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47話 闇を払う蛮性

肺に染み込む冷気が心地良い。

眼に当たる極小の氷結晶が意識を叩いてくれる。

指先に僅かに感じる痛みが愚かな自分を罰してくれている。


吐き気を催すほどの自己嫌悪と、それが心の中で冷たく凍てついていく感覚。

自分が自分でなくなるようなそれは、今はどこかありがたかった。



「満足したか?」



背後の声は俺を律するでも罰するでもなく、ただの単純な問いらしいものだった。

赤黒い肌、赤い髪、手足に走る黄金の線。

無造作に開いたステータス画面に表示された敵名称は『天魔ゼルフ』。


「呆れた力だ。

まさかこの大部屋ごと閉ざしてしまうとは」


空気中で煌めく雪華を手のひらに落とし握りつぶす天魔の男。

布一枚の服で寒くないのか疑問に思うが、人と同じ扱いをするだけ無駄だろう。

そもそも俺も上半身裸だし。


今この場所は終わりで溢れている。

手足を千切られたシンゲツや他社の隊員は皆『止めて』通路脇に横たえさせた。

下卑た笑いを発していた猿に似た大量の獣は皆止まっている。

終わっている。


「ないな。あるべき憎悪が。

憎い筈だろう? この俺が、迷宮が」


疑問質問ばかり。

いいだろ、もうそんなこと。


助けられる命が手から零れ落ちていって、背中で段々と冷たくなっていく人の体温を感じて。

その命が終わりかけた時、俺は止めてしまった。

国営治安維持会社シンゲツの第三機動部隊隊長、藤堂 シュンは俺が殺した。


氷像の中に閉ざされている、異様に腕の発達した猿のような獣の前に立つ。

こいつがおそらく『悪魔』なる通信履歴を残させた張本人。

嘲り、わらう獣。


「もうわかっているだろう。

その獣が何なのか」


あの姿は野生の動物のものでも、造られた獣の自我でもない。

群れ、襲って、奪い、喰らう。

囲んでわらって蹂躙する。

そんなことをする生命体はこの星には一種類しかいない。



「種族名『ヒュムノ』。

迷宮が貴様ら人間を模して造り上げた、鏡そのものだ」



血眼になって天迷宮ダンジョンを喰い漁り、敵を殺し、奪う。

黎明の頃より、わずかに機能していたであろう海外の一部の天迷宮ダンジョンにて行われた地均し(・・・)によって、人類は迷宮産の武具に味を占めた。

獣の湧く場所を固定し機械的に処理して武具を回収する。

新しく、今度は機能している天迷宮ダンジョンが現れたのならば、眼を輝かせ喜び勇んで剣を取り『攻略』を始める。


「異端の鬼。貴様が掬い上げようとしたあの人間どもが誰に殺されたか、わかるか?」


背後から左肩に赤褐色の手が乗せられる。

体温など感じない。



おのれだよ。あれらを殺したのは。

鏡に映った自分を悪魔とそしり、奪った分だけ奪われて死んだのだ。

これを滑稽と言わずして何と言う」



囁くように語る天魔ゼルフの男。

これは俺に対する挑発でも侮辱でもない。

先の逃亡劇といい、こいつらは俺のことなんて見向きもしていない。

唾棄するかの如く吐く侮蔑は全て亡骸となった者たちに向けたもの。

国の命に従って、会社の指示に頷き、給料のために働き死んだ狩人たちを、その身が動かなくなった今なお恨み憎んでいる。


きっとそういう風にできている。

わかってしまうから、俺は天魔こいつらに刃を突き立てられない。


「直に新たな人間が降りてくるのだろう。

仇たる我らを討ちに。奪い奪われた物をまた奪い返しに」


「………………ああ。そうだろうな」


漆黒の体毛と、その体躯に不釣り合いな巨大な腕を持つ猿に似た獣、『ヒュムノ』。

俊敏性も腕力も地上にいる生温い獣の比ではなく、何より迷宮の壁から地面から再現なく湧き出るその数は、優れた狩人の一団でも容易に壊滅に追い込まれるほどだ。


あるいは倉識教官のような『金』の領域に至る一線を越えてしまった者たちならば、あの猿紛いの悪鬼がいくら居たとて関係無いだろう。

だが往々にしてそう言った高みにいる者を動かすほど全員が腰が軽いわけではない。


天迷宮ダンジョンの本当の脅威が知れ渡るまでに何人死ぬのだろう。

何人の死に顔を俺は見るのだろう。



「行くのか、異端の鬼」



どこへ行こうか。

花でも摘むか。酒でも拵えるか。

とりあえず、この屍の山を入り口近くまで運ぼう。


死後の腐敗を抑えるために皆冬の中にいる。

敗者の死因は次の挑戦者のアドバンテージになり、それにはこの凍結はいい迷惑だろうが今はそれよりもその死に顔の方が大事な気がした。

死人は助けられないけど、その残された家族の心の欠片くらいは掬って、救いたい。


二人ほど肩に抱え立ち上がる。

天魔の男は俺を見るばかりだ。

そう言えばずっと俺のことを鬼だなんだと言っていたが、角なんて生えてないし身体も普通のサイズだ。

群れて奪って嗤うのが人間だと言うのなら、独りになって泣いて弔うのだって人間だ。



「俺は人だよ。

お前らと同じ、意思の奴隷だ」



自己満足のために死体を運ぶ、感情に繋がれた肉人形だ。




━━━




───ねえ、ハガネ。


なに、母さん。


──────前に言ったこと、覚えてる?


…………。持てないものまで、背負うなって。


──そう。ハガネは強い子だから、無茶しないかお母さん心配なの。


……うん。


───ふふ。その納得いってない顔、お父さんそっくり。


………………。


────いい? 抱えきれないものって、手放そうと思ったってそうはいかないの。


──その重さなんて持ってもわからないのに、気付いたら潰れちゃうほど山積みで。


───どうやって抱えていくか、どれを捨てるか。なんでどうして、って。いつか思う日が来るかもしれない。


うん。


─────でもね、それでいいの。貴方が歩いている限り、無くしたものも拾った思いも、必ず貴方の力になるから。


──なんて、私のお婆ちゃんの言葉だけど。ハガネにはぴったりだなって。


そうかな。


───ええ。まあでも、どうしてもその足が止まっちゃうこともあるから。



──そういう時はお母さんの言葉を思い出して。


………………いつも言ってるやつ?


──そう。ハガネは得意でしょ?


…………お父さんに言ったら呆れられたけど。


───あー、それはまあそうかもだけど。


────


──





━━━




雪が降っている。

空からではなく天井からだが。

どうやってここに来たかは覚えてないが、ここがどこだかはわかる。

トコハの天迷宮ダンジョン-3階、と思っていた不明地点。

四角と平面が並ぶよく知られた迷宮構造と異なる起伏に富んだ地形。

雪は降るし木は生えるし卒塔婆そとばのような謎の木片もそこら中に立っている。


松に似た木に背を預け微睡まどろんでいた俺を起こしたのは、体毛が白で染まった鹿だった。

鼻先で俺をつつき、目が合えば脚を折り積もった雪の上に座る。

こいつは獣だ。天迷宮ダンジョンが生み出した人類の敵にして賑やかし。

その筈なのに、敵意も何もない。

いつの間にか肩に乗っていた白い兎もそうだ。

ここは普通じゃない。

普通じゃないから、とても落ち着く。



「…………このような場所があるとは」



寝惚けている俺の耳にそんな声が入る。

なんだ、こいつも来たのか。

迷宮が生み出した人類の悪意の映し鏡。

天魔ゼルフ』の女だろう。



「廃棄区画……? いえ、それにしてはあまりにも…………」



来るのはいいが静かにしてほしい。

雪が地面に沈む音すら聴こえる静寂だったのに。


雪禍せっかを抱いて胡座をかき、もう一度入眠を試みるも上手くいかなかった。

膝を往復する兎と欠伸(?)をする鹿、突っ立ったまま固まってる赤褐色の肌の迷宮女。


「…………なあ、セラ。レベルが0を下回って、体力も何も設定されていない身体ってこれからどうなるんだ」


手元でじゃれる白兎に訊いてみるが答えはない。


「……ジン。誰にも言えない力って、どうすればいいと思う。

どう扱えばいいんだ」


今度は鹿に訊いてみたが返事は当然無い。

こいつに至っては寝てるまである。


「…………俺が何をどうすれば月詠つくよみ月詠つくよみでいられるのか、親父は知ってるなら教えてくれよ」


腕に抱く白刃は冷たいままだ。


「………………」


雪も語ることなどない。

誰も何も言わない。

だからこれだけ胸の裡を明かせたんだが。


今このときに誰も答えてくれなくても、答えなんて初めから知っている。

空虚な問答は気持ちの整理のためだ。



「考えて迷って、それでもわからない時に」



立ち上がって、頭の上に積もった雪を払う。

上半身裸のまま歩く。靴は凍ってしまったため細切れにして捨てた。

あてどなく、ではなくちゃんと目的地を目指して歩いている。

正確には目指しているのではなく、探しているのだが。



「答えが出なくて足が止まった時に」



少し歩いたところで吹雪が俺の視界を奪う。

魔力的な知覚などできっこないから本当に何も見えない。

銀の壁の向こうに感じるのは悲嘆、それから慟哭。


『ノーブルモンスターね。逃がすんじゃないわよ!』


階層主フロアマスターじゃない。気を引き締めなさい!』


なぜか勝手に開いたステータス画面にうるさく表示されるポップアップ。

それに気を取られていれば、今度は耳をつんざく咆哮。

それで『彼』ではないとわかる。


雪の嵐を吹き飛ばして姿を見せたのは、黒く染まりきった夜叉だった。

両目に突き刺された刀が後頭部を貫通し双角の体を成し、『彼』とは異なり鎧ではなく黒い着物のような衣服を纏っている。

乱れた長い黒髪は雪風に揺れ、修羅に相応しい雰囲気を醸している。

両手には四メートルはあろうその巨体に見合う大太刀、開いた口には鋭い牙、人に近いつくりだが脚間接部はどうも四足動物のそれにも見える。

赤黒いオーラは見知ったものだ。


種族名『ノーブル・レイン』


Lv.Ex



「その手に剣があるのなら」



──いい、ハガネ?。どうしても動けなくなった時、


───真っ暗の中で息もできない時、



─────そうだなあ。とりあえず、




「とりあえず、斬ってから考えるか」




蛮族じゃあるまいし、滅茶苦茶すぎる。

それなのに、なんでこうも心根に馴染むのか。

そう言ったって、返ってくる言葉はきまっていつも同じだった。




───だってそれが、『月詠つくよみ』でしょ?





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― 新着の感想 ―
[良い点] 天魔と安直に敵対しない所が主人公の魅力や性格が出てて素敵です [気になる点] 人類のレベル上限も上がったのだろうか?じゃなければ主人公以外にダンジョン攻略できるやつは主人公がキャリーしない…
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