61話 終わりは近く
「さて、答えは決まったようだ」
法都岩手平泉市、統魔省庁所在地、通称『荒葉掃の塔』。
真昼に開かれるには余りにも昏い会合がそこで行われている。
一等席、護国十一家序列五位『水波』家当主代理、『水波 カイシュウ』。
助席、世界共通統魔機構極東地域監査長『色鳥 カズハ』。
客席に守護の一族家長が数名、その他に民営猟団組合会長、裏公安連など。
国を牛耳る魑魅魍魎たちが集い、顔を付き合わせ腹は割らず。
予定にない打ち合わせにも関わらず文句を垂れる者はおらず、不満を表情に出すことはない。
「トコハの天迷宮深部にて発見された『天魔』の討伐作戦。
これを無しにあの地の地均しは不可能だ」
「残るは誰がその役回りを引き受けるか、ですが。
どうやら今回は我々民間に全て委任するようですね」
「政府の関心は件の『宝珠』に集まっている。
迷宮由来の人もどきなぞに割く人員はないのだろう」
「それでいて地均し後は我が物顔で迷宮内を支配域に置くのですから。
あまり行儀が良いとは言えませんな」
この場に体制側の人間はおらず、それゆえに話せば流れは自ずと政府に対して否定的なものとなりがちだった。
一人掛けのソファに背中を預けた初老の男が一つ咳払いをし場を回す。
彼らは常に上に立つ者であり無駄話をしている時間などどこにもない。
「……対天魔の構成は現場が考えればよい。
…………出力自慢の馬鹿力ならこの国にはいくらでもいる」
「誰の面子を立てるか、ですかねえ」
「手狭な旧都に集る蝿なぞ、放っておけばいい。
奴らは所詮『竜境』に置かれた関所であり盾に過ぎん」
「そうもいかないでしょう。
要所に腑抜けられては困るのはこちらです。
守護である『対島』、『欠片木』、『風霧』。
そして護国である『音冥』と『月詠』には最終防衛戦としての役割がありますから」
「…………万年序列最下位と天異武装頼みの新一位では押し寄せる蛇どもの肉壁にすらなるかも怪しいわ」
現在の日本国の首都とされるこの平泉市では、度々このような旧都嫌いが散見される。
長らく中心地として国を支配してきた風土に対する劣等意識と、権勢が衰えたにも関わらず本州西側の『竜隷区』と呼ばれる忌み地の監視と限定統治を政府より任されていることが、東北部にて覇を唱える彼らには気にくわなかった。
「音冥には相応の制裁が決定している。
あの小娘を使い国内外で好き放題目論んでいたようだが」
「所詮は下位の器じゃて。
身の丈に合わぬ大望に喰われる半端者に何を任せる」
「守護は様子見がほとんどのようですし。
となれば…………」
一同の表情が苦々しく染まる。
音冥ノアという過ぎた武器を手にした音冥家が嫉まれ嗤われるのに対して、もう片方は同じ嗤いの対象なれどその意味合いは大きく違った。
「…………月詠、のう」
「出来の悪い長男はともかく、奴ならば冥土に単身蹴捨てたとて帰ってくるだろうが」
「ご冗談を。竜の方がまだ利口と思えるほどの石頭に、はた迷惑な異能。
あれを放し飼いなどしてはこちらにまで飛び火しますよ」
「………………つくづく扱いに困るな。
守護に落とすには個が特異すぎる。
護国に置くには勝手が悪い」
かの家について話し込めば決まってこうなる。
常に護国十一家の序列最下位に居座る月詠という家は、何も家格や組織力にてそれほど他家に大きく劣っているわけではない。
ただ特殊で異様であって、おいそれと手札として切れば敵味方問わず甚大な被害をもたらす可能性があるという問題を孕んでいる。
月に触れるべからず。
手を出さなければただ大人しく剣を振るっているだけの一族。
そんな火薬庫のような家をおいそれと頼ろうと考える者はそう多くない。
「斑鳩の連中に拘る必要こそ無かろうが。
添え物にでもしておけば鼠ほどの面子など立つだろう」
「……ふん。軽んじられた事を知った小物が何をしでかすか」
「しでかしてくれればむしろ動きやすくもなりましょう。
『冥』も『月』も、表に立つ格ではありませんから」
各々が進めたい話の方向がある。
各家、各組織の展望がぶつかり合う。
ただしこの場においては彼らは対立し合う気はほとんどなかった。
これは法都である岩手平泉市に居を構える彼らが、旧都東京に残された都落ちの敗者をどう使い甘い蜜を啜るかの談合。
得られる量こそ変わりこそすれ、質自体は迷宮産の特上品だ。
「私の倅を行かせましょう。
サポートに音冥に連なる者を数名と、トコハの探索で欠員を出した組織から何名か借りましょう」
「弔い合戦、というわけでもあるまい」
「力関係を今一度知ってもらう必要がありますから。
借り、という程ではないにしろ、雪辱を果たす部隊を与えてやる事の意味がわからない程厚顔無恥でないことを祈ります」
強かなること水の如し。
政であろうと武であろうといつだって最後は勝った側にいる。
劣性に気付けば敵にいて、勝利を確信すれば隣に立っている。
それが長く序列上位に座る水波の家系。
天迷宮に潜む大悪、天魔を屠り、迷宮を武器工場へと堕とすこと。
誰が攻略し、その利権を誰が手にするか。
莫大な財産が眠る金鉱脈を巡る人間の争いはこうして日々加速していた。
━━━
近々、トコハの天迷宮にて『天魔』の掃討作戦が行われる。
その報は月詠と縁深い国営治安維持会社『シンゲツ』から俺個人宛に届いていた。
俺がようやく自分の意思で剣を振り始めた頃からお世話になっていたシンゲツの隊員、『藤堂 シュン』。
あの人が率いた部隊は迷宮に呑み込まれ、とどめは俺が刺した。
俺が藤堂さんと親しかったことを知っている人たちは俺の事をいたく気に掛けてくれて、葬儀の日時や遺族の言葉を俺に伝えてくれた。
俺にそんな事をしてもらう資格なんてない。
そんな言葉を飲み込んでいたらふともたらされたのが天魔の掃討作戦の報せだった。
霊薬事件から三日が経って、被害者は精神のケアは必要なものの身体に大きな影響は無く。
水面下で様々な組織の暗躍が見られながらも平穏は進行していた。
そして今回の掃討作戦も平穏の内だろう。
聞く話によれば護国直系の誰かが法都から来るらしい。
それはつまり、わかりやすい本気度合いということだ。
音冥家は解放同盟エルシアとの関係性や魔銃の密輸など、誰かの仕業で企みが次から次へと明るみに出たことでしばらくは表舞台では権威を振るえない。
月詠家はそもそもまともにあてにされていない。
守護圏内と言えど他家に介入されるのは無理もない話だった。
何にせよ、日本国内に新たに現れた三つの天迷宮。
その全てが恐らく近い内に平定されて、一般の人々に知れ渡るのは時間の問題だろう。
人の世界に生まれたが最期、どんな奇蹟だろうと解明されて解説されて、解剖される。
グロテスクな現実だ。
それに曝される天魔という生き物もまた理の中の住人でしかないのか。
彼らは人を憎んでいる。
なぜと訊かれたら、それはそう作られたからとしか言えない。
やれ人間が大挙して迷宮内を荒らし回っただの、武具金品を奪い屍に土をかけて去っていっただの。
その程度の事であれほど憎み切れるわけがない。
なぜ彼らは生み出されたのかと言えば、それは極論人間を楽しませるためだろう。
人という種に困難という水を蒔き、達成という花を実らせるために日々せっせと働く人工知能群。
皮肉にも程がある。
人間を殺したくて仕方がない天魔たる彼らは、その感情思考こそが誰かにとっての娯楽でしかない。
単なるイベントに過ぎない。
悪、敵、怨嗟。
わかりやすく人に牙を剥く装置だ。
そしてそんな流れは遂行されようとしている。
天魔という明確な敵を討って、人類は新たな武器を手に入れる。
人もかみさまも喜んで、大団円のハッピーエンドで話は続いていく。
それがあるべき姿。
「…………愚かなことだ、魔白き鬼」
迷宮と同じ赤褐色の肌、迷宮と同じ金色のパルス。
迷宮と同じ、昏き魂。
「そんなことを伝えるためにわざわざ赴いたというのか」
「勘当されたお坊ちゃんってのは暇なんだよ」
トコハの天迷宮-2階。
俺がついこの間心のままに凍てつかせた場所は、驚くべき事に今もなお絶冬の監獄のままだった。
天井には魔力塊の氷柱、壁には霜が走って床は氷膜で覆われている。
そんな場所で俺はこいつと出会っている。
種族名『天魔』、人類が勇んで倒すべき宿禍。
背の高い男の姿をした人によく似た何か。
「今回降りてくる連中はわけが違う。
強弱の一歩先を歩いてる、頭のイカれた破壊者が地上じゃ滅多に振るえない暴力を景気よくぶっ放す」
「くだらん。それで何か揺らぐとでも思うか?」
同じ方向を見て、独り言のように会話する。
半ば脅しのような警告、あるいは世間話。
「殺すだけだ。この感情に従って。
人間の、その全てを」
止まることができない。
それしか知らないから当然だろう。
人間を模して作られて、心の機微さえも再現された筈なのに、憎悪という些末な器に心の杯を全て注いでしまっている。
何で俺はこいつらに会いに来たんだろう。
どうしてこれから滅ぼされる種の敵に要らない忠告をした?
どうせ言っても聞かないのは知っていたし、だからと言って味方をする気など毛頭無い。
わからない。気付いたら幾多の監視を掻い潜ってここにいた。
真夜中の月が昇る頃。
一人迷宮で悪意と対峙する。
「他の二人は?」
「『シルヴィア』も『アルファレオ』も休眠状態にある。
露払いなど一人で十分だ」
そんなわけがない。
天魔の力の底を俺は知らない。
それでも、護国に連なる化物達が策を弄し連携して立ち回れば負ける姿など想像できない。
慈悲など望めるべくもなく、作業のように排除されるだけだ。
「もう会うこともない。
去れ、魔白き鬼」
どうして来てしまったのだろう。
俺は、彼らをどうしたかったのだろう。