亀裂の中から漏れ出す閃光。
見るだけでもわかってしまう、絶望的な威力。
俺たちを、俺を取り囲む集団は気付いてすらいない。
降ってくるんだぞ、空から光が。
言ってる場合じゃない。
「雪禍ァ!」
魂ごと引き抜く勢いで白刃を解き放つ。
俺の抜刀を見て肩が大きく跳ねた連中も、そのコンマ一秒後に空の異変に気付く。
俺よりも魔力感知に優れているのは間違いない。
そして、それならばなおさら理解して恐慌する筈だ。
天から幾つかの光の筋が降る。
まだだ、これはただの予測線。
しかし範囲が広すぎる。噴水広場ごと消し飛ばす気か?
誰だ? いや、そんなこと考えてる場合じゃない。
青ざめた顔の公安っぽい男と狩人装束の女。
並んで立って、降る雷に身をさらけ出してるこいつらをどうにかしなきゃいけない。
いや、でも銀髪赤目の少女はどうすれば───
「………………平気、私は」
にこりともせずにそう言われて。
俺は偽りの雪を蹴って飛び出していた。
━━━
雷撃が幼女を焼いた。
幼女というか、噴水広場広域を吹き飛ばした。
だが肉の焦げる不快な匂いなど何処にもない。
「……何とか、セーフかな」
俺の右腕には公安風の男が。左腕には狩人装束の女が。
それぞれ抱えたまま地面に三人でうつ伏せで倒れ込んでいる。
どちらも俺が片腕でタックルするようにして雷撃から護っただけで、別に攻撃の意図はない。
風光明媚な噴水広場はもはや無い。
雷鳴で消し飛んだ瓦礫の破片と、間抜けにも水を溢れさせている元噴水の残骸しかない。
揃えられた石畳は捲れ上がり散って、恋人を揃える木のベンチは炭化している。
「…………は、離せ!」
腕の中でもがく男。
もがいてはいるが、まるで赤子のような非力さだ。
雪禍は仕舞ったものの、【終銀】自体は先程の雷撃を部分停止させた時から今まで継続して左手を中心に展開している。
つまりこの男は今俺に触れているせいで魔力を身体能力に変換する力が失われている。
人は魔力の手助けが無いとこうも無力なのか。
このまま少し弱らせるのも手かな。
「…………なに、今の……」
今度は逆の腕から声がする。
轟音で三半規管がやられたのか、目は少し虚ろで声のボリュームの強弱も若干おかしい。
まあ幼女と学生を囲んでいたらどデカイ雷が降ってきて吹っ飛ばされればこうもなるのか。
仕方なく二人を解放し、抵抗の意志が無いことを示す。
雪禍の力で何かしらの魔力循環機能に異常はあるだろうが、それ以外は特にダメージらしいものは無さそうだ。
「…………なっ、おい! 奴はどうした!?」
土埃を払いつつも大声を出す男。
あの銀髪赤目の幼女はもうここにはいない。
雷が降る直前、雷鳴に紛れて消えてしまった。
「とっくに居なくなりましたよ」
俺の憮然とした返事もあまり響いていない。
なんで居なくなったんだよと言わんばかりに俺に詰め寄ってくる。
手に握っていた装飾した魔銃は遠くに転がっているため中々に無防備に見える。
「……説明しろ、月詠ハガネ」
「雷が降ってきたので貴方がた二人を助けただけですよ」
「ば、馬鹿にしてるのか!?」
してない。
なまじ俺が月詠であるせいで名家特有のやましい事の類いであると決めつけられているが、実際にあの幼女の名前も何も知らない。
だからと言ってあちらもはいそうですかと引くわけにはいかないのだろう。
この二人も別に悪意があって噛み付いてきているわけでもない。
面倒だな。
仕方がない。
「頭を冷やして、話し合いましょう」
「…………へ?」
落ち着かない男と、まだ本調子とはいっていないような女。
両方の肩に触れて、強引に冷やす。
頭じゃない、命を。
「大前提として、この状態ならお二方は指一つ動けません。
そして俺の意思一つで何時でも殺せます」
こんなこと言いたくない。
が、まあ必要だ。
殺す意思が無いことを証明するには、殺す寸前で留まって見せてやればいい。
手を伸ばせば命に届くと、教えてやればいい。
「…………っ…………!……!?」
「お二人に危害を加えるつもりも、国家に反逆する気も露ほどもありません。
やろうと思えば何時でもできたということが証左になったと思います」
低体温症はいくら魔力の補助で頑強かつ治癒能力が高い狩人と言えど軽い症状ではない。
思考が鈍ればそれだけ魔力は移ろい身体を離れていく。
立ったまま凍りかける二人の間に立ち、それぞれの目をゆっくりと見る。
「一度落ち着いてお話ししませんか」
これは提案だ。
断られる事のない。
別の言い方をするのなら、脅迫。
なんで気持ちよく空の散歩をしていたらこうなったのか。
冷たい夜風に吹かれながら、素直にそう思った。