21話 始まりの敵
???の天迷宮-2階。
荒唐無稽な与太話を脳内で展開していた俺の目の前には見たこともない生命体が蠢いていた。
いや、生命体かすら怪しい。
「……これって、『スライム』だよな」
五メートルはあろう天井いっぱいの体躯。
黒いゼラチン質の半透明の身体で、目や鼻と言ったパーツは見当たらない。
台形に近い形を保ちながら二本の触腕を漂わせている。
ステータス画面を開き、敵情報の一部を盗み見ればやはりそこには、
───
スライム
Lv.210
体力??/??、魔力??/??
───
それだけ書いてあった。
獣、なのだろうか?
侵食現実の際に溢れ出た異形の多くは哺乳類、は虫類、両生類、鳥類と言った、ある程度既存のカテゴリに分類できる生物じみたものばかりだった。
『ロスト』もまた蜘蛛をモデルとしたもので間違いないだろう。
だが、こいつは違う。
「正真正銘の、化物」
一線を越えた感じがある。
この世界に運営者がまだいると仮定して、彼らはおそらく独自に思考し続けている。
どれだけ人を楽しませられるか、そのためには人の脅威をいくらでも作り上げるだろう。
そんな大局的な話とは別に、こいつは嫌な予感がする。
地上に出て暴れそうとかじゃない。
ただ、絶望的に俺と相性が悪い。
「【夕断】」
二十メートルは離れた場所からその触腕を斬り飛ばす。
手持ちの『トコハの曲剣』は間違いなく通用しないと確信しての行動だ。
そう易々と使うと溺れてしまいそうだが、今回ばかりはその心配は無さそうだった。
当たり前のように落ちたはずの触腕が蠢き、主のもとへと吸い込まれていった。
何事もなかったかのように。
「こういう手合いは『核』があるはずなんだが」
生物でなくとも、それがなんらかの意思に従い動いているのならば指令のための中枢が存在するはずだ。
だが、透けている黒い身体のどこにもそれらしいものは見当たらない。
俺の敵意を察知したのか、目(あるのか?)が合ったような気がした。
気がした次の瞬間には触腕があり得ない射程で振り回されていた。
「速い……!」
伸縮自在なのは何となく予感していたが、あの鈍重そうな見た目からは想定できない速さだ。
俺を抱き込むまで伸びきった触腕の薙ぎ払い。おそらく威力も相当なものだろう。
ただ、眼で追えるのなら俺には十分だ。
薄黒い腕を中間部で両断すれば、慣性に従いどこかへ飛んでいく黒い物体。
流石に落ちた腕が襲ってくることはなかった。
とにかく反応できる距離を保つ。
いや、そんな必要は無い、
「俺は消耗することはない。だけど、お前を殺せない」
今、異能で触れて少し理解できた。
こいつは俺達とルールが違う。
言うなれば、魔力構成体なのだ。
魔力が変質しきって固体となった獣たちとは異なり、こいつは固体と液体の半々のような状態。
核などあるはずもなく、あるとすればおそらく全ての観測可能な魔力それぞれ。
つまりは、物理一辺倒の俺には何をすることも出来ない。
「細切れにしても…………、いや駄目だろうな」
どうせお互いを引き寄せ合って元通りで終わりだ。
面倒な敵だと思ったが、ここまで来るともはやそうは思えない。
こういう時は、やはり逃げるに限る。
「…………なんか逃げてばっかだな、俺」
迷宮の不可侵である筈の超硬度の床を豆腐のように両断し階下へ落ちる。
我ながらモグラみたいだ。
そう言えばいくつフロアがあるのだろう。
成り行きで探索してはいるが、百階ありますと言われたら即帰るぞ。
「……あっ」
落ちていく最中、ふと気付いてしまった。
帰ると言えば地上に戻ることを指す。
天迷宮は一つの階層に黒い巨大な螺旋階段が異なる場所に二ヶ所あり、それぞれが上下階へと繋がっている。
螺旋階段の利用には該当階層の階層主の討伐が必須らしいが、俺はズルをしてこうしてショートカットしている。
これなら強敵の討伐はいらないし、階段を探す手間も省ける。
だが、一つ困ったことがあった。
「どうやって帰るんだ?」
誰も答えてくれなかった。