58話 行動に移す
なんと手ぬるい作戦か。
なんと生ぬるい祖国か。
国土防衛省直轄部隊『剣』助隊長、『九里 ゴリョウ』は発生したイレギュラーの中においてなおそう思わざるを得なかった。
天迷宮が稼働し始めてから世界は目まぐるしく動いている。
All States of America、『アメリカ全州連邦』、ベルストア州の『ベルストアの天迷宮』にて発見、採掘された『魔銃』。
『スイス世界共通統魔機構本部』、ウィークリー県、『ウィークリーの天迷宮』にて存在を確認された『竜呼びの盾笛』。
『統一大陸中華』、老金人民保護区、『老金の天迷宮』由来の『人穿』。
公式の発表こそ控えられてはいるが、各国は自国の天迷宮にて手に入れたその『兵器』を暗に仄めかしている。
また、そうでない国も恐らく秘匿している。
強大な迷宮産の武器を、来るべき何かに備えて。
それが戦争か、はたまたそれ以外の武力を伴う何かか、今はまだわからない。
その点、ゴリョウは祖国である日本国の動きの遅さに苛立ちを覚えていた。
黎明より魔法先進国として、単なる武力ではなく魔法やステータスと言った未知の常識にどう付き合っていくかという人類全体の命題を主導してきた国が、今では護国十一家や守護の一族といった世襲式の軟弱な組織に乗っ取られ、武政共に弱体化の一途を辿っている。
そんな現状に不満を覚えた政府側の人間が『行動派』と呼ばれ、そうでない者たちは『穏健派』と揶揄されている。
行動派の現在の主眼は、日本固有の迷宮由来の『兵器』の採掘。
国際的な法整備が整っていない天迷宮関連を、グレーである今こそ絞り尽くすこと。
国力の増進はリスクなしでは叶わないという意識主体のもと、政府内で日に日にその発言力を強めている。
国土防衛省直轄部隊『剣』もまた、指揮権を持つ上官が行動派に位置する立場からか、そう言った姿勢が根付いている。
ゴリョウもまたその例に漏れず、国を憂い行動を起こす者の一人だった。
「……輩は廃工場の中に入って停止した。
突入態勢に変更はない。三、四、七は俺と共に、五と八は両出口前で待機。
それ以外は後方支援だ」
『了解』
国を想っての行動。
今回もまたそんな任務だった。
レベルが100を超えるおぞましい獣の群れを薙ぎ払い、遂には踏破した天迷宮。
その最奥で入手した『神泥』なる霊薬は、まさしく神の薬に他ならない奇蹟の産物だった。
これがあれば他国の迷宮産の兵器にも対抗できる。
それなのに、上層部が下した答えは『静観』であった。
人体に及ぼす脅威が不明な以上、どれだけ希釈して使ったとてリスクは付きまとう。
長い臨床試験を経て、ようやく実用に至るだろうという結論に、行動派の怒りは一定のラインを超えた。
その結果が今だ。
政府内の穏健派に通じている斑鳩校上層部に警告する意味合いも込め、狙うのは斑鳩校の学生のみ。
それぞれ割合を変えた霊薬を生徒に与え、その経過を観察し報告する。
後遺症などは残らない。少し酔うだけ。
誰も困らない、誰も苦しまない最善最短のやり方だと、ゴリョウたちは信じて疑っていない。
「熱源探知は?」
「反応な…………、いや。これは?
第三生産ライン跡内部に超低体温反応が一つ、ですが……」
「……六番は別動隊が保護に向かった筈だ」
砂利を音なく踏み歩く黒服の男たち。
首に巻いた端末で辺りを照らしつつその警戒度は戦場のそれと同じものになる。
「対象の僅かな移動を確認。
どうやら獣ではなく人である模様」
「………………気味が悪いな」
日は完全に落ち、夜闇に紛れ静かに移動する。
本来ならこんな隠密行動などは作戦の内に入っていない。
残業もいいところだろう。
国のため、人のためと苦を労している自分たちを妨げる悪の存在。
「突入」
彼らの正義を邪魔する何者かを、彼らは許すことができなかった。
開きかけの扉を蹴破り、四人のスーツの男が一気に室内へと雪崩れ込む。
魔法を待機させ、攻撃の意思を剥き出しにしたまま。
廃屋の中にいたのは一人だった。
壁にかけた端末の照明機能を最大光量にして、暗がりの筈の室内にぼんやりと立っている。
あり得ないことに、犯人は学生だった。
それも斑鳩校のだ。
「意外と遅かったな」
あり得ない奴があり得ないことを言っている。
剣の面々が最初に抱いたのはそんな感想だった。
なぜ学生が我々の邪魔をするのかという疑問を持ちつつも、あちらが無手で対話の意思があることを確認し、ゴリョウは待機させていた魔法を解除するよう部下に指示を出す。
「……随分と舐めたマネしてくれたな、ガキ。
俺たちが誰であって何なのか、わかっててやったのか」
低くドスの効いた声にも微塵も怯まないその姿勢。
それどころかまるで興味が無いかのように冷たい眼差しを送ってくる。
舌打ちしたい気持ちを押し殺し、ゴリョウは会話を続ける。
「その壁掛け照明の持ち主はどうした。
まさか殺しちゃいねえだろうな」
軍関係者に支給される特別製の携帯端末だ。
あろうことか廃工場の壁にくくりつけられ、辺りを照らす光となっている。
当然持ち主はいた筈だ。
ゴリョウの厳めしい顔と脅すような声、大人でも怖じ気づくようなそれに返ってきた言葉は、
「ごちゃごちゃと、どうでもいい質問ばかり。
防衛省の部隊というのはよっぽど暇なのか」
その言葉は挑発ではなかった。
もちろんゴリョウたちにとって、二回りも年の離れているであろう子供にこんな言葉を浴びせられるなど激昂ものではあったが、その本心としか思えないつまらなさげな態度と真冬のように凍った灰色の目が彼らの怒りを冷まさせた。
というより、怒りすら通り越すほど信じがたい言葉だった。
たかが学生狩人が政府直属の機関の狩人である自分たちに向けた言葉とは到底思えない。
「…………どこの機関だ、ガキ。
答えによっちゃ、こっちも仕事をしなきゃなんねえ」
「いいだろ、どこでも。
俺の望みはこのくだらない霊薬騒動を終わらせることだ」
不遜以外の何者でもない呆れた態度。
だがその行動原理が事態の終息ということがわかったのは収穫だ。
「ガキどもを使っての実験をやめろって?
馬鹿を言うな。これは国に必要な『過程』なんだよ。
テメエらのような無知で無力な子供がしょうもねえ正義感で乱していい代物じゃねえ」
ゴリョウの目配せと同時に、他の剣の隊員が同時に黒い拳銃のような物をスーツの内側から取り出す。
『魔銃』
産出地はアメリカ、ベルストアの天迷宮。
魔力を固めて音速並の速さで射出する対狩人の革命的な兵器。
「探偵ごっこは終わりだ、ガキ。
痛え思いしたくなかったらとっとと両手上に挙げろ」
狩人装束を纏う十代半ばの少年は依然としてつまらなさげに見下すのみ。
癪に障る思いを眉間に寄せて、ゴリョウたちが引き金を引こうとしたその時。
少年の髪色がわずかに色が薄れた。
「…………」
「……っ!? 対象東出口へと逃走!」
一歩目にも関わらず凄まじい速さにゴリョウたちの反応が一瞬遅れる。
油断していたわけではないにしろ、これで更に剣の隊員の警戒度が上がる。
少年が出口から外へ出るよりも早く、援軍が窓を蹴破りその進行方向に立ち塞がった。
次いで現れるもう一人の隊員。
射線から抜け出したのもつかの間。
少年は先程よりも二つ増えた銃口に晒され囲まれていた。
打開の目など見えようもない。
「往生際の悪い……。
縛る前に一つ訊くが。
お前、誰の差し金で、何のためにこんな事をしでかした?」
こんな子供一人で動ける筈がない。
その背後には穏健派やそれに通ずる斑鳩校上層部の影がある。
ゴリョウたちはそう踏んで最後に一つ訊ねていた。
「誰と言われても、そうだな」
「…………?」
観念したようには見えなかった少年が、左こぶしを握って前に出す。
魔力も何も感じられないそれに恐れはない。
ゴリョウたちが時間稼ぎの線を読み目配せで銃口を定めたその時。
「雪が降る」
少年の左こぶしが開かれ、中から輝く雪華が現れた。
まるでスローモーションのように地面に落ちて行くそれに剣の隊員が目を奪われかけた時、
天井が爆発した。
「なっ!?」
「チッ、逃がすなよ!」
崩落してくる瓦礫を手刀足刀で払いつつ、それでいて陣形は崩さぬままのゴリョウたち。
少しの土煙が消える頃、少年の姿が消えている、ということはなかった。
むしろその逆。
一人増えている。
「何のためって、そんなもん一つしかねえだろ」
非対称の黒髪のショートヘア。
眼差しは鋭く、立ち居振舞いは歴戦の武人の如く。
無手ながら隙など見られず、その顔には余裕すら見せる少女。
「私の試験勉強のために決まってんだろうが」
年頃の少女のように、ありきたりな理由を持って国家に相対するのは斑鳩校3-A所属、生徒会庶務、枝折カンナ。
「俺としてもここは家の縄張りですから」
その瞳により冷たい炎を宿したのは斑鳩校1-A所属、執行委員会、月詠ハガネ。
二人に共通するのはたっぷりの余裕と、溢れんばかりの殺気。
そして何よりその顔に浮かぶ、獰猛な笑みだった。