97話 早朝ラブコール
今日はよく晴れている。
温暖化と寒冷化を繰り返したこの星は今、それなりにちょうど良い気温と湿度を覚えたらしい。
梅雨入り前の六月は風も吹かず、その代わりに流れる雲も大して無い。
「良い天気だな」
雲が無ければ雨は降らないし、雪も降らないし、血も涙も竜も魔法も降ってこない。
イフリシアが引き起こした(?)人竜騒動から一週間くらい経った。
流れるように誰かの手引きでことは進み、俺、月詠ハガネは幼女とメイドと三人暮らしすることになった。
「…………」
幼女は竜だった。
『朧のアルテナ』と誰かに名付けられた人竜である。
銀髪赤目に人形やら妖精やらと言った表現が当てはまる人離れした見た目。
正体は罪竜、褪せ赤のイフリシアが次代の己の候補として造り上げた欠け身らしい。
なんやかんやあって竜としての形質(角と尾)は無くなった。
まあだからと言って人間は竜を許せるわけではないので、アルテナは月詠が『特殊狩人保護法』という六法全書に載っていない第七のルールで保護することになった。
これは要は『人類かどうか怪しい存在であり、それが敵対意思を持たない場合にその人格を認める』と言うものであり、アルテナに竜の力が無く、なおかつ敵対意志が無いために強引にこれを適用することが出来た、と家のメイドが言っていた。
まあ殺すには惜しいと政府や護国も考えたんだろう。
結果、幼女は生きている。
これからどうなるかは知らない。
そしてメイド。
俺とほとんど変わらない背丈の黒髪の女。
名前は『億堂イオリ』。
月詠の本邸に住み込みで働く使用人で、歳は俺の三つ上。
6年前にたまたま出会って以来、何故か呼び捨てとタメ口を強要されている。
フリルの無いロングスカートスタイルの給仕服で音も無く歩きあらゆる家事をこなす万能メイドである。
「如何なさいましたか、ハガネ様?」
「いや、別に」
陽の光がよく入るリビングで、摂る必要の無い食事を食らう朝。
誇張抜きに何も無かった部屋には一晩で大量の家具が運び込まれ、今俺が座っている椅子も皿が並ぶテーブルもなぜか黒で統一されている。
正面にはアルテナが座っている。
半分寝ながらフォークで刺した野菜を口に運んでいる。
寝癖だらけの銀髪をイオリに梳かれながら。
「今日はどうしようかな」
杜若で滅茶苦茶やった割に、俺の日常は呆気なく戻ってきた。
まず、俺へのお咎めは一切無し。護国十一家の直系だからか、それとも親父が何かしたのか、定かではないが、そもそも狂い銀のネメシスという罪竜の天異兵装を消失させた事実に対して小言の一つも無いとは逆に怖い。
イフリシア討滅の功をもってしてもチャラに出来るとは思えないけど。
事の発端である斑鳩校主導の杜若大森林の観測所での職場体験は途中でお開きにされ(イフリシアの件は伏せられた)、今日は一学年は休校である。
「家にいてもな。どこか遊びに行こうかな」
あんな大騒動が昨日の今日にあってジンとセラに声をかけるのは流石に躊躇われるので必然的に一人だ。
どこを散歩しようか、何を見ようか、誰を───、
「ハガネ様、念のためお尋ねしますがそれは戦闘行為の伴うものではございませんか」
「えっ、どうだろうな。相手次第じゃない?」
「……………………はぁ」
爆弾低気圧みたいなため息をつかれた。
月詠のメイドは容赦が無い、とは護国界隈では評判ではあるが、イオリは比較的、というかかなり俺に甘い。
何をしても味方をしてくれるのでちょっと怖い。
「よろしいですか? ハガネ様は今とても微妙な立場にございます。
そしてこの国の狩人社会も、今やはり絶妙な局面を迎えております」
「例の『竜滅』の話か」
50年前にこの国は竜に左半分を奪われた。
国土の西側を損失した、と言うのは世界的に見れば実は被害は軽微な方だというのが『竜災』のおぞましさをよく表してはいるが、それにしたってやはりダメージは大きい。
今もなお竜境より西側は竜が巣食い、我が物顔で飛び交っている。
それを取り返そうという計画が政府内で極秘裏に進行している、という噂がまことしやかに囁かれている。
情報が漏れてる時点で極秘裏も何も無いとは思うが、確かに狩人の狩猟能力(あるいは戦闘能力)は年々上がる一方であり、日本国内の化物クラスの魑魅魍魎の狩人の力を合わせれば、総力戦にはなるだろうが逆侵攻は可能かもしれない。
ただ、当然その間は他のことには時間も手間も割けない。
魔法武装組織によるテロや獣の定期大量発生と言った予測できる異変はともかく、四月にあった天迷宮の発生のような完全なイレギュラーが起こらないとも限らない。
米国の魔銃をはじめとした新迷宮で掘り出される武装はどれも汎用的で強力なだけに、一手間違えれば諸外国に軍事、経済方面で遅れを取る可能性も低くない。
政府からしたら護国十一家の無軌道で無茶苦茶な行動の手綱だって握っていなきゃいけないのに、やれ罪竜だ、やれ鎖木の植物園だとろくでもない連中が五月になってひしめき始めるしで少し同情する。
「他人事のようなお顔をされていますが、例えば今、罪竜の力を宿された護国十一家直系の長男が一騒動起こしたと仮定するとしましょう」
「打ち首だな」
「…………いえ、流石に現代でそう易々と斬首はされないでしょうが。
竜に対して酷く敏感なこの国で、竜に化けるそのお力は人間一人に預けるにはあまりにも重すぎます」
竜退行、と唱えれば竜になれるわけではない。
今は眠っているのか問いかけても答えないネメシス。あいつと呼応して、俺の感情が昂り切って、心臓なり頭蓋なりに雪禍を突き立てて引き抜いて、ようやく部分的に竜になれる。
だが、そんなことは他人は知らない。
雪禍の力で誰かを傷付けたら、天魔から借り受けた原始弓で大地を穿ったら、竜の力と謗られるのは想像に難くない。
何をしても、それは俺のせいで竜のせい。
当然だ。
「仮にハガネ様がその責を問われ、重罰を課せられたとしましょう。
竜のお力を抜き取る術は無く、その命を終わらせるしかないと断じられた時。
その場合、月詠は何をするでしょうか」
「………………」
俺が殺される展開になったら。
親父は、セツナは、本邸の使用人たちは、どうするか。
傍系の叔父や叔母は、シンゲツの古い馴染みは。
自業自得だと嗤うか、愚かだと嘆くか。
一族の汚点だと怒るか、呆れるか。
全然想像できない。
「戦になります」
「んな大袈裟な」
「…………」
黒い目で射抜かれて、言葉無しに語られてる気がする。
このメイドは、『自分なら暴れるぞ』と、多分言っている。
俺だったらどうしよう。
親父が、セツナが、使用人の誰かが。
望まぬ死に瀕していたら。
見ているだけ。で、済むだろうか。
…………。
「……はは、血の気ありすぎ」
「ハガネ様ほどではございません」
愛する者の為に世界を相手取るなんて頭がおかしい。
世界に根差して生きているのに、それを敵にしてどう生きるというのか。
大地に逆らうようなものだ。
それでも多分、剣を取る。
多分、一族みんな頭が悪いんだろう。
「世界が可哀想だから、無茶はやめとく」
「賢明なご判断、畏れ入ります」
普通に生きていれば、なんてのは俺の環境には当て嵌まらない。
災いなんて幾らでも降って湧く。
その時、歩く道の先に立ちはだかる何かを真っ二つにするためにこの力は使おう。
今さらだけど。
「…………イオリ、おかわり」
「はい、畏まりました」
茶碗一杯の白米を平らげたアルテナが俺たちのつまらない話を遮ってくれる。
四月からはあり得ないことばかり起きてどうにもピリピリしてしまいがちだったが、やっと落ち着いてきた気分だ。
人形よりも精巧な顔立ちの幼女が頬に米粒をつけながら飯を食べているだけでとても気が休まる。
誰の金か知らないが沢山食べてくれ。
「そう言えば、ハガネ様。
六海家からの私信はご覧になられましたか?」
「なに?」
六海?
日本国土全体の防空管理を担う護国十一家の六海?
春先に『解放同盟エルシア』なるテロ組織の竜もどき輸入の手引きを見逃したことで若干国内での旗色の悪いあの家か?
確かにあの家の一部派閥と何故か俺は交流がある。
しかし、私信とは。私信なのにイオリが知ってるのか……。私信じゃなくない?
とりあえず首もとを叩いて端末を起動しディスプレイを空中に投影する。
食事は終わっているのでマナーの悪さはノーカウント。
「うわ、本当だ」
チャットではなく、新規のメールが一通。
送り主、『六海ハク』。
六海家直系、現当主の次女。確か今は22歳くらいの会社経営者。
『月』と『海』は昔から縁があるらしく、俺も色々世話になった過去があり、何故か気に入られた結果連絡先を知っている。
だが良い予感はしない。全く。
二人で海を見に行こうと言われ遠洋まで誘拐されたことがある。
山登りしようと言われヘリで遊覧したことがある。
空に色を塗ろうと言って、あり得ない規模の異能を行使して俺まで怒られたことがある。
この六海ハクという女の異名は『白い台風』だの『白昼悪夢』だの物騒なものばかりが狩人社会で知られ、基本的に六海家ですら持て余してはいる、ある意味護国らしい迷惑系守護者である。
だが同時に有能でもある。引く程に。
何をやらせても一流ではなく超一流であり、そのカリスマは人を惹き付けてやまず、どれだけの問題を起こそうともいつも渦中で笑っているヤバい女だ。
そんな人が、俺に何を求めて連絡してくるのだろうか。
仕方無しにメールを開く。
『ハガネ少年、お久しぶりです。
機械の化物を見付けたので一緒に追いかけない?』
………………。
シンプルイズベスト。
過去に存在した護国同士のやり取りでもっとも端的なのではないか。
「なんと?」
「機械の化物がいたから調べないか、だって」
イオリは俺がメールを要約して伝えたのだと思ってるかもしれないが、本当にこれしか書いてないのである。
そもそもさっきイオリと話したばかりだろう。
君子危うきに寄らず。無用な厄介事は避けなければ。
『PS.彼らは特別な武器を落とすみたいです』
………………。
メールに続きがあった。
特別な武器? どんなだ。
いや、武器なんて現代じゃ基本的に政府が管理することになってるだろう。
手に入れたところですぐ没収される。
そもそも武器に釣られるほど俺は安くはない。
『PS.PS.超強くて困ってます☆』
PS多すぎだろ。
………………。
……。
「ちょっと出掛けてくる」
皿を片付け、着慣れたコートタイプではなく新調したジャケットタイプの狩人装束に袖を通す。
仕方がない。同じ護国のよしみだ。
あの人に恩を売るのも悪くはない。恩とか覚えてる人ではないかもしれないが。
やれやれといった表情を一切隠さないメイドがいる。
俺は戦わない。戦闘行為は一切行わず、補助に徹するのだ。
なんなら話だけ聞いて帰ってもいい。
断ったところでどちらにせよ誰かにお鉢が回るのだから、俺が引き受けなければ月詠の誰かがやる仕事。
「夕飯までには帰るよ」
「………………ん」
「はい、行ってらっしゃいませ」
俺が大暴れすれば月詠やその関係者に迷惑がかかる。
なんなら事後処理だの始末だのを決める政府だって大変だろうし、護国の他家も良い顔はしないだろう。
なのでド派手な戦闘行為は無し。
ちょっと機械の化物の様子を見に行くだけだから。
この時はそう思っていた。
なんて事が無いように気を付けよう。
狩りに不測の事態は付き物なのだ。