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彼の周りは少し愛が重い  作者: 澱粉麺
焦点の外側
44/84

藍色水子



何の話だったか。

きっと、他愛の無い話から始まったのだと思う。母が兄に、そろそろ高校生も終わりなのにあんた好きな人でもいないの?なんて、質問をして。


私はその時、ちょっと。と止めたんだ。

いつだってそんな話は嫌だから。

でもいつもより静止が遅くって。




心に決めた人が居る。



そう、顔を少し赤くしながら、それでも家族にきっかりと語ったのは、兄らしい馬鹿真面目さだと思う。

その発言は、そう微笑ましく思う私とはまた別に、私の心をゆっくりと殺していった。



(誰、それ)



彼が人を想う事。

よろこばしいそれに心が痛むことは、それでも受け入れる事が出来た。仕方のない事。どうしようもない事。元から諦めていた事。

兄が素直に人を好きになるなど、本当に良いことなのだからと、何度と何度も言って。


それでも、私は兄の横に居られるのだからいいじゃないかと、そう昏い悦びがあって。




そう。この時までは耐えられた。

きっと、その時までならば。


貴方は、その対象は女教師と言い出して。

両親も、私もそれに反対をした。


だけど反対されながら、それを全く曲げない姿を見て親は渋面をしながらも頷き始め。

そして私は、呆然としていた。



(私、知らないよ)



発言の内容じゃない。

貴方がその人を好きになった理由でもない。

声など入って来なかった。

私はその、あなたの横顔に目が離せなかった。

その、あなたの瞳に。



それでも俺は決めたんだ。



そう、心に信念を持って。

私以外に邁進する。

私を全く視野に入れないその姿の。

ああ、なんと迷いのない事か。


私など、全く瞳に映らないその姿は、私が知らないほど輝いていた。

その眼は、私が知らない光に燃えていた。



その輝きが、疎ましくて仕方がなかった。

悔しくて辛くて仕方がなかった。

私が知らない貴方が、こうも簡単に姿を表す事は、あまりにも残酷すぎた。


あなたのそのひたむきな愛が私にまったく向けられない事など、とうにわかっていた。

そんな事はわかっていた。でもこれは。



その時にようやく。

私が彼の横にいる事など、もう出来ないのだと知った。彼のその変化も、声も、顔も。

もう、そこに寄り添う事など出来ない。いちばんに私が見ることが出来たそれは、二度と。



そうだ。

この時に初めて、わかったことだ。


私は、彼が誰かに恋した姿など見たことなんて無かったんだ。



げ、えええ。

誰もいないところで、吐瀉した。


肺から腸まで、全てミキサーにかけられたかのような嘔吐感が身体から消えない。




私が、私だけが彼を一番知っていたという自負があった。それだけが、私の唯一のよすがだった。私が彼の妹で居て、それでいて嬉しく居られる全てだった。


『そんなもの』、すぐに無くなるものだったなんて思いもしていなかった。

私が生きる意味にしてあったそれは、少し目を逸らしている間に、あっという間に消えてしまうような程に曖昧で泡のように儚かった。



これから先。兄は私が知らない顔を、私が知らない場所で、私以外に向けるのだろう。

それを私は、全く知る事は出来ない。

私に向ける顔は、私に向けるだけのそれ。


私が知らない顔と、知らない言葉と、知らない全てが8760時間中、延々と生まれていく。

私が、彼を知っているというそんなそれは、みるみる内に薄れていく。



私が、唯一と思っていた自負は、そんなものくだらないと、一蹴できてしまうような、ささやかで馬鹿馬鹿しいものだった。



私は、じゃあ、そうしたら何になるの?

これから先は、何の為に完璧になればいいの?私はどうやって生きていけばいい?


彼が誰かに恋する事とは、つまりこうなる事だなんてとっくにわかっていた筈なのに。そんなのまるで気付かなかったと言わんばかりに。


目の前が暗くなる。

足に力が篭らない。

意味もなく口から声が出る。

呻き声が、ただ音量を大きくしたような。



私、あたし、ぼく、おれ。

アイデンティティが、みるみると破壊されていくような感じがした。

壊れちゃいけない、見えない何かがぷつりぷつりといっぱい切れていく音。



兄が、兄の。

貴方が。私を。



私が既に壊れていて、彼がそれを支えてきてくれていただけなのか。

彼が私を、ぐちゃぐちゃに、丹念に壊してしまったのか。

どちらが先だったかなど、どうでもいい。



失う直前になって初めて。貴方がどれだけ私を壊していたのか、気付いた。




どれだけ

わたしがくるっていたのか

わか






……





それにきづいて、ことばすら がらがらとくずれていくのをかんじた。

とりつくろった すべてがくだらないと。



かんぺきで あろうとする。

くだらない。

ゆうとうせいで あることすら。

くだらない。

ながいかみを すくことすらも。

くだらない。


いえのなかであろうと

あなたに けいごをつかうことも。

もうなにもかも くだらない。


どうせもう かわらないのなら

はじも がいぶんも いらない。




おかあさんも おとうさんも。

あなたも。

わたしがすっかりかわったとおどろく。

まるで こどものころにもどったみたいねと。




「お兄ちゃんったら、もう!」



そんなふうに ばかのふりをして あなたにむじゃきにとびつく。ちえおくれのように そんなように。


そのすがたをみて よこめでにらんで

あなたはうれしそうにわらう。

かっぱつになったわたしを あのころみたいだなとなつかしむように。



でも ときどき。

なにかを あわれむような

かなしむようなめを あなたはしている。


どうして。

わらってくれたじゃない。

なんで。

いやなきもちにしたならあやまるから。

やめてよ。

そんなめを しないでよ。





そんな悲しい顔をするくらいなら。

初めから誰かを好きになんてならないでよ。









……







その夜きれいな夢を見た。

しあわせな夢を見ていた。


そこは白詰草がいっぱい敷き詰められた花畑。私はそこで、お兄ちゃんと花の冠をいっぱい作るんだ。下手くそで慣れていない手付きで私の髪を結ってくれる貴方に、私は無邪気にくすぐったいと笑う。


何も、心に淀みがなかった頃。

あなたが笑えば、ただそれで嬉しかった頃。


風に乗って、遠くから花の匂いがした。



天気のいい草原を二人で走り回って、疲れ切ってから青々とした広場に二人で寝転んで。

ゆっくりと寝息を立てるんだ。





でも、そうして眼を覚ました時には、横に貴方は居ない。すっかりと暗くなってしまったそこで、先に帰ってしまったように、影も形も居なくなってしまう。



代わりに、こちらに歩いてくる何かの姿を見つけるのだ。その人間の形をしたそれはこっちに近づくにつれてどんどんと大きくなり。


そして、適齢期かというところで、急に型崩れを起こしてぐちゃりと身を横たえる。ゲル状になってしまったように、形すら保てずに。


その化け物の体液は、青かった。



出来損ないのバロットのようなそれは、よたつくようにその身体を小刻みに揺らす。

ぶるぶると、溶けていく。


歩けもせずに。

先に進むことも出来ず。

大人になる事すら出来ないで。うまく生まれる事が出来なかったその何かは、同情するかのようにこちらをじっと見つめてきていた。



笑って、しゃがみ、その眼を見る。


そっと、手を伸ばす。

お兄ちゃんと二人でいっぱい作った、白詰草の冠をその倒れた頭にかけてやる。


一つ、二つ、三つ。

身体が見えなくなるほど、いっぱいに。三つ葉のクローバーが、これを埋め尽くすように。

醜悪な姿を、三つ葉で見えなくなるまで。



(…あーあ)



あくび混じりに、それが終わった頃。

ふとポケットの中に四つ葉のクローバーが入っていることに気が付いた。



私はそれを微笑みながら、引きちぎった。




それは本当に、しあわせな夢だった。






三つ葉の花言葉: 復讐。私を忘れないで

四つ葉の花言葉: 満ち足りた愛。私のものになって。

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