30話 至高の金
国立狩人養成所斑鳩校、第四校舎二階。
教室や職員室などが主な他の校舎と異なり、この校舎は主にクラブ活動や委員会のための部室や会議室、用具室が面積のほとんどを占めている。
時刻は午後二時半。制服兼狩人装束の胸元に青や緑の小さな飾り羽を付けた上級生の姿が多い。
ちなみに一学年である俺は赤色の羽だ。
クラブ活動や委員会が今日から見学が可能ということもあってか、廊下を行き交う上級生は皆慌ただしく見える。
視線を感じるままに、俺は二階の最奥の部屋に向かう。
他の部室と異なり小洒落た掛け看板も文字が彫られたタイルも無い。
ここは『執行委員会』の談話室。
入室を許されるのは『護国十一家』に連なる者だけ。
「入っていいよ」
ノックの手を制するかのように室内から声が聴こえる。
俺は足音など立てていない。
だがこんなことでいちいち驚いていてはキリがないだろう。
相手は日本国内における『最強の狩人』、護国十一家序列一位、音冥家の至宝、音冥ノアだ。
「失礼します」
まず目に入ったのは大きな木製の円卓だった。
卓と同じ色調の椅子は六つあるが、これが埋まることなどそうそう無いだろう。
入室した俺と向き合うような角度でその人は座っていた。
少し癖のある長い金色の髪。人形よりも整いきった相貌。俺を貫く金の瞳。
そして何より、見ただけで理解させられる、絶対的な力から来る存在感。
「久しぶりだね、ハガネ」
「お久しぶりです」
覚えているのは俺だけだと思ったが、そう言うわけでもないのか。
十年近く前に月詠と音冥による公に出来ない談合の夜に顔を合わせた程度の筈だが。
案外今日に際して彼女の父親がこぼれ話でもしたのかもしれない。
「座っていいよ」
とても美しく、よく通らない声だ。
拡散することのない。ある種の指向性すら纏わせているかのような、これも凄みに呑まれているがゆえの気のせいか。
「…………」
着席を促されたにも関わらず、俺は立ったままでいた。
金の瞳が、俺のくすんだ灰眼に吸い込まれていたから。
何を視られているのだろう。
彼女の乏しい表情からは何もかも読み取ることは出来ない。
「キミは…………」
彼女は何かを言いかけて、やがて口を閉じる。
出会って間もないとは言え、少し珍しいとさえ感じてしまった。
学校の設備にしては少し値が張りすぎではと言わざるを得ない椅子に俺は腰掛け、改めて向き直る。
肩肘を張っても仕方がない気がしてきた。
「…………」
「…………」
何か言ってほしい。
今日ここへは執行委員会の慣わしや今後の方針やらを訊ねに来た筈だ。
このレベルの美女(美少女?)と見つめ合うのもやぶさかでないにしろ、今日はこの後所用がある。
挨拶だけ済ませてさっさと帰るつもりだったが。
「ダメだよ、ハガネ」
「……え?」
「未発見とされてる天迷宮に勝手に入るなんて」
やっと口を開いた彼女の諭すような言葉に何を返せばいいか。
昨日俺は異変調査の名目のもと『常葉陸型獣管理所』に不法侵入し、そこで世界にはもはや新規のものは無いとされていた未踏破の天迷宮を発見した。
職員による封鎖が施されていたために第一発見者は俺ではないだろうが、泉のように湧き出ていた狼型の獣『レッサー・ガウル』の異常増殖を止めるために、俺は迷宮へと踏み込んだ。
なぜバレたのか。変装らしい変装もしていなかったが、粗雑なバリケードといい、あの時点では大して重要視されていなかった気がするが。
「一昨日ね、私とセリカさんと、あと何人かで調査に行ったんだ。
結局雪崩れ込む狼の処理で揉めて引き返したんだけどね」
セリカ、という名前を俺は知っている。
俺のクラスメイト兼幼馴染、そして狩人の守り人と称される『守護の一族』である風霧セラ。
その彼女の姉である風霧セリカで間違いないだろう。
確かに昨日セラがそんなことを言っていたが、まさかこの音冥家の至宝まで動員していたとは。
「ただ帰るのも勿体ない気がしてね。
罠を仕掛けたんだ。獣相手、ではなく人相手にね」
「……」
「どんな手段かは言えないけど、今朝方に照合したらキミのものだったよ」
やはりと言うか手ぬるい相手ではなかった。
そう言えばあの首無し武者と戯れていた時に千切れかけた靴の半分を、地上に帰ってから何処かに落とした覚えもある。
迂闊と言えば迂闊だ。
「見付けたのが私でよかったよ」
「……? それはどういう───」
「握り潰したから」
一瞬笑ったようにも見えたが気のせいだろう。
最強を冠するこの人なら物理的に握り潰すのも容易いだろうが、まあ情報の差し押さえをしてくれたのだろう。
これをネタに強請られるかと思ったが、そもそも月詠の失敗作で広まっている俺を政争に使うのは無理がある気がする。
親父の耳に届いたとて溜め息をついて縁を切って終いだろう。
「ありがとうございます」
取り敢えず礼を言っておこう。
どんな思惑があるにせよ手間が減るに越したことはない。
「うん」
今度は確かに笑った。
不思議な人だとしか表現できない。
「それでね。聞いてほしいことがあるんだ」
円卓で向き合うように座っているがゆえに彼女の表情はよく見えてしまう。
乏しいながらも今は少し申し訳なさげに見える。
「『解放同盟エルシア』、って知ってる?」
「…………特定の狩人や民間人を狙う国際手配組織ですか」
『解放同盟エルシア』
十五年ほど前に勃興したとある思想をベースに世界中で病のように広がり生まれた非合法活動集団。
『強力な魔法を使えば使うほどに地球は穢れていく』という考えを主軸とした愛護観念は、位階の高い魔法を使えず、それでいて未練のある人々を特に魅了した。
ネットでの思想布教には検閲が入るものの、名を変え手を変えて『弱き者』達を取り込み時には大規模なテロ行為さえ辞さない過激思想集団。
問題なのは単なる反魔法反異能主義ではない上に、必ずしも強者を狙うわけではないという点。
どこからどこまでが強大な魔法なのかという教義は存在せず、誰かより劣っているということを間違った形で肯定し、その弱っている心につけ込み組織の魔法兵として利用すること。
特に多感な十代の学生狩人は狙われやすく、それゆえに斑鳩市のような場所では排斥運動とも呼べるほどの徹底的な洗い出しが常々行われている。
ゆえにこの近辺ではエルシアの名前はあまり聞かない。
なぜこの人がそんな話を急にしだしたのか。
嫌な想像ならいくらでも出来る。
「彼らがね、『神田複合型獣管理所』を襲撃するそうだ」
……。
他人事のようにあっさりとこの人は言った。
この場所からは少し遠い隣市である神田には、常葉のそれよりかなり広い獣管理所が存在する。
陸型の獣だけでなく疑似海水で埋められた獣用の湖など、設備の整いぶりは国内でもトップクラスだろう。
当然警備は厳重であり、しかしあくまで獣管理所の域を越えない施設なので貴重な資料などがあるわけでもないために襲うメリットが少ないように思える。
「予告状でも届きましたか」
怪盗でもあるまいし、いちテロリスト風情がそんなことするだろうか。
なんらかの陽動か、もしくは愉快犯の仕業か。
何にせよ面倒ごとの匂いがするが。
まさか音冥と月詠で協力して対処に当たれとでも言うのだろうか。
「いや、エルシアを焚き付けたのは私の父なんだ」
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