98話 貴方は弟子
『相変わらず食い付き良いね、少年。
いつもの場所で待ってるよ』
口語となんら変わらない砕けた文章で返信はすぐ返ってきた。
『六海ハク』。
護国十一家、六海家直系ながら次代当主候補には掠りもしない稀代の狩人にして敏腕経営者。
なぜ候補にすらならないのかと訊かれれば、表に出ている理由は幾つかある。
長女がしっかりと優秀だとか、古くからの習わしだとか、そう言ったよくあるものもあるが、今の狩人社会を知る人に『なぜ六海ハクは次代を継げないのか』と問えば同じような答えが返ってくるだろう。
『頭がおかしいから』、と。
「えー、と。いつもの場所って、多分あそこだよな」
不運なことに俺はそんな人に少しだけ気に入られてしまっている。
よくある家の付き合いで初めて出会ってから、なぜか定期的に連絡を寄越して俺をどこかに連れ去っていく。
そんな時に決まって呼び出される場所がある。
区分けされた国土それぞれを守護する他の護国十一家と違い、六海は国土全体の空を守護領域とする。
まあ四月の解放同盟エルシアによる武装テロの手引きを間接的に行った疑惑があるために今は示威的な活動は控えめだけど、普段なら六海が経営する『セブンスカイ』なる航空会社の宣伝飛行船が『どの空を見上げても飛んでいる』と揶揄されるほど、手広く空を手中に収めている。
そんな家の息女が待ち合わせ場所に指定するのは当然空に近い場所だった。
「んー、登らなきゃダメか」
狩人護送用のタクシーの荷台に雑に揺られて30分。
斑鳩市南区の郊外で下ろしてもらい、そこから歩いて15分。
天高くそびえ立つ塔がある。
名前は『夢見の階段』。
名付けたのは六海ハクだ。
塔といっても実際はアートとビルを融合させたような出で立ちだ。
円柱に螺旋階段が先細りしながら巻き付いている、と言えば端的に表現できてるかもしれない。
高さは100メートル以上はあって、当たり前のように進入禁止のバリケードで囲われている。
幼い頃の俺はよくこんなところを登ったものだと今になって感心する。
………………?
なんだろう、この感覚は。
俺はここに来たことがある?いや、そりゃ当然だろう。何度もハクさんに呼び出されたんだから。
じゃあなんだ、この既視感。
なんで見知ったものを見て、そう思う?
いつまでも古ぼけない塔に、金色のラインが走る意匠の螺旋階段?
「………………螺旋、階段」
…………ああ、そうか。
これは、天迷宮の階層間に設けられている螺旋階段。
赤黒い地に脈打つような金のライン。
おぞましさと神秘さを併せ持つ憎らしいデザインだから何とか思い出せた。
「なるほどね、………………なるほど?」
いやそれはおかしい。
なんで天迷宮の階段が地上に?
というかこの塔って新迷宮が生まれる前からあったよな?
…………。
「何もわからん」
わからなさすぎる。
もしかして幼い俺はヤバいところを登ってたのでは。
郊外の取り壊された工業地帯にぽつんと生えた馬鹿デカい塔。
予算でも足りなかったんだろと思ってたけど、もしかして壊せなかったのでは?
迷宮の壁やら床って異常なまでに頑丈だし。
そう言った迷宮の予備知識は人々によく知られているために、実際に見ずともこんな異質な質感の建造物を郊外とは言え旧都のはずれに放置しておくだろうか?
ニュースになっていた一般開放される予定の天迷宮はオクリバナとツガイケ。
この旧都東京にあるトコハの天迷宮は一般開放どころかそもそも世間一般にその存在を公表されていない。
迷宮が作り出した『人を楽しませる存在』である人類の敵対種『天魔』や、迷宮に夢を求め武器防具の乱獲のために獣を殺し回る人間を皮肉ったような猿の獣など、とにかく単純な攻略難度に加えてイレギュラーが多すぎるためだろう。
この『夢見の階段』も、もしかしたら存在を伏せられていた迷宮の類い?
地下ではなく天に伸びるこの形状の意味も気になる。
何より、その中身も。
「やろうと思えば【夕断】で出来るけど」
待ち合わせ場所を斬り崩したらハクさんが怒るかもしれない。
あと出掛ける前にイオリに釘を刺されたのも忘れてはいけない。
俺の異能、夕断はそれ自体はとても地味だ。
この目で見たものを断つだけ。
巨大な火球をぶつけるだとか光の雨を降らせるとかそんなんじゃない。
目に見える刃なんて現れないし、力の残滓も無ければ創痕が残るわけでもない。
ただ、異能自体は地味でもこんな巨大な建造物を倒壊させたら流石に人目につく。
世界は常に誰かの監視下にあるのだ。
それこそ、空から見張る六海だったり。
「……登るか」
憂鬱だけど登ろう。
何段あるのか知らないけど。
………………。
…………。
……。
「……よく登ったな、幼い俺」
終わりが見えてこないんだけど。
こんなに高かったっけ?
伸びてないか?
「…………ちょっとくらいズルしてもいいか」
ぐるぐると螺旋を描きながら登るから効率が悪いのだ。
縦に登ってしまえばいい。
蜥蜴のように。
「雪禍」
呼べば、左手の甲に雪の華。
変わらず綺麗だ。
初めてこの力に触れてからもう二ヶ月が経ち、大分馴染んできたようにも思える。
武器でも防具でもない、迷宮で出土される神秘の中でも更に既存のカテゴリーから外れた『アクセサリ』という概念。
力の本体はあくまでこの左手に埋め込まれていて、あの白い刀はその末端に過ぎないらしい。
「よっ」
刀は抜かず、雪禍の異能で見えない足場を固めて垂直に跳ぶ。
きらきらとした氷の破片が遥か眼下に落ちる前に溶けて消える。
空いた手で螺旋階段の外側から手すりを掴み、身体を引き上げまた縦に跳ぶ。
多分、端から見たら中々気持ちの悪い絵面だろう。
ただまあ、これなら人に見られてもちょっと気持ちの悪い不審者で済むのだ。
もうあの人は着いているかもしれない。
懐かしいあの展望デッキに急ごう。
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この塔の最上階はなぜか人の立ち入りを前提とした設計になっている。
階段を設けてるんだからそりゃあそうだろと思わなくもないが、あの馬鹿みたいに長い螺旋階段を、馬鹿正直に登る物好きなんて滅多にいないはず。
それなのに、この屋上はとても小綺麗で。
たった一つの誰かが置いた木のベンチに座れば、遮る物の無い空と斑鳩市西区の街と自然を一望出来るものになっている。
何となく、今になって当時なぜ登れたのか、思い出した気がする。
離れていく地上を見ながら、どんどんと街から、人から、全部から遠ざかっていくのが気分が良かったような。
感傷みたいなものに浸りかけたが、残念ながら待ち人は既に来ていた。というか俺が待ち人になっていた。
「や、少年。おひさ」
魔力による遺伝子汚染を強く示す、燃えるような赤い髪。
オレンジ色のエクステに、黄色いインナーカラーと、暖色のオンパレードのような髪型。
悪戯っぽく笑う目と口元は変わらず、常に遊び相手を求めている猫のようだ。
「お久しぶりです、ハクさん。
それに……」
意外なことに、この場にいたのはハクさんだけではなかった。
もう一人、見知った顔がいた。
「……え、ええと。
六海先輩のお弟子さんって、月詠君だったんですか……?」
知る人ぞ知る、ではなく、現代の狩人社会に真っ当に属する者のほとんどが、そして斑鳩校に通う生徒なら認知度100%であろう人がハクさんの隣に立っていた。
「郡生徒会長」
斑鳩校、第七十一期生徒会長、郡サナ。
国内の新半導体開発の主導権を握る大企業の現取締役の一人娘にして、稀代の魔法使い。
今日も今日とてアシンメトリーボーイッシュの風体で爽やかにキメている。
オーラから何まで一般人とは程遠い。
「……あはは、すごいとこで会うね、月詠君」
凄い所、と言えば確かにそうかもしれない。
地上100メートル以上の展望台で偶然出会えば何だって運命的だろう。
偶然かは怪しいが。
「というか俺はあの人の弟子ではないですよ」
「えっ、そうなの?」
「いや、少年は弟子だよ」
勝手に弟子にしないでほしい。
確かに同じ護国十一家というくくりではあるが、かなり常識寄りの俺に対してハクさんは向こう側の人だ。
功罪問わずやることなすこと滅茶苦茶で、非常識を絵に描いたような人だと言うのに。
なんでこの二人が一緒にいるんだろうか。
郡会長も『機械の化物』に釣られてきたのか?
「なんで私と彼女が一緒にいるかって?
そりゃあ少年、自分で考えなよ、若いんだからさ」
「生き別れの姉妹だった、ということにしておきます。
遠目に見たら似てますし」
「いいね。答えは人の数ほどある。
姉妹も人の数だけいるものさ」
「意味がわからないんですけど、六海先輩……」
郡会長はハクさんのことを六海先輩と呼んでるらしい。
ハクさんとは在籍年も学校自体も被ってない筈だが。
「あのね、月詠君。
私たちはー、うん、まあ仕事関係って言えばわかりやすいかな」
「なるほど」
十代、二十代の若き社長令嬢と経営者同士、縁があるのは当然か。
「郡会長もやはり例の武器目当てですか」
機械の化物から手に入る面白い武器。
ハクさんのそんな言葉にうっかり釣られて来てしまったのは俺だけではないらしい。
確かに魅力的にもほどがある響きだが。
「…………えっ?」
と思っていたが、反応を見るにそうじゃないらしい。
心底心外な顔をされてしまった。
「少年さ、うら若き乙女が物騒な武器に惹かれるわけないでしょ」
「じゃあ機械の化物目当てですか?」
「はぁ……」
これ見よがしにため息をつかれた。
「まあいいよ、とりあえず乗ってから話そう」
「乗る?」
何に?
そう言えばこの二人はどうやってここまで来たのだろうか。
まさか律儀に螺旋階段を登ってきたわけでもないだろうに。
羽音がする。
虫でもない、鳥でもない。
鉄の羽音。
「さ、行くよ。空の旅だ」
ハクさんが気取ったポーズでぱちんと指を鳴らす。
と、同時にその背後に浮かび上がる黒鉄の機体。
暴風を振り撒きながら、俺たちより少し高い場所で、空中ながら完全に静止した。
「六海家特注、第七世代遊覧空挺機『黒鯨』。
どうだい、少年」
大きく、重厚で、静かな機体だった。
魔法と異能に対する知見が著しく深まった今でも、人は単身では空を飛べない。
鎖木の植物園、その管理人であるあの女のように自由に飛翔する異能というものは世界的に見ても稀有である。
そして人は空を飛ぶことを前世紀以上に欲している。
飛びたいからじゃない。
魔法や異能という小さな人一人が持つにはあまりに強大な力。
それは他国や敵対部族への侵攻侵略でこそ真価を発揮してしまっている。
犬に爆弾を巻き付け特攻させていた時代から、戦術核に等しい威力の魔法を携えた人間一人を空から降らせた実例がある時代になっているのだ。
前触れが無く、レーダーにも捉えられない超破壊の応酬。
それが戦場の最先端。
つまるところ、ネズミ一匹通すことの出来ない陸と海に対して、空は手薄になりやすく、だからこそ航空機の発達は他の産業と比較しても顕著だった。
まあ内地の処理ばかり押し付けられる月詠には関係無さすぎる話だったが。
今、目の前にある機体もそうなのだろうか。
爆弾の代わりに魔法を降らせる悪魔の発明の産物。
操縦席に対して比重の大きな貨物室という見た目は輸送メインの軍用ヘリコプターそのものだが。
「うんうん、やっぱり男の子だね。
そんなに夢中になられちゃ、設計した甲斐があるというものだよ」
腕を組んで満足そうに頷くハクさんがいる。
機能面で不必要な黒地のラメ加工やらが散見されるあたり本当みたいだ。
何でも出来るなこの人。
そうこうしていれば勝手にハッチが開く。
逆光でよくは見えないが多分中には誰もいない。
本当にただの輸送用のカーゴなんだろう。
遊覧とは言っていたが座席らしいものも無い。
広いだけで空っぽの展望テラス。
唯一のオブジェクトであるベンチを端に寄せれば、ヘリポートよろしく『黒鯨』なる機体は降下し着陸する。
「お先にどうぞ、少年」
勧められるがままに、機体の貨物室に乗り込む。
内部は首を曲げずとも直立できる高さはある。
堅い床の上に敷いてある対衝カーペットのお陰でベタ座りしても特に心地は悪くない。
仕切りがあって操縦席は見えないが、きっと六海の使用人か誰かが動かしているのだろう。
今日は何が起きるのか。
何事も無いといいな。
と、心にも無いことを思いながら、外で何やら話している二人を待った。
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月詠ハガネを静止した黒鯨に押し込み、六海ハクと郡サナは話をしていた。
ハガネに聴かせられない類いの話、というわけではなく、そもそも今回の空中遊覧はハクとサナの二人だけで行う予定のものであり、ハクの思い付きで急遽引っ張り出されたハガネは完全なおまけであった。
「六海先輩。いいんですか?」
「んー? 少年のこと?」
「護国十一家、それも直系であるお二人が非公式に会合、協力なんて。
しかも今回は政府の意向も噛んでいる一件ですし」
それは斑鳩校で見せる生徒会長としての凛とした佇まいではなく、国内有数の経営グループの次期役員候補たる経営者の顔。
明るく、男女問わず虜にする笑みを絶やさない彼女は今ここにはいない。
「それに、父が何と言うか……」
ハガネの同乗に乗り気ではない、と言うほど強い拒絶感を示しているわけではなく、単にしがらみだらけの身の上の集まりに辟易しているようにも見える。
「大丈夫だよ。心配要らない、とは言えないし、むしろ常に心配してるくらいがちょうどいいけどさ」
「…………?」
とある縁から五つ年の離れたハクと出会い交流を育んだサナだが、彼女のこういった意図したぼやけた表現はあまり得意ではなかった。
もっとはっきりと、どうしてそうなったのか言ってほしいと煩わしさを覚えてしまう自分の焦燥を幼さだと決めつけ、続く言葉を待つ。
「今回私たちがあたる案件は、本来ならこれ以上の人員なんて必要無いし、いてもプラスにはならない、むしろ邪魔かもしれない。
でもね。もし万が一、億が一、この手にすら余る非常事態が起きたとしたら、少年はきっと役に立つ」
それは正確に言えば答えにはなっていなかった。
家柄の都合上、学校外で待ち合わせをして共謀するようなことは憚られるのでは、という問題の回答ではない。
「私には敬愛する人がいてね。
あの人もトラブルを愛して、愛されて、いつも渦中にいる楽しい人でねえ。
幼い私を振り回してはいつも酷い目に逢わせてくれたものだ」
突如回顧し、懐かしみ笑うハク。
立場上、変人と繋がりを多く持つサナからすれば戸惑うほどではないにしろ、やはり無軌道すぎる語り。
「その人と少年がそっくりなものだから、私としては安心してるよ」
「は、はあ……」
当然のように着地点が不明な終わりだったが何とか受け止め、サナはハクに先を譲られ黒鯨へと乗り込む。
『新たな世界改新の調査、及び新敵性空棲存在の生態観測』
そんな政府からの密命を帯びた六海家。
先々月の不祥事の汚名返上のため、そして家格の維持のためにも二つ返事をせざるを得ず、『新迷宮の発生』に比肩する何らかの脅威をいち早く知った政府の走狗となった六海が取った手は、『最問題児の派遣』という自棄のようなものだった。
本家から放逐され、好きにしていたハクに丸投げされたその命題。
しかし、六海本流ではなく直系であるだけの傍流とされているハクに責任と結果が負わされたことにより、多方面から声がかかった。
平たく言えば、政府と護国十一家に恩を売ろうという輩が数多く現れたのだった。
手を上げた数多の組織個人、それもただそれぞれがハクに対して一本の線を引いて取引するわけではない。
策謀張り巡らせ、絡み合った意図の糸は複雑さを日に日に増した。
例えばこれがただの優れた人間であったのならば、その渦に呑まれ傀儡になっていたかもしれない。
そうならなかったのは六海ハクだから、という他無く、六海家がそこまで見越していたのかは今は誰にもわからない。
そして、そんな権謀術数渦巻く最中によもや護国十一家直系に直前に協力を申し込んだことなど、もはや想像すら出来ないことだった。
良い意味で予想を超えるだけでは問題児となど呼ばれない。
混沌を見据えていながらも、からっとした笑みを浮かべ続けるハク。
その胸中は、あろうことか誰よりも浮わつき、まるで少年少女のような瑞々しさで溢れていた。
「血は争えない、とはよく言ったものだねえ」
橙の瞳が見つめる先にいるのは、黒髪黒目の少年。
いつの間にか少しだけ追い越されてしまった背丈と、魔に敏い者ならば一目でわかる異質な秘めた力。
そして、ハク自信が天賦の才を持つからこそわかる、倫理観を疑いそうにもなるその足運びと体捌き。
それは一分の隙も無い達人のそれではない。
まるで柄すら無い抜き身の刀がふらふらと彷徨っているかのように、天も地も関係無く次の一秒には斬りかかれるような無造作。
だが、そんな外面的な力はハクにとっては正直どうでもよかった。
月詠ハガネという少年は、彼女からしてみれば何も変わっていない。
その心の在り方は、出会った時からそのままで。
崇敬する人のそれと瓜二つであった。
「本当、そっくりだよ、ミオさん」
旧姓、総地ミオ。
六海ハクが師と仰ぐその名は、現代の狩人社会の闇の底に封じられたもの。
真実の一端を知る者は皆目を伏せ、遺された者を哀れむ。
ただし、一端ではなくその全貌を知るごく僅かな者の一人として、今回ハクはハガネを連れ出していた。
新項目兵器『天開機装』の世界最初の発見者として。
全空の守護者たる六海の一番槍として。
『空這う機巧の大蛇』を、ただならぬ身分の三人が追う。
まだ誰も見ぬ新しい武器と敵性存在の調査という大任が、複雑な思惑に揉みくちゃにされ行き着いた先が超が付く問題児。
あろうことかその問題児が更なる問題児を呼び込んだことで、自体は混沌へと進んでいた。
厄介なことに、集まった三人の内、一人は聡明かつ慎重で大局観があった。
三人の内、一人は行楽気分で臨んでいた。
三人の内、一人は望んだ未知に胸を躍らせていた。
なにより。三人の内、全員が世界へ干渉する力を持っていた。
『ちょっとした空の事変』だとして六海に調査を委託した政府関係者は、今この三人が集まっていることなど知るよしもなかった。