99話 空を追いかけて
「さあ、お二人とも。お姉さんに学校のお話を存分に聞かせなさい」
第七世代遊覧空挺機『黒鯨』の何も無い貨物室の中で、機体の所有者兼設計者である六海ハクは楽しげにそう言った。
ちなみに三人で顔を突き合わせる形で機内の床に座っている。
それほど明るくない照明に照らされた広い機内で、怪談でも語り合うかのような集会になっている。
「ハクさんはどんな話をご所望なんですか?」
「そりゃもう愛だの恋だの殺し合いだの、とにかく面白そうなら何でもいいよ」
「うーん」
愛も恋も無縁だし、逆に殺し合いには縁がありすぎるし。
とは言っても俺の学校生活自体はとんでもなく平和なのだ。
『優れし者』の寄せ集めであるA組に実家のコネ(そんなものあるのか?)でねじ込まれた結果多少の軋轢はあったが、それが大きな問題になったことはない。
ここ最近の殺し合いは概ね学校の外で行われていたため、学校の話には不適格だろう。
「郡会長、何か無いですか」
「え、うん、そうだね。
でも、六海先輩を喜ばせる話なんてあったかな」
「おいおい、そりゃあないよ二人とも。
私はね、この時間を楽しみに二人を呼んだと言っても過言ではないんだけどなあ」
存外暇なのか、この人は。
天迷宮もどきの変な塔から飛び立って五分。
どこに行くのか、何をするのか、一切聞かされずこのトークタイムに移行していたが、流石に世間話をするためにこんな曰く付きの面々を集めたわけではないだろう。
ただ、喜ばせないと本題に入ってくれなさそうな気もする。
そういう人なのだ、六海ハクというのは。
「あー、そう言えばこの間、学内考査がありました」
斑鳩校のみならず、全国の狩人学校で一斉に行われる、奇蹟学(魔法学)の知識と、魔法技能、そして対人戦闘技能の三つをテストする『学内考査』なる習慣。
当然、斑鳩校に属する俺も受けた。
「へえ、少年たちの代でもまだあるんだね、あれ。
私の頃ですら前時代的だと半ば馬鹿にされてたけど。
それで、少年は何位だったのさ」
「圏外です」
沈黙。
確か、学年ごとに十位までは何らかの形で公表される筈だが、残念なことに俺は圏外であった。
ギリギリとかではなく、余裕の圏外。
「魔法技能で大コケしました」
「あのねえ、少年。仮にも護国十一家の端くれとして相応しい結果を残しなよ」
「ハクさんはどうだったんですか?」
「私はテスト系は出禁だったから受けてないよ」
「わはは」
爆笑。
と言っても笑ってるのは俺とハクさんだけだった。
郡会長は若干引いていた。
「テスト系は……、出禁?」
怪訝そのものな表情で謎のワードを聞き返した郡会長。
確かに意味不明だ。
「一学年の時に設問の不備を試験中に同学年の全生徒に端末経由で発信したら警告一つ付いてさ。
魔法技能の時に気にくわない偏差の的当てのプログラムこっそり書き換えて警告二つ。
最後に対人戦闘技能で異能使って警告三つ目で退場」
「えぇ……」
「教官方もちょっと可哀想ですね」
こんな生徒は嫌だ、の代表格だった。
そもそも絵に描いたような麒麟児であるハクさんにものを教えることが出来る人なんて限られている。
むしろよく警告二つ我慢したな。
「サナはどうだったのよ。
圏外? 出禁?」
「七位でしたよ。六海先輩たちと一緒にしないでください」
ふざけて放逐されたハクさんはともかく、真っ当にテストを受けて圏外に弾き飛ばされた俺をもう少しいたわってほしい。
なんだか郡会長は既に若干お疲れのように見える。
「郡会長で七位だと、上位は枝折先輩をはじめとした委員会のメンバーが占めてるんでしょうか」
「うん、概ね。
ユズリハちゃん……、評議委員会の会長はサボってたから受けてないけど私より上の六人の内五人は何かしらの委員会の長だったかな」
やはり有能揃いなのか。
四月に各委員会のトップに挨拶に行ったことがあったが、その時は残念ながら風紀委員と評議委員の長には会えなかった。
ただ、風紀委員会会長『源道テンジ』先輩の方はなんやかんやあって親睦を深めることには成功した。
源道先輩は確か、学生ながら現役の国土防衛省直轄部隊の部隊長を務めていた筈で、彼が一目置いているという他の委員会のトップもまたそれに準ずるような豪傑が多いのだろう。
護国も守護もいない代ながら『黄金世代』扱いされるだけある。
「枝折? それってこの間『銀』の最年少記録樹立した枝折カンナ女史かな?」
「ああ、六海先輩もご存知だったんですね。
そのカンナちゃんです、ちなみに二位なんですよ」
枝折カンナ。
斑鳩校三学年、生徒会庶務。
『禁猟深度査定』なる狩人の狩猟技能の公的な等級の国際規格において、表向きの上から二番目にあたる『銀』を国内最年少で取得した斑鳩校きっての狩人。
ダウナー全開で目付きの鋭さから一学年の生徒からもっぱら恐れられているが、会って話せば好い人だった。
四月の霊薬騒動の一件でひょんなことから共闘し、無事事件の解決の助けになれたことは記憶に新しい。
試験間近の事件だっただけに合否が危ぶまれたらしいが、無事若くして『銀』となることが出来たようだ。
郡会長もどこか自慢気に語るあたり、二人の間柄は良さげに見える。
「銀、ねえ。確か斑鳩校には『金』もいたよね」
「倉識教官ですか。俺のクラスの監督教師です」
「そりゃついてない」
どっちに対してついてない、と言ったのかはわからなかった。
まあお互い様だろう。
「何にせよ、成績優秀者が貼り出されちゃったら、もう『祭』で皆ソワソワしてるんじゃないの」
「はい、特にB組とC組の生徒は。
今年の学内考査の九位がB組の生徒だっただけに、感情を表に出すことはなくてもその潜在化していた感情は燻っているでしょう」
「冷静だね、生徒会長」
斑鳩校のクラス分けは特殊である。
授業の進行度から弾かれる生徒が出ないように、という建前で、入学前の実力考査、あるいは学年末の学内考査における成績優秀者がそのまま上からアルファベット順に登録されていくのである。
十年以上前は競争社会の激化を危惧する保護者会から反対する声もあったらしいが、今となってはもうそれが当たり前になっている。
そんな中で、次点であるB組から学内考査での成績上位者が現れれば組分けに不満の一つも出るだろう。
ただまあ学内考査なんてのは数ある物差しの中から三つ選んで可否を決めるだけであって、それ以上のものでもない。
件のB組の生徒も昨期から実力を伸ばし続けていただけの可能性だってあるし、その生徒ならともかく他の生徒が自分の実力まで過小評価だと声を上げるのは少し違うと思う。
見えない不満は怖い。
声を上げる前に行動されるのはもっと怖い。
「って、『祭』ってなんですか」
一人で頷いていたら耳慣れない単語が流されていた。
祭? アルテナが教えてくれた『竜祭』とはまた別だろうけど。
「嘘でしょ、少年。
祭って言ったら『大狩猟祭』に決まってるじゃない」
「正確には『三大学主催奪還記念大狩猟祭』。
法都のお祭りだから旧都じゃ盛り上がらないけどね」
「ああ、アレか……」
奪還記念。まるで建国や独立でもしたかのような響きだ。
実際は五十年前の『竜災』の完全終息を政府が発表した日をメモリアルデーにしただけだけど。
ただ、郡会長が言うように法都岩手じゃお祭り騒ぎかもしれないが、旧都である東京のこちらでは関係者以外はそれほど盛り上がってはいない。
何せ、竜境から最も近い都市であるがゆえに、西日本の竜の動向を常に伺い、いざという時には体を張って肉の壁にならなければいけないのだ。
奪還記念とは言うがそもそも西日本の大地は取り返せてないし。
「お祭り、ではあるんだけど、幾つかの催し物の中で一番人目を集めるのが高等クラスの『再現祭』なんだ」
「あの競技チックな狩りごっこですか」
何度か中継を目にしたことがある。
レベルが事実上の上限値である100付近に達していない者が多くを占める学生のレベルで行われる模擬狩猟だった筈。
名前の由来は竜災時に見事本土を奪還せしめた勇士らの栄光をもう一度、的な意味合いとかなんとか。
「ごっこ、とは言うねえ、少年。
でもあれ一応本物の獣なんだけどね」
「あー、馬鹿にしてるわけではなくて。
たしか、シナリオがあるんですよね」
「うん。各校の代表は獣管理所に同時に入るんだけど、それぞれ決められた範囲内で決められた獣を討伐する速度を競うんだけど。
その中であらかじめどの場所にどの獣が出現するかは明確に決められていて、そのシナリオをどう遂行するかも見所の一つになってるんだ」
何というか、随分と娯楽性がある祭だ。
高等クラスが一番人気らしいのはアマチュアゆえの青さ未熟さを俯瞰して娯楽として消費出来る視聴者という側面が大きいからだろう。
「ただし、近年では意図した『アクシデント』を主催者側が用意してる」
「いつ起こるかわからない不測の事態への対応力も見られているってことですか」
「祭とは言え競技、娯楽とは言え試験でもあるんだよねえ、これが。
昔はそうでもなかったんだけど、段々と視線の数が増えていくに連れてお堅いものになってきてるんだよ」
「月詠君は去年の再現祭は見てないんだよね。
『大型の獣の乱入』、とだけ事前に伝えられてそのタイミングは何時か誰にもわからない、って内容だったんだ」
それはまあ、見ている側はさぞ楽しいだろう。
肝心の参加者からすれば常に乱入に気を配らなければならないのは辛いが。
しかし、
「危険じゃないですか、それ?」
狩猟対象のレベルがどんなものなのか知らないが、いくら獣管理所の飼育された獣相手とは言え殺し合いは殺し合いだし、そんな中で不測の事態なんて。
「国内最大にして最弱と名高い『盛岡総合獣管理所』の弱っちい獣相手だからね。
それに各校の教官方がそこかしこで見張ってるし、滅多なことなんて滅多に起きないよ」
ハクさんの適当な言い方からして相当弱めの獣が用意されてるらしい。
学生レベルの、それも祭であり多くの人が娯楽として楽しめる程度ならば弱すぎるくらいがちょうどいいかもしれない。
これで新迷宮にいたレベル100超えの化物たちが出てきても困る。
「……今年は、開催に苦言を呈する声もあるんだけどね」
苦笑いしながら郡会長が言った。
「四月からの立て続けの異変。
それに伴った世界中の不安定な情勢。
そして、表に出てきてはいけない人たちの跋扈」
「…………」
竜災後の唯一にして最悪の魔法研究機関、『鎖木の植物園』。
一国を商売相手に世界を切り売りする武装傭兵集団、『戦売り』。
一般的には秘匿とされてはいるものの、正しく歴史を紐解けばそこかしこに点在する『世界の敵』。
俺もつい最近、鎖木の構成員をこの目で見て、そして殴り殴られ言葉を交わした。
個々人の戦闘力という観点で見ても並外れたものを持ってはいたが、少ないやり取りで嫌でもわかってしまったのは狂った倫理観、価値観。
おおよそまともな意識なんて期待できない以上、出会えば対立しやすく、対立すれば即命のやり取りだろう。
そしてそんなろくでもない連中は、考えたくはないけど意外なほどに近くに居る。
近くに居て、誰かと繋がっている。
杜若大森林に構える竜境の監視という大任を担う『杜若観測室総本部』。
そこのトップであった男はあろうことか鎖木の植物園と関係を持っていた。
その口からは『どこの国も鎖木と取引をしているのになぜ自分だけ』といった内容の言葉も。
「でもねえ、サナ。
大人ってのは中止とか延期とか、そういう言葉が大の苦手でさ」
「はい。
立場と責任を持つ人たちのこと、曲がりなりにも社長令嬢なんて呼ばれる身として、わかりたいとは思っています」
わかる、とは言わないあたり案外正直者なのか。
郡会長も複雑な立ち位置ながら斑鳩校の生徒のことを考えてくれているらしい。
「あ」
「あ?」
ハクさんが急に声を出す。
「話は変わるんだけど。
ねえ、少年。今日って武器とか持ってきてないよね」
藪から棒に、というのは今更すぎるか。
そして問われた言葉もまた今更なものだった。
「ご覧の通りです」
モノクロな色合いのジャケットタイプの狩人装束。
その腰には刀も差していないし、背中に剣を背負っているわけでもない。
「ま、いいか。
万が一のために私がいるんだし」
「? これから戦闘でもあるんですか?」
機械の化物を探しに来たのだから、まあその過程あるいは結末で戦闘行為が発生してもおかしくはない。
あいにくと武器は持ってきてはいないが、そもそも俺はカテゴリ分けにて武器と呼ばれる物を所持してはいない。
左手に埋め込まれたネメシスの末端の力である『雪禍』。
右手に巻いた昏い金のブレスレットの『迷閃』。
俺の身体に取り込まれてしまった狂い銀の竜の力。
そして、両断の異能、『夕断』。
無手の状態ではあるが、武器ならいくらでもある。
それこそ魔法が使えない、なんてハンデが霞むくらいに、ズルをしている。
「あれ、でもお二方も武器は?」
戦闘に発展することが見込まれるのなら、というか自衛用に迷宮産の武器の一つくらいは持っていてもおかしくないのでは。
それとも俺一人に戦わせようとしてる?
あり得る。
「ふふん、良い目の付け所だよ、少年。
それが今日の主題の一つでもある」
主題?
武器を持っていないことが?
「サナ、見せてあげな」
「はい」
俺の隣に膝立ちで移動し同じ方向を向くハクさん。
立ち上がった郡会長。
見せる、とは。
「……キーホルダー?」
銀色、というか鉄色? 鈍色?
の、猫か?
郡会長の手に収まるほどの大きさの、飛び上がるポーズの猫のキーホルダー。
「『火紛れ』天解します」
銀色の四角いタイルのような。
それが何個も折れて重なって伸びて、猫の形のキーホルダーから溢れ出す。
収斂して結び付き、郡会長の手にはいつの間にか黒銀に光る100センチほどの直剣が握られている。
その柄の端には小さな猫のモチーフが。
時間にして二秒ほどで『天解』とやらは完了した。
「どう、少年。驚いたでしょ」
悪戯が成功した子供のように、すぐ隣で俺に笑いかけてくるハクさん。
確かに驚いた。
「正式名称は『天解機装』、ランクは『S』。
手のひらに収まるほどの大きさの触媒に魔力を込めることで武器を展開、もとい天解できる常識外れの代物さ」
天解機装、か。
今のこの世界で振るわれている武器の多くに共通していること、それは『迷宮産であること』。
どういうわけか、人や獣、竜が纏う防御力に相当する『魔力障壁』は鉄分あるいはそれに類似する成分と非常に相性が悪い。
それは、お互いがお互いに有効であるというわけではなく、むしろその逆。
とにかく反発し、減衰し、巨大な鉄塊のハンマーで小さな犬型の獣を叩きつけた所で、その加速に伴う質量がもたらす衝撃の多くは正体不明の数式によって飛散してしまい、結果として獣にはろくなダメージが通らない、という現象が発生する。
これは鉄から魔力へ、その逆も同じであり、これを利用して鉄分を含んだ狩人装束は相手の魔法を通しにくくなり、そして自分の魔力もまた阻害されるという一長一短の特性を持つようになったりする。
魔力という不可視の鎧を纏ってしまった人間や獣。
それにダメージを与えられるとすれば、それは同じように魔力を纏った攻撃しかない。
ゆえに、100%魔力で出来た迷宮産の武具は非常に有効であり、狩人はこれを重宝する。
天迷宮でしか手に入らない、とされてはいるが、実際にはもう一つだけ、純魔力製の武具の入手方法が存在する。
それはすなわち竜の討滅。
竜を屠れば彼らは必ず『天異兵装』と呼ばれる武具を遺す。
設定されたレア度は上から二番目に該当する『S』であり、最高とされる『SS』が現状未確認な以上、実質的に最高ランクとして扱われる貴重な武具である。
なぜ一般に秘されているかと言えば、それは『竜狩り』などという愚を犯す人間を生まないため。
そもそもAランク以上の武具の多くは国が管理し、個人や組織には貸与という形で所有が許可されているに過ぎない。
ゆえにSランクの武具の保有を夢見る狩人は多くはない。
が、ここに来て風向きが変わっている。
「もしかして、それが『機械の化物』とやらが落としたものですか?」
「そ。『六海全天管理室』でたまたま私が居た時にね、空から鈍色の物体が降ってきてさ。
ろくに抵抗もせずにうちの研究員が破壊しちゃったんだけど、そしたらこれを遺したんだ」
六海全天管理室、とは日本の気象予報モデルシステムを発展させた天候維持装置の設置場所だったはず。
ただ、その所在は六海家の人間意外には明らかにされてはおらず、件の装置がこれまで作動したことがあるのかすらほとんどの人は認知できない。
実際俺も知らない。天候を書き換える、なんてものを魔力無しで可能にするとはとても思えないし。
しかし、落ちてきた?
俺が全天管理室について知っている唯一の情報、それに『空に最も近い場所にある』というものがある。
それが言葉通りなのか、はたまた言葉遊びなのか、俺に言った張本人であるハクさんの適当の可能性もあるが。
とりあえずその言葉を信じたとして、空に最も近い場所に、更に降ってくるもの?
「気になるよねえ、少年」
「……」
「だってさ、この世界って『天雨』、なんて名乗っておきながら、いつも何か起きるのは大地の底からなんだよ」
郡会長が直剣を元の猫のキーホルダーに戻して座る。
ハクさんは俺のすぐ隣、肩が当たる位置で俺に問いかける。
「それにさ、機械、なんてのもルールから外れてる。
今まで地上を跋扈してたのは何時だって生々しい生命ばかり。
それが突然無機物に魂を与えたようなものが現れるって、これはどういうことなのかな」
「あの、六海先輩……、近くないですか」
「いいんだよ、私と少年の仲さ」
黙り続けている俺に段々と声が近付いてくる。
漂う柑橘系の爽やかな香りにどぎまぎするよりも、ハクさんの言っている言葉の内容が気になってしまった。
世界は多分変化を始めている。
新しい天迷宮の発生が最たる証拠だ。
なら、今度は何をしようとしている?
「六海はこの件を受けて、まずは空を調べに調べたんだよ。
ところがどっこい、六海全天管理室より高い場所には雲しか無い。なんなら雲も無い。
衛星からの映像でもほんと雲しか見えないし、哨戒機で空を見上げても同じ」
「じゃあ、雲から落ちてきたんじゃないですか?」
何となく適当に答えてみた。
「…………」
「…………」
「あの、冗談で黙られると困るんですけど」
そんなきょとんとしないでくれ。
ハクさんだけじゃなく郡会長まで固まってるし。
「少年」
「はい」
「正解」
?
雲から機械の化物が落ちてくるわけないと思うが。
「あのね、月詠君。
技術協力として私の父の会社も六海とは懇意にしてもらってるんだけど、どれだけ空を探っても、あるのは雲ばかりだったんだ」
「まあ空ですから、雲くらいあると思いますけど。
逆に雲しか無かったんですよね」
「そ、雲しか無い。
でもさ、ずっとあるんだよ、その雲が」
ずっとある?
雲なんて風に吹かれて流されては消えてを繰り返しているのでは。
「回遊してたんだよ、驚くべきことにさ。
他の雲に紛れてさ、上に下に右に左に、向かっては戻りを繰り返して。
気象予測班とデータを洗い倒してやっとわかった時には笑っちゃった」
衛星から見ても、大地から見ても、雲。
だが風に逆らい、消えず、日本の領空を漂っている?
「上から見ても、下から見てもわからない。
だったらさ、真横から見ようよ」
「まさか」
「気付いてたでしょ、少年。
この『黒鯨』がずっと上昇し続けてたこと」
ハクさんがハッチをノックするように叩けば、船外カメラの映像が天井のプロジェクターから虚空に投影される。
そこに映るのは天空。
「さ、いい頃合いだ」
両脇のハッチではなく、今度は操縦席がある側の壁をこんこんとハクさんが叩く。
投影されるのは正面の映像。
そこに映っていたのは、
「……島、…………?」
それほど鮮明じゃない映像から見て取れるのは、大地だった。
島がそのまま海から持ち上がったような、岩肌とその上に広がる謎の植物。
「まさか、人工島……?
いや、これだけの質量をこの高度まで浮遊させる技術なんて……」
「違う違う、サナ。
もっと世界を広く見てごらんよ」
投影された映像の縮尺をハクさんが弄り、引きの画に変える。
その島が、島だと思っていたそれがどういうわけか少しばかり動いたように見えた。
まあさっき聞いた話からしてこの浮遊島は移動しているっぽいので何もおかしなことは、ないのか?
…………いや、確かにおかしくない。
島が浮いていたらおかしいかもしれないが、これはそうではない。
こんな、鱗のついた無機物を俺は知らない。
「…………蛇」
「……知ってたんですか、ハクさん」
空を泳ぐ鉄鱗の大蛇。
言葉で表すには、とても簡単だった。
俺たちが乗る空挺機は今、ゆったりと左右に振られる蛇の尾を捉えている。
細長い筈の尾でさえ幅は20メートル以上はありそうで、頭の方に行くに連れて広くなっていっている。
全長で言えば、単位はメートルではなくキロになる。
「こんな化物が、俺たちの真上を泳いでいたことを」
「いや、私も驚いてる。
抱えの研究者たちとの見立てで竜の一種かもしれないとは考えていたけど、まさか正しかったとはね」
鋼鉄の蛇、の背中に大地が出来ている。
緑だが、おそらく地上由来のものじゃない。
船外カメラの映像でしかわからないのがもどかしい。
肉眼で見たい。
「ダメだよ、少年。外に出たら」
真横から囁くように釘を刺される。
いや、流石に突然ハッチを開けて飛び出すわけはないが。
「でも、上陸するんですよね」
「月詠君、私たちに命じられたのはこの新しい脅威の源泉の発見と観測。
排除までは頼まれてない。
六海先輩みたいな『金』に匹敵する狩人ならともかく、学生の私たちがろくな武装も無しに蛇の大地に降り立つのは自殺に等しいよ」
一理ある、どころか百理くらいはある。
今の高度がどれほどのものか知らないが、上昇していた時間からしておそらく海抜1000メートルはくだらない。
あの蛇が身体をゆすっただけで、生身で飛べない人間なんて空から追放される。
俺は平気でも郡会長はそうはいかない。
それにあの蛇の大地には、おそらくハクさんが遭遇した機械の化物とやらが群生している可能性が高い。
敵方の種も数もわからないのに無謀にも突っ込むのはどうかと思う。
「六海先輩、管理室のデータ通り、対象の移動ルートはこの太平洋上空を最東端とした日本領空以西への規則的回遊と見て間違いなさそうです。
黒鯨に本土への帰還指示を」
「え? いや、帰らないよ?」
自分の端末で投影したディスプレイで何かしらの資料を纏めていた郡会長の手がぴたりと止まる。
「…………あの、今なんと」
「上陸はしなきゃいけない。
さ、揺れるよ!」
膝立ちになり操縦席側のディスプレイを更に開いて何かしらのコードを打ち込んだハクさん。
今更だがどうやら完全自動操縦らしい。
平地ならともかくそれなりの速度で飛行している大質量への着陸なんて離れ業を機械任せにしていいのだろうか。
というか郡会長が固まったままだ。
そりゃあ帰る気でいたのに敵地(?)への特攻を言い渡されたらそんな顔にもなる。
可哀想。
「ひゃっ」
機体が揺れる。
正確には蛇の大地を視界に入れてからずっと小刻みには揺れている。
音でわかる、多分相当な風が吹いているのだろう。
それがほとんど揺れないと感じられていたのは機械制御の賜物だ。
だがいよいよ誤魔化しきれないほどの暴風、普通ならそんなところは飛ばないが、まあ普通の機体ではないのだろう。
「……あれ、揺れが」
郡会長の言葉のとおり、何故か揺れが軽減された。
全く無くなったわけではない。
「お目見えだ」
完全に閉め切られていた対衝シャッターが突然上がり、ハッチのガラス窓から外の景色が見られるようになる。
倪下に広がっているのは広大と言ってもいい規模の大地、緑。
木々の揺れ方からして地表付近は暴風に晒されていないようだ。
「む、六海先輩? 本当に上陸するんですか?」
「ま、事情があるんだよ。
急いでここを調べなきゃいけない事情が」
「あの、私あんまり高いところ得意じゃなくて……」
「もうすぐ平地だから我慢しておくれ。
怖かったら少年に手でも握ってもらいなさい」
意味ありげに言って何故かウインクのおまけを付けてくるハクさん。
郡会長はやはり疲れた顔をしている。
やはり可哀想。
いくら社長令嬢だからって家の付き合いで天空に飛ばされるとかどんな罰ゲームだ。
「郡会長、酔い止めありますよ」
「……月詠君、マジで言ってる……?」
マジで、なんて郡会長の口から初めて聞いた。
やはり余裕が無さそうだ。
ちなみに酔い止めは持っていない。
「二人とも遊んでないでー。
もうすぐ着陸だよ」
比較的木々の少ない平地。
大地の色は見慣れた茶色、だが含有成分などは不明だ。
縦軸の制止と横軸の移動、なまじ着陸地点が移動する大地なために数メートルのところから一分ほど黒鯨は格闘して、何とか着陸した。
凄まじい技術だ。
「ハッチオープン」
進行方向右側の扉がゆっくりと開く。
同時に外の薄い空気が機内に入り込む。
気温はかなり低そうだがちょうどいい。
郡会長は少し肌寒そうだ。
「ハクさん、高所活動用の上着とかは黒鯨には常備されてないんですか?」
「あー、そこは非売品ゆえに内装も最小限以下でさ。
予算ケチったのは私なんだけど」
吹き込む風も相まって体感温度は中々の低さだ。
六月の格好では辛いものがあるだろう。
「郡会長、よかったらこれ」
着ていたものを脱いで渡すのは非常に忍びないがこれ以上可哀想な目に遭われてはハクさんが恨まれるかもしれない。
汗などかいていないし、おろしたてのものだから不快に思われはしないだろう。
「え、いいの?
でも月詠君、結構薄着だけど……」
「俺は寒いのは平気です。暑いのはダメですけど」
「いいなー、お姉さんも寒いから少年の服欲しいなー」
「流石に半裸でこんなところは歩き回りたくないです」
まあ別に半裸でもいいんだけど。
ハクさんの茶化しを受け流して、俺が一番先に前人未踏の大地を踏み締める。
……うん、普通の土だ。
空気はやはり相当薄そうだ。
風に吹かれている、というよりかは風を切っている感覚。これは蛇の大地が移動しているためだろう。
「んー! 薄いね!」
「空気は仕方ないですよね」
「いや、魔力が」
魔力が、薄い?
大気中のってことだろうか。
そんなことあるのか?
「宇宙に行くと、人は魔法を使えない、って話。
少年は知ってるよね」
「あれは無重力下で魔力が上手く凝固しない、みたいな仮説を経て、後に禁論扱いになってましたが」
「空に住まう六海としては、あれは間違いだと思ってる。
私たちが魔法を放って、火だの水だのに変質した魔力は天に昇るんじゃなくて地に帰る。
そしてまた湧き出し大気に満ちる。
そうして考えると、天の魔力濃度が低いのも納得が出来る」
面白い、と評するには少し真に迫りすぎている考えだった。
この星では『世界共通統魔機構』という巨大な組織が世界に対して一つのルールを強いている。
『奇蹟を暴くべからず』
それは魔法を研究してはいけないこと。
それは魔力を理解してはいけないこと。
それは奇蹟を解明してはいけないこと。
敵性存在である獣についての軍事発展の可能性の低い研究は許可されてはいるが、それ以外の『ASTRAL Rain』由来の事象の詳細な研究は国際法に加えて各国の法規制でも厳重な処罰対象となり得る。
何もない所から、一切の予備動作と科学的道具を用いずに炎を出すということ。
ライターを使い火を灯すのとはわけが違う。
奇蹟を研究し尽くした時、起こり得るのは惨劇であるとかつての賢い人間が断言した結果の現在である。
ハクさんが何の気なしに呟いた今の言葉も世界を震わせかねないのだ。
「それで、六海先輩。
なぜ危険を犯してまで上陸を試みたんですか」
黒鯨から最後に出てきた郡会長が俺のジャケットに袖を通しながらそう言う。
確かに、事情があるとか言ってたが。
「あー、それはね─────」
がさり、と音がした。
林のようになっている木々の群れの方からだった。
「こ、これって!?」
「……猪か?」
目に刺さりそうなほどに反り返った牙。
家畜にしては大きすぎる体躯。
丸々とした胴に短い四つ足。
身体的特徴は猪だが、一つだけ見慣れたそれと異なるものがある。
「…………鋼鉄の身体」
頭から爪先まで、全てが鈍色。
その眼すらも。
巨体は俺たちを認識している。
すわ突進かと思い、背後に郡会長と黒鯨がいる以上回避は選択肢から外すか、
と、考えていた。
「………………?」
「襲って、来ない?」
「……」
継ぎ接ぎの身体を揺らしながら、鋼鉄の猪は俺たちを避けるように脇を通りすぎていった。
「ハクさん、あれは?」
「……うちの管理室に降ってきた猫の個体もそうだった。
あれは私たちを敵と認識してはいたけど、どういうわけか一切の反撃をしてこなかった」
攻撃の意思が無い獣、というのは前代未聞だ。
この世界にばら蒔かれた既存の種とは何もかもが異なる新しい生体である『獣』。
彼らには人を悦しませるために理由無く人を襲えとプログラムが為されている。
だが、今の猪はそうではなかった。
「鉄を模した外皮でしたが、おそらく100%魔力由来かと」
郡会長の私見からしてこの世界に新しく作られた存在であることは違いないようだ。
「ハクさん、今のが事情ですか?」
「……いや。
そうだね、あんまり勿体ぶっても仕方無い」
ハクさんが誰もいない黒鯨の操縦席を漁り、その数秒後に一瞬揺らぎのような何かが黒鯨から発される。
郡会長が気付いていないことから魔力的なものではなく、おそらく可聴域を大幅に超えた超音波か、あるいは不可視光線のソナーか。
少しして帰って来たハクさんの表情は先程より少し硬い。
「私の所に降ってきた鋼鉄の猫。
あれには一つだけ奇妙な点があったんだ」
「?」
「魔法の痕だよ」
その言葉の次に、遠くで音がした。
ハクさんがその方向を見て、そして右手に魔法を待機させたことで緊張感は高まりきった。
「なんで空から降ってきたそれに魔法の痕があったのか。
調べればそれは風の二番目の魔法、獣が使えるそれじゃない」
俺の耳なら捉えられる。
走ってくる。二人か三人。
ハクさんの横に並びその方向を見続ける。
「お出ましだね」
「───!?───!!────!」
飛び込んできたのは知らない言語だった。
だが、彼らが何なのかはすぐにわかった。
灰色の法衣から覗く浅黒い肌。
青い瞳。
人種的特徴もさることながら、やはり一番わかりやすいのは日本の僧衣によく似たその服。
「六海先輩……!? 彼らは!?」
「決まってる。
『北インド星央寺院』。侵略者さ」
通じない言葉の代わりに投げ掛けられた魔法は、わかりやすい殺意だった。




