26話 零に還す雪
いつだって力とは結果のための過程に過ぎない。
両断するために剣を振るうのであって、振るいたいがために両断しては誤っていると言われても仕方がない。
俺がそうだった。
道場で父に叱られたことがある。
『なぜとどめを刺さないのか』
ほぼ全員が歳上の門下生ばかりの道場での模擬戦。
打ち合うのが楽しくて、つい試合を長引かせることが多かった。
ただ斬れば善い。
そう何度も言われては、俺もやがて結果だけのために刃を振るっていた。
「…………」
首無し武者、『ノーブル・スノウ』は深々と降る雪の中で倒れ伏せ、やがて淡い光となって消える。
俺が倒した、そう言える気はしない。言いたくもない。
敗けたのだ、俺は。
ただ立ち尽くしていれば、燐光の中に光る何かが現れる。
レアエネミーであるノーブル個体はドロップ率が高く設定してあるのだろうか。
「雪の結晶、かな。これは」
六つの剣を放射状に並べたような、真白い雪片。
大きさは手のひらに収まるほどで、拾い上げれば冷たさはなく、とても軽い。
だが、感じる。こんな小さな器に莫大な魔力が蓄えられている。
その儚さに触れていると、それは突然吸い込まれるように俺の左手の中に沈み込んだ。
何が起こったのだろうか? アクセサリの類いかと思ったが、特殊なギミックが施されているのか?
「……何だ、この紋様」
死闘の果てにずたぼろになった手袋から覗く俺の左手の甲には、先ほど吸い込み溶け落ちた雪の結晶が模様として浮かび上がっている。
白く淡く、あまり目立ちはしないが、依然としてこれが何なのかわからない。
呪いか何かか。望まぬ倒し方ではあったがそこまで恨まれるか。
まああり得ない数の刀を叩き折ってしまったがゆえに呪われるのは、あり得る話かもしれない。
刀、剣。
「………………ぇ?」
いつの間にか俺の右手に冷たい何かが握られている。
いつ拾った? こんなもの。
真白い刀だ。だが鍔も柄もない。それどころか刃すらない。
木刀を白塗りして薄く削ったような見た目。
ステータス画面を見れば、答えは書いてあった。
───
【Ex】雪禍
耐久値―/―
攻撃力補整+0
異能【終銀】
(現在体力の90%を消費して、対象を絶冬に閉ざす)
───
階層主の更にノーブル個体という、ある意味稀少な敵から落ちるに相応しい何か。
Exランク、耐久値無し、攻撃力補整無し。
そのどれもが初めて目にするものだ。
そしてもっとも目を引くのが武器に付与されている異能。
「絶冬に閉ざすってのは……」
どういった意味合いなのだろう。
この世界の『氷魔法』とは、多くが氷塊を飛ばしたりするものだ。
この異能も恐らくは氷に依る何かなのだろうが、冬に閉ざすという言葉の意味がわからない。
悩んでいれば、やはり刀を握る手が冷たい。
冷たいが、不快ではない。
心根が凍りついて、闘いの熱が放射されていく。
Exというランクからして、多分この刀はさっき拾った雪の結晶によるものだろう。
敗者が持ち去るのは後味が悪い気もするが、どうやら俺と完全に適合してしまっているらしく棄てることも出来ない。
「…………帰るか」
元はと言えば危険排除のための斥候だった筈が、気付けば大冒険になってしまった。
知らない方が良いことも沢山知れたし、正直頭の整理をどこかでしたい。
ここより落ち着けない場所に帰るというのも不思議な話ではあるが、俺は人間であってダンジョンエネミーではない。
しばらく歩き回り、上階に続く螺旋階段をようやく見付ける。
その足元には白ウサギが群れており、俺を見ても何の反応もない。
「…………階段も白いのか」
どうもこの階層は他と何か違う気がする。
高すぎる天井、降雪、襲う意思の無い獣たち。
加えてあの『スノウ』という規格外の階層主。
首に巻いたチョーカー型の携帯端末、NeXTで座標を確認すると、天迷宮の入り口からかなり離れた場所に位置しているようだ。
隠された区画なのかもしれない。
長い階段も退屈ではなかった。
降る雪からはやはり寒さは感じられない。
今日あった数々の出来事の締めとしては、この景色は中々得難いものだった。
「土産も多いしな」
誰に渡すことも出来ない物ばかりだが。
蜘蛛型の獣『ロスト』からは『八握爪』。
首無し武者『スノウ』からは『雪禍』をそれぞれ拝借した。
持ち帰っても見せびらかすことなど到底出来ない代物ばかり。
本来Sランクの装備の獲得は国に報告する義務が発生する。
既存の天迷宮ではただでさえ装備の入手率は低く、ごく稀に落ちていたとしてもCランク、よくてBランクが精々らしい。
まあ今となってはそれが事実かも怪しいが。
実は一部の狩人が迷宮を漁り尽くして絞りカスだけを公開してたとか。
考えても仕方がないが。
いつの間にか俺の右手から白刀『雪禍』は消えている。
だが失ったという感覚は無い。
左手の甲には淡い冷たさが感じられ、引き抜けばまた現れるだろうという奇妙な確信があった。
「あれ? 塞がってる……」
上階に続く長い螺旋階段の果て。
天井に当たるその場所はただの天井でしかなかった。
頭上に広がるただの壁。
そう言えば-2階に当たる階層の階層主を俺は倒していない。
あの『スライム』なる敵の相手が面倒でズルをしたが、まさか天罰てきめんとはこの事か。
「まあ、またズルすればいいんだけどな」
一回やったら二回も同じ。
頭上から少し外れた場所を四角く断つ。
中々の分厚さだがこの異能にはあまり関係がない。
天井だったものは遥か下の雪上に落下し、斜め上にはぽっかりと穴が空いている。
下には獣しかいないし、この超高レベル帯ならあれごとき当たっても痛痒ほども感じないだろう。
雪に別れを告げて、俊敏性に物を言わせ螺旋階段の終点から跳躍する。
戻った-2階はやはりなんとも味気の無い世界だった。
赤黒い壁に金色の血管のようなラインが走り、地面は固く何が降るわけでもない。
何より、ここは無粋な敵が襲ってくる。
「親玉か」
一際大きく触腕の数も倍になった『スライム』が俺を待ち構えていた。
いや、まあ待っていたのはおそらく地上からの敵であり、下から生えてくるなんて多分こいつも想定してなかったろうけど。
下に繋がる螺旋階段を護るんだから、そりゃあ近くにいるよな。
配置からして運営者の親切心か。
「……逃げよ」
三十六計なんとやら。
こいつの子分ですら倒せないのに親分に付き合ってられるか。
物理攻撃しかない俺にどう倒せと。
ん? 物理?
「………………いや、あるにはあるのか?」
来る時には無くて、今持っているもの。
階層主との会敵を叫ぶ馴れ馴れしいポップアップを無視して意識を集中する。
仕舞って早々なのは悪いが、すぐ出番だ。
「来てくれ、『雪禍』」
左の手のひらと握った右手をそっと合わせる。
……………………掴んだ。
仄かな冷たさが胸の前で生じ、握った右手の内には柄に当たる部分が形成される。
ゆっくりと引き抜けば美しい白刃が姿を晒す。
柄も鍔も刃すら無いその一振りは恐ろしい程に美しい。
「見せてほしいんだ、お前の全てを」
気付けば眼前にはわらわらと小さなスライムまで湧いている。
薄く黒い半透明なその身体には俺の斬撃は通用せず、数時間前は逃げることしかできなかった。
今もまだ勝てるという確証はない。
ただ、見てみたかった。あの強かった首の無い武者が遺した一振りの力を。
絶冬とはどういう意味なのかを。
「発動」
異常な密度の冷気が突如階層に迸る。
音は遅くなり、壁を走るラインが緩やかになる。
白刀を慣れ親しんだ居合の構えから解放する。
満たしてくれ。俺を。
また、あの銀世界で。
「『【終銀】』」
瞬間。
全ての奇蹟が静止した。