38話 竜
『竜』とはこの世界に侵食した奇蹟の中でも一際特異な存在である。
侵食以前から存在していた生態系から派生する狭義の意味での『モンスター』とされる『獣』と異なり、竜は完全な独立した体系を持つ。
侵食のもととなったVRMMO『ASTRAL Rain』内で記述、モデリングされた物を人工知能群が読み取り魔力によって形作った空想上の生き物。
膂力、魔法力その全てが強大であり、レベルは100で固定され人のそれとは比較にならないステータスを持つために討伐は容易ではない。
五十年前に発生した竜の大侵攻『竜災』は人々の生活圏を削り、半世紀経った今でもその傷跡が残る地は少なくない。
だがそれでも人類は竜に打ち勝った。
残党がまれに人界に姿を見せるも培ったノウハウと魔法戦闘技能の先鋭化により討伐部隊による迅速な対処が現代では可能となっている。
だがそれは竜が人の脅威でなくなったという理由にはならない。
もし街中にぽんと現れでもしたら魔法的防衛手段に長ける都市圏でさえ大打撃は免れない。
そんな化物が目の前にいる。
「ハッ、ハハハハハハハ!
なんと醜い!なんとおぞましい!だがこれこそ貴様らの罪なんだよ!」
解放同盟エルシア支部長、棚井が哄笑と共に叫び散らす。
その翼の生えた蜥蜴のような生き物は、生き物と形容するのに抵抗を覚えるほどに歪だった。
短い手足を草原につけ腹這いになりこちらを窺うその姿。
皮膚は爛れ死肉のようなものが張り付けられており、口からも死臭が漏れ出している。
全長十メートル近く、体高三メートルほど。
巨体と言うには十分な大きさだ。
「…………デミ、ね」
demi、要は半分という意味であり、棚井が叫んだデミドラゴンとはそのまま竜もどきということなのだろう。
ただ、『ASTRAL Rain』内では半ば大ボスのような扱いが想定されていたこともあってか、竜の多くはその全てが高貴であり美しくなるよう設計されたはずだ。
俺は記録映像でしか見たことがないが、こんなものがそうであるはずがない。
「倉識教官、あれは本当に竜なんですか」
この人は数年前の『竜の残党狩り』に参加している。
実物を見たことがある数少ない狩人だ。
「…………あいつらには知能があった。
犬とか猫とかそういうレベルじゃねえ、人間並のそれだ。
そして何より穢れを嫌ってた」
穢れを嫌う、というのは初めて聞いた情報だった。
高貴であるということをそう言った習性を備え付けることによって再現しようとしたのか?
何にせよ目の前の腐り果てた物体がそうでないことは確かだ。
「では、竜を模した何かだと」
「………………いや。あいつは間違いなく竜だ」
倉識教官の表情からは怒りすら感じられる。
その確信を後押しするのが何なのか俺にはわからなかった。
だが、この人が言うのならそうだろう。
そして、正しく竜ならば手加減などしている余裕はない。
「月詠、風霧。ここは私が引き受ける。
応援呼んでこい」
弱気とまではいかなくとも大分後ろ向きに思える倉識教官の言葉。
俺たちを逃がす方便か、戦略的な問題か。そのどちらもだろう。
だが、竜は本来『金』の狩人複数名で入念な作戦のもとの討伐が推奨される難敵だ。
この人の力を侮るわけではないが、いささか賭けのようにも思える。
なら俺がやるべきことは。
「第二種討伐要請をたった今送りました。
部隊の再編や人員の召集を鑑みても二十分は掛からないはずです」
月詠、というよりかは護国十一家には守護の特権として、緊急時の国土防衛に伴った非一般通信の権限が与えられている。
事態の終息後には長々とした権利行使証明文を書かされるのが玉に疵だが、どこでも使用可能な国土防衛省きっての一流部隊の召喚機能ということで使わない手は無いだろう。
「…………お前まさか私と一緒に残るってんじゃねえだろうな」
「ハガネ君。あの未知数の竜相手に耐え続けられる根拠があるの?」
地響きと共に地面を歩み、俺たちを瞳無き目で睨むデミドラゴン。
お喋りの終わりを告げるが如くようやく臨戦態勢に入ったようだ。
その後ろでは棚井が逃げようともせずにやにやと眺めている。
俺もいい加減限界だった。
「違うな、セラ。耐えるつもりなんて更々ない」
見た瞬間から腹の裡に湧いた絶対零度の怒り。
あるべきものを、そうでない形に歪めてしまう所業。
それは月詠にとって最も許し難く、否定し続けなければならないもの。
左手の甲が痛い程に熱く、冷たくなっているのを感じる。
ここで耐え続けて救援を待つ?
そんな必要は無い。
一刻も早く、こいつを解放しなければならない。
そのためにすべきことはただ一つ。
「斬るぞ」