35話 狩られる者たち
「オラ、ボサッとしてんじゃねえ。
食われても私は知らねえぞ」
ロングコートタイプの狩人装束を着こなす年若い女性が荒っぽい口調で生徒達に檄を飛ばす。
ここは神田市中区『神田複合型獣管理所』。
時刻は午前十時。
狩人養成所における目玉カリキュラム、実地での狩猟訓練の時間だ。
「B組の連中も1-Aにガン飛ばしてんじゃねえ。
戦場でいがみあってどうすんだ」
そして先程から気だるげに生徒達の前を歩く、幅広の大剣を背負った女性こそ1―Aの監督教師、倉識ソラである。
国立狩人養成所斑鳩校において、A組からG組まで存在するクラス。
今回の狩猟訓練ではA、B、Cの三クラスが合同でこの神田の獣管理所を訪れている。
ひとクラスの人数は十五人前後であり、今この人工的な大草原に武器を携帯した五十人近い学生が揃っていることになる。
今は管理所職員と教員らが訓練の進行の流れや手引きを話し合っており、生徒はこの穏やかな草原で一時待機となっていた。
管理所の制服、グレーの狩人装束を着る者は二人だけであり、どこか人数が少ないようにも思える。
「ハガネ、また星でも見てたのか?」
そんな事を考えていれば隣に立つ小等部からの幼馴染み、影谷ジンが話しかけてくる。
見慣れた大盾を背負うその姿はいつも通り頼りがいのあるものだ。
「いつも空ばかり見て。
つまづいても知らないわよ」
開けた場所に吹く風に揺れる銀髪、風霧セラがジンの言葉に乗っかる。
この二人とはもう十年そこらの付き合いだ。
それこそ共に狩りに行ったことも一度や二度じゃない。
今日のこの狩猟訓練もまたいつもの小遣い稼ぎの延長線上だった筈だ。
だが、二人がそう感じていても俺がいつも通りとはいかない。
護国十一家序列一位、音冥家の一人娘、音冥ノアからもたらされた信じがたい情報。
解放同盟エルシアによる養成所の学生を対象としたテロ行為。
それを裏で糸引くのが当の音冥家であり、しかもテロリスト連中をなるだけ生け捕りに済ませなければならない。
天迷宮の方の動向も気になるというのに、よくもまあ面倒ごとがこうも重なるものだと呆れたくなる。
そして生憎、面倒ごとは嫌いではない。
「おい、月詠」
ジンでもセラでもない、知らない声が俺を呼んだ。
恐らく天迷宮産であろう直剣を携えた茶髪の男子生徒だったが見覚えがない。
その後ろには彼の取り巻きにも思われる男女がこちらを睨んでいる。
B組かC組の生徒のようだが、なんの用事だろうか。
その声色からして挨拶というわけでもなさそうだが。
「……恥ずかしくねえのかよ。
コネでA組に入れられて、子分どもに担ぎ上げられてよ」
その言葉でこの男子生徒がどの組かわかってしまう。
斑鳩校ではクラス分けに際して、暫定的な実力を元にアルファベット順に生徒を振り分けるシステムが慣例とされている。
とりわけA組に入るということは人によっては名誉なことであり、入れなかった者が学校側の『実力』という曖昧な査定にケチをつけることなどよくある話だ。
そして往々にしてB組に入った者はA組を目の敵にしている。
入学時からそうだ。
「魔法だって大したものも使えねえ雑魚が、なんで……!」
凄まじい憎みようだ。
身だしなみもそうだが、ランクはともかく迷宮由来の直剣を当然のように持っていることからそれなりの家柄が想像できる。
A組に入れなかったことを家で謗られたのか。まあ流石に妄想に近い推論だが、当たらずとも遠からずな気もする。
後ろの取り巻きの男女も似たようなものか。
迷い迷った矛先の果てに『失敗作』である俺が槍玉に挙がったのだろう。
人は共通の敵がいれば容易く団結する。
暢気なものだとしか言えない。
こんな、危険な場所で。
「知ってるぜ。お前、家追い出されたんだろ。
失敗作の出来損ないが、無様なもんだなあ?」
正直無視したい。
今こうしている間にも誰かの策謀が進行している。
いつ何が降ってくるかわからない空と、遠くの森林地帯に大きな人工湖から不意に現れるかもしれない人影に気を配らなければならない。
ここは一方的な狩り場じゃない。戦場になっている。
「おいおい。それじゃハガネの親父さんは勘当する程の息子をわざわざ護国十一家の権力でA組入りさせたってことか?
少し頭冷やしたらどうだ」
ジンの言葉は揚げ足を取ると言うよりかは諌めるようなものだった。
くだらない争いに意味を見出だしていないのは同じのようだ。
だがその一歩引いたような態度は彼らの怒りに火を点けてしまったのか、ある者は顔を赤くして今にも飛びかかってきそうなほどだった。
セラは呆れて黙ったまま。ジンは少し困ったように俺を見てくる。
俺に絡んできたんだから払うのも俺の役目か。
そう諦めた時、また新しい声が割り込んできた。
「獣の蔓延る場所でお喋りたあ、随分余裕だな。
1-Aに入りたいってんならもう少し落ち着きを持てよ」
短めのポニーテールに編み込みにと漆黒の髪を纏めに纏めた髪型の女性。
狩人の能力の国際規格である『禁猟深度査定』において若くして表向きの最高等級である『金』を冠した国内有数の狩人にして、俺の担任である倉識ソラその人だった。
レベルやステータスもさることながらこの人は数年前の『竜の残党狩り』にも参加した本物の竜狩りだ。
今年からの仮編入に当たって、荒くれの如く雰囲気と言動が許される程度には養成所側も特別扱いしているらしい。
「…………アンタもそいつの肩を持つのかよ。
チッ、そんなに偉いのかよ。十一家ごときが」
「これ以上口答えしたら手が出るからな。
私をクビにしたくねえってんならとっとと持ち場に戻れ」
色んな意味で凄まじい脅しだった。
女性にしては高い方の上背もあってかその男子生徒とは視点がほとんど変わらない。
気圧され、捨て台詞も吐けぬままにすごすごと去ったB組と思われる生徒たち。
「月詠ィ、お前も黙って絡まれてんじゃねえ。
男なら一発かましてやれ」
「かましたら退学でしょう」
平常時ならいざ知らず、狩猟訓練中の生徒同士の魔法ないしは武器を伴った争いはご法度だ。
安全性という観点からというのもそうだが、『狩人狩り』は倫理上の大きな問題を孕む。
斑鳩校の規則の詳細な部分は知らないが、どれだけ計らってもらったところで停学、普通は退学レベルだろう。
「倉識教官、段取りはついたようですね」
「ああ、風霧委員長。
管理所の連中がクラスごとに狩り場を用意してるらしい。
職員連中が少ないのは各ポイントに先に向かってるって話でな。
そんな話知らなかったが、いらねえ面倒が減るならこっちとしちゃ有難い」
……?
小さな違和感一つ。
例年通りなら五十人近い生徒を数名に分けてグループごとに教員や管理所職員に同行してもらうのが初回の狩猟訓練だと聞いていた。
それがクラスごと?
考える間に一人の男が礼を一つ、教員を引き連れて視線を煽る。
管理所共通の狩人装束に帽子を被るその姿から職員なのだろう。
「皆さん、お早うございます。
本日管理所案内を務めさせていただきます、棚井です。
まずは皆さんに───」
その右手がすっと挙がる。
手のひらをこちらに向けるように。
その姿はとにかく異様に映った。
「あぁ?」
「……来るか」
静聴を促すものでも挨拶の類いでもないことはすぐわかる。
これは、合図だ。
「───狩りを楽しんでもらいます」
その瞬間に、地上が爆ぜた。
一度ではなく至る場所のの土が盛り上がり弾け、悲鳴と爆音が交差する。
既知の襲撃は当然のように訪れた。