39話 斬って殴って
「オイ、月詠。教官命令で引いていいぞって言ってやってんのに。
何を斬るだって?」
「倉識教官が手を下すまでもないということですよ」
引き抜いた刀は至って普通の非天迷宮製のものだ。
特殊な力など無いし、鉄由来ゆえに魔力障壁にぶち当たれば途端になまくらになる。
だがもうそんなことは言ってられない。
「…………テメエはもう少し弁えてる奴だと思ってたが。
確かに『十一家』の、───血筋だな!」
十中八九褒め言葉ではないものを受け取りながら、三人で大きく後ろへと跳躍する。
俺たちが二秒前まで居た場所には巨大なクレーター。
火の系列の魔法なのはわかったが、あれ程爆ぜて後に残らないものを俺は知らなかった。
つまりは未知なる竜の魔法。
だが俺たち人間が使う魔法と同様に『展開円』がその爛れた口元に弧を描いていたのは見抜けた。
魔法を使う際、魔力が現実世界へと変換されるにあたって発生する赤い真円。
手から放てば腕の周りに、無動作なら最も魔力が寄っている場所に。
用いられた変換式の残滓とも、変換の際の余剰魔力の漏れ出しとも言われているが定かではない。
とにかく竜とてその魔法の根幹は人とそう離れてはいないことの証明だ。
「聞け、不良生徒ども!
竜の魔法は本能直結の無構築魔法だ。
粗雑な分その展開の速さは人のそれと一緒だと思うなよ!」
美人ながらものすごい剣幕で叫ぶ倉識教官。
目だけで返事をして前を見れば、デミドラゴンの身体の至るところに展開円。
口、手足、翼の先まで。それら全てが魔法の兆候だ。
「散れ!」
散開した瞬間に始まる広範囲の爆破。
威力はそれほどだが速度と連射性に優れた謎の魔法。
避けている間にも新しい展開円が土の舞う向こうから見える。
強引に距離が離されていく。
だが思ってしまう。
竜とは本当にこの程度なのか?
狩人十人を相手にしているような魔法の弾幕の嵐だが、言ってしまえばそれは狩人十人程度の力でしかない。
現に倉識教官は元より、俺もセラも見に回っていること抜きにしても回避は悠々と出来ている。
どれだけ展開が速かろうと魔法は魔法。
予測線である展開円の報せと放射までのタイムラグで十分見てから回避が間に合う。
「どのタイミングで仕掛けますか」
端末でこの場の三人用の使い捨て個室を作り問い掛ける。
おそらく二人ともこの竜との立ち回りがある程度固まってきたはずだ。
魔法兆候から放射までの時間、鈍重な身体でのひっかき等の肉弾攻撃。
その爛れた表皮の硬度だけは読めないために迂闊な突貫は禁物にも思えるが。
『難しいな。
汚え服を着ちゃいるがあの下は竜皮っつって馬鹿げた硬さの鎧が仕込まれてる。
私の剣でも両断は出来ねえな』
『こちらも貫通力の高い下位魔法を撃ってはいますが、着弾時に霧散しているあたり魔力障壁も相当な物だと思われます』
攻撃能力は知れているが防御面ではやはり竜の面目躍如ということか、竜もどきと言えど本物は本物か。
戦闘とは直接的に関係はないが、こうなってくるといよいよ疑問に思えてくる。
まずこいつがなぜ解放同盟エルシアなどに……いや、人などに従っているのか。
竜は獣の比にならないほどに人に対して敵意を持つよう設定されている。
それこそ人類を滅ぼしかねなかったほどに。
懐くとかそういうレベルの話ではない。
だがこいつは、今この間も後方でにやにやと事態を眺めているあの棚井とかいう男に一切危害を加えようとしていない。
まず考えられるのはあの眼孔に埋め込まれた装置だろう。
目玉の代わりにされたそれに洗脳効果でもあるのか、竜どころか獣すら今の技術力では従えられないはずだが。
先ほど棚井が端末のパネルに何かを打ち込んでいたことから魔法ではない技能によって支配されていることは確かだろう。
そしてもう一つ。
そもそもエルシアになぜこんな切り札がいるのか?
人里から離された管理所とはいえ魔法都市圏内であることには変わりない。そんな場所にぽんと竜を放ち、あまつさえそれを従えるなど。
そんなことが出来る組織なのか?
いや、そんな筈はない。
音冥ノアが俺に伝えた『第三者の介入による事態の悪化』という言葉がキーワードだろう。
断定するのは早いが要らぬ思考に囚われることはなくなった。
「倉識教官、今から俺が竜の気を引きます」
『…………合わせてやるのはやぶさかじゃねえが。
お前が死んだら私が責任問われんだからな』
「わかってます」
彼女なりの気遣いの言葉を貰い、わかりやすく無防備に前に出る。
あとたった二メートル前に出ればあの爆破魔法の射程内だ。
手に持つ得物はただの刀。
魔法は使えず異能も見せびらかすのは躊躇われる。
あるのは0で固定された体力と、マイナスに飛び抜けたステータスだけ。
「正面突破だ」
納刀する。
居合の構えではない。
それだけを見てセラが合わせてくれる。
背を押す風の魔法。それを受けて俺は駆け出す。
何一つとして才らしきものを持って生まれなかったと揶揄される俺が、唯一他の人より明確に優れている点。
それは魔力の完全な不可視化。
通常人は魔力を知覚する機能は持っていない。
ただし、視覚や触覚を通してなんとなくはその総量や質の変化などを感じ取れる。
人によっては可視光線として変換する力を持っていたり、色や音といった代替表現で認知することを可能とする者もいる。
多かれ少なかれ魔力というものは十全には見えずとも、五感に影響を与えている。
だが俺にはそれが無い。
魔法の才能が無さすぎると中等部では謗られたこともある程に、俺は魔力の一切を感じられない。
まだ魔力が俺の中にあった頃でさえ、内を流れるその所在を掴むことは難しかった。
魔力を視ることも、聴くことも、感じることすら出来ない。
魔法技能が人間の優劣を決める大きな要因の一つである現代において、それは酷く不出来で頼りなく、哀れみすら覚えられたこともあった。
だが、俺を嘲った人間は俺の視界を知らない。
魔力という世界の不純物を完全に無視して睥倪する世界を。
昼間に見る星の美しさも、雲間の向こうの月の儚さも。
あらゆる大気中に漂う濁りを斬り捨て、現実世界に起き得る事象だけを見る力。
奇蹟を見ないという選択肢は奇蹟以外の全てを視ることを意味し、魔力観測に用いられなかった容量は膨大な現実の情報量の処理にあてがわれる。
つまるところ、この程度の攻撃など止まって見えるということ。
「右前腕、右背翼、頭部、頭部、それから尻尾」
魔力自体は見えずとも、魔力が変質し世界に色や形を伴って現れてしまえばそれは俺の目に映る。
展開円がいい例だ。
そして見えてしまえば兆候から発動までの時間で爆破の道筋を読み取れる。
今までは見えるだけで身体が追い付かないことが多かった。
ただ、今のこの俊敏性なら。
両翼の爆破魔法は俺ではなく前方範囲にまばらに、逆にそれ以外の手足によるものは俺を直接狙うものだ。
地点爆破にだけ気を配り真正面から突貫する。
倉識教官も中位魔法を放ち、痛手にはならずとも竜の感覚的な妨害を努めてくれている。
セラの風を受けて大幅に加速している今なら追尾爆破の方は置き去りに出来る。
迫って、あと五メートル、四メートル───
「月詠! 尻尾だ!」
倉識教官の声と同時に、俺が地点を狙った爆破を宙に跳んで避けたのを見計らったように竜もどきの茶色い太長の尾が持ち上がっていた。
とっておきなのか、不意を突くその尾には魔法の形成準備の完了を示す展開円。
その眼前で地に足付けていない俺。
突然重力が百倍にでもならない限りこれは避けられない。
「ハガネ君!?」
セラの悲痛な叫びが聴こえる。
防御力がマイナスの俺が攻撃を食らえばどうなるんだっけ。
首無し武者との闘いではあまり食らった覚えがないためはっきりしなかった。
まあどちらにせよ無事で済むとは思えない。
避けられない。なら弾かせてもらう。
とっておきにはとっておきを合わせるしかない。
左手手袋の下のそれを強く想う。
銀雪に希う。
「雪禍」
誰にも聴こえぬよう呟いて、白刃を出さぬままにその異能を極小規模で展開する。
【終銀】。
対象の魔力の運動を停止させるそれを、雪華結晶の浮かぶ左手の裏拳で打ち込む。
雪禍本体を抜かなければ完全な効力は発揮されないが、逆に抜かなければある程度制御された絶冬の異能が行使可能となることをこの三日間で俺は知見として得ていた。
空間に亀裂が入る。
入ったように見えただけで、その実は魔力から魔法へと変質途中だった状態不安定な魔力が一瞬だけ固定され凍りつき、薄い板状になったものを俺が砕いただけにすぎない。
直ぐ様霧散するであろうそれが地面に落ちるよりも速く、俺は真正面へと突っ込む。
【夕断】も【終銀】も使うことはない。
おいそれと使うにはあまりにも常軌を逸した力だから。
弾いた勢いで更に加速して、竜もどきにむかって走り、
走り抜けた。
その横を通り過ぎた。
最初から狙いなど決まっている。
逃げる素振りはどこへやら。
先ほどからにやにやと俺たちを嗤っていた男。
「凍てついて死ね」
「……えっ、なっ!? おおお、おい!?デミドラゴン!!」
解放同盟エルシア極東地域常葉支部支部長。確か棚井。
俺はそのまま少し減速して、景気よく左拳を引き絞った。