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ブラック・レッド・レディ







それは、遅かれ早かれであったのだ。

風聞がそこまで良くはない人間と、人気者である人間が交際をしているという事。悪意や偏見など無く、そういう事実であるのだから。そしてそれを、当人達がそもそも隠すつもりがないのだから。


だから、風評が流れ、根も葉も無い噂が流れる事も。

そして噂とは、得てして心無いものだ。それは誰かから聞いただけだ、という当事者意識を無くす事実がそうさせるのかもしれない。



『釣り合わなくない?』


『どうして、あんなのと付き合ってるんだろう』


『脅されでもしてるんじゃない?』


『酷い話だよね』



まあ、そんなように。

無責任に、何処から流れたかも無頓着な噂が流れていく。そしてまた、噂とは無遠慮に、無差別に広がり、伝わっていく。それはつまり、その噂されている本人たちにも、伝わるということだ。



実際にどうなのか、と本人に聞くものがいたわけは無い。それが噂をするという事だから。無責任に騒ぎ立てる。それはとても楽で、インスタントな娯楽なのだから。


ただ一人、片方。ひそひそと囁かれた男の方は、ただ否定をするでもなく、少し恥ずかしそうに微笑んだ。


そして、そのもう片方。女の方は、どうだったかわからない。それは、交際が発覚して尚その周りには彼女を慕う女生徒がたむろして、それに向ける薄っぺらな笑顔で、感情が隠れていた。



男は、古賀集。

女は、九条史桐。

それぞれが同じクラスでいながら、そのクラスの中では接点はあまり無いままのようでいた。




そんな、ある日の事だった。

休み時間、いつもの通りに、生徒会長の周りには多くの女生徒が集まっている。その少し離れた席に大柄な男の姿は無い。休み時間は、また彼はひいこらと忙しく誰かのために動いている。どんな噂があろうとそれは変わることは無い。


シドは、そっとそれを横目で見る。

空いた席を確認して、少し安心したように。


そうして、休み時間が終わる間際。

ある一人の取り巻きの肩をと、とんと叩いて。

その彼女の耳元で、シドは呟いた。

 



「…放課後に少しだけ、会えないかい?

キミだけに話したいことがあるんだ。

その事は、他のコには内緒にしてほしい」



その彼女は、最早空を飛ばんと言わんばかりに喜んだ。今にも飛び跳ねてどこかにいってしまいそうなくらいに浮かれて、休み時間を終えてその教室を後にしていった。


その後ろ姿を、シドがじっと眺めていた。

笑顔を浮かべずに、真顔のまま。







……





「お、お待たせしました!」



そう、呼ばれた彼女が言う。

急いで、全力で廊下を走って集合場所に向かった姿は、先生の誰かが見れば卒倒するようなほどの猛疾走だったはずだ。



「おや、随分と早かったね。

急がせてしまったかな?」



そこには、彼女を呼んだ、生徒会長が立っている。暇そうに、手持ち無沙汰なように、シャープペンシルを手でくるくると回していた。



「来てもらって直ぐにすまないけど…

ちょっとだけ横にずれてもらっていいかい?

ああ、そこのちょっと奥」



ピタリとペン回しをやめ、顎に手を当てたと思えば、次にはそのような、よくわからない事を言い出す。ただ、どのような意図があったかは分からずとも、心酔している彼女はそれにきっと意味があるのだろうと盲目的に従った。



「うーん、もう少し横かなあ。

そこだとちょっと位置が悪い」



妙に細やかな、そんな指示にも従っていく。

そうしていく中で、少女は少し違和感を思った。

いつもと、何処と無く違う。何が違うだろうか。

違うことは当然だ、二人きりで会っているのだから。でも、そういうことではない。それでいて、単純な違いがある気がする。




「ン、そうそう。そこだ、そこがいいな」



その時に、ようやく気付く。

ああ、違和感の正体がわかったぞ、と。

今日の生徒会長は。麗しのシドさんは。


笑顔を、全く浮かべていないのだ。




「そこだと、通りがかりに気付かれない」




だぁ、ん!


少女の左横に、強烈な音が鳴る。

壁に思い切り手をついた音。シドに依るもの。

所謂、『壁ドン』の形。

だが、その勢い、距離、そして視線。

どれもが、ロマンチックなものとは程遠い。


訳がわからず動きが止まったその目の先に、生徒会長がシャープペンシルをびたりと指す。ちょうど、眼球の延長線上の場所に。



「しーっ…声をあげるなよ。誰かに助けを求めようとも思うな。黙って質問に答えろ。分かったら縦に首を振れ」



距離の近いその顔にはまるで笑みは無い。声音は、いつもの蕩けるようなハスキーな声ではなく、地の底から響くように恐ろしげな低い声。否。笑みがない、程度では無い。これは、この顔は。




「返事は」



かちり。

シャープペンシルの背がノックされる音。

芯が、出てくる。少女の眼球に芯が近付く。


ぞっと、この突きつけられたペンシルの意味を理解し、慌てて頷く。ガクガクと、痙攣でもするように。過呼吸のように、息が荒くなる。心臓が早鐘を打つ。




「うん、よろしい!」


「…それじゃあ早速質問するけど。

例の噂を流したのはキミだね。ああ、答えなくていい。これは確認ですらなくて、事実を提示しているだけだから」



噂。

そう言われて、更に青褪める。

思い当たることが、幾つかあった。

そしてその上で、何故そんな事がわかったのだろうか。誰がその噂を流したかなんて、到底わかるはずがないのに。



「勿論、悪意が有ってのものだよね」



首を、咄嗟に横に振る。

シドさんに迷惑をかけるつもりは無かったのだと。



瞬間、かちり。

ペンシルの背をノックする音。芯が眼に迫る。

びくりと身体が揺れ、理解する。

違う。これは、尋問ではない。

私はただ、縦に頷く以外を求められてないのだと。



「だよねえ。じゃあ、今度こそ質問だ。

何故、あんなくだらない噂を流した。

どうしてこんな事をした。

こっそりやれば、バレないとでも思った?」


「…ん?アハハ、質問が3つになってしまったね。

まあ、どれに答えてもいいよ。答えて?」



答えに窮していると、またカチリとペンシルのノック音。どんどんと、芯が近付いていく。その距離は、今やまつ毛に触れそうなほどに近寄って来ている。



「わた、私は…!

シドさんの、ためをおも、思って…」



「答えになってなーい」



かちり。

もう一度、ノック音。

芯が瞼に、うっすらと触れた。


息が詰まり、声が出てこない。

違う、それすら許されない。目の前の悪魔は、それを許すつもりはない。なんとか絞り出さないといけない。なんでもいいから、返答を。



「すいま…す、み…」


「…すみ、ませんでした…わた、私…くやしくて、私のほうが、ぜったいにシドさんを好きなのに、あんな、デクの棒と付き合ってるなんて、そんなこと、言われてて…」



震えた声で、何か口にする。

彼女自身、もう何を言ったかわからない。ただ恐怖に塗れ、心の奥の本音を絞り出されただけ。言葉や、厳密には返答では無かった。





「はは、そっかあ!

質問に答えてくれてありがとうね」



「お前はそんな下らない理由で彼を傷付けたのか」




かちり。

最後の1ノック。



「…〜〜〜ッ!」



…それは、眼玉に当たることは無く。ただ、それ以上長さを伸ばすことなく、ぽとりとその場に落ちた。


シドは、くすりと肩をすくめ床に落ちた芯を拾う。




「…はは、芯を入れ替えておくんだったよ。なんにせよ、良かったねえ。ボクが勤勉で、芯がすり減るくらい勉強をしていたことに感謝したまえ」



腰が抜け、足がすくみ、窮地から脱したというその事実だけに安堵して、その場にへたり込み、魂が抜け落ちたようにその場にへなへなと座り、何も動けない。

さっきまで、何が起きていたのか。

それすらも、理解できていない有様だった。

まるで悪い夢を見ていたように。



「まあ、聞きたいことは聞けたから、『質問』はおしまい。

最後に、ちょっとお話をしようか」



距離も離れ、笑顔を浮かべながら話す生徒会長。

それはいつも、周りで黄色い悲鳴を上げるシドの姿そのものだった。そしてそれが、今はただ恐ろしい、人食いの怪物のようにすら見える。



「キミらが勝手にボクに理想を押し付けるのは自由だよ。もう慣れてるしね。でも、図に乗ってキミみたいなことをされるとさあ、流石にイラつくんだ。ボク以外を傷つける、なんて」


「でも、ボクは優しいのさ。

それで、彼も優しい。

例え、キミみたいなのが相手でも。

だから、なんていうかなあ、これは最終通告だよ」



これが最終通告。

どこが、通告だろう。

床に残った芯の汚れを見て、ぞっと思う。



「敢えて、彼についての悪評をばら撒いたりすることをするななんて事は言わないよ。止められると、むしろやりたくやるのが人のサガってものだしね」


「だから、うーん…脅したりするのは苦手だけど。

敢えてまあ、言うんだったら、そうだな」



「次にやったら、キミの大切なもの。

その全部を壊してあげるよ」




これは、本気だ。

それが、わかる目つきだった。

実際にできるかどうかということが問題では無い。次にもしやろうものならば、彼女は絶対にそれをやろうとする。

何もかもを破壊して、生活を滅茶苦茶にするだろう。ついさっき見せた、獰猛な、悪魔のような悪辣さで。




「返事は?」



びくり、と、飛び上がるように震えた。

壊れた赤べこのように、首を縦に振るった。



「うん、ありがとう!

さて、お話はここでお終い。

随分時間を取っちゃったねえ、帰っていいよ」



そう、言われるや否や。

女生徒は一目散に駆け出した。早くここから離れたい。何があっても、どうあろうと此処から逃げたい。何より優先しても。そう、思った。




「ああ、そうそう!」



また、びくり、と肩が揺れる。

心臓が止まるような衝撃に、足が止まる。これまでなら歓喜と共にあっただろう呼びかけ。それは今やただの恐怖のみになって。



「古賀くんがデクの棒っていうのはとんだ誤解だよ!彼はとーっても優しくて、何よりとても優秀なんだから!ボクのお墨付きさ!」



がくがくと、縦に首を振るって『返事』をする。

もう、そうするしか頭には無かった。



「おや、これには返事はいらないったら。

もう、そんな怖がらないでよ」


「だから、明日からも宜しくね?

ボクの右後ろがキミの場所、だよね。

2年Cクラスの□□さん」



名前、クラス。自分が取り巻きのどこにいるか。その全てを認識されていた、という事。それはほんの少し前なら、ただ喜ばしいことだったろうに。


悪魔に、睨まれているような。闇の中から怪物がこっちを認識していたことを、気付いてしまったような。

そんな、脚が竦む感触だけが有った。




「ヒ…イ…ああああ…っ!」



「アハハ!それじゃあ、またね!」







……






「ねぇ古賀くぅん。

ボク今ちょっと疲れててさあ。慰めてよ」



「うおっと…急に肩に腕掛けないでくれ。

ていうかお前ぴんぴんしてるじゃねえか」



「いやいや、ボクは嘘なんてつかないよ?

これは空元気だよう。

さっきまで『色んな』子とお話しして疲れたの」



「…まあ、確かに嘘はつかないもんな、お前。

わかったよ。ほら、こっち来てくれ」



「うん、そうそう。流石はボクの彼氏クン。

だから、ホラ。ボクをちゃんと甘やかしてね?」





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