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101話 曇天を笑う

「治癒魔法……? そんな、だってこの世界にはそんなもの……!」


「うん、無いよ。

無いけど、でもこの三十年間で目撃例は無数にある。

決まって行使者は浅黒い肌に青い目ってね」



現代の再生医療の進歩は目を見張るものがある。

竜災により科学的分野を筆頭に多くの非奇蹟分野学術は停滞を余儀なくされたが、それでも人は学ぶことを辞めなかった。

不慮の事故で指一本無くしたが、一定の時間内に病院に駆け込んだために一年後には何ら不自由無く使える神経の通った指が戻ってきた、なんて事例も珍しくない。


だが、今見たものはレベルが違う。

北インド星央寺院の戦僧の女。

あれが膝をつき、祈るように何かを唱えれば、首もとにぶら下がる黒いネックレスから漆黒の泥が溢れだし、瞬く間に男たちの傷は癒えた。


奇蹟だろう。

つまりは魔法なのだ。



「信じがたいことに、こんな程度の戦僧ハサドゥですらこの魔法は使える。

これが最上位の高僧ともなれば、治らぬ病すら治しえるなんて噂も聞くね」


「どれだけ魔力エーテリウムに恵まれていようと、人は病を完全に克服できるわけではない。

金と地位と権力を揃えようとも、延命には限界がある。

その筈だったんですけどね」


「…………北インド星央寺院に手を出せないって、まさか」



素晴らしく頭の切れる郡会長の導きだした答えは正しい。

国内トップクラスの広義の意味での財閥に属する郡会長ですら知り得ない、北インド星央寺院の真実。

彼らは命を売っている。



「どの国のお偉いさんも、死にたくないんだよ。

生きたいんじゃない。死ぬのが怖いんだ。

その結果、あの国と取引することになる」


「……治癒の魔法の代価に、侵略を黙認させてる、ってことですか……!?」


「うん」



そんなこと可能なんだろうかと、俺も初めて聞いた時は思った。

あらゆる国の衛星が飛び交う相互監視の世界で侵略行為だなんて、どう考えたってボロが出る。


だが、この場合は侵略された側すらもその事実を隠して回るのだ。

国の中枢に位置するお偉方が己が命可愛さに国を差し出すなど言語道断、と言いたいがまあ珍しいことでもないか。

死にたくないよな、持ってるものが多ければなおさら。



「第三者的立場の国も少なくはないけど、国際社会で非難しようとも魔法列強国に握りつぶされる。

結託して暴こうなんて動きもあったみたいだけど、続報がないあたり良い結果は期待できないだろうね」


「そんなことって……」


「腕が飛ぼうが足が落ちようが戦い続けられる。

大魔法による都市制圧ではなく、高い対人戦闘能力を持つ兵士で固めた少人数の部隊での地域制圧が主流になってる現代だと、致命が致命でないというのは相当なアドバンテージだと思います」



不死者、なんて揶揄されるのも無理はない。



「そして最悪なのは、なぜ彼らが侵略行為を続けるのか。

それがはっきりとわかっていないことなんだよねえ」


「……?

性悪説の話ではないですけど、この不安定な世界情勢の中で、他国に無い力を持った大国が侵略を続けるのは珍しくないような……」



その辺りの話は俺にはよくわからない。

100億近かった人口が魔法を伴う戦争で七割まで減って、竜災を経てそこから半分以下になって。

竜に奪われた土地を加味しても、全世界で衣食住に困窮しているわけではない。

戦争する余裕だってあるのだ。


北インド星央寺院を牛耳る誰かが領土拡大に執心してる、なんて一言で済むが、目的の不透明さは確かに不気味だ。



「何か話してますね」


「まあ同じように突っ込んで来ても返り討ちに遭うだけ、ってのはわかっているだろうからね。

おそらく異能も持たない木っ端兵士、出来るだけ私たちの手の内を晒させたいのかな」



何のためにこの蛇の大地を訪れたのか。

それをはっきりとさせたいが、殺さずに生かしておけば勝手に再生してくるなんて面倒にもほどがある。



「……ハクさん、ちょっと試したいことが」


「いいよ、お姉さんが手伝ったげる」


「ありがとうございます。

合図するので、引っ掻き回してもらえますか」



相手方は逃げるわけでもなくこちらの様子を伺っている。

この戦力差を引っくり返す何かを持っているのなら俺が先行した方がいい。


錫杖を背後に放り投げ何も持たずに突っ込む。



「──!『──』!!」


「風か!」



ふさがった肩の傷を気にする素振りすらなく、中年の男が錫杖に翡翠色の風を纏わせて俺を迎え撃つ。

他の二人は左右に別れ、俺を囲う形になる。

駆けて、跳ぶ。

空中で露骨に無防備になる。



「お願いします」


「ほいきた」



後ろから吹いた暴風。

俺ごと巻き込むとは考えていなかったであろう戦僧の三人の顔に若干の焦りが浮かぶも、にわかに足を浮かせただけで完全な崩しにはならず、宙に放られていた俺もまた風に揺られる。

無防備だ、客観的に見て。



「──!」



一番近くにいる女の戦僧と目が合う。

チャンスだとでも言いたげだ。

実際そうだろう。ほとんど宙吊りになってる俺と、立て直しつつあるそちらでは。

だからここで虚を突く。



「悪いな、ズルして」


「───!?」



何も無い空を蹴り、不安定な体勢から一気に方向を定める。

向かってきた女の戦僧に、更にこちら側からも加速する。



「その首、貰うぞ」



今の俺は刀も持っていない。

ゆえに左手で殴り付けるように払うことしか出来ない。

それで十分だった。



「───!」


「心配してる場合か」



若い男の方が俺に殴り飛ばされた女に声をかける。

木に背中を打ち付けたみたいだが多分大したダメージにはなってない。

そもそも殴ることが目的ではなかったし。



「おい、アンタ。

本当に治ったのか、その腕?」


「──、───……?」



これ見よがしに、人差し指を指す。

言葉をすぐには理解できずとも、男は自分の右腕に一瞬目をやる。

そのゼロ秒後に、思い出したように男の腕が落ちた。



「───!!?」


「──!──!!!」



俺を囲えた有利な陣形を放棄し、再び団子になる戦僧たち。

夕断ゆうだちによる完全な切断により、再び若い男の戦僧の顔には苦悶と恐怖が浮かんでいる。



「──! ──、『──』!」


月詠つくよみ君、彼らまた!」



治癒魔法にどの程度の魔力を使うのか、使用回数に制限はあるのか。

その辺りも戦いながら調べていきたかったが、そんなことをしていれば多分先にあちらの精神が持たなくなる。


だから調べるのはこちらでやろう。



「ハクさん、どうぞ」



手渡す。

黒い菱形の鉱石のようなものを。



「へえ、これが」


「それって、あの魔法に使っていた……?」


「はい。何らかの触媒です」



彼らが治癒魔法を行使する際に間違いなく核となっていたのがこの黒い鉱石だ。

俺の手の大きさならすっぽりと収まるほどのサイズで携帯も容易であり一見すればただのアクセサリーにしか見えない。


ただ、首から下げておくのはいささか迂闊だったようにも思える。

こうして掠め取られることもあるし、何より治癒魔法のからくりの一端をみすみすと他者に知らせるようなことをするのは愚という他無い。



「───!?」


「うーん、ダメだ。私じゃどう魔力を込めたってあの黒い泥みたいなのは出てこない」


「俺も握っていて変な感触はありませんでした。

彼らだけが使える道具、と考えるのが妥当ですけど、そんなセーフティロックみたいなことが奇蹟由来の物に設定出来るなんてのは聞いたことがないですね」



自分の首もとをペタペタと触り、今さら奪われたことに気が付く女と、そしてそれを見て治癒魔法が叶わないと知り、ますますと血の気が引く若い男。



「どうやら触媒が無いと治癒魔法は使えないみたいですね」


「これで不死者も人に逆戻り、か。

結局なんで逃げ出さなかったのかわからなかったけど」


「───!?──!!──!」


『死にたくなければ、返せ、って言ってるけど』



死にたくなければ?

いや、どう考えてもそんなことを言える状況ではないだろう。

ここが遥か天空であることを抜きにしたって、到底叶わない戦力差を前にしてなんで逃げない?



「──!」


「やめときなって」



あろうことか、中年の男が特攻を仕掛けてきた。

ハクさんが天解機装フリードウェポンでその錫杖を叩き落とし、踊るような蹴りで足を払い、尻から着地した男のその首に剣を添える。


何故?

どうして逃げない?

どうして戦う?



「命までは取らない。

投降しな」


「──……、………………!!!」



怯えている。

あれだけ興奮していたのに、今度は恐怖に支配されている。

力の差を思い知ったから、ではないだろう。

何に怯えている?



「──……、──!───!、……!」


『来るな、来るな、………………んー? なんだろ、翻訳できない。

音としては存在してるんだけど、単語が……』



翻訳できない?

アストライアでもわからない、のではなく、そもそも統一ヒンディー語の翻訳辞書に登録されていないものなのか?


そうこうしていれば男の顔色がみるみると悪くなっている。

まさか口封じのための時限式の魔法?

いや、そんな高度な魔法技術聞いたことがない。



「──ッ!!──……」


「喀血した……?」



直剣を首筋に添えられていた中年の男が、突然咳き込み、血を吐いた。



「ハクさん、これは──」


「少年! 離れて!!」



これほど切羽詰まったハクさんの声は稀だった。

だから俺も焦って飛び退いた。



「む、六海むつみ先輩!?

一体何が…………?」


「恨まないでね、『洛焔花らくえんか』」



それは火の四番目の魔法。

手首だけで投げられた小さな火の玉が、咳き込む男にぶつかる瞬間に巨大な焔の華となる。

熱波と灼光が空の一角を照らす。


死んだ。人が。

ハクさんが放ったその炎は肉が焼ける不快な匂いを一瞬漂わせた後、骨すら残さずその空間を燃やして食らい尽くし、やがて消えた。



「…………そんな」



殺意を持って向かってきた相手が、数秒そこらで生きた証すら残さず消え失せる。

そんな状況を前にして郡会長は言葉を失っている。



「ハクさん、今のは……」


「…………わからない」



病の類いか?

確かにあの男は患っていた。

健康な状態の人間が血など吐くわけがない。


だが、欠損すら癒す治癒魔法で全快になっていた筈なのに、なぜあのタイミングで喀血などしたのか。



「重篤な病気は治せないか、あるいは症状の進行を遅延させることしか出来ないのか。

いずれにせよ、あの戦僧はまるで魔法が解けたみたいに突然何かに蝕まれ始めた。

わからないね、彼らがどんな理由を背負って生きているのか」


「治癒魔法を、定時薬のような使い方をしていた、ってことですか?」


「うん。だけど変だな。

北インド星央寺院の医療レベルなら根治くらい容易い筈なのに、なんで薬じゃなくて魔法なんかに頼ってたんだろう」



見れば林の方に逃げ込む二人の男女の戦僧も顔色が悪そうだ。

彼らはハクさんの持っている黒い鉱石を取り返すのではなく逃げることを選択したようだ。



「──!…………、………………」



が、それは失敗に終わった。


女の方が大量の鼻血を出し、先に倒れた。

若い男がその血から飛び退くように後ずさりして、腹を押さえて動かなくなった。



「………………」



何だ、これは。

こんなものは殺し合いの結末じゃない。

石ころ一つ奪っただけで、思い出したかのように病に身体を食い荒らされ三人ともが倒れた。



「サナ、黒鯨の中に戻ってて。

私から連絡があったら自動巡航オートクルーズで横須賀中継基地まで一人で帰りなさい」


「……で、でも」


「出来るだけ口元に布を当てて、大きく息を吸わないようにしてください」



有無を言わさない空気を感じ取ったのか、郡会長はそれ以上何も返すこと無く引き下がる。


BC兵器、いわゆる対人化学兵器。

その脅威はどれだけ魔力障壁で人間が頑丈になろうとも無くなることはない。



「身体に大量の毒性化学物質、あるいは疫病等の媒介菌を蓄えて、作戦失敗時には自爆のような形で相手もろとも巻き込む、という流れ……?」



治癒魔法による延命で作戦中は暴発を防ぎ、いざとなったら自動的に病毒がばら蒔かれる仕組みか?

要は保険だが、獅子身中の虫どころじゃない、リスクの高すぎる行いにも思える。



「…………いや、違うと思うよ、少年」



ハクさんが鼻血を流し倒れた女の方の死体を氷の魔法で覆う。

男の方も同じよう冷凍保存され、まるで時が止まったかのように彼らは薄水色の結晶の中に閉じ込められる。



「…………やっぱり、化学兵器でも生物兵器でもない。

これは、普通の臓器不全か、あるいは栄養失調だ」


「……? それだとさっきの男の喀血の説明がつかない気が。

それに治癒魔法の効果が切れた途端に電池切れ、というのも変では」


「これ、見て」



指差す先にあったのは苦悶のままに死んだ若い男の顔。

その弛く開いた口。



「歯が、……」


「不揃いな上に欠け放題。

それに肌や爪もずたぼろ、足は変形してる。

栄養状態の悪さもそうだけど、多分これは生まれつきじゃない」



生まれつき、生まれた頃からこの姿、という意味ではなく、多分成長過程において満足な環境になく、その結果こうなったわけではないという意味合いだろう。


北インド星央寺院は裕福な国だ。

古き悪しき格差社会を抜け出し、民主的ながら力のある指導者のもと、医療と観光の国として魔法列強国に劣らぬ国力を持っている。


そんな世界で生まれたのならば、よほど酷い環境でもない限り、いや、どんな環境であってもここまでいびつな身体にはならないと思う。



「貧民街で拾った少年兵の成れの果て、とかでしょうか」


「いや、そんな使い捨ての兵士にあれだけの高等なデバイスと武器を持たせるとは考えにくいかな」



確かにそうだ。

彼らが耳に巻いていた携帯端末は先進国で普及している端末よりも随分と小型化が進んでいた。

その分性能も限られているのだろうが、おそらく通信、撮影等最低限の機能は備えていた。


それに武器だ。

間違いなく北インド星央寺院固有の天迷宮ダンジョン産の錫杖。

魔法を纏わせるという一風変わった戦い方で、何より三人ともがそれなりに使えていた。



「……ねえ、少年。

もし百回手足を斬り落とされて、その度に治癒魔法をかけらたら。

自分のかたち(・・・・・・)って、覚えていられる自信はある?」


「………………」



殴られて歯が飛んだり、目が腫れたり。

蹴られて肋骨が飛び出たり、内臓が破裂したり。

斬られて潰されて捩られて、?

その時に思うのか、自分の身体ってこんなんだっけ?って。

あり得る話だ。



「治癒魔法の正体が時間遡行だったら話は別だけど。

これが仮に『行使者あるいは対象者の自覚する健全健康な状態の上書き』に類するものだったら?」


「…………さっきの話から続けるに、自分のまともな状態がどんなものだったのかが度重なる戦闘行為の果てにあやふやになって。

治癒なおして回復もどしてる内に気付けばまともなかたちを忘れてしまう、ということですか」


「うん。そうして再生意識の届かない内臓なんかは治癒の対象にならず、気付けばボロボロになっていく、のかもね。

本人が健康だと思えるのはあくまで目に見える範囲だけ。

ただし、中枢は腐っていっても末端は一時的にでも再生出来る。

なまじ活動は出来ちゃうから、なおさら負担は大きくなる」



だとすれば、治癒魔法はとんでもない劇薬だ。

確かに瞬時に失った腕を、それも癒着ではなく完全な再生という形で取り戻すことが出来るのは魅力的だ。

だが、それに甘んじていれば、蝕まれていく。

身体が溶け出していることに気付かずに。



「魔法のようでいて、その実呪いですね」


「うん。彼らは不死者だなんて言われてるけど、直接対面してやっとその意味がわかった」



正しい意味での完全な治療は不可能。

…………だとすれば。



「これは、意図して『リピーター』を作れるのではないでしょうか」



望むか望むまいかは別として。

腫瘍だの血栓だのの完全な摘出は不可能でも一時的な改善は見込めてしまう。

そうすると、一度知った健康の味は忘れられなくなる。



「…………敵国のお偉いさんが頭を下げて治療を依頼してきたとして。

それを治癒して一時の安らぎを与えて、再び痛み出す頃にまた声をかける、なんて芸当ね。

………………マズいね、思ってた以上に核心だ」



完全に治療したのでもう大丈夫ですよ、ではいつしか歯向かわれるだろう。

定期的に通ってくださいね、と言われれば手を出すことは難しい。


そんなふざけた外交がまかり通っている可能性がとんでもなく高い。

実態に迫れば迫るほど、北インド星央寺院という国の底の無い大顎に飲まれているような気さえする。



「んー?」



嫌な想像ばかりしていれば、ハクさんが気の抜けた声を出す。



「…………今度は、鹿か」



鋼鉄仕掛けの鹿。

立派な角を見せびらかすように、蛇の大地の頭の方角にある森の奥から現れた。

神秘的、と一瞬思ったが、銀色の装甲のような身体と踏み出す四つ足に伴って鳴らされる金属質な音が自然のそれではないと強く感じさせる。



「やはり、攻撃してきませんね」


「うん。…………この個体、どうやら彼らに一度襲われてるみたい」



確かに、後ろ足が大きく凹んでいる。

魔法か、打撃か、いずれにせよヒトの仕業だろう。



「生き延びている、ということはこいつは襲われてなお逃亡を選択したんでしょうか」



俺が不用意に近付いたところで、鋼鉄の鹿は意に介さない。


物は試しだ。

対人戦ばかりでめっきりひらいていなかった自分のステータス画面を開き、タブを移動する。



━━━



・・・・



Lv.1



体力??/??、魔力??/??



━━━



名称設定がされていない。

しかもレベルも初期値。


もしかしてこれが敵対行動を取らない理由なんだろうか。



「あれ? もう一体いるのか」



アストライア曰く魔法(・・)である、宙に出現するこのステータス画面。

その中に展開可能なタブがもう一つ存在していた。


基本的にステータス閲覧可能な獣が射程内にいれば、対象の名称とレベルは確認できる。

その距離は忘れたが、自分を中心とした半径十メートルそこらが限界だったはずだ。


まあ開いてみるか。




━━━



不朽のエタニア



Lv.100



体力??/??、魔力??/??



━━━



「…………!?」



一瞬だけ、身構えた。



「あー、お前か(・・・)



忘れてた。

俺たちが今立っている大地のことを。



「…………エタニア、か。

冠名がついてるってことは上位の竜なんだね、やっぱり」



この蛇の大地、すなわち竜。

航空母艦すら軽く凌駕する大きさで、雲を纏いながら回遊するこいつもまた命だった。



「あの鋼鉄の獣の産みの親……?」


「多分ね。

外側から見たこの竜の外殻もまた機械じみたものだった」



獣を産む竜。

そんな存在、俺は知らない。

というか世界のほとんどの人間は知らないだろう。



「敵対の意思は全く見られませんね」


「ま、私たちのことを認識しているかすら怪しいし。

……ね、少年。もう少し頭の方へ行ってみようよ」


「はい」



多少起伏のある蛇の大地。

森とは呼べない程度の規模で竜樹が密集しており、獣道をハクさんと並んで歩く。



「またいるね」


「今度は犬ですか」



大型犬ほどの大きさの鋼鉄の獣が当てど無く歩いていた。

当然俺たちに害する素振りは見せない。



「ハクさん」


「うん、皆あっちから来てるね」



言葉にする前に伝わってしまった。

俺が今気付いたこと。

すなわち、鋼鉄の獣は全て俺たちを通り過ぎて行くということ。



「この蛇の大地の頭の方で生まれて、尾の方に向かっていく……」


「何か意味があるのかねえ」



行けばわかる。

置いてきた郡会長にちょっと申し訳なく思いながら、道ではない道をまっすぐと歩く。




━━━━━




━━━━━



しばらく歩き、大地の端が見えてきた辺り。

かつん、と音がした。

直径一メートルくらいの小さな水溜まり。

それが泡立ち、噴水のように立ち上っている。


そこから弾き出される、くろがねの小さな物体。

それが地面に落ちる音だった。



「…………猿」



それ(・・)にハクさんが近付いたところ、



「……こうやって、生まれてたのか」



菱形のタイルのような物体が、猿を模した小さなモチーフから溢れだし、鋼鉄の獣を象る。

眼光に鋭さも何も無く、俺たちを見ても一つとして興味を示さない。


また一つ、音が鳴った。



「…………これは」


「……ヒト」



空を指差す人間の鉄人形。

その不気味さに、俺もハクさんも一歩下がり警戒を示す。

これ(・・)から生まれてくるものが何なのか、わかっていても少し嫌だった。



「……言葉はわかるかな」



生まれてきたものから返事は無かった。

ただ、今までの獣と異なり四足歩行ではなく二足歩行で。

今までの獣と同じように尾の方へと向かって行った。



「んー、よくわからなかったね」


「はい。でも、猿の次にヒトが出てきたのは何というか……」



何というか、何だろう。




「終わりっぽくないですか」




そう言った。

言った瞬間、

地震が起きた。

ここは空の上なのに。




━━━━━




━━━━━




「ハクさん! 郡会長を!」


「うん」



揺れる揺れる。

地震や崩震ほうしんなど、現代の日本では様々な震動災害と隣り合わせではあるのだが、やはり何度経験しても慣れるものじゃない。

まして空の上で揺れるなんて。



「……離脱完了。黒鯨は第三登録地点を目的地とし当該空域を抜けたよ」


「彼らはどうしますか」



彼ら、と言っても目の届く場所には居ないし。

彼ら、と言ってももはや人の形をしているだけの肉塊ゆえに不適切かもしれないが。



「回収は諦めよう。それより、この身震いは何だろうね」



突然その巨体を震わせ始めた蛇の大地こと、『不朽のエタニア』。

その御身に足を付けさせてもらっている以上、ダニとかノミ扱いされても仕方がないのだが。



「……おい、エタニア。

ちょっと落ち着いてもらえませんか」


「いや、少年なんで敬語」



巨体から返事は無く、ハクさんの突っ込みばかりだった。

余りにも大きすぎて尊大さすら感じてしまったのだから敬語は仕方なかった。



「上位の竜は人語を解す筈なんですけど」


「それはあくまで普通サイズの話でしょうよ」



そう言えば俺が相対した竜たちは人の姿をしていたり、最上位に位置する罪竜だったりで、まともな竜に出会った経験は無いのだと今気付く。


揺れは収まらない。

ついには木々が根本から抜け、遥か下界へと振り落とされる。

何というか、本当に邪魔なものを振り払っているみたいだ。



「振り落とす…………」


「どしたの、少年。

風はびゅーびゅー吹き始めたし、もう立ってらんない程に竜は暴れてるし、大ピンチだよ私たち」


「ハクさん、聞いてほしい話があります」


「いーよ。聞いたげる」



そんな場合じゃないだろう。

なんて常識的な意見、返ってくる筈もなかった。

それがとても嬉しい。



「一時間くらい前、黒鯨の中でした話です。

『何かが起きるのは、何時だって大地の底から』だって」


「うん、したね。

魔力エーテリウムは大地へと還俗する性質を持っている。

ならば自然に天に集合することはなく、奇跡は空では発生しない」


「はい。そして『宇宙に行くと、人は魔法を使えない』、という話も」


「したね。こっちは理論不明だけど」



揺れる世界で座り込み、飛び交う土や枝葉を浴びながら話し込む。



「ならば獣はどうなりますか?」


「……彼らは多くが変質魔力(エーテリウム)構成体だから、仮にもし宇宙空間では魔力エーテリウムの形成が困難だと仮定した場合、存在そのものを維持できなくる、のかな。

今私たちがいる高度まで連れてきたら、もしかしたら弱い獣なんかはアイスみたいに溶けちゃうかもね」


「ならば思考は?」


「流動体の獣や頭部が欠損した獣でも『人間に敵対する』っていう存在理由は損なわれず活動は継続される。

このことから彼らは凡的な脳とそこから流れる電流によって動作しているわけではなく、おそらくは構成を定義付ける外部装置に類する物に形成され、その思考や意識もまた同装置に依存している可能性が高い。

言わせないでよ、少年。これは『鎖木ナラク』の禁書の一説だよ」



こんな大空で、風の音がうるさい中で誰も気にしちゃいない。



「なら、獣は空にいてはダメでしょう」


「……………………」


「六海全天管理室に現れた偽鉄の猫。

ほとんど(・・・・)抵抗しなかった、ということは僅かに敵対意識はあったんですよね」


「…………外部装置Aは地上付近あるいは地下に存在し本来は意思に従い移ろう魔力エーテリウムを獣という一つの枠に当てはめ形成しその意識もまた外部装置Aに物質的な距離が近いことで保持される。

逆にその距離が遠くなれば形成には困難を要し、思考意識のリアルタイムでの更新は難しくなる。

裏付けとしては陸棲海棲の獣の種類に対して空棲の獣の数が極端に少ないことが挙げられる、か」



怒涛のように喋られた。

が、言いたいことは伝わったようだ。



「つまり、この蛇の大地で生まれた偽鉄の獣たちが襲ってこなかったのは、獣の行動様式を決定付ける何らかの『衝動を司るシステム』から離れすぎてしまっているために、うまく受信出来なかった、と言いたいのかな」


「概ねそうです」



青、よりは黒に近くなっているこの天空で生まれた偽鉄の獣たち、そして天空で活動している不朽のエタニアは『敵意の源泉』と仮定できる大地からはほど遠く。

それ故に肉体の形成自体は出来ても、煩雑な目的意識の定義付けや意志決定などはあやふやだろう、……かもしれない。

ただ、完全にまっさらな行動様式なのではなく、原初の機械本能のようなものはあるのだろう。



「これまでの全ての仮定を踏まえると、…………!

この、身震い(・・・)も! 理由が見えてきます!」


「……振り落とそうとしてるのは私たちじゃない。

産んだ(・・・)我が子に敵意こころを与えている?」



産んだだけじゃ意味が無い。

人を害さなければ、獣に価値は無い。

不朽のエタニア、獣産みの竜。

その使命は己が大地で育んだ我が子を空から大地に振り撒くこと。



「っ!」


「!!」



天地が一回転した。

辛うじて残っている木々に捕まったハクさんと、その伸ばされた手を何とか掴み持ちこたえる。


今ので大量の偽鉄の獣が大地に落とされた筈だ。

冷静に考えてみれば、彼らはSランクで統一された武器、『天解機装フリードウェポン』を落とす。

と言うことは同じくSランクの武器である『天異兵装クワイタスウェポン』を落とす竜と近しい戦闘力を有していてもなんらおかしくはない。



「…………う」


「少年? どうしたの、どこか痛い?」



なん、だ。

痛い、痛くはない。苦しい?

今、一瞬よぎった感覚は、感情は。



「いえ、……大丈夫です。

それより、何が起きているのかは見当が付きそうですけど、これからどうすれば……」



この暴れ蛇から飛び降りて地上の偽鉄の獣の様子を見に行った方が良いのか?

こいつを放置して?

こんなに苦しんでいる(・・・・・・)こいつを?



「あれ、俺、なんで……」



なんでこいつが苦しいって、

他人の気持ちなんて、わかる筈無いのに。

でも間違いなくこいつは、不朽のエタニアは今苦しんでいる。

でも、なんでそれがわかる?

俺はどうすればいい?




『暴れておるぞ。何かが、はらの中で』




え?

響いた、声が。

知っている、誰なのか。




「ネメ、シス…………?」




━━━━━




━━━━━




『ふん、忘れられたかと思っていたが』



首に巻いた端末から骨伝導を通して響く声。

忘れもしない、俺の左手に埋め込まれた雪禍せっかの力の源流にして、あの雪の降る地下世界の主。


罪竜、『くるぎんのネメシス』。



『感じぬか、うすら気味悪い胸這う蟲の気配を』



ネメシスに訊きたいことなんて山ほどあった。

だけど、声を聞いてどこか安心してしまった。

なので質問責めは後にすることにした。



『探せる筈だ、貴様なら』


「…………ぐ、うっ」



吐き気。

内容物なんて無いのに、のたうち回って全部ぶちまけたくなるこの感覚。


痒い痒い痛い気持ち悪い苦しい。



「少年!?」



背筋が粟立つ。

間違いない、これはエタニアの感じているもの。

喉元、から、今は胸の辺りで暴れている何か(・・)

堪えて堪えて堪えて、殺す。



「っは……、ハクさん」


「っく、風が……。なに、少年!大丈夫なの!?」


「……こいつを、エタニアを十秒。

足止め、出来ませんか」



がくん、と視界の角度が大きく変わった。

暴れている、縦横無尽に。

これでは何か(・・)を捕捉するのが難しい。

風も馬鹿みたいに強くて、まともに立っていることすら難しい。


でも、よかった。

今はこの人がいる。



「あのねぇ、上位の竜、それもこんな馬鹿げた巨体。

絶えず回遊して今は荒れ狂うこんな化物をちょっとでいいから止めろだなんて」


「……」



赤い蛍のような光が漂い始める。


魔力エーテリウムによる遺伝子汚染を強く示す、燃えるような赤い髪。

オレンジ色のエクステに、黄色いインナーカラーと、暖色のオンパレードのような髪型。

その全てが輝き出す。




「そんな簡単なこと、おねーさん以外に頼んじゃだめだぜ」




六海むつみハクが笑っている。

不安定な大地で立ち上がり、その髪も服も一切が暴風に晒されず凪いでいる。


空に根差す六海むつみのその究極。

稀代の魔法使いの一人であり、狩人であるからこそ、二つ名だのあだ名だのは色々あるらしいが、俺が知っているのは一つだけ。




「さあ見渡せど果て無き高曇たかぐもり風巻しまきに荒ぶ嵐天を


「打ち崩すよ、【明尽あかつき】」




莫大な魔力エーテリウム活性反応が生む奔流と同時に、全ての風が止んだ。

エタニアがその全長の天と地に纏っていた暴風を生む雲が、跡形も無く消えていた。


凪いだ。世界が。

俺の前に既にハクさんはいない。

立っているのだ、空に。




「曇りしか知らないのなら私が教えてあげよう。

晴れた日ってのは、世界日和なんだぜ」




異能【明尽あかつき】。

世界共通統魔機構が編纂する『異能辞典スキルセラー』における等級は最高位の『S』。

行使に制限を伴う理由として、世界に与える影響が大きすぎるというのが一因。


その能力は天候の任意変更(・・・・・・・)

数キロに渡る規模で巻き起こる雲の生成と移動に伴い、異能が行使された日はもれなく異常気象が発生する大迷惑な力。


その力と、それを気分次第で行使する六海むつみハクが、

『破天候』と呼ばれるのも無理はなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 文字通りすぎる異名w ヤバい兵器振り撒くとか迷惑すぎる
[良い点] 天気予報がカスになっちゃう! 毎度センスがいい……
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