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暗夜行路







「……あー…」




その日は本当にひどい雨で、暗い外を眺めれば僅かな光源ですら見えるくらいの大きさの雨粒が、轟音と共に降り注いでいた。


周りには誰も居ない職員室。ただ外の雨の音しか響かない、隔絶されたような空間になんだか妙に開放的な気分にもなるようだった。




「……〜♪」



最近流行りの曲を鼻歌で口ずさみながら、首を回しながら片付けをする。シャットダウンしていくPCの光の動きをぼーっと眺めながら鞄を持ち上げる。



「ふふん、ふーん…」



「すいませーん…」




「っ…!?」




予想だにしない、第三者の声に驚く。

低い声に驚き、また油断していたから驚き、そしてまたその声が慣れ親しんだ声なことにも、驚いた。




「あれ、浮葉先生だけですか?」



「え、ええ。そう…

って凄いびしょ濡れ!どうしたの!」



「色々してたらかなり遅い時間になっちゃって。急いで無理矢理帰ろうとしたんすけど…

流石に職員室の傘を借りようかなと思って」




困ったようにはにかみながらそう言う、とっても背の大きい男の子。必死に拭いたのだろう、水は垂れてないが、服に染み込んだ分はかなりびっしょりと残っている。


その子に呆れ、怒り、そして少し悲しくなりながら溜息を吐く。




「集くん…君ね、まず、大人の私がかなり残業している時間帯に生徒の貴方がいるってことが異常であるということをちゃんと認識して」



「……うす」



「あと、もう傘はありません。

皆に貸し切っちゃって売り切れ」



「げ」



「あともう一つ。

この様子だと傘だけじゃ無理よ」




それは、外を見なくても分かる。

シャワーを耳元で流しているような、水が叩きつけられる音。風が鳴り響く音。

貸し出しした傘も、一体どれくらい無事に帰ってくる事だろうか。




「…上着、脱いで。

少し乾かしましょう」



「え?あ、えーと…」



「私、ちょうど仕事終わったの。

二人で少し、雨宿りしていきましょう」




疲れてあまり動いてない脳みそがそんな言葉を出力して、最終的にそういう事になった。

横目でちょうど、PCがぷつりと光を消した。







……




シャツ一枚の、ここまで着崩した姿で職員室に居るというのはなんだかすごく新鮮な気分だ。

基本的に、ここに入る時はちゃんとした服装でないと指摘されるから。


少し落ち着かないまま、浮葉先生の席の横の椅子に座って、自分の身体を見る。

この時になって初めて、失礼だったり汚くないかと気になってしまった。



「はい、どうぞ」



「あ!す、すいません!

そんな気使ってもらっちゃって」



「ふふ。違う違う、私が飲みたかっただけだから、ついでにやっただけよ。そんなに畏まらないで」




置かれたインスタントコーヒーを前に、少し立ち上がって、また座る。

そんな俺の様子に微笑みながら先生もまた椅子に腰掛けた。手には、コーヒーカップ。



「砂糖とかいる?」



「あ、いや。ブラック割と好きなので」



「あら、気が合うわね。私も」




そう言ってから、先生が首を少し上に伸ばしながらコーヒーを啜った。

啜った息をため息のように吐きながら、遠くを見るその目はどこか虚ろなように見える。




「…先生疲れてます?」



「…はい。すごく…」



げんなりと眉間を摘みながら、肩を撫で下ろすその姿からは、誰がどう見ても疲労の溜まり具合を読み取ることが出来るだろう。



「無理はしないでくださいね」



「それはこっちのセリフよ、集くん」




労りの言葉を口にした途端、すぐに返される言葉。じっとこっちの目を見て、話される。その目や顔は疲れていたけれど、それでも無くしきらない誠実と真面目。



「そんな事は無いと思うけど…

一応聞いておくわ。君、用事を無理矢理押し付けられたりはしてないのよね」



「まさか!それだけはあり得ません」



「そう。それならまだいいんだけど…そうすると問題はまた別にありますね」




かたり、とコップを置いてから席を立ち上がる浮葉先生。何かまずい事をしたかと思い、少しびびりながら背筋を伸ばす。


ただ怯えたような事は何も起きず。

代わりに、頭をそっと撫でられる。

まるでちゃんと言うことを聞いた子どもを褒めるように、顔を近づけて、よしよし、と。




「…それでも、ひとまず誉めておきます。

集くんは本当に優しくて立派ね。

えらい、えらい」



ごくり、と口に残っていたコーヒーを思わず嚥下してしまう。優しげな笑顔と、疲れからくる力のない声は妙に弱々しく、そして唾を飲むようなまでに艶めいていた。



「い…いやいや、そんな、なんて事なくて…

いつももっとやれたのになーとか、もっと上手くやれたのになんて思って…はは…」




照れに任せて顔を逸らしながら、頭が働かないままそんな風に口を動かす。


ただそれを聞くや否や先生は手を止めて、こっちを、どんな感情なのかゆっくりと見つめてから、離れて椅子に座った。




「?あの、先生…」



「やみそうに、無いわね」




外を眺めながらそう言う。それが雨の事であるということは言わずもがな分かることだった。




「仕方ないですね、本当はあまりよくないから…ナイショにしてもらっていいかな」



「え?何をですか?」



「このままじゃ埒が明かないので、集くんを私の車に乗せて行きます」




ちゃり、とキーを指先に掛けて荷物を纏める後ろ姿を暫くぼっと眺めてから。

えっ、と素っ頓狂な声をあげてしまった。


…先生、車乗れるんだとかなり失礼な事を思ってしまったことは秘密にしておかないとならないだろう。








……





窓ガラスに雨がざあざあと吹き荒ぶ音、激しく動くワイパー。エンジンの音と空調の音が少しうるさく、小さな音は掻き消す程だ。


どちらも少しの間、無言だった。




「…車なら、先生は雨宿りする必要がなかったんじゃないんです?」



「生徒を一人置いてく訳にはいかないから。集くんを置いていって、そのまま走って帰って、風邪でも引かれても困るもの」



それは半分本当で、半分嘘。

雨脚が弱まったらいいと思ったのはそうだったし、その為に雨宿りしたのは確か。

でも半分の所では、君と少しだけ話をしたかった。疲れた私に、ほんの少しのご褒美として。




「集くん。今日、何をしていたらこんな時間になったの?」



そして、君を送ろうと言うのも、半分は純粋な善意で、半分は君の逃げ場を無くす為。

あなたにちゃんと話しておかないといかない。その、当然と思っているそれは、当然であるべきじゃないと言う事。



「え?っと…色々…ですね。

頼まれた部活の道具整理と、あとクラスの掲示物の修繕と生徒会の書類と、あと…」



「ま、まだあるの…?

わかった、もういいわ…」




すらすらと幾つも幾つも出てきたものに少し驚きながらそれを止める。必要な事はした事の全てを知ることより、どれくらいの仕事をこなしたかという事だから。



「…さっきと同じ事の繰り返しになるけど…私と同じような時間帯にまで学校にいるなんて、本当におかしい事なのよ、集くん」



「う」



「…誰かを助ける事は偉いわ。行動自体はとってもかっこいいと思う。

だけれど、限度ってものがあるでしょう」




背後で、少し背を正す気配がする。

それにくすっと笑いながら言葉を続ける。




「人助けは本当に、立派だと思う。さっきの言葉には嘘は無いし、あなたのいいところでもあると思うの。

でも誰に押し付けられたわけでもなく、そこまで詰め込むのは、正直異常だとも思う」



「…君自身を大切にしてる人の気持ちの事も、ちゃんと考えてあげて。

君が唯一助けてあげられない、君自身を助けてあげたいと思ってる人が、可哀想だから…」




ザアーっ。

フロントガラスに水が当たり流れる音。

静寂とは言えない空間が、街灯の暗闇の中進んでいくものは、妙に非日常的だった。




「…わかっては、いるつもりなんです」




後部座席の彼がぽつり、と呟いた。それはさっきまでの声とは違う、どこか仮面が取れたような、なんとも言えない素の声のようで。




「俺を大切にしてくれる人がいる。俺が傷付くと悲しむ。以前、痛いほど分かったつもりだし、気を付けるようにしてるんです」



「…でも、周りがどうとか、俺の周りが悲しむとか。困ってる人がいるとその時だけすっぽり抜け落ちちまうんです。

俺は、優しさを無碍にしてまで、誰かを助けるっていう気持ち良さに浸りたいだけの偽善者なのかもしれない……」



言葉を何度も反芻してから、ちゃんと理解してから目を閉じる。あ、目的地に停車していたから、余所見運転ではありません。




「行動が善なのか偽善なのかは、君だけが決める事じゃない。その行動に助けられた人も決める事だと思います」



そう。常々思う事。行った人だけが偽善だと思い込んで、それがそうだと決められるなんて、ずるいじゃないですか。




「…少なくとも、私は君を善だと思いますよ、集くん。その上で、もっと自分を大切にしてあげてね。私が言えるのはまだそれだけだけど」




さあ、君の家の前に着いたよ。

とそう改めて後ろを向いて声を掛ける。

そうして見た彼の顔には、俯いていながらも、確かな喜びと、笑みがあった。



当然だけど。

やっぱり、彼だって、自分の善行を褒められて、嬉しくないわけが無いんだ。





「………やっぱり。

だから私は…」




だから私は、そんなあなただから。

大切に思えて仕方ないのかもしれない。

頼りになって、誰かの助けになれて、身体も大きくて。そんなあなたが、どこか抜けていて、自分についてはとんと無頓着で。


でも、やっぱりちゃんと人間で。

何処か抜け落ちて大人になってるように見えても、ちゃんとまだ学生で。

叱られたら凹んで、誉められたら喜ぶ。

まだ君は、可愛らしい子どもなんだと。



そんなだから、守ってあげたくなる。





「…『だから』、なんですか…?」




降りぎわに、バツが悪そうに質問をしてくる集くん。曖昧に微笑みながら答えた。




「…うん。そうね。

だから、放っておけないのかしら。

なんていうか、危なっかしくて」




これも、半分は本当。







……





「こんにちは、集くん」



翌日、学校で声を掛けられる。俺からでなく、先生から声を掛けられるのは珍しいことの気がする。いつも見かける度に声を掛けてるから。



「あ、どうも!

…昨日は色々ありがとうございました!」



「あ、頭なんて下げないでいいの。

それより、ほら、聞きたいことがあって…」



聞きたいこと。

はて、なんだろうかと首を傾げると、次第に浮葉先生は顔を赤らめていき、手に持つ書類で顔の下半分を隠しながら、ごにょごにょと話す。




「…その…なんか昨日、疲れててすごくぼーっとしてたんだけど、疲労に任せてとんでもない事してなかったかしら…」



「え?いや、まあ…確かに車乗せちゃうのアリなの?と思ってたけど」



「えっと、それもそうなんだけど…

それじゃなくてその…」



「……職員室で、鼻歌を歌って……!」



「1番恥ずかしがるのそれなんですか!?」






…やはり、この人も微妙に、何かズレている所があるんだなと再認識した。






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