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彼の周りは少し愛が重い  作者: 澱粉麺
焦点の外側
43/84

黒揚羽

光の側には影がある




………



初めにその違和感に気づいたのは、もう二度と、手に届かなくなってからだった。


それなら、ああ。

ずっと気付かないままでいたかった。



首筋に触れる手や、いやに近しい距離感も、いつもの事であると思っていた。でもそれに忌避感や照れ臭さなどが消えている、そんなちょっとした違和感に、気付いた光景。何かが異なったように感じたその光景。

気に留める事は無かった。



生徒会長と話し、スキンシップされるその頬にいつもと違う紅潮が見られる事も、笑顔が違う事も。違和感を感じていた。

気に留める事は無かった。



夕暮れ時の橙光が校舎に差す中に、人知れず口付けをしていた光景。

違和感が、別のものに変わった。


この時、ようやく気付いた。

気に留めなかったのではない。

必死に、目を逸らしていたんだ。

目が合ってしまったら、きっと何かがおかしくなってしまうから。

気に留めていないと自分をなんとか納得させて、その感情から身を離していただけだった。



数日の後。古賀さんが一人でいる時に、ちょっとだけと呼び出して話をさせてもらった。


絶対に聞くべきでは無かった事を聞いた。きょどきょどと、どもりながら。要領を得ないようにあたふたと言いながら。


要約するなら、

「シドさんと付き合い始めたんですか」と。



ぎちぎちと、心の中で壊れてしまいそうな何かをわかりながら、それから目を逸らす事に必死で、そんな馬鹿な真似をしてしまったんだ。



「ん、ああ…少し前からな」



何かの間違いであってほしかった答えは、あっさりと目の前に吐き出された。


無理矢理、だとか。

強制だとか。

そういったものではないのは、愛していた人の、その照れ臭そうな顔で。嬉しそうな顔でよくわかった。


わかっていたじゃないか。僕はこの人の、自分を譲らないような所が好きだったんだ。

だから、無理矢理なんて訳もないんだって。



ぱきんと、何かが壊れる音がした。



この人が僕に、嬉しそうにそれを報告し、包み隠そうとすらしないという事は、そういう事だ。


彼が僕に優しかったのは、誰にとってもそうだっただけ。


『僕だから』だったのではなく、誰がどんな時であろうと、あの夏の日はきっと、どこにでもあったものだったんだ。

彼は僕に、全く興味を持っていてくれなかったのだ。この想いに、気付いてすらくれていなかった。



『僕だから』なんてものはなかった。彼にとっての僕はただの、優しさの捌け口だったんだ。




シドさんはきっと気づいていたのだろう。

僕のこの想い。彼への感情。

それでも『こう』なった。

それは、つまりそういう事なんだ。



どうでもいい。

なにもかももう、どうでもよかった。


ただこめかみの辺りが重くなるようだった。



この時。

自分でも意外なほど、作り笑いが綺麗に出来たと思う。





「…おめでとうございます。

お似合いだと思いますよ!」







……





涙は、何故か流れなかった。

ただ一雫、冷汗のように垂れたきりずっと静かなままだった。



あの時壊れてしまったものになにか名前を付けるとしたのなら、初恋なんて可愛らしいものだろう。

でもきっと、それは、名前よりもずっとどろどろと薄汚いもので。中に詰まっていたものも、もっと黒く、気味悪いものだった。




「ひさめ、そっちは大丈夫か?」



「ええ、これでももう先輩ですから」




あっという間に時間は過ぎる。

平等に、優しく。


僕は二年生になり、かなり経つ。シドさんも古賀さんも三年生になり、受験戦争もどうとも乗り越えて、なんとか肩の荷が降りたと、最近引き継ぎを本格化している。


新しく入ってきてくれた後輩の子達も勤勉でとてもいい子達だ。万年人手不足だった我が生徒会は、今年ようやく脱却出来た。


きっと君のおかげだよ、と僕に笑いながら語るシドさんに、くすりと笑った事を思い出す。

そう、笑いながら。


古賀さんは相変わらず、生徒会でもないのに、その誰よりもよほど勤勉にこの部屋に出入りしている。

重い荷物を率先して運び、僕らを気遣ってくれる。



そっと。忙殺され、二人が居ないその瞬間を思い返す。

あの時の3人しかいなかった部屋を。

あの時の、忙しかった時。


ふとため息を吐く。


跳ね回るほどに嬉しかった貴方の優しさを。彼らの微笑みを。まるで、嬉しく感じることすらできなくなった事が、虚しくて仕方がなかった。



世界の全てが、変わったように見える。


時間だけは、あっという間に過ぎていく。

何があったという訳では無い。

ただ生徒として、勤勉に。

優等生とまではいかなくても、真面目に。



ああ。

あっという間だ。

三年生が卒業の時を迎える。式の直前になるまで口惜しげに、皆々が寂しがる様子をただ、他人事の様に思っていた。まあ他人事である事自体には間違いはないんだけれど。



本当にあっという間だった。桜が咲く花道を歩きながら、御二方は卒業していってしまった。その時になって初めて、実感が湧いた。


これからも、会う事自体は出来るだろう。

でもきっと、会う事は少なくなる。

疎遠になり、会う事そのものがなくなるかもしれない。



花道を歩いて行く彼らに追い縋るように、付いていったのはどんな感情からだったろうか。




「…古賀さん。卒業おめでとうございます」



「!ああ、ひさめか!

わざわざ来てくれたのか」



「はい。

本当に…お世話になりましたから」



「はは、そうだな。

これから寂しかったりしないか?」




悪戯にそう笑う貴方の顔。

傷だらけのその顔を愛おしくないと言ったら今でも嘘になる。その声を聴いていたいという心が叫ぶ。その手に触れてほしいと思う。


だけれど、その既に無い第二ボタンが僕の心にとどめを刺してくれる。

これ以上は、何もするなと制止する。




「ええ、はい。

心配を掛けてしまわないようにします」




貴方はきっと、今でも。

否、この後も。ずっと僕の気持ちに気付かないのだろう。どうしようも無く、初心で、鈍感だった。

そんな所が、好きだった。



気付かせてしまうものか。

これを貴方に、教えてしまうものか。

貴方にだけは、知られてしまうものか。




「…本当に、すっかり変わったよな」



「そうですか?」



「ああ。一年の頃はその…正直、見てて不安だったっていうか、凄く危なっかしかったけどさ」



「あ、ひどいですね」



「すまんすまん。でも最近はその…しゃんとしてるっていうかな。凄くお淑やかになったっていうか…悪い、何言ってんだかな」



「いえいえ。

そう言って貰えると嬉しいです」



「そうか?…なあ。また何かあったりしたらすぐ頼ってくれていいからな。遠慮せずな」



「そう、ですね」


それなら。



口が勝手に開いていた。

考え無しだった。

何も思ってなんてなかった。


復讐なんて、そんな大層なものじゃない。

呪いなんて、そんな重々しいものじゃない。

何がしたかったのかなんてわからない。




「夏の度に、僕を思い出してくださいね」



それでも、貴方に残るほんの少しの傷になりたかった。


本当は、そんなものにすらなれないのに。貴方の中の僕はいつだって、美しい思い出のままであると、わかっているのに…








……




貴方達が居なくなったはじめての夏の酷暑の、そんなある日。資料を必要として、どこか図書館に行く事になった。

本当は、本を貸し出し出来るなら、どこでも良かった。それこそ学校にあるものでも。本当に、どこでも。


だけど脚は、ある日の陽炎を辿るように行き覚えが有る道を歩いていた。あの夏を、思い出すように。あれを、呪うように。

彼と会った、あの図書館へ。



あの時とはまるで違うような景色に、匂い。

何もかもがあの時と違ってしまっているようだ。


冷房が効いた古本の匂いは一年やそこらで変わる筈も無い。一度作られた設備が、そう易々と変化する訳も、当然無い。




(本当に、すっかり変わったよな)




(…ああ、そうなんですね)



何のことはない。

変わったのは僕だけだ。

他には何も変わっていないんだ。


愛しい人の顔も。会長の性格も。あの生徒会室の心地の良い雰囲気も。何も変わってはいなかったんだ。わかっていた。


ただ何かが壊れて、よくわからない何かがどろどろと溢れ出たあの時から、僕はあの時の僕のままで居られなくなってしまったんだ。泥が、雨垂れでその姿を醜く歪めてしまうように。




窓際の席に座る。じりじりと刺すような日なたが身を焦がすようだった。外には大ぶりな花壇が置いてある。



携帯に、惨めたらしく残る連絡先を消した。願わくばもう、二度と貴方に逢えませんように。逢えてしまわないように。



さようなら、大好きだった人たち。

さようなら、愛した人。

幸せな生涯を送ってほしい。

僕など、関わってはいない人生を。



花壇に青々しく生えた酢橘の葉にある揚羽蝶の蛹が小鳥に啄まれていた。


それを僕は、ただ静かに見ていた。







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