33話 月詠たち
傾いた日が緩く街を照らす時間。
時刻は午後五時過ぎ。
場所は斑鳩市内のとあるカフェ。
『珍しいな。お前からかけてくるとは』
最奥の席に座りアイスコーヒーで一度喉を濡らしてから俺は通話を開いていた。
『手短に話せ』
「わかってるよ、親父」
護国十一家が一つ。月詠家現当主、月詠シドウ。
俺の実の父親だ。
国営治安維持会社『シンゲツ』の代表取締役のほか、月詠傘下にある企業のゼネラルマネージャーを幾つか務めている多忙な身をこうして間借りしているのには理由があった。
「天迷宮の件、どこまで知っている?」
やらなければいけないことも考えなければならないことも山積みだ。
嘆く前にさっさと片付けなければならない。
とりわけ隣市である常葉の獣管理所に突如発生した天迷宮に関しては俺の身体の事情も含め何かしらの情報が欲しかった。
『…………家に姿を見せないと思えば。
よもや常葉のそれに侵入などしてはいないだろうな』
「流石にな」
流石に、侵入してしまった。
申し訳無い、親父。
ついでにバレた。こっちの方はなぜかお咎め無さそうだが。
やはり父は知っていた。自分の守護圏内における新天迷宮の発生など知っていて当たり前かもしれないが。
ただ、実を言えば東京における月詠家の支配力はそれほど大きくはない。
十一家の中で最も劣るとされている月詠がなぜ日本国の狩人の中心街とも言える東京を任せられているかと言えば、それはひとえに『分割守護』という制度ゆえだった。
あくまで舵取りが月詠なのであって、他の十家が治める守護地域とは異なり東京は護国十一家に大きく依存してはいない。
要は他家に出し抜かれることもままあるということだ。
『どちらにせよお前には近い内に通達する予定だったが……。
まあいい』
月詠家において俺は期待外れの烙印を押されているとはいえ、勘当されているわけでも追放されているわけでもない。
不肖の長男という扱いに困る者は往々にして名家では煙たがられ、無理矢理婿入りさせる家や内々で飼い殺しにする家もあると聞く。
その点俺の扱いはかなり上等なものと言っても過言ではなかった。
行き届いた衣食住と自由が与えられ、時期当主とされる妹と異なり大きな責務もない。
その代わりに裏の汚れ仕事を無数に押し付けられることもあるが、その程度表舞台で立ち振る舞わなければならない人間と比べれば随分と気楽だ。
『つい今しがた、常葉陸型獣管理所は無期限閉鎖となった。
表向きの理由は環境整備』
「裏向きは?」
『ある筈のない未踏破の迷宮、『トコハの天迷宮』の発見だ』
ここまでは概ね予想通り。
腐っても月詠の庭である常葉での異常事態、知らないわけがない。
問題は親父がどこまで教えてくれるかだが。
「世界共通統魔連合の見解は?」
『日本における『護国』と『守護』に体裁を委ねると言っていたが、当然他国の組織も黙ってはいるまい。
内情を知れば更に騒がしくなるだろうがな』
「……」
その強調されたイントネーションを見逃すほど呆けているわけじゃない。
トコハの天迷宮内にて散見された異常なレベルの獣たち。
機能しているというだけで天迷宮の価値は跳ね上がるだろう。
そしてどの国内機関が行ったかは知らないが、多少の調査はされており、なおかつ発見の報告は国際組織にしたが内部の詳細な発表はあえてしていないと。
俺の反応も当然父には見抜かれているだろうが、どうもある程度は泳がせてくれるようだ。
『それと、今現在常葉陸型獣管理所内部は狼型の獣の大規模掃討作戦と、内部の地均しが行われている。
シンゲツ主導の封鎖で地上は元より対空監視の強化も相当なものだ』
要は余計なことはするなとの釘刺しだろう。
国営による警備治安維持の目的によって設立された『シンゲツ』社に月詠は深く関わっている。
十年という新しい歴史ながらも、十一家や守護の一族とは独立した大きな成果を幾つも挙げており、今や月詠家における重要な組織構成要素となっている。
当然部隊の練度は高く、俺ごときが彼らを欺くなど不可能だろう。
「わかった。ありがとう」
意外なほどにすんなりと情報をくれた父に面食らいながらも礼は言えた。
説教で始まるならまだ良い方で、応答無しや縁切りの通告でもされても別に驚きはしなかったが。
『ハガネ』
カフェの一席のためにスピーカーではなく骨伝導で声を聞いていたが、一瞬端末が壊れたのかと錯覚してしまった。
何年ぶりだろう。名前を呼ばれるのは。
むず痒さよりも、何かあると本能が伝えている。
『銃に気を付けろ』
それだけ言って、通話は切られた。
『銃』
それは侵食現実以降最も価値を失った兵器の一つであろう過去の産物。
人は無意識に魔力を纏う。それも肉体を守護するように。
その厚さが『防御力』ではないかとされる説が一般的であり、反証も特にない。
そして原理不明ではあるが、鉄と魔力は極端に相性が悪い。
鉄に魔法を撃てばその威力は半減し、逆に魔力を纏った物を鉄で殴っても同じように減衰機能が働いてしまう。
鉄ほどではないにしろ鉛もまたその煽りを受けており、銃の相対的な武器としての弱体化を誘った。
狩人の世界に身を置かないレベルやステータスの低い一般人相手ですら口径の大きいハンドガンの直撃で青アザが出来るかどうか程度であり、鉛を原材料に用いない製法ではコストが釣り合わず銃は衰退の一途を辿った。
現代戦において兵をかき集めて銃で撃ち合うなどということは一切無い。
世界共通統魔連合が合同締結した魔戦条約において強大な魔法は核に等しいとされ、国家間の争いは冷戦にも似たスパイ合戦がせいぜいだった。
そんな世で銃に注意するということ。
父がわざわざ忠告することの重要性がわからないわけじゃない。
「……あと三日か」
刻限を前に出来ること全てやろう。
斬ることだけを考えればいいようになるまで、徹底的に。