50話 放課後尋問
斑鳩校第四棟二階、生徒会執務室。
別名『部活棟』とも呼ばれ放課後は賑わいを見せるこの建物だが、二階は各委員会の専用部屋となっており下階ほど騒がしくもない。
校内の取り纏めという大役を担う上位委員会は一般生徒からは頼られつつも恐れられ、進んでその厄介になろうという者は多くない。
何より上位の役員は一癖も二癖もある者が多いとされ、それが今一堂に会していると噂される生徒会執務室の周囲は結界でも張られているかの如く静かだ。
「で、皆はどう思ったかな」
国立狩人養成所斑鳩校、第七十一期生徒会会長、郡サナ。
半導体開発における躍進を続ける世界的企業『グラスコーポレーション』の現取締役の一人娘にして、魔法的な素質とは無縁だった郡家に突如として生まれた稀代の魔女。
今この場、五人の上位役員と一人の教官を交え進める話の内容は二人の新入生についてだった。
「どう、とは。郡生徒会長」
「そのまんまだよ、レツ君。
月詠ハガネと風霧セラ。
護国と守護なんて凄まじい肩書きを持つあの二人を君たちが見てどう思ったか」
先の解放同盟エルシアの襲撃に際して、一般生徒が知る以上の情報を今この場にいる五人の生徒は知らされている。
冒涜生物、竜もどき。
過激思想集団エルシアが子供の集まりにも思えるほどの大悪にして禁忌の魔法開発機関『鎖木の植物園』、その管理人の一人。
普通であれば知らなくていい、知ってはいけない存在の数々を、この場の生徒は知っておかなければならなかった。
つい今しがた、一学年の二人を重要参考人として招き、事件の詳細な内容を問い質した。
お茶請けどころかお茶すら出ずにその聴取は終わり、風霧セラと月詠ハガネを帰したところで改めて上位役員と1-A教官、倉識ソラの六人で情報交換を行っている。
「……普通でしたね。
風霧さんの方はとてもよく俺たちを観察していました。
底まで見抜かれているようで少し怖かったですけど」
少し小柄な二学年の男子生徒。
評議委員会副会長、柏木ショウドがそう溢す。
「あー、確かにセラちゃんはそうだったねえ。
不躾な推し量りってよりは、純粋な興味みたいだったけど」
「見定めていたのは何も我々だけではなかった、ということだ。
教官、風霧の入学時のステータスは?」
顎に手を当て思考に耽る赤縁の眼鏡を掛ける三学年の男子生徒。
文化委員会会長、折上コウが、入り口側の壁に背を預け腕を組む倉識ソラに訊ねる。
「魔法力、攻撃力に大分偏重してたな。
ただし鈍重ってわけでもねえ。
あの腐れ竜と闘ってた時も大分抜きながら相手してたしな。
同世代じゃ敵無しだろ」
守護の一族の中でも指折りの血統とされる『風霧』家。
魔法、近接戦闘、異能。どれか一つに依るわけではなく、全てに精通する器用万能型の特徴を持つ名家。
先ほどまでこの場にいた銀髪の少女もその例に漏れず、誰の目から見ても普通とは言いがたいものを持っていた。
「素行も問題はないというか、優等生を絵に描けばああなるだろうと言った風でしたね」
低い声でそう捕捉する風紀委員会副会長、五島レツ。
寸評飛び交うこの会合は何も下心あってのものではない。
「カンナちゃんはどう?」
護国十一家と守護の一族。
一人いればそれが世代を冠する名になる者が、どういうわけか今年の斑鳩校にはそれぞれ一人ずつが入学してしまった。
何より恐るべきは、その二人。風霧セラと月詠ハガネが古くからの馴染みだということ。
強大すぎる家同士がビジネスを通り越して公然と懇意にすることは狩人社会のマナー上良しとされていない。
その独走を止めるには他家もまた手を合わせなければならず、待ち受けるのは混沌に他ならない。
とりわけかの二人については両家が家ぐるみでの付き合いを否定し、たまたま学校が同じだっただけと釈明してはいるものの、斑鳩校側としてもはいそうですかと素直に受け止めるわけにもいかなかった。
「…………普通だな。
飛び抜けて優秀で、腹に黒いもん抱えてて、人に気をまるで許してない。
いたって普通の『守護』だ」
生徒会庶務、枝折カンナ。
生粋の武人にして、新世代の近接戦闘と称される『四方殲滅』の先駆者。
校内における『最強』の一角とも称される若き狩人。
彼女の冷たいようで説得力のある言葉に、異を唱える者はいない。
「……そっか。まあ、そうだよね」
誰にしろ何かしらの秘密はある。
それが名の知れた名家であればなおさらだ。
それを平穏のためと無理に暴こうなどというのは学生の身分では過ぎたものだろう。
当然大人だからといって許されるものでもない。
そういった共通の意識がこの場の生徒には存在している。
結局この場に限れば風霧セラに対する認識は概ね注視という点で一致した。
危険思想だの好戦傾向だのは見当たらず、不気味なほどに優等生という判例である。
それがかえって不安を生むが、考えても仕方がないことだというのがわからない人間はこの場にいない。
残る問題はもう一人。
「どうなんだ、奴は」
文化委員会会長の言葉で一同は若干逃避していたもう一人の色物新入生について語らざるを得なくなる。
護国十一家、序列十一位『月詠』家の長男、月詠ハガネ。
色が枯れたような黒灰の髪色に瞳。
これだけの上級生に囲まれ圧をかけられてなおどこ吹く風の胆の座り方。
「『護国』の家系にて極めて珍しい落ちこぼれ。
家を勘当されただの、縁を切られただの噂されてたけど……」
「……なんというか、すごく落ち着いた普通の十五歳って感じでしたね」
サナの挙げた疑問をショウドが説く。
二人だけではなく、この場にいた全員が感じていたこと。
それは月詠家という大層な家柄から連想されるそれとはあまりにもかけ離れた凡庸さだった。
音冥ノアという異質を既に知っているせいか、護国の家の人間に対する特異性のハードルが無意識に上がっていたことを意識させられたまである。
「性格はもっとすれていると考えていたが、乗り越えたのか諦めたのか」
「どちらにせよ御しやすいならそれに越したことはないんだけどなー」
護国十一家の直系の長男という特大の爆弾が実は不発弾だった。
学校運営に少しでも携わる者ならば諸手を挙げて喜ぶイレギュラーだ。
拍子抜けしつつも胸を撫で下ろすサナ、ショウド、レツに対して、残る三人は何か考え込む素振りをしていた。
めでたしのお開きと思い込んでいた者が不思議に感じ離席の気配はなくなる。
これ以上何か議論する余地があるのか。
思い立てば動くのが郡サナという人間だった。
「コウ君もカンナちゃんも、月詠君について何かまだあるの?」
こと闘いに長けた生徒会庶務の枝折カンナと、他者の魔力を色として知覚する特異な眼『彩明変換視』を持つ折上コウが揃って押し黙るということは何かあるのだろう。
サナ自身がぼんやりと感じた月詠ハガネの保有魔力は大したものではなかった。
背筋も正しく歩く姿勢も綺麗ではあったが、その雰囲気は隣を歩いていた風霧セラのような鋭い剣気ではなかった。
それもまた凡庸と断じた要因の一つでもある。
間を少し置いて先に語り出したのは折上コウの方だった。
「………………俺の見間違いでなければ、月詠は正常な狩人ではない」
それはとても奇妙な物言いだった。
この場合の『狩人』とは職業狩人的な意味合いでも野の獣を狩る旧来のものでもなく、広義の意味での魔法とステータスを得た人間のことを指すのだろうと一同は直ぐ様理解する。
だが、正常なという部分が今度は引っ掛かる。
音冥ノアのような度を超えた力を持っているだとか、千里眼のような優れすぎた知覚能力を備えているだとか、そう言ったものならば『正常ではない』という表現は的確ではない。
折上コウがこんな場で言葉を違う人間ではないことは全員知っている。
考えど答えが出ないままに、沈黙をもってして続きを促す。
「人は大気中に漂う魔力と『調和』して、己のものとする。
俺の眼にはその無意識の所作は『暖色』に映る。
そして魔法を使う際には『活性』が働き、薄い黄から赤までの振れ幅で活性度合いが使う魔法や人により異なる」
日常生活において要らないものが見えすぎるために魔力と反目する鉄由来の眼鏡を掛けるコウのその言葉を疑う者はいない。
魔法を放った後に欠乏した魔力が補充されるのはこの『調和現象』によるものであり、人それぞれに設定された『器』が満たされれば調和は止まる。
その限界こそがステータス画面に表示される魔力の最大値であり、レベルの上昇に伴い増え下がることはない。
ここまでは全員が既知の事実だ。
「それで、月詠君はどうだったの?
もしかして許容量を超える調和現象を起こしていたとか?」
可能限界を超越するなど聞いたことがないと言わんばかりにサナが話を転がす。
そんなことはあり得ないと知っていながら、確かにコウの答えは全く違うものだった。
「逆だ」
「………………逆?」
「月詠ハガネの周囲には黒い霧がわずかにかかっていただけだった。
つまるところ、あれは一切の調和現象を行っていない。
『魔力解離体』とも言うべき非現実的な存在だ」
その言葉に他の上位役員は揃って目を丸くする。
初めて耳にする言葉、初めて目にする折上コウの困惑が浮かぶ表情。
それが事態の異様さを物語っている。
「ちょ、ちょっと待ってください。
調和現象を行っていないなら、その黒い霧というのは……」
「……わからない。
俺もあんなものは初めて見た」
この時点で折上コウはこの場の人間に一つ隠し事をしていた。
その眼が月詠ハガネを捉えた際、映った黒いもやは確かに流動していた。
眼を疑ったのはその霧が月詠ハガネから放たれていたのではなく、逆にその身体に吸い込まれるように霧散していたこと。
『喰らう』と表現してもよかった。
ただこれを告げたところでこの場で解決するとも思えず、仕舞い込んだだけだ。
それが正しかったかどうかは、遠くない内にわかるだろうと。
「あいつは……」
静観を貫いていた枝折カンナが呟くように語り出す。
「月詠ハガネは、音冥ノアと同類だ」
「…………それって……」
音冥家の護国十一家序列一位昇格の立役者。
天衣無縫の真の姿を知る者ならば誰もが最強と認める音冥家の至宝音冥ノア。
それと同類ということ。
「…………枝折がそう言うのならば、そうなのだろうな」
こんな重苦しい空気になると誰も想像していなかった。
軽く事情聴取を終えて、情報交換をした後にそれぞれの持ち場に戻るつもりだったのだ。
なぜこんな思いをしなければ、そう誰もが多かれ少なかれ感じていた。
そんな沈黙に割って入ったのは、この場にいる唯一の大人だった。
「ま、アイツは確かに普通じゃねえ。
底が見えないのが音冥なら、底が無さそうなのが月詠だ。
あの家系が十一位に封印されてるのもそれが関係してる」
月詠ハガネと共に竜もどきと闘った倉識ソラの言葉。
抱えた爆弾が不発弾だと思いきや、突然タイマーの進む音が聴こえ始めたような状況なのだ。
頼れすぎる『金』の狩人の教官ですら否定できない事実は生徒たちの肩の力を抜くことはない。
ただ、その先の言葉は少し違った。
「だとしても、お前らならわかるだろ。
月詠は得体の知れねえ不明生物じゃねえ。
その生体原理がなんであれ、悩んでキレてたまに笑う普通のガキだ」
人は自分と異なる仕組みで動くものを程度の差はあれど許容できない。
違うというだけで否定せざるを得ない。
心の奥底で否定したくても存在していた意識を引き出され否定されたことによって、上位委員会に所属する聡い生徒たちは幾らか気分が和らいだ。
かの月詠家の長男と一対一で会話すらしていないにも関わらず、勝手に怪物のような扱いをしていたことを改めて再認識する五人の生徒。
依然として警戒は必要なれど、この場で纏まった結論としては風霧セラと同じく様子見というものに落ち着いた。
護国と守護の結託の恐れ。
通常とは異なる原理を纏う者への忌避。
学業に身を追われながらもそんな難敵まで相手にしなければならない彼らに、時間外手当も役員報酬もない。
それでも誰かがやらなければならないことをたまたま自分がやるだけだと言い聞かせ、彼らは今日も放課後を忙しなく駆けていた。
━━━
「お初にお目にかかります。
守護の一族より、風霧セラです」
円卓に三人も座っている。
案外近い内にこの空席も埋まるかもしれないなどと考えながら、ヤバそうな空気から目を逸らす。
「音冥ノア。初めまして、セラ」
一触即発というのも少し違う気がする。
もう既にお互い喉元に刃を立てているのでは。
上位役員たちの詰問から解放され、セラに連れられたのがこの『執行委員会』にあてがわれた最奥の部屋だ。
大きな円卓とその周りに高そうな椅子が置いてあるだけ。
室内には当たり前のように彼女がいた。
国内最強の狩人、音冥ノア。
金髪金眼の魔王だ。
「先の襲撃の件ですが、音冥家が関与していると」
セラの口から爆弾がぶっ込まれる。
まあ知っていてもおかしくはないか。
セラの親父さんや姉君が伝えるとは思えないし、独自の嗅覚で嗅ぎ付けたのだろう。
そんなに甘い情報管理でもなかったはずだが、幼馴染みながら恐ろしいことだ。
この問い質しはセラに分があるかもしれない。
そもそも何が勝ちで負けなのかは不明だが、少なくともこの何も言わない最強様から新しい情報が引き出せるかもしれない。
例の一件を俺に事前に伝えていた事といい、謎が明らかになる可能成はある。
「あー、」
その形のいい唇が動く。
否定か肯定か。
何が出る、音冥ノア。
「どうしよう、ハガネ」
こっちに振るな。