56話 雷の人
分類、見てないから不明。
対象、多分俺に向けて。
着弾、おそらくあと一秒もない。
なぜ校内で一日に二度も雪禍を抜かねばならないのか。
そう自問したくなる気持ちを斬り殺して振り向き──
「『雷』」
1-Bの生徒グループの更にその後ろからそんな声が聴こえた。
その声は知らないものではなかった。
さっき尋問されたばかりだ。
忘れる筈がない。
そして俺は雪禍を抜くのをやめた。
その人が放ったそれが何なのか、わかったからだ。
「いっだぁ!?」
「校内での魔法の使用は厳罰の対象だと、入学時に教えられなかったのか?」
紺のローファーで音も立てず歩み寄って来る姿勢の良い女子生徒。
生徒会庶務、『枝折カンナ』。
色の沈むショートの黒髪に切れ長の目。
夕陽に照らされる様は中々に雰囲気がある。
1-Bの生徒が展開していた魔法は放たれることはなかった。
潰されたのだ、彼女の異能によって。
魔法を放とうとしていたグループの中でも小柄な男子生徒は腕を押さえながら上級生である彼女を睨み付ける。
その両脇に立つ取り巻きの二人も奥歯を噛み締めているのが背中からでもわかる。
皆暴力に躊躇がない。
ただ一人、中心人物の筈の常磐ジュンを除いて。
「ああ、私に刃向かうか。
まあ奥のそれよりは優しくしてやる自信はあるが」
「……何言ってやが───」
「落ち着け、お前ら!」
長い廊下の隅まで響くような声。
発したのは俺でも枝折カンナでもない。
薬物使用の疑いがかけられている茶髪の男子生徒、常磐ジュンだ。
宥めるというにはいささか乱暴な声色だったが、その声にいきり立っていたB組の生徒も威勢を削がれる。
「なあ、ほら。こんなところで問題起こしたら俺たちのA組編入が叶わなくなるかも知れないだろ?
……………行こうぜ」
拍子抜けにも程があるその反応。
………………。
少し迷い、首もとを叩く。
「アストライア、俺のチャットコードをアプリ経由で広域送信してくれ」
『無差別になっちゃうけどいーの?』
「構わない」
小声でもちゃんと拾ってくれる電子の妖精に感謝をしつつ、道を空けた枝折先輩の方へと四人が去っていくのを見送る。
どうやらあの人は彼らを罰する気はないらしい。
まあそういうのは風紀委員の仕事だろうが。
どこかに去るのかと思えば真っ直ぐこちらに歩いてくる。
元々百七十センチ近くある身長とすらりと伸びた背筋が合わさりとてもスタイルがよく見える。そんな場違いな感想を抱いてればもう目の前に立たれている。
「……おい、月詠。
ちょっと付き合え」
今日はよく呼び出される日だ。
━━━
気付けば俺は先ほどまで優雅に茶を嗜んでいた例のカフェに舞い戻っていた。
店員からは二度見されたが、今度は珈琲を頼んだので問題ない(?)。
奇しくも同じテラス席。
今度は向かい側に美人な先輩を連れての茶の席だ。
それなのに全く心が踊っていない。
「単刀直入に訊く。
サナに例の件の解決を依頼されたんだろ」
「はい」
一秒も迷わずに自白する。
こういうのはだらだらやっても仕方がない。
腹を斬るなら景気よく一度で。母さんも昔そんなことを言っていた。
「……いらねえ気回しやがって」
そう言えば郡先輩は生徒会の懐刀であるこの人をまず頼るものだと思っていたが。
何か事情があるらしい。
不満げに紅茶にミルクを入れる枝折先輩。
「もしかして禁猟深度査定を?」
「……よくわかったな。
そうだよ。私が現役で『銀』を受験するって言ったらアイツ偉く張り切っててな。
今回のトンデモ事件でも声をかけない程度には私に負担をかけたくないらしい」
高等学校の学生の身で公式序列で二番目の『銀』の資格を受験するというのは前例にないものだろう。
二つ下の最低ランク、『鉄』の資格ですら在学中に取ればその代ではヒーローだ。
そんな大事な試験が近い内に控えている。
試験内容は対獣対策技能の筆記がメインの一次試験と、実戦形式で行われる二次試験、最終試験の面接を経るものとなっており、文武で気が抜けないのは当然のこと精神面でも揺らぐことは許されない。
郡先輩が気を揉むのも十分頷ける。
「枝折先輩はこの霊薬騒動をどこで?」
「最初に青い展開円の情報を教師陣にタレ込んだのは私だ」
ああ、それは知ってて当然だ。
郡先輩の気遣い虚しく枝折先輩は最初から当事者だったのか。
この人なりに事態の落としどころを探すために動いていたようだ。
「月詠、お前どこまで知ってる?」
「肝心なことは何も。単なる薬物蔓延とは毛色が全く違うことはわかりますが」
違法とされる成分が含まれる天迷宮産の霊薬の存在。
狙われるのは斑鳩校の生徒のみ。
使用者に見られるのは魔力循環効率の上昇からくる陶酔感や全能感。
そして魔法技能の一時的な強化。
「……チッ。手がかりなしか」
「はい。なので容疑のかかった生徒に直接訊いてみます」
わからないことは訊くしかない。
幸い今端末を開き確認したところ、望んだ反応がそこにはあった。
「………………は?
おい待て。売人の胴元を押さえるまで薬物使用者への直接的な聞き取りは控えろって聞いてなかったのか……!?」
もちろん聞いている。
パニックになった生徒がいらぬ騒ぎを起こす可能性は高い。
だがそもそも野放しにしている時点である程度のリスクは負うべきだ。
そして今回俺が連絡する相手は間違いなく容疑者だ。
容疑者だが、間違いなく使用者ではない。
『ほい。フレンドになったわよ』
アストライアが告げた言葉。
そうだ。彼は本来ならばこんなことは絶対にしない。
俺とチャットアプリのフレンドになるなど、あり得ない。
音量を絞りスピーカーモードに切り替え、コールをかける。
まあすぐ出るだろう。
その目論みは当たっていた。
『……………………月詠』
恨めしい声だ。
俺のことが憎くてしょうがないのか、喋るのすら嫌だといった素振りだ。
だがこいつは応答した。
なぜか。
『…………用件を言え』
憔悴している。
疲れきっている。
そりゃあそうだ、あんな連中に囲まれていれば。
「手早くいこう。
『常磐ジュン』。お前、シラフだろ」
━━━
『…………』
当たりだ。
そもそも俺の連絡通知を受理してフレンドになった時点で確信はしていたが。
1-Bの男子生徒、常磐ジュンは違法薬物に手を染めていない。
周囲の取り巻き三人が霊薬に酔っていた中で、こいつだけが素面だったのだ。
あんな連中に囲まれた中で自分だけが正気でいるということ。
耐え難い、と言うほどではないにしろ堕ちていく者に囲まれるというのは快いものじゃない。
あの場で俺が出したサインをこいつはちゃんと拾い上げ、助けを求めることを選んだのだろう。
「なぜお前だけが正気なのかはこの際訊かない。
霊薬とやらをどこで誰から受け取ったか、話せ」
『………………昨日、『神州橋』で…………、役人風の、男に。
政府が、秘密裏に臨床を行ってる薬がある。
『才能を開花させる』って、言われて……。
それっぽい証拠も……、なんか色々見せられて』
甘美な言葉だ。
足りないのは努力でも研鑽でもない。
楽に強くなれる、という言い方ではなく眠っているものを起こすという表現。
あたかも自分の裡にある力のように思わせ、承認欲求と力への飢えを満たす人心を弄ぶ売り文句。
政府関係者を騙るとは中々大胆だが。
「どういった形で手渡されたんだ?」
『……小さな小瓶。中身の見えないそれを、皆警戒してた、初めは。
でも、……その男が自分で使って見せて。
魔力が膨れ上がったのを見て、皆…………、信じ込んだんだ』
デモンストレーション付きか。
売人側も随分リスキーな択を取るな。
違法薬物摂取に付きまとう最大の問題である、中毒になってからの反復使用の中止に際する精神あるいは肉体の圧迫。
いわゆる離脱症状がこの霊薬に存在しているのかはわからない。
だが精神までも不安定にする劇薬をわかっていておいそれと使うなど身を削りすぎでは。
枝折先輩が椅子を動かし俺の右隣に移動してくる。
見せてきたのはディスプレイ上の文字。
『金銭のやり取りの有無』『その場で使ったかどうか』
「大した薬のようだが、金はどうした」
『…………要らない、と、言われた。
臨床試験だから、最後まで協力してくれれば……、報酬も出るって』
金目的ではないと。
怪しさは増す一方だ。
素直に金銭目当ての犯行の方が可愛げがある。
「臨床試験とのことだが、その場で服用したのか?」
「いや。帰って、絶対に希釈せず飲めって。
『才能ある者なら』、効果が出るから、そうじゃなくても、……毒にはならないって」
悪どいやり方だ。
迷宮産の霊薬。誰が服用しても効果などあるに決まっている。
それをあたかも選ばれた者のように煽り、外法に落とすなど。
『……なあ、なあ! 月詠!
どうせ…………! どうせお前もバカに、してんだろ!?
俺だけビビって、薬使えなくて、あいつらが……。
だって…………、そんな』
相当追い詰められているらしい。
友人が皆怪しげな薬に手を染め、自分だけが助かったという罪悪感、疎外感。
段々と壊れていく彼らに囲まれながらもそれを救うこともできない無力感。
十五歳そこらの人間に負わせる感情じゃない。
「聞け、常磐ジュン。
恐れは弱さじゃない。逃げることは恥ではない」
『…………ぇ?』
「お前が溺れなかったことで、こうしてお前の仲間を救う手立てができた。
間違ってなどいない。
また何かあればすぐに連絡しろ。
月詠の名にかけて、何であろうと俺が斬ってやる」
俺に慰められて何になる。
嫌うどころか憎んでいた相手にすがって、励まされ、背を押されても気色が悪いだけだろう。
それでも一応言いきった。
切れた通話の向こう側でどんな表情をしているのか俺にはわからない。
考える必要もない。
「悪くない啖呵だ」
「半分は自己満足ですけどね」
半分と言うか全部だが。
とにかくそれなりの情報は集まった。
謎も増えたが、生徒会執務室に座っているよりは解決に近付けただろう。
郡先輩から貰っていた、生徒の移動範囲を書き込んだ地図データを開き、更にそこに斑鳩校から真北にある『神州橋』を中心とした円を描く。
やはりそれほど他の円と重なることはない。
「綺麗に斑鳩校周辺だけか。
金目的でもない、私怨なら回りくどすぎる」
「……その場で服用するな、というのも気になりますね。
霊薬を斑鳩市にばら蒔くだけならもっと効率的な方法は幾らでもある」
霊薬を使って何を企んでいる?
街を陥れることか?
いや、違うだろう。狙われている対象があまりにも限定的すぎる。
では斑鳩校の風紀風俗の崩壊を狙っているのか?
これは正直わからない。ただ、斑鳩校に固執しているからには当校への何らかの意思は見て取れるだろう。
「……月詠、お前だったらどうする。
迷宮で霊薬を拾って、それを何に使う?」
「………………効能も確かめず使うのは正直躊躇われますね。
………………………………確かめる、……?」
自分の言葉を反復すれば引っ掛かるものがあった。
そうだ。迷宮由来の物質を身体に取り込むなどどんな人間であれ抵抗はある筈だ。
自分が使うとしてもその用量用法を知っておかなければ運用などとてもできない。
「……まさか、本当に『治験』、だったのか?」
「…………好奇心に負けて霊薬を受け取った生徒は真っ直ぐ家に帰って直ぐ様服用するでしょう。
尾行なりするのは難しくもないでしょうね」
治験をうたう割には服用時の身体の状態の記録も、服用後の変化の報告義務も売人側は生徒に伝えていない。
だがその必要はなかったのだろう。
あちらが勝手に監視してくれるのだから。
「残る空白地帯は?」
「斑鳩市西区の歓楽街、ですがここは……」
都心から少し外れた人の集まる場所。
魔法絡みのいざこざが目立ち、公安や各家が他地域よりも人員配備を厚くしている筈だ。
ノコノコと現れれば針のむしろもいいとこだろう。
「元々あそこに学生は寄り付かねえ。
…………いや、そんな場所に来る不良どもを狙うのか……?」
「クスリ漬けにして被害者から搾り取る通常の薬物犯罪とは動機もターゲットも違いますから。
ただ俺は行こうと思います」
物見遊山、は流石に気楽すぎるか。
とにかく考えていても事態は解決しない。
「……チッ。いくら可愛げがないとは言え、一年坊主一人で行かせられるか。
私も行く」
「でも枝折先輩は試験が間近に……」
「それで落ちるならその程度ってだけだ」
男らしすぎる。
結局当初郡先輩の願っていた枝折先輩の試験準備への集中は叶わなかったが、俺一人で調べるよりも倍以上効率はよくなった。
さっさと終わらせてジンでも誘ってたまには飯を食べよう。
もう一週間以上何も食べてないし、さぞ美味しく感じるだろう。
アストライアに名店でも調べてもらうか。
そんなことを考えながら、狩人専用のタクシーで枝折先輩と二人、夕暮れの歓楽街へと向かった。