18話 高貴なるもの
落ちている。
今確かに、俺は頭から。
「………………死ぬか?」
死ぬのか?
と考えていた矢先、重力に引かれていた俺の淡い色の髪が迷宮の赤黒い地面に触れたのを理解し、空いていた右手で弾き受け身を取る。
こんな芸当、今までの俊敏性では不可能だった。
改めてマイナスの異常性を感じる。
一緒に落ちてきた蜘蛛たちに気付かれぬ内にそそくさとこの場を去る。
あんな硬い連中にいちいち刃を出し入れしていては日が暮れてしまう。
おそらくここは-2階。
上階よりは天井は高くないものの、それでもゆうに五メートル以上はあり、幾つかの大広間と辛うじて車一台が通れそうな幅の通路で構成されているようだ。
そう言えば蜘蛛型の獣、『ロスト』は地上に這い出てくるのだろうか。
レッサー・ガウルの異常繁殖、もとい異常増殖の原因は既に断った。
俺がこれ以上この天迷宮を探索する意味はあるのか。
だが、今引き返したとして、今度は別の問題が浮上してしまう。
「『天迷宮』は二十年以上前に既に全て発見されていた…………、はずなんだが」
それが嘘だった?
本当は世界の至るところに無数に点在して、お偉いさん方か悪の秘密組織か何かが隠蔽し続けている?
何のためにそんなことをする必要があるのか。
いや、あるにはあるのか。
富の独占。
金鉱山を閉山することなど珍しい話でもない。
「…………だとしても、妙だな」
俺の実家、月詠家はまがりなりにも『護国十一家』という表にも裏にも広く通ずる肩書きを何とか保っている。
それゆえに一般人や通常の狩人では知り得ない深層の情報にもある程度精通している。
俺の家だけはぶられたと仮定すればそれまでだが、逆にそうではない場合。
「『護国十一家』ですら知らされていない、秘密があるのか」
魔法と異能とステータスの誕生にともなって程なくして生まれた実力主義、あるいは血統主義。
家格で人を量るその封建的な社会のある意味頂点とも言える十一家にすら秘匿しなければならない何か。
獣のレベル上限は『99』まで。
それがこの世界の侵食に用いられたVRMMO『ASTRAL Rain』のソースコードに記されていたメモだ。
実際地上にはレベル欄に100と記載される獣は存在しない。
ならばあの『ロスト』は何物なのか。
「…………そもそも、なんでこの場所が見つからなかったんだ?」
学園都市として広く知られる斑鳩市のすぐ隣、都会とは言いづらいがそれなりに発展はしている常葉市の獣管理所のど真ん中。
地中に巧妙に隠されてはいたものの、俺でさえ気付く程度の隠蔽であり、もっと広く知れ渡っていてもおかしくない。
だが、そんな物があるならば、学生の見習い狩人等に管理所を解放するか?
天迷宮の隠蔽を目論む悪の秘密組織がいたとして、そんな杜撰な管理体制を取るか?
「…………知らなかったのは、全員か」
消去法は最も正確な解法である。
だからこの事実もおそらく間違ってはいない。
誰も知らない。
これが答え。
紐解いてみれば、更に謎は深まった。
「はは、まさに迷宮入りだな………………、あん?」
そんな折に、目の前に蜘蛛が現れた。
既に顔馴染みになりつつある『ロスト』という獣だ。
だが、今までのものと少し毛色が違う。
比喩ではなく、物理的に。
反射的に開いた敵情報画面にポップアップが現れる。
それを見て、俺の時が一瞬止まった。
『ノーブルモンスターですよ!逃げられる前に狩りましょう!』
なんだ、これは?
ノーブルモンスターだと?
それは実装されていなかったはずだろう?
世界の侵食の情報を少しでも正確に精査するために当時の人類が血眼になって探し集めた『ASTRAL Rain』に関する資料の数々。
それは今なお現存し、ほとんどが無料で電子の海を渡り公開されている。
だから俺も知っている。
ノーブルモンスターは開発段階のボツ案として生まれたものだ。
周回意欲を高めるためにレアなエネミーを作る試みは、当時の風当たりから実装には至らずお蔵入りとなったと情報誌に記載されていたはずだ。
この謎も大いに混沌を生むが、真に俺の脳を混ぜっ返すのはこっちじゃない。
ポップアップの文体がおかしい。
事務的で機械的なアナウンスばかり表示されていたステータス画面の通知。
それがまるで友人のように口語で喋り出すのだから、虫喰いでも発生したのかと疑わざるを得ない。
根幹と基盤が壊されていくような、そんな感覚の中で俺はこの赤黒いオーラを纏った『ノーブル・ロスト』と相対する。
迷宮は考える暇など与えてくれない。