42話 困難こそ希望
冷たくて静かだ。
積もった魔力の結晶が太陽光を乱反射して白く光っている。
初めて人体に向けて放った雪禍の異能。
遠距離から限り無く加減してなお、やはり魔力に適合している狩人相手ではその威力は計り知れない。
二体の竜もどきの亡骸の間にうつ伏せに倒れる解放同盟エルシアの首魁、棚井は呼吸音は感じられるため致命傷とまではいっていないだろう。
人は魔力と調和している。
人の意思に反応する魔力は、例えば歩きたい走りたいと言った電気信号に忠実に応え、その補助を少なからず行っている。
やがて順応しきった人間は、臓腑の維持や呼吸に至るまで、本来ならば身一つで行えた筈の生理的な活動まで魔力に頼ることすらある。
百年前に提唱された機械化に伴う筋力の衰えはあくまで人が動かない前提の主張であり、補助ありきとはいえ運動行為自体は獣の存在により頻度が増えたお陰か魔力依存体質の人間と言えど主だった問題は発生しない。
魔力とは個人が保有するものであり、放射し空になった器には時間経過と共にまた満たされていく。
だからこそ雪禍の持つ異能【終銀】は半ば反則的な力を持つことになる。
他人の持つ魔力まで勝手に凍らせる。
その運動を停止させ、無力化してしまう。
生まれた頃から魔力に慣れ親しんだ人間にとっては酸素を奪われることと同義だ。
加減を覚え、上手く付き合っていかなければならない。
「……寒いな」
寒くて心地が良い。
魔力がその運動を停止する際、変質途中であった物はそのまま分子の運動を停止し実質的に凍結する。
足元の草木が冷えきり、大気中にダイヤモンドダストが見られるのは恐らくそのためだ。
間違いなく氷点下並の肌寒さだが、どうにも離れたくない。
睡眠が不要になったことといい、この身体は異常だらけだ。
だが流石に騒がしくなってきた。
五十人の狩人の卵を襲った悪意溢れる過激思想集団。
それに加えてセラや倉識教官が竜もどきに関する報告もしてくれている筈だ。
怖い人たちが来る前にこの場を離れよう。
「───お疲れ様、ハガネ」
かしゃりと、凍った草を踏み潰す音と共にその人は現れた。
驚いたが、何となく予感はしていた。
「はい、音冥先輩」
流れるというよりかは少し荒々しくそれでいて気品も感じる長い金髪。
学校指定のものではなく、黒を貴重としたシックなデザインの狩人装束を纏っている。
武装らしい武装もないが、頼りなさは微塵も感じない。
「ノア」
「…………ノア、さん」
なぜ下の名前で呼ばれることに拘るのか。
そんなことを考えている場合ではないのに気になってしまう。
気配も何も無く突然現れたこの人に驚きはしても意外とは思わなかった。
突然世界が終わっても平然と立ってそうな雰囲気しかない人だ。
「なるほどね。これが今流通しているデミドラゴンなんだ」
「ええ。魔力由来ながら強制的に受肉させられたような構成体でした」
流通という言葉からして、こんなものを製造して売り付けている異常者がいるのだろう。
先ほど現れたスーツ姿の男。
そして棚井が言っていた『植物園の奴ら』というワード。
間違いなく『鎖木の植物園』が関わっている。
『竜災後最悪の魔法開発研究機関』、それがかの組織の総評。
表舞台に出てくることはなく、いつだって時代の裏側で暗躍する闇の底の住人たち。
侵食現実の黎明から中期にかけて頻発した魔法を使用した戦争とその威力や精密性を高める各国の機関による魔法開発競争。
それがもたらした大破壊を受けて、国際的に禁じられたのが『魔法と獣の発展的な開発』。
職を追われた一部の研究員たちが集って出来上がったのがかの機関と言われているが、植物園自体の成り立ちはそれよりも遥か前だと言われている。
魔法開発だけではなく、人体実験や禁止兵器の製造、そしてそれらを躊躇いもなく使用する壊れた倫理観の持ち主ばかりとされ、解放同盟エルシアなど比にならないレベルの危険度を持っている反世界反人類活動組織とされている。
「植物園の関係者らしき男は取り逃しました」
「彼らがわざわざ出てくるなんて、珍しいね」
護国十一家は鎖木の植物園のような『底』に住む諸悪らにも関わる機会がそれなりにある。
そう言った手合いの存在は一般的な狩人は知らない方が良いことであり、内密な対処を求められることが多い。
あのスーツの男が今後この国で何を企み動いていくのかを見極め必ず阻止しなければならない。
つくづく逃げられたのが口惜しいが、一つ灸を据えられたのはよかった。
「取り逃がしはしましたが、無事ではないと思います」
セラや倉識教官と別れてから、一瞬だけ視界に映った空を飛翔するスーツ姿の男。
数百メートルは離れてはいたが、雪禍を引き抜きその脚を強引に停止させた。
距離が距離だっただけに手加減などしていない。
本気で魔力を死滅させる勢いで【終銀】を放った。
墜落させるには至らなかったが、あの傷は単なる外傷と異なりそう簡単に癒えるものではない。
「うん、いいんじゃない。
デミドラゴン三体と潜伏エルシアの支部長の身柄が手に入ったし」
翼より少し低い位置で上下に真っ二つになった、冷たく閉ざされた竜もどきの死体。
どう説明したらいいか悩みかけたが、どうやらこの人はその辺りを言及してくる気は全くないらしい。
月詠家という、護国十一家とはいえその序列は最下位。
しかもその失敗作として知られる俺がこの凍てついた地と二つの巨体の屍を作り出したことをまるで疑いもせず、そして意外とも思っていない。
「『六海』が関わっていたみたいだね」
藪から棒に青天の霹靂。
六海とはおそらく護国十一家が一つ、序列八位『六海』家の事ではあるだろうが。
関わっていた?
何に?
「六海と言えば関東部の防空の要ですが」
「こんな巨体が陸路を通れるわけないからね。
たまたま手薄だった空から降ってきたんだよ」
冷たくなった竜もどきの死骸を見ることもなくそう告げる。
この人は何を言っていて、何を知っているのか。
その言い草ではまるで護国十一家がテロリストどころか世界の敵と共謀しているような風では。
まあ、そもそも音冥家自体が解放同盟エルシアを利用して事態を引き起こしていたわけであって、他家が似たようなことをしていてもおかしくはないが。
それにしたって事実だとしたらどこの家もろくでもないにも程がある。
政治的な事情があるのだろうが、そう易々と国家の危機を演出されては困る。
マッチポンプも加減を誤ったら大火事に繋がるだろうに。
「ただ、当面は護国の家による茶番は起きないかな。
皆、忙しくなるからね」
「天迷宮の件ですか」
「うん」
もぬけの殻でしかなかった既存のものとは大きく異なる本来の機能を発揮するそれは、高ランクの武具などの収集にはもってこいだ。
『地均し』と呼ばれる天迷宮内のマッピングと獣の掃討が行われ次第、そこはロマン溢れる夢追い場ではなく兵器工場へと早変わりするだろう。
そう言えば、エルシアの狩人たちが使っていたあの魔銃とかいう兵器。
魔力の礫を放つ対狩人用の革命的な武装だったが、あれも新しく天迷宮が生んだものだろうか。
「『トコハの天迷宮』、『ツガイケの天迷宮』、そして『オクリバナの天迷宮』。
この一ヶ月で新しく発見された、機能している天迷宮だ」
「…………」
三つもあったのか。
いや、もっとあってもおかしくないだろう。
トコハの天迷宮の雑魚敵である『ロスト』という蜘蛛型の獣が俺一人でも倒せたことを考えるに、地均しはそう遠くないうちに完了しそうな気もする。
そうなれば今度はその天迷宮の権利争いが始まるのだろう。
迷宮産の貴重な武具を巡るそれは政府や護国十一家、守護の一族なども取り巻いて面倒な様相を呈するに違いない。
「昨日から地均し前の先行部隊が三つそれぞれの迷宮に向かったんだ。
政府から貸与されたSランク兵装まで持ち出してね」
100を超えるレベルを持つ未知の獣たちの脅威を考えればおかしなことではないだろう。
戦闘に長けた者たちによる十全な準備のもとの攻略だ。
地均しの完了に一ヶ月もかからないだろうし、そこからは如何にして天迷宮を搾るかの協議が始まる。
どれだけ効率よく獣やボスを再出現させ、効率よく殺し、効率よく武具を入手する。
そこからは算盤を弾いて舌戦と謀略の世界だ。
辟易していれば、目の前の金眼と目が合う。
乏しい表情ながら、おかしそうに少しだけ笑っている。
来る波乱を憂う俺がそんなに滑稽に見えたのだろうか。
「さっきね。私に連絡が来たんだ。
それも三つ」
「……」
どれだけの困難に見舞われようと、結局人類はどうにかしてしまう。
魔法や異能と言った未知なる奇蹟でさえも、縄張り争いの道具に落とされてしまう。
「失敗したって」
「………………え? 」
人が争わなくなるようにするとなれば、それは共通の敵を作るしかない。
協力しなければ打ち倒せない困難を押し付けるしかない。
「常葉も栂池も送花も。
斥候が半壊して救援部隊が向かったそうだよ」
それは悲報であり、悪い方のニュースであるにも関わらず。
不謹慎にも、希望に思えてしまった。
ローファンタジー週間ランキング入りしてました。
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