60話 並んで座って
「ちゅーわけで、俺は現『剣』の部隊長と風紀委員の長やってる源道テンジや。
すまんなあ、月詠には自己紹介してへんかったわ」
廃工場の地面に散乱する霊薬の入った小瓶と魔銃。
天迷宮産の高級品が無造作に転がるのは、それを握っていた者たちが武装解除されたからに他ならない。
「なぜ俺の顔を?」
名前自体は不名誉な感じで広まってはいるが、俺の顔はそれほど広くない。
こんな大層な身分の人間に憶えられる機会はなかった筈だが。
「そら『月詠』が入学してくる言うたら調べもする。
ショボいだけの問題児やったらどうでもええかなと思てたけど、どやら違うみたいやしなあ」
一癖も二癖もありそうな人だ。
まあ何も無い人間の方が怖いけど。
剣の隊員は床に座らされ、不服そうな表情で胡座をかいている。
大の大人が十代半ばの子供にいいように飼い慣らされている事が不満でない者はいないと思うが。
「お前のサボり癖はその副業のせいかよ」
「いやあ内緒にしとくつもりはなかったんやけどなあ。
現にカジ君とかは知っとったし」
枝折先輩とは当然知った仲なのだろうが、国土防衛省の直轄組織に所属していることは流石に伝えていなかったのか。
『異能』はステータス以上に才覚が全てだ。
どれだけ成熟した狩人であろうと、力に目覚めたばかりの子供に劣ることすらある。
学徒動員は珍しいことではない。
「まあ、そやな。隠したってしゃーないか」
観念したように源道先輩は地面にどっかりと座り、懐から取り出した魔銃をそっと置く。
ちょうどスーツ姿の男たちの前に位置するように。
「まず昨日俺らはトコハの天迷宮を掘り終わってな。
やたらデカい猿をシバいたら落としたのが『神泥』や。
説明には強化薬なんて書いとったけど、迷宮産の薬なんて恐ろしゅて使わんやんか」
「それで」
「上に掛け合ったらまあ当然没収されてな。
俺が中央に呼び出されていらん話聞かされとった間にコトが進んどった」
「どう思う、月詠」
「時系列が少し変ですね」
昨日俺があの『天淵』なる場所に篭っていた時には既に剣は作戦を開始していた、らしいが。
あの日は散々だった。
月詠と馴染みの深い国営治安維持会社『シンゲツ』が他社の狩人と組み救援部隊を迷宮に送り、全滅した日だ。
どのタイミングで剣は侵入した?
どうやってあの地獄絵図だった-2階を通り抜けた?
「救援部隊の壊滅の情報が出回ったのが昨日の午後四時。
それより前は出入り口には監視が置かれ、それより後は明け方まで出入り口は完全に封鎖されていた筈です。
警備を任されていたシンゲツ社は国営の会社ゆえに、いくら国土防衛省直轄の組織と言えどおいそれと手続きなしに通すとも思えません。
本当に貴方たちがいたのはトコハの天迷宮ですか?」
「…………」
霊薬が蔓延したのは昨日からだった筈だ。
だがそのタイミングではまだトコハの天迷宮に潜ってすらいないだろう。
何より、そもそも昨日の午後から今日の明け方まで迷宮に篭っていた俺が彼らの気配を微塵も感じていない。
となると霊薬の出所は、
「なるほど、『オクリバナ』の方か」
「はい」
東北部山形送花市、『オクリバナの天迷宮』。
今日の朝頃に地均しが完了したその場所ならば、単純な最新部の攻略のタイミングとしてはまだ理解できる。
それに音冥ノアから聞いた『オクリバナでは斥候部隊が侵入口付近で全滅した』という、あの情報が完全に正しいとも思えない。
彼女を疑っているわけではなく、他組織の介入の防止や状況の撹乱を目論見、虚偽の報告を流した可能性も大いにある。
ただ、送花の方は剣が攻略したわけではないだろう。
日も跨がぬ内に超高難度迷宮を梯子しろなど無茶にもほどがある。
オクリバナの天迷宮を攻略した何者かが霊薬を東京に流し、剣が実験利用していたと。
「なぜトコハで拾ったと嘯いたのか、ですが。
霊薬などよりもっと良いものを拾ったのでは?
強力で、それでいて口外できないような何かを」
「………………ホンマに。
怖いなあ、護国っちゅうのは」
文字通りお手上げといった風に両手を挙げる源道先輩。
まあ一筋縄ではいかないのはわかっていたからこの程度の秘匿は予感していたが。
こうも大胆に嘘を語られるとは。
「音冥のバケモンもそやけど、君らどんな生まれしてきたらそないなことになってまうん」
「……源道。わかるよな。
一ミリでもふざけた動きしたら怪我じゃ済まねえぞ」
枝折先輩の反射が既に機能している。
魔法など使った瞬間に全て使用者に向かっていく状況だ。
共に華々しい学生の身。
だがもう冗談の域にはいられない。
「心配せんたって、どのみち動かれへんし。
なあ、月詠」
「まあ、これにそこまでの拘束力はありませんが」
地べたに座っている剣の隊員たち。
その接着面は床と共に凍てつき身体を地面に縫い付けている。
左手に握った雪禍の白刃を地面に触れさせているからこその芸当だ。
「はあ……、機密やってわかってて脅すんやもん。
バレたら俺の立場どないなるんや」
「わかってるんだろ。源道、お前も。
今回の件が一線越えてることに」
枝折先輩の突き放す言葉。
まあ確かに、どれだけ取り繕ったところで少なくない若者に消えない傷を残したのは事実だ。
それをたとえ学生と言えども管理する立場にありながら部下の奔走を許し、あまつさえ釈明の場で嘘を吐いたのだから許されなくても仕方がない。
「……すまん、枝折に月詠も。
トコハで何を見たのか、俺の口からは言えん」
「残念です」
まあここでまた嘘を並べられても困る。
落とし所というものは見誤れば皆不幸になる。
「…………ただ、今回のコトの発端は上の迷宮利用推進派の暴走や。
当然慎重派には糾弾されて今後はこないなことぽんぽん起きんようになる」
「信じろと? 馬鹿言うな。
次も同じような言い分で切り抜ける気か?」
別に政府と護国十一家は対立関係にあるわけではない。
国土の防衛が守護対象に入っている事から、むしろ守護の一族よりは近い間柄にあるほどだ。
目に見えないところでの好悪伴うやり取りはあるにしろ、この巨大すぎる纏まり同士が直接的に対立することの危険性を理解できない指導者はいない。
だが、こういった末端での軋轢は必ず存在する。
僅かなヒビが全体に波及することもある。
致し方ない。
「枝折先輩、少し離れていてください。
源道先輩、これを」
鏡写しになるよう俺も胡座をかき、雪禍の切っ先を向ける。
スーツの男たちににわかにざわつきが生まれるが、源道先輩がすぐさま刀身を右手で握ったことで収まる。
「つめた」
さあ、ここからは化かし合い。
底の底まで共に落ちるとする。
「今後、斑鳩校の生徒を何らかの実験、あるいは作戦の対象にすることは?」
「あり得んて。俺かて今回の件は胸糞悪てかなわんわ」
源道先輩の手が凍り付いた。
まだまだ序の口だ。
「では斑鳩市内で今回のような迷宮由来の道具あるいは兵器を護国十一家に無断で使用、もしくは複製することは?」
「ないない。俺かてそんな命知らずな真似はせんわ。
上にケツ蹴られても突っぱねたる」
ぱきりぱきりと音を鳴らして、源道先輩の身体が少しずつ凍てに呑まれていく。
目線の高さは同じ。
未だ動揺も何も見られない。
「た…………、隊長…………」
「黙って見とけやアホ」
後ろのスーツの男たちは凍っていない。
ただこのまま、自分の上司が動かなくなるのを見ているだけだ。
「源道先輩の判断で是非が決まる事柄限定で、月詠家に不利益が生じる作戦行動の遂行や指示立案を企てることは?」
「バカ言ったらアカンわ。
なんぼの序列やろと護国に逆らうんは国敵に回すのと変わらん。
死出の任務なんぞ受けられるかいな」
そろそろ命に迫るというのに、この人はまるで動じていない。
流石はこの歳で国土防衛省の一員を担っているだけある。
潜り抜けた修羅場も一つや二つではないのだろう。
生命維持に支障を来すこのラインが、覚悟を示す量りだ。
「では、今後俺の目につく場所で、俺の知り合いや家族に害が及ぶような真似は?」
瞳の水分すら凍る永久凍土の中で渡り合う。
今回の一件。人の弱さに漬け込み無差別に対象を取ったこの霊薬騒動は、幼馴染みであるセラやジン、サカキやシイナといった級友。
何より俺の一つ下の妹、セツナにまで被害が及ぶ可能性があった。
笑って許せるレベルなどとうに超えている。
落ちる鼓動、酸素の供給不足を叫ぶ脳幹。
凍て風巻く冬がその身を喰らう。
揺らげば死ぬぞ、源道テンジ。
「…………『剣』……の、たいちょとし……、ては。
……頷け…………、へん……な」
「………… 」
「……でも、…………お、れ……かて、斑鳩の…………、風紀……委員、の……トップや。
どん、な……形で、あれ。誠……意、は、見せた……る」
結晶が粉々に砕け散る。
雪禍はもう無い。
見るべきものは、見せてもらった。
「源道先輩、手荒な真似をしてしまい申し訳ありませんでした。
貴方の言葉を信じます。
枝折先輩、勝手なことをしました」
「別にいいぜ。
……つうか生きてんだろうな、そいつ」
「………………ハ……、酷い、なあ、枝折庶務。
そない……、柔な鍛え方しとらんて」
動き出した魔力が命を支える。
源道先輩の言葉は確かに覚悟の上にあるものだった。
俺の身内に手を出すことがない、と言い切らなかったのは否定しきれない事実だからだろう。
それぞれが大義のために動いた結果対立することなどよくある。
国家という巨大すぎる組織の体制側に所属している以上、源道先輩一人で決められることなどほとんどない筈だ。
それでもなお、国土防衛省直轄部隊『剣』の隊長としてではなく、斑鳩校風紀委員長、源道テンジとして筋を通すことを示してもらっただけ十分すぎる結果だろう。
「では、今回の件はもう幕引きという認識で構わないでしょうか」
「そら、……もう俺かて、働く気なんぞ蟻程もないわ。
今頃、俺の……直属の上司が穏健派にボッコボコにされてるんやろ。
…………ハッ、……気分ええわ」
この人も上司と部下の暴走で凍死寸前まで追い込まれたある意味被害者だが、その飄々とした態度でまだ余裕があるのではと勘繰ってしまう。
ともあれもはや剣は動きはしない。
霊薬による新たな被害者も出ない。
体制側の失態でもあるために公になることもない。
郡先輩の要望を全てクリアしたのだ。
「それでは、源道先輩。また学校で」
「……………………ハハ、……そやな」
最近の地獄続きでは珍しい、丸く収まった終わりだ。
期せずして二人の規格外の先輩とも見知り合った仲になれた。
あとはどこかに帰って、また明日。
その次が当然のように来る、いつもの平穏だ。
━━━
理不尽なる者たちはこの廃工場をあとにした。
残されたのはそれに曝された者たち。
「隊長!? お身体は……!」
「へーきや。つうかおのれらのせいなんやからな、ホンマに。
次のミーティングで説教や」
二回りも年下の上司をスーツ姿の男たちはいたく気に掛けていた。
そそくさと地面に落ちている魔銃と神泥を拾い上げ、尻に付いた土埃を払う。
彼らは失敗したとて敗北したわけではない。
全て失ったわけではないのだ。
「…………あのガキ、あ、いえ。
あの月詠は本当に……?」
「パチモンやない。見りゃわかるやろ。
ホンマ、おのれらもろくでもないもん釣ってきよってからに」
護国十一家。
組織として強大な名を馳せる彼らだが、知る者が本当に恐れるのはその直系の一族の個人が持つ異常すぎる力だ。
空を喰らう。地を返す。海を開く。
護るというにはあまりにも破壊的に過ぎるその力は災害に等しい。
その片鱗を彼らは不幸にも味わっていた。
意思を持つ雪嵐に襲われた。
「見てみや」
そう言った源道テンジの懐から取り出されたのは、もう一つの魔銃。
月詠ハガネとの死線のやり取りの前にわざとらしく武装解除してみせた物とはまた別に隠し持っていた物だ。
そのグリップから銃身まで全てが凍てつき、動くかどうかなど考えるまでもない。
殺されている。
「バレとったわ。それでいて何も言わず、コイツだけ殺していきよった」
「…………それは」
「俺かて生きてるのも不思議なくらいやし。
死んだじいちゃんが手招きこいとった」
冗談のように笑い透かす源道テンジに、部下である隊員たちは笑って返すことはできなかった。
心根を凍らせる本当の絶望。
強いだの弱いだのそういったものではなく、もっと別の何か。
「まあ俺もおのれらもええ経験したやろ。
触れたらアカンもんってのは案外その辺に転がってんのや」
「……申し訳ありませんでした、隊長」
助隊長、九里ゴリョウ他五人も背筋を正し頭を下げる。
部隊の長であるテンジの不在を狙った更に上からの緊急任務。
結果としては上司の命を危険に曝す、どころかもはや死寸前まで追いやってしまったことになった。
詫びと償いは軽い言葉ではなく、これからの活動で示さなければならない。
「ほな帰ろか」
年下の上司の軽妙な態度が今ではゴリョウたちの肩に重くのし掛かる。
死が身近にある職業だとわかってはいてもなお拭えない冷たい澱が、彼らの心身を蝕んでいた。
━━━
「───ええ、はい。もうこれ以上の被害の拡大の恐れはないかと」
今回の件を俺に依頼した斑鳩校生徒会長、郡サナ先輩に決着の報告を終え、再び斑鳩市西区の繁華街に戻っていた。
時刻は八時過ぎ。もう学生服で彷徨ける時間ギリギリの頃合いだ。
「サナはなんて?」
「丁度斑鳩校の上層部から指示があったようで。
今回の件は大事にしないどころか、そもそも公安に届け出ることすらしないそうです」
「…………ろくでもないのはどこの組織も同じか」
明確に被害者がいる『事件』ですら、国家安寧のもと握り潰されてしまう実情。
なまじ天迷宮が絡んでしまっているだけに、どの組織も今回の件を余計に畳みあぐねている印象だ。
後は大人たちが適当に決着をつけてくれると言っても、知ってか知らずか振り回された斑鳩校の全生徒からしたらたまったものじゃない。
「…………しかし。
案の定、お前もアイツと同じか」
「アイツ、とは?」
「音冥ノアだよ」
同じ? 俺が?
似ている要素など欠片もない。
同じ護国と言ってもその序列は一位と十一位。
おまけにあちらは国内最強の狩人で、俺は出来損ないの烙印を押された失敗作扱いだ。
「一人を見ていない。
大局的な観点で物事を進めようとする」
「…………」
「大勢のために一人を犠牲にできるのが国家なら、お前らは大勢のために大勢を殺し切る奴らだろ」
大局的な観点と言われてもぴんと来ない。
俺ができるのは目の前の物を斬ることだけだ。
その身一つで護国内の序列を押し上げたり、狩人社会存続のために自分で上げたその序列を落とすことを躊躇わない音冥ノアとは全く違う。
「私は怖いよ、お前らが。
自分とは違う生き物みたいで」
「…………」
初めてだった、そんな事を言われたのは。
同情されたり憐れまれたりするのは慣れたものだったのに。
完璧な客観視なんてできる筈はないと知ってはいても、自分は特別の中の普通だと思っていた。
どう返せばいい。俺は。
「なんて、嘘だよ」
「…………え?」
「そりゃ少なからずそう思うのは否定しない。
でも、音冥ノアは入学早々私に決闘を挑んで来て、負かしてきた癖に私にあれを教えろこれを教えろ五月蝿いし。
お前はお前で凡人気取りの異常者の癖に、ただの人斬り上戸の猪じゃねえか。
全部見透してますみたいな面して、その実出たとこ勝負ばかり。
あの刀抜いてる時の髪色と同じ、腹の中真っ白だろ」
この人は、枝折カンナは何を俺に伝えたいんだろう。
慰めでも侮蔑でもないのはわかってる。
「私はお前らのそういうとこが嫌なんだ。
ヤバすぎる背景と力を持ってる癖に、根の部分じゃイラつくほどに白くて金色で。
人間離れしてるのに、私ら凡人の誰よりも人間臭い。
猛毒過ぎて、毒気が抜かれるんだよ」
迷惑そうに、困ったように、仕方なく、歯を見せて笑う枝折先輩。
気怠げで少し粗野で、究極に近い異能を持っていても笑顔は学生のそれだった。
「ほら、飯食って帰るぞ」
ああ、そう言えばセラやジンを誘っていつぶりかの夕飯にありつこうとしたんだっけ。
こんな縁もあるのか。不思議だ。
連日奔走したご褒美かもしれない。
「俺は麺がいいです」
「私は丼の気分だったんだがな」
俺の肉体は疲れない。
ただ、磨り減った精神は別だ。
極寒の中でしか目蓋を閉じられないから、地上で眠ることもあまりない。
眠れないから、忘れられない。
生きたまま獣に食われる瞬間も、背に負った人が冷たくなっていくあの感触も。
でもまあ、忘れる必要もない。
こうやって楽しいことだってある。
斬って、食べて、凍てついて。
新しいライフスタイルで生きていこう。
「実家の名前を出せばトッピング増えたりしますかね」
「護国をクーポン代わりにするなよ……」
たまの飯は、やはり人と食べるに限る。
今日は星がよく見れそうだ。