36話 獣には狩人を
「なっ、なんだ!? 爆発!?」
「いったあ!」
「獣の襲撃か!?」
武装した学生狩人が慌てふためく中、自然とはかけはなれた奇妙な霧が発生する。
発煙手榴弾の類いが爆発に乗じて放られたのか。
この煙を吸い込むのは避けたい。
地面の爆破は狩人の魔力障壁を突破出来るような規模ではなかった。多分陽動の一環だろう。
「全員武器を仕舞え! 意味も無く振るうなよ!」
近くにいるであろう倉識教官の怒声は果たして効果があったのだろうか。
この大所帯で視界すら不安定の恐慌のままに剣や槍を抜いた生徒たちが攻撃し合う可能性は低くはないが、これが狙いなのか?
ひとまずこの鬱陶しい煙を払わなければならない。
「セラ」
「ええ」
今度は身体を浮かすほどの豪風が吹き荒れる。
『魔法』
侵食現実以降人々の手に渡ってしまった超常の技能。
侵食の元となったVRMMO『ASTRAL Rain』の仕様を人工知能群が読み取り、魔力を通じて世界へと投影した奇蹟の一つ。
火、水、土、風の基本四要素からなり、更にそこから発展して雷、氷の派生二要素が存在する。
同系統の魔法にはそれぞれ五つの位階が存在し、その規模や貫通力といった違いが生まれる。
「倉識教官、無許可の魔法の使用でしたが」
「教師の立場からしちゃあ減点だが、先輩狩人としちゃあ及第点だ。風霧委員長」
セラが放ったのは一番下の位階の風魔法、『風障(ふうしょう/ウィド)』。
指向性を持たせた強風を発生させ、相手の足を取る魔法だ。
現象自体は『ASTRAL Rain』内の記述通りだが、現実では一つ違う点がある。
それは威力と規模の調整が可能なこと。本人の技能や保有魔力に応じて強くも弱くもでき、その影響範囲を絞ることすら出来る。
今セラが放ったものは人を傷付ける程の威力はないものの、この広い草原で固まる俺達斑鳩校生徒五十人弱を包む煙霧を払うには十分な影響範囲だった。
「んで、囲まれてると」
「ほう。これがかの『守護の一族』、風霧家のお嬢様のお力ですか」
先ほど演説でもするかの如く語らっていた目深に帽子を被っていた管理所職員、確か棚井と名乗っていたか。
その男が倉識教官と正対している。
そして俺達を取り囲む二十人以上の武装した狩人の集団。
ある者は待機状態の魔法を構え、ある者は剣を向ける。
臨戦態勢と言うには十分すぎる布陣。
「た……、棚井だと!? き、君は……」
「お久しぶりですね、首藤教官。
よもやこうして出会うことになるとは」
斑鳩校の教員の一人が生徒をすり抜け俺と倉識教官の横に出張ってくる。
焦燥は丸わかりだ。どうやら旧知の間柄みたいだが。
棚井と名乗った頭目らしき男の余裕たっぷりの態度は後ろの生徒たちの不安を煽る。
「貴方が落第を押した生徒に狩られる気分はいかがですか?」
「ち、違う!私は……」
決して明るくない過去がこの二人の間にはありそうだが、あまり興味はなかった。
だが時間を稼いでくれるのはありがたい。
状況の把握と立て直しに時間が取れる。
「…………その手の甲の刺青! 君はまさかエルシアに!?」
「ええ。お陰でこうして断罪の機会を設けられたのですから。
ハハボシ様には感謝しなければ」
倉識教官と俺、それにジンとセラが固まっているこの方向への突破は簡単だろう。
だが、囲まれている他の生徒はそうもいかない。
展開されている魔法は放射されるのに一秒ともかからない。
人数では二倍近くいようとも、相手はおそらくレベルもステータスもこの場にいる生徒の大半より高いだろう。
それに魔法というものは剣と違って点ではなく面に作用する。
固まっている今制圧は容易であり、この場合人数はあまり意味をなさない。
「チッ、荷物が多すぎるな」
倉識教官のぼやきも尤もであり、この周到な計画も裏に多数の思惑が絡んでいることの証左だ。
俺たちを囲んでいる連中だけが全員だとは考えない方がいいだろう。
この手慣れた包囲陣の敷き方をする連中がバックアップを用意していないとは思えない。
【夕断】で首魁らしき男の首でも刎ねるかと考えたが、おそらく音冥家の『眼』がどこかにある上に音冥ノアからは生け捕りを頼まれている。
バレる可能性はほとんど無いとは思うが、迂闊に力を見せびらかすのも殺傷するのも躊躇われる。
その点は『雪禍』も同じだ。
今俺の武装は実質腰に差した非天迷宮製の太刀だけだ。
「聞いてください、悪しき風習に囚われた哀れな狩人の卵よ。
今日私が、解放同盟エルシアが『説伏』にこうして参った理由は一つ。
そう、見せしめです」
その言葉のすぐ後。
俺たちを囲むエルシアの狩人の全員が懐から何かを取り出した。
それを見た生徒たちの反応は驚きでも恐怖でもない。
困惑し、呆れ、うすら笑っていた。
「じゅ、銃……?」
「は、はは。何だよ、ビビらせやがって。
所詮は一般兵装も支給されないテロリストじゃねえか」
「今なら魔法撃っても……!」
それは黒い拳銃だった。
今では骨董品のように扱われるそれを、彼らは自信満々に振りかざしている。
よく見れば銃身には金のラインが走っており、脈動しているようにも見える。
鉛の弾丸は狩人の纏う魔力障壁に相性が悪い。
それゆえに打ち捨てられた筈だ。
武力行使に躊躇いの無い過激思想集団であるエルシアがなぜこんな代物を持ち出してきたのか。
『ハガネ。銃に気を付けろ』
親父の言葉が記憶から強く浮かび上がる。
理由無き言葉ではないだろう。
「前に出てはダメだ、常磐君!」
「大丈夫ですよ、首藤教官!こいつら見かけ倒しだ!」
左後方でそんなやり取りが聴こえる。
正面への警戒そのままに見遣ればそこには先ほど俺に突っかかってきた男子生徒が魔法を構えてエルシアの狩人一人に向かっている。
B組の監督教師らしき人の制止の声も届いていない。
対する相手は銃口を向けるだけだ。
「消し飛べ!『炎蛇(えんだ/フレイド)』!」
常磐と呼ばれた茶髪の男子生徒が勇敢にもテロリスト相手に魔法を放とうとしている
向かう敵が握る引き金が絞られ銃がその役目を果たす。
時間が止まる。
このまま見ているだけでいいのか?
そう言えば、あの銃身の模様どこかで見たことがある。
あれは?
そうだ。
あれは、
天迷宮の壁のパルス?
「月詠一刀」
マイナスに振り切れた俊敏性が音を飛ばす。
放たれた弾丸を視認すればやはりそれは鉛ではない。
これは、魔力か?抜いた刀では斬れないか?
いや、刀で斬れないのなら斬った振りをすればいい。
「『二転・雨反』」
その実、夕断。
空中で水平方向に推進する弾丸に似た何かを、斬り上げによって縦方向に両断する。
視界に生まれた線を、振るった太刀と異能がそれぞれなぞり対象を真っ二つにする。
指向性を失ったそれは慣性に囚われず砂のようにやがて散る。
「イイ疾さだ。月詠ィ」
俺の後ろからそんな声がする。
呆気に取られている茶髪の男子生徒を庇うように大剣を突き立てている倉識教官の姿があった。
俺は要らなかったかもしれない。
まあそんな事は置いといて。
親父の言葉の意味がやっと身に染みてきた。
あれは銃なれど、放つのは鉛ではない。
魔力の礫、すなわち魔弾。
「ほう、防ぎましたか」
右方で棚井のそんな声が聴こえる。
俺と倉識教官の抜剣の速度は彼らの警戒度を引き上げているようだが、この男は相変わらず余裕そうだ。
「そうです!この『魔銃』こそが我らの牙にして爪!
力に溺れる者たちを断罪するハハボシ様の意思!」
今の一幕の意味がわからなかった生徒はこの場にはいなかった。
落ちこぼれとはいえ護国十一家の長男と、国内有数の『金』の狩人が揃って守護に回ったという事実。
その銃口から放たれるのは魔力に阻まれる生ぬるい鉄の仲間じゃない。
圧縮した魔力の塊だ。
当たればそれは鉄や鉛の比では無いほどに容易く狩人を貫くだろう。何せ半減機能が一切働かない純魔力だ。
火も水も、風も雷も。魔法は遅い。
範囲と威力は優れているものの、発動から放射まで、さらにその放たれたものの速度全てが戦場では悠長だ。
だからこそ狩人は剣や槍を振るう。
魔法とはあくまで隙に撃ち込むもの、あるいは隙を作るもの。
だが、この『魔銃』とやらは違う。
魔法を音に迫る速さで放てる。
これは、不快なほどに革命だ。
「さあ! 赦しの時間ですよ!」
一斉に銃を構えるエルシアの狩人たち。
生徒の小さな悲鳴がいくつも聞こえ始める。
銃の利点の一つとして片手で引き金を引くだけという圧倒的な手軽さが挙がる。
空いた手で魔法を構える彼らに、実力で劣るであろう一学年の学生狩人が特攻するなど無理もいいとこだ。
手練れの教員と言えど三人しかおらず、五十人近い生徒全員を護りきるのは不可能に近い。
このまま蜂の巣にされるのを待つのか。
そんなわけがない。
俺はその間感じていた。
彼らの足音を。
そうだ。本当ならこんな手は使いたくなかった。拍子抜けの事態なら大袈裟すぎるから。
だが展開が悪くなるにつれて最適解の最善手に近付いてきた。
さあ。
「し、支部長。θから報告が……!」
「…………なんだと」
一人の狩人が棚井に耳打ちをしている。
流石に声は聞き取れなかったが、その表情から余裕が消えつつあるのが見て取れた。
そろそろ溢れてくるはずだ。
人の匂いを嗅ぎ付けて、湧き出て間も無く腹も減ってるだろう。
「…………レッサー・ガウルの群れですと?
冗談を。奴らは神田には……」
森林地帯から押し寄せてくる怒涛。
この三日間。俺は結局エルシアの動向を大して掴めなかった。
どのように攻めてくるのかなどついぞわかりはせず、受けに回る他なかった。
罠に嵌まりに行く自分たち。間違いなく劣勢に立たされる。
その時に必要なのは剣でも異能でもない。
混乱だ。
「支部長! これは!?」
「ば、馬鹿な! なんだこの数は!?」
わかるよ、その気持ち。
俺も食われて死んだ身だ。
獣には狩人を。
狩人には、獣を。