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彼の周りは少し愛が重い  作者: 澱粉麺
焦点の外側
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グリーン・アイド、ジ・エンド




生まれてから、常に聡明だった。

それは自己評価でもあり、周囲からの評価でもあった。ほぼ全てにおいて何をすればいいかわかっていたし、何をすれば周りが喜ぶのかもすぐにわかった。


そんな自分に愛想が尽き、飽きるのは、そう時間はかからなかった。ただずっと、自分は何の為に生まれてきたのかを考えていた。


10年ほどかけて、その答えを一つ見出した。退屈な人生を、それでも周囲の有益になり、何かの歯車となることがそれなのかもしれないと。





そんな答えを数瞬で忘れてしまった。

10年で見つけた答えが5秒で破綻する。

ああ、あれが恋だったんだ。


その答を全うし、それを証明するために、なんでも費やして良いとも思った。

彼以外の何に嫌われてもいいと思った。それを手に入れる為ならば。



だけど、だから。こんな簡単な事を予想だにできなかった。一つ前の答えをあっという間に破綻させた恋という答えは、それもまたあっという間に破綻するものであったという事。




……



それは、一目で全てが分かった。

何かを語る必要も無く、その様子を一目するのみだけで終わった事が理解できた。



同じクラスの、一人の女生徒はボクの恋した人間と、恋仲になっていた。

いつものような近しすぎる距離感は、もはやその仲に適切な距離となったのだと、すぐに。



菜種アオ。

彼女が一瞬こちらに目をやり、微笑んだ気がする。こちらを馬鹿にしたような、見下すような、そんなものではなく。

ただただ、幸せそうに。



その一瞥を見た瞬間に、顔が歪むのを感じた。心も、身体も、全てが捻じ曲がり歪んでいく感覚があった。握りしめた掌から血が溢れた。


脳みそがぐちゃぐちゃにかき混ぜられたようだった。痛く、苦しく、信じられないような。

それでいてこれが現実なのだと、心が受け入れ初めている事が吐き気がする程気に食わなかった。



いつも貼り付けている笑顔が出ない。周囲に集まっていた女生徒達が恐怖の眼差しを此方に向けてるのを感じた。それすらもどうでもよく思えるほどに、何かが溢れて仕方がなかった。


その何かは、名前をつけてしまってはならない物とすぐに解って、そのまま蓋をする。

名前をつけ、認識してしまえば、この手はきっと血に染まる事になる。

ボクの意志によるコントロールすら効かずに。



自分が見下していた存在に、あまつさえ制御下に置こうとしていたそれに出し抜かれた気持ちはどうだろうか。

明確に下と思っていたものに、完全に負ける気持ちはどんなだろうか。それらを知ることが出来るなんて、貴重な機会だった。

それが齎すのは、屈辱的なまでの怒りだった。



努めて、冷静に。下唇をうっすらと噛み切りながら、それでも冷静に。


何を失っても、怒りのままに壊してもよかった。だがそれをする気にならなかったのは、結局のところそれをした所で、『彼』は哀しむだけだとわかっていたからだった。




その日は、ゆっくりと家に戻った。

ゆっくりと夕餉を平らげ、ゆっくりと身体を清めて、寝床に目を閉じる。


暗闇の中、脳内で絡まった毛糸よりもぐじゃぐじゃな思考が破裂しそうだった。




(………何故だ)




恥も外聞もかなぐり捨てた。

知性も良心だって、要らないと思った。

良識と善性を廃棄して、前に進んだ。

何もかもを犠牲にしたんだ。


それでも、尚足りない。

何が足らなかった。どうすればよかった。

これ以上、何を捨てればよかったんだろう。




ああ、ずるい、ずるい。


恋とか、愛とか。

誰かを本当に愛する気持ち。誰かを慈しみ、心から大切にしようという気持ち。



・・

それ、どうやったら手に入るんだ?



いっつもそうだ。

欲しいものは全部、ぜんぶ誰かのもの。


わかっていたさ。結局誰かのものになるのだと。ボクのものは、所詮横恋慕にしかなれないということも、なにもかも。



横恋慕。分かっていたさ。

横恋慕。そうなるだろうよ。

横恋慕?知った事か。そんなの知らなかった。どうやって知れって言うんだ。


知ったところで諦めろっていうのかよ。

諦められる訳ないだろうが!

どうやっても、どうやっても!




(…畜生)



(畜生、畜生、畜生ッ!!)




『こう』なる前、君がいっそ手に入らないなら、いっそ壊してしまおうとも思った。

全てを壊して、君を捕え、永遠を共にしてもいいと、そう考えていた。


でも今そうなったら、そのような気はまるで浮かんでこなかった。なんでだろう。ただその行動力は、全て虚脱感に変わっていた。




ああ、そうだ。

この解はとうに破綻していたんだ。




寝台から跳ね起きた。何でもいいから壊したいような気持ちになり、机を思い切り払う。

がじゃあんと大仰な破壊音がしても、気持ちは晴れない。


ハサミを拾う。枕に突き立てても全く気持ちは晴れない。机をズタズタにしても、何も気持ちは晴れない。何を壊そうとも、破壊衝動は消えない。


ふと、姿見が目に映った。

それを見て、アハ。笑いが出る。



(なんだ、こうすればいいじゃないか)





ボクはそのまま。

自分にハサミを突き立てた。




…………









……







「……やあ。久方ぶりだね、古賀くん。

と言っても、1週間くらいだけども」



「おや、変な顔。

鳩が鉄砲を喰らったよりひどいよ?」




「…やだなあ。そんなに驚く事かな?失恋をしたら髪を切るなんてポピュラーな行動だろ?

そりゃ確かに、衝動的に短く切りすぎたきらいはあるけど」



「ああ。『失恋』さ。言わんとしてることがわからないような程キミは馬鹿じゃないだろ?」




「黙れ。同情でもしようものなら殺してやる」




「…出ていけ。二度とこの部屋にも来るな。

返事は要らないから、そのまま出ていけ」



「ずっと横に、一緒にいるだの言っていたな。

そんなのごめんだね。こっちから取り下げる。さっさと消えろ、古賀集」



「ああ。さよなら。出来ればもう二度と逢いたくないけれど、また明日教室で」




「……」



「…」



「……大好きだったよ。本当に」








……





錆びついた南京錠を、職員室から盗んだ鍵で開ける。久しく開けられていない屋上の扉は赤錆臭く、固まっていた。



ふらふらと焦点のさだまってないように歩いて、その手すりのぎりぎりにもたれ掛かる。その日は風が強く、短く切った髪がパタパタと頼りなくたなびいた。



手鏡を開く。じっと自分を見つめた。

そこに映るものは醜悪な怪物。

鮮やかな赤い目も塗りつぶすような穢れた緑。




『ああ貴方よ、嫉妬に用心を。

それは緑色の目をした怪物。

人の心を喰らい、弄ぶのですから』



何の一節だったか。そんな言葉を思い出す。

嫉妬と怨嗟に塗れた姿、嫉妬そのものが、怪物であるのだと。なるほど、通りで。ボクの瞳孔はこうまでくすんだ汚い緑に染まっているのだ。



自嘲と共に手鏡を閉じ、下を見る。落ちれば確実に死ぬだろうほどの高さを誇っている。当然だ、だからこそこの屋上は封鎖されてるのだから。



一歩、足を踏み出す。

もしもここで落ちたとして。ボクが死んだことを知ったら彼は哀しむのだろうか。




「そんなわけがないか」




ぼそりと、一人ごちる。

そうだ。きっとボクがこのまま死んだのなら、助けられなかったと悔むだろう。

俺のせいだと後悔をするだろう。


哀しむよりも、悔しがるのだろう。そんな破綻っぷりを、ボクはどうしようもなく愛していたのだから。




「ふふ」



「ハハハ」



「アハハハハハハハ!!」






「いかないで……」




情けのない声だった。

自分から出たとすら思えない、そんな音。


錆びた手すりにゆっくりと背中を向け、寄り掛かり、座り込む。老朽化したそれが崩れるなら、それはそれでよかった。だが幸か不幸かそれが壊れることは無かった。




…数分、そうして蹲っていた。



ボクは人生の答えを間違えた。

出すべき解を遠ざけて奔ることが、その人生における失敗でなくてなんだろうか。



でも、この失敗が、唯一残っていたボクの、人としての自身の楽しさの全てだったんだ。



ばっと。顔を上げ、立ち上がる。

手鏡を開き、自分を見た。

そして、作り笑顔をした。

脳裏に彼と、その横にいる女を思い浮かべて。



にこり。



ああ、完璧だ。

完璧な笑顔だ。


失敗を排し、不正解を無くし、恋という不完全要素を消した、完全性こそがここにあった。



そうだ。ボクはこの時ようやく、『九条史桐』として完成したんだ。目の色だけがちょっと気持ち悪いけれどね。






そんな『完成』は、君の不出来な答えを手に入れられたのならいらなかったのになあ。





「…ハハ」









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