44話 終わらない一日
『正直今はどこの天迷宮も人手不足だろうね。
出入り口の監視を厳重にするほど暇ではないだろうし』
音冥ノアに涼やかな声でそう言われた昼過ぎ。
それから少し経って、俺は斑鳩市内の月詠傘下の会社が経営するマンションの一室にいた。
当然ながら今日の狩猟訓練は中止である。
テロリストの襲撃という三年に一回あるかないかレベルのレアな行事が重なったからだ。
結局一学年の生徒は学校側が推奨する公共交通機関か保護者による送迎によって事無く帰ったと、学校側がネット中継の会見で発表していた(とセラが言っていた)。
俺も自宅に帰ってもよかったが、何となく落ち着かない気がしてこうして別宅に転がり込んでいた。
何もない部屋だ。物が少ないだとか整理整頓が行き届いているとかでなく、本当に空っぽである。
胡座をかいて首に巻いたチョーカー型の端末で虚空にディスプレイを投影する。
画面に映るのは常葉陸型獣管理所の一角。
あの『トコハの天迷宮』の入り口である黒く巨大な螺旋階段が映されている。
月詠が根深く関わりを持つ国営治安維持会社『シンゲツ』が、トコハの天迷宮の前線警備を担っているとのことで、こうして取り付けられたカメラからの映像を相伴にあずかっていた。
親父が代表取締役をしているだけでなぜそのドラ息子にこんな権限が与えられているのかと言えば、ひとえに過去の剣術指南の際の出来事によるものだった。
気まぐれに参加しただけのただの訓練だったはずが、貿易路に紛れ不法入国した外国人狩人の一団と交戦し、たまたま俺が取り押さえ良いところを掠め取ったというだけだ。
元々シンゲツは要人護衛のもと、魔法に依存しない近接戦闘に重きを置いていたためか、それ以来シンゲツ内では俺の評価はなぜか決して低くないところにある。
シンゲツ社の中央監視システムへのアクセス権まで渡されているのは、暗に何かあったらお前が動けよという意趣なのかもしれないが、役に立つ日が来るとは思わなかった。
なぜこんなものを見ているのか、それはひとえに暇だからである。
「…………随分警備が緩いな」
それなりに距離があるとはいえ常葉と神田は部分的には隣市だ。
テロリストによる襲撃が近場であったにも関わらず、トコハの天迷宮周辺は定期的に軽武装の警備員がうろつくばかり。
拠点設備が置かれていないのはおそらく湧いた獣に破壊されるのを嫌っての事なのだろうが、それにしたって備えもなく警戒もないように見える。
斥候部隊の崩壊。
戦うこと、逃げること、生きることに特化した部隊がそれでも本懐を遂げられないほどのものがあそこにはあっただろうか?
俺が見たのは獣生みの呪花と『ロスト』、『スライム』といったレベル100超えの獣たち。
確かにその規格外の獣は脅威だろうが、逆に言えばレベルしか彼らにはなかった。
知恵も何もない蜘蛛型の獣『ロスト』は間接部に一太刀入れるだけで倒せた。
完全魔力構成体という異形の『スライム』も、雪禍による異能でなくとも一流の狩人の魔法攻撃ならば苦にはならない程度の耐久力に思えた。
まさかあの首無し武者『スノウ』が這い上がって来たのか?
アレにそんな能動的な活動理由が肉付けされたとは考えにくいが、何が起こるかわからないのが天迷宮だろう。
───
月詠ハガネ(15)
Lv.-126(総獲得経験値-686051pt)
体力:0/0 魔力:0/0
攻撃力:-346
防御力:-49
魔法力:-55
俊敏性:-811
異能【夕断】
───
「悪化してんなあ……」
数日ぶりに見た自分のステータスはなかなかにむごいものだった。
成長限界と呼ばれる、レベルが100を超えた時点でかかる成長の制限はどうやらこのマイナスにも同じように適用されているらしい。
現に前回見た総獲得経験値はマイナス20万そこらでレベルが100台だったにも関わらず、今はマイナス60万の経験値に対して120程度だ。
これでも相当に経験値はブーストされているのだろう。
彼我のレベル差が取得経験値にダイレクトに関わってくるということから、あの竜もどきたちとのレベル差は尋常ではなかったはずだ。
それに加えて、『ロスト』や『スライム』と異なり雑魚敵ではなく『ボス』として設定された竜を模した敵であったがゆえに加算値がえげつないことになっている。
改めて考えるとマイナスとは何を意味しているのだろうか。
神を暴く、ではないにしろ魔法研究は禁止されているため、民間の機関や国ぐるみでは表だってステータスの仔細な構成要素を追究することはしていない。
ただし当然ながら秘密裏に神を追う者は少なくない。
そんな邪教にして外法である者らが糾弾され続けてなお遺したステータスと魔力の相関書は幾度となく焚書されてなおどこかにまた現れ出ている。
なぜ排斥されるのかと言えば、でたらめを言っているからというわけではなく、むしろその逆。
あまりにも正しすぎたからだ。
「攻撃力とは『動的魔力』」
対象を動かし形を変える際に用いられる魔力。
貫通力と言ってもいい。
その数値が高いということは、それだけ動的魔力による強制力が働いているということに他ならない。
『ASTRAL Rain』内でのダメージ計算式に用いられるような狭義の意味での『攻撃力』を人工知能群が世界を侵食する際にそう解釈変更したのだろう。
「そして防御力、これは『静的魔力』」
動的魔力が『動かす力』なのに対して、静的魔力は『動かされない力』。
狩人の身体を覆う『魔力障壁』とも言う。
これの要は、例えばどれだけ防御力の高い者でも、頬を引っ張れば伸びるし、押せば身体は動くという点だ。
例えば巨大な鉄球で殴られた際、防御力次第で痛みやダメージはないかもしれないがその身体は吹っ飛ぶ。
あくまで魔力障壁を纏う当人が変形あるいは変質し過ぎないために働く力であるがために、その運動量までは殺せない。
「魔法力は『魔力変換効率』」
読んで字の如く、魔力を現実へと変換する際の効率。
高ければ高いほど魔法の展開は速く、その威力は大きくなる。
消費される魔力が少なくなると言うことはなく、ただ魔法力が高い者は総じて魔力も豊富なために結果として効率という言葉が適格とされたらしい。
これがいわゆる『魔法の才能』に値するパラメータだろう。
「俊敏性は『身体還元率』」
魔力が身体に馴染みやすい体質。
髪から皮膚、臓腑に至るまでに魔力と適合する者は運動能力が飛躍的に高くなる。
『人の意思に従う』という魔力の性質上、動作一つに補整がかかり、脚は速くなり目は一瞬を捉えるようになる。
重要なのは俊敏性が上がったからと言って、突然宙返りができるようになったり見えなかった物が見えるようにるというわけではないという点か。
それゆえに良い狩人は鍛練を怠らない。
自力の上に肉付けされた俊敏性こそが本当の『疾さ』だと知っているからだ。
これらが隠匿された『虚構』であり『外典』。
あまりにも核心を突いていて、『暴くべからず』のステータスと魔力を合理的に説明している。
別にこれが広く民間に知れ渡ったからといってどうなるとも思わないが、世界共通統魔連合は奇蹟の探求に対して警鐘を鳴らし続けている。
そのものの構造を知った結果、人類は遺伝子組み換えだの改良だのを平然と行ってきたわけであり、いずれ改良された子供が氾濫する未来が想定されてしまうというのが彼らの展開する持論だ。
ただまあ狩人ひいては人類はこのステータスと魔力の相関というものを完全には理解していなくとも、肌感覚で『なんとなくこういうもの』だとは理解している。
放物線の式を引かなくともくずかごにゴミを投げ入れられるように。
深層的な部分で触れてはいるのだろう。
だからこそ、俺のマイナスは理解に苦しむ。
元々残念ながら魔力というものをとんと感じられない体質だ。
生前(?)は当然のように魔法力は低かった。
だとしても、例えば今の俊敏性は-811で、つまりは身体還元率がマイナスということだが、俺の身体は羽でも生えているのかというくらい軽い。
防御力、静的魔力もマイナスだが身体が脆くなったわけでもない。
実はマイナス自体はお飾りで、絶対値だけ参照している。なんてことも考えたが、そんな虫喰いあるのだろうか。
「………………ん?」
思考に没頭していると、ディスプレイの中が騒がしくなっている。
常葉の管理所内に取り付けられたカメラからの映像のために音声は聴こえないが、侵入口の警備をしていた隊員がシンゲツの支給する隊服とは異なる狩人装束を纏う隊員とあれこれと話し合っている様子が見られる。
角度的に口の動きは読めなかったが相当慌てていることは確かだ。
「…………音も拾っておくか」
与えられたコードで認証システムを突破してシンゲツの通信管制区に接続する。
月詠ハガネからの接続信号はあちらにも通達が入っているだろうから、俺からの発信は無しであくまで傍聴という体を示す。
文句も何もないところを見るに問題ないとされたか、構っている場合ではないとされたか。
顔見知りが多いために多分前者であることを願おう。
『救援混成部隊『アゲハ』、応答願います。
繰り返します───』
管制区ではそんな応答が響き渡っており、その背後で何人もが慌ただしく喋っているのが聴こえる。
緊急事態に他ならない。
『アゲハ』という部隊名はシンゲツには無かったはずで、混成部隊ということから他会社や組織との緊急時の臨時業務提携か何かだろう。
『アゲハよりα-1から単色信号!
識別結果、交戦のち逃走の模様!』
『β-3、通信不可。
完全な信号途絶のため復帰は困難です』
物々しい雰囲気が段々と熱を帯びている。
依然として聴こえるのは管制区からの報告のみだ。
間違いなく、俺が向かった時とはトコハの天迷宮は様相が異なっている。
救援部隊というものは得てして脅威度に対して用意した人数の二倍は質と量を伴って編成されるものだ。
それがこんな地獄を見る?
彼らは俺とは違いレッサー・ガウルの大群ごときそのまま焼き払えるし、スライムに囲まれたとて貴重な高ランク武装と卓越した連携で切り抜けること自体は容易なはずだ。
『駄目です! アゲハよりα全隊員の端末反応途絶!』
悲鳴のようなオペレーターの声。
それとは対照的にトコハの天迷宮の侵入口の映像は静止画の如く変わらない。
段々と濃厚になる部隊の壊滅の可能性。
気付けば俺は鍵も掛けずに部屋を飛び出していた。
『β-1から単色信号!
………………こ、これは』
『……………………『任務完了』の赤黄橙』
単色信号は携帯端末の電波が届かない活動地での現代狩人の通信手段の一つだ。
その用途は主に緊急時の信号であり、文字や音による悠長な報告が叶わない時に限り用いられるものである。
色の組み合わせと順番で状況を伝えるそれが今この緊急時に寄越したのは『任務完了』の報告。
そんなわけがない。
それでもなお、かの地底で戦っていた隊員が残したかった言葉と解釈するなら。
『………………安否不明の赤黄橙は…………、警告だ』
低い声が管制区を静まり返らせる。
熟練のオペレーターらしき人物が放ったその言葉はその場を凍りつかせるには十分だった。
任務は完了した。
とは、もうそこでの用は無くなったという事だ。
それはつまり、もう来なくて良いと言われているに他ならない。
来なくて良い。
来てはならない。
『迷宮座標FL59の中継端末の再起動完了。
記憶領域のサルベージ、開始します!』
持てる脚力全てで地面を蹴り飛ばして常葉へと向かう。
間に合うとはとても思えなくても、行かない理由にはならない。
シンゲツには知った顔が多くいる。
月詠が偉そうにふんぞり返っている場合じゃない。
『未送信データを二十八件確認。
うち再生可能なものは…………、最新の一件だけですが、それもおそらくノイズが……』
『構わない。総員、傾注!』
しんと静まり返った管制区。
次いで轟音と悲鳴。
戦闘の音だ。
ざらついた音質が更に割れる。
『……の悪魔…………て……我々を…………』
ぶつりと途切れた音声の最後。
残されたその言葉は静寂を強制した。