53話 月が光る
『だーかーらー。
──a─S────t─L──ai──r─だって言ってるでしょ!』
「???」
全然わからん。
突如喋りだした俺の携帯端末。
何かしらのウィルスなんだろうが、既存の対話インターフェースや人工無能とは明らかに一線を画した精度と自然さだ。
そいつが自分の名前を教えてくれるのはいいんだが、いかんせんその部分の声が切り取られているような途切れ途切れの音になっている。
「aStLair?」
『略すなー! ほんとそういうとこだからバカ人間!』
怒っている。
そうは言われても、何を言っているのか聞き取れないのだ。
俺の耳がおかしいのかと思ったが、それ以外の単語は全部聴こえているし。
だとすれば俺の端末では発音できない特殊な子音連音であったり、あるいは何かしらの規制がかけられているのか。
「とりあえずエーエスティーって呼ぶか」
『可愛くない! 可愛くない!
絶対返事しないから!』
わがままな奴だ。
呼称にこだわりを見せる人工知能(?)とは随分贅沢な。
というかそれほどの感情の機微を本当に俺の携帯端末の演算領域で賄ってるのか?
ギャーギャーと耳元で駄々をこねる不思議娘。
名前と言ってもな。
「じゃあ、Astlairは?」
断片的に聞き取れた音を繋げただけだ。
星とかロマンとかそういうのからはかけ離れた機械依存生命体っぽいこいつに似合うかは別だが。
返事が少し遅い。処理落ちでもしているのか。
「ダメか?」
『………………………………いいじゃない』
意外なことにお気に召したようだ。
世界の根源たる百年前のVRMMO、『ASTRAL Rain』となんとなく語感が似ているが、完全な偶然だろう。
何にせよ駄々っ子が少し大人しくなったことで話がしやすくなった。
「なあ、アストライア。
ウィルスじゃないとしたらお前は何なんだ」
勝手に人の端末を乗っ取ってる時点でやってることはハッキングそのものだが。
悪意の類いは感じられないため扱いが難しい。
端末内のファイルを漁ってもそれらしい物がまるで見当たらないので消すこともできない。
『え? アタシは……。
アタシは……………?』
「まさかわからないとか?」
『そ、そんなワケ………………、ある、かもだけど』
参った。
嘘をついている様子でもないし(というか条件付けして嘘をつくなどという高等な対話プログラムあるのか?)
、問い質すのは難しそうだ。
出自不明、仕様不明。
「記憶喪失ってわけでもないんだろ」
『あったりまえでしょー!
アタシは全部見てきたんだから!
………………あれ?』
全部見てきた?
こいつ本人もわかっていない、無意識の発言がとても意味深に思える。
何を見てきたって言うんだ。
『アタシ、は……?』
これは、ちょっとまずいか?
「あー、とりあえずじゃあ、なんで今になって俺のところに現れたんだ?」
強引に話を逸らしたのは何となく嫌な予感がしたからだ。
思考に飽きが来る人間と違い機械は延々と繰り返してしまう。
循環参照、無限試行、それらに回数限界が設定されていない場合考えても解けない問題を与えるのは容量オーバーを招く。
泥沼に陥る前に切り換えてやらねば。
「俺の端末を間借りしたのは昨日今日ってわけでもないんだろ?」
『え? あー、そうね。
アンタが随分余裕無さそうにしてたからアタシも黙ってただけ。
天淵で会った時からアタシはここにいたし』
やはりあのタイミングか。
雪の降るあの場所で首無し武者と対峙した時。特殊個体であるノーブルモンスターと階層主との遭遇をそれぞれポップアップで俺に告げた存在がこいつ。
あの場でおそらく何かに感染し、このうるさい妖精が俺の端末に侵入してしまった。
「あの時は端末じゃなくてステータス画面に干渉してたよな?
どうやったらそんなことできるんだ?」
単なる超高性能AIってだけならそんなふざけた芸当は不可能だろう。
つまりこいつは科学よりも魔法寄り、叡智ではなく奇蹟寄りの存在ということだ。
『どうって、別に普通じゃない。
『基盤概算値』にアクセスするだけでしょ』
「……もう少しわかりやすくだな」
『だーかーらー。
ステータス魔法を外側から観測するだけだって』
ステータス、『魔法』?
誰しもが当たり前のように開いていたステータス画面。
あれ自体が魔法の産物?
いや、確かに納得はいく。人間一人の力で半透明の文字盤を空中に投影できるわけがない。
ただ、ステータスを開くという行為は要は基本概念として捉えられていて、それ自体の意味を詳しく解き明かすことは表立ってはされていなかった。
『アンタたちが無意識に使ってるやつよ』
「…………いや、ちょっと待ってくれ。
俺は魔法なんて使えない筈だぞ。
魔力なんてゼロだし」
『はあ? なに言ってんの』
心底心外そうにアストライアが言う。
改変力が低いから魔力消費ゼロだとかそういうことか?
いや、人一人の潜在顕在問わず能力を観測して描写投影する魔法が魔力を伴わないわけないだろ?
じゃあ一体───
『アンタ魔力使ってるじゃない』
「…………え?」
???
━━━
俺はあの日、常葉陸型獣管理所で幼馴染みのジンと共に狩りをしていた際、狼型の獣『レッサーガウル』に囲まれ応戦した。
その時起きた怪奇現象。
これまで入手した総獲得経験値の値が、敵を倒すごとに目減りしていくという異常事態。
段々と弱くなりついには獣一匹と相討ちになり、体力が0になるのと同時にレベルが0になった。
死ぬことはなかった。ただ、それ以降俺のレベルはずっと下がり続けている。
今ではマイナス三桁の大台だ。
ステータス画面に表示される体力と魔力の値はずっと0であり、それのお陰で持ち前の異能が使えているという側面もある。
魔力が0の筈の俺が魔法を使っている?
そんなことがあり得るのか。
「……ステータス画面が間違っていて、本当は俺にも魔力があるとか?
もしくはこっちもマイナスだったり」
『なわけないでしょ。
アンタ魔力保有してないじゃない』
???
さっきと言っていることが違わないか?
確かにアストライアは俺が魔力を使ってるって。
使ってる?
『アンタほんと不思議よねー。
調和経由じゃなくて直接隷属しちゃうなんて』
「…………」
当たり前のようにアストライアが放った言葉がまるで理解できない。
調和とは魔力の調和現象のことを言っているのだろう。
人は変質させ手元を離れた魔力を大気中に漂う魔力と自身を調和させることによって補充する。
それでは隷属とはなんだ?
「なあ、アストライア。
俺は調和現象は起こしてないんだよな」
『ええ。全然これっぽっちも。
だから魔力が身体に馴染んでないし保有もされてないでしょ』
そりゃそうか。
魔力が宿らない身体。
それなのに魔法は使えるということ。
隷属という言葉の字面。
考えるに、
「つまり、大気中の誰のものでもない魔力を俺は勝手に借用してるってことか?」
『概ねそんなところね。
問題なのはそれだけじゃないけど…………。
あっ、またチャット来てるわよ』
この電子の妖怪は何をどこまで知っているんだろうか。
というかこんだけ世界の神秘に触れられる器でも、しっかりとチャットの通知を欠かさないのはそれはそれでどうなんだ。
禁忌とされている既存のあらゆる魔法知識学の体系から更に発展したような内容をぽろぽろと語る言動。
誰かが悪戯で作った仮想人格とかそういうレベルはとうに超えている。
「…………というかお前バッテリー食いすぎ」
一週間は充電無しで使い倒せる最新モデルのはずなのにこいつが顕現してから数分で三パーセントも減っている。
何をどうやったらそんなに減るんだよ。
『……なーによ。アタシが大喰らいの腹ペコ娘だって言いたいの?
ふーん。そんなこと言ったらフル出力で全部食べちゃうんだから!』
端末のライトを付けるな。ディスプレイのフレームレートと光量を最大にするな。
点滅さすな。
カフェテラスで灯台みたいになってるぞ俺。
「はい、電源オフ」
機械が人間に逆らうんじゃない。
じゃあな。
『消すなー!!』
「うわぁ……」
勝手に起動した。
何なんだこいつ。
科学が発達した現代でなお恐怖怪談の類いは根強い人気があるが、こいつこそ妖怪の類いだろ。
「…………」
『…………』
なんでお前もちょっと疲れてるんだ。
もう中に人間が入ってるとしか思えない。
誰かが遠くで俺の姿を見て笑ってたりするのか?
もういいや。こいつが静かな内にチャットを確認しよう。
「……あれ? 誰だこのナンバー」
携帯端末にデフォルトで入っていたチャットアプリにはユーザーごとの簡易識別番号が割り振られている。
通常であれば名前が表示される筈だが、俺に個人チャットを送ってきた人物は名前の登録をしていないのか数字だけが表示されている。
一旦この不明通知は無視してもう一つ届いていたチャットを見れば、そちらはしっかりと名前が並んでいた。
「……郡サナ。生徒会長?」
文武両道、眉目秀麗、才色兼備。
何でもござれの超お嬢様にして男装の麗人風の人徳の化物。
斑鳩校の生徒会会長から俺宛てに連絡が届いていた。
───
『いきなり連絡して驚かせちゃったかな。
ちょっと月詠君に頼みたいことがあって、セラちゃんから連絡先を教えてもらいました。
もしまだ校内にいたら生徒会執務室まで来てくれたら嬉しいな』
───
文面が可愛らしい。
それ以外はあまり入ってこなかった。
『これってデートの誘いじゃない!?』
「尋問から解放した後にデートに誘う奴がいるか」
サイコパスだろ。
そんな乙女みたいな反応しても減ったバッテリーの恨みは消えないぞ。
しかし残念ながら校内には俺はいない。
断って優雅に紅茶で喉を濡らすのも手だ。
優雅…………。
『バカ人間って意外に人気なんだ。
魔力泥棒なのに変なの』
こいつがいる限りもはや平穏はない。
俺の数少ない独りの時間が死んだ。
まあいいか。
「『わかりました』……っと」
『ふーん、行くんだ』
「これ以上この店で光りたくないからな」
発光する客として覚えられたらたまったもんじゃない。
ここは学校からも近く、セラやジンともよく来る馴染みの店なのだ。
端末を支払モードにし、虹彩認証を済ませ会計を終え店を出る。
『アタシがアンタのお財布管理してあげるんだから。
無駄遣いはダメよ!』
……よく考えたらそうなるのか。
口座情報の一部はそのまま端末に組まれている。
こいつの機嫌を損なったら全財産失ったりするのか?
やっぱりウィルスでは。
「アストライア、他の人の前では騒ぐなよ」
『うーん、それはアンタ次第じゃない?』
お前次第だろ。
呪いの装備の外し方を検索しようと考えたが、端末の最上位操作権を握られている俺にできることはなかった。